さよなかの猫   作:織々々

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09 魂の組成成分2

 その後は、ペターニ中の宝石店をしらみつぶしにはしご──というわけにもいかなかった。

 いくらビジネスが信頼で成り立っており、更に口の固さが求められる高価格帯の買い物とはいえ、人の口に戸は立てられない。クラークスの息子が女性を伴って魂玉石(こんぎょくせき)を探しまわっていると噂がたてば、その後の動きに支障が出る。錬金術士が血眼になって魂玉石(こんぎょくせき)を探している、となればいずれその先は予測されてしまう。

 カモフラージュとして、普段使う鉱石や宝石、薬剤の仕入れを兼ねることにして、めぼしい店を絞って比較して歩く。

 金そのものに興味はないが結果的に資金力のある者しか残らない錬金術士はどの店でも上客であり、更にクラークス家後継となれば桁が違う。各店のボリュームディスカウントを比較する体で探りを入れてみたが、魂玉石(こんぎょくせき)を在庫として置いているところは無いようだった。

 

「バイヤーに頼むのは、エヴィアに絞ったほうがいいですね。あれで顔の広い男ですから」

 

 二、三日ペターニを歩き回ったが収穫はなく、旅の疲れもあったためその日のディナーはルームサービスですませることにした。

 

「……じゃあ、もう待つしかないのね」

「そうなりますね。申し訳ないです、心当たりがあると言っておいて……」

「ここまでしてくれて、そんなこと思うわけないじゃない。……私、ずっと自分で作るしかないって思ってたから……」

 

 お互い久しぶりにアルコールを楽しむことにして、ワインを開けたらすでに三本目のコルクを開けることになった。ミスティの体調も戻ったようだから解禁したのだが、心労が拭えないからかペースが早い。あまり良い飲み方ではないが、今更だ。マクウェルが気付かなかっただけで、出逢ってからずっと、そうだったのだから。

 

「……買うことができたとして、いくらになるのかしら」

「価格のつけられない石ですからね」

 

 天然物の希少石は、唯一無二といっても良い貴重なものである。人の命と同じように、本来であれば値段をつけられるようなものではない。それだけの価値がある。しかし売買をするのであれば金銭的価格を定める必要がある。そうなれば1000万フォル、2000万フォルといった桁の話になる。

 おおよそ2000万フォルが中流階級の生涯賃金の平均値である。ミスティ・リーアはその性質上、一族全員で共有資産を運用しているが、全体での年商がその約10倍、純利益はおおよそ31%ほどになる。そこから個人へ分配されるが、成果をあげるものは中流階級の生涯賃金を一年で稼いでいる。そして知的好奇心の塊ばかりの一族は、更に個人的な研究に金を溶かしてゆく。

 

「……私一人がミスティの財産を使い潰すわけにもいかないのよね」

 

 経費として扱えば禁術にふれた証拠を残すことになるため、ミスティは個人の取り分からその費用を捻出し、完全に私的な買い物として魂玉石(こんぎょくせき)を手に入れる必要がある。当代のミスティは手取りが最も高額にはなるとはいえ、限度はある。1000万、2000万ならすぐに用意できる額だが、5000万フォルを超えれば何かしらの手を打たなければならない。

 

「もし買えたら、それだけ財産作って残さないと……」

 

 用意できる額を超えた分は、一族に借金をして徐々に返していく形を取ることができる。身内でのやりとりになるため金利はつかないが、価格次第では何年かかるかわからない。身内だからこそ目処の立たない借金には応じてくれないため、現実的な返済の道筋を残しておかなければならない。

 

「魔石の理論解明と普遍化、特許をとるのに丁度よいのではないですか?」

「そうね……それで足りるかしら」

「足りますよ。使い道は山ほどあるんですから。特にシーハーツでは、施術がいたるところで生活に使われていますからね」

「素質のある人が多いものね」

「シーハーツでは馴染みがあるから受け入れられやすいでしょうし、アーリグリフでこそ、素質が無いに等しくとも実用可能なレベルにまで落とし込めば一気に広がるでしょう。それだけ魔石は便利です」

「あなたにそう言ってもらえると、本当にそうだって信じられるわ」

 

 錬金術には決して嘘をつかない人だと、知っている。禁忌を犯す罪に協力してくれているのも、覚悟を持って決めてくれたことだと。

 彼の献身に報いるために神秘錬金術(ミスティカ)を成功させることが、結果的に彼を裏切ることになっても、それでも。

 もう、進んでゆくしか道はないのだ。

 

 

 

「今ペターニにいるバイヤー達には一通り依頼をかけました。特に信用できるバイヤーだけに絞ったので、時間はいただくことになると思いますが」

 

 再びエヴィアの店を訪れると、途中経過を報告される。紅茶は以前と同じ銘柄だったが茶菓子がまったく違うもので、顧客を飽きさせない工夫が垣間見えた。

 茶菓子の選定はエヴィアの娘、店番を担当しているアクアがしているらしい。というか、自分が食べて美味しかったお菓子をエヴィアにねだり、親バカのエヴィアがアクアが食べきれないほど買ってくるため、客にも出している、という流れだそうだ。

 そのアクアは今はカウンターを離れ、エヴィアの膝のうえでジュースとお菓子を味わっている。人形のように美しいアクアは、商談の場にいても不思議と邪魔にならない独特の空気感を持っていた。

 

「ありがとうございます。吉報を待ちますわ」

「これは聴いた話なのですが、グリーテンではごく稀に魂玉石(こんぎょくせき)が単体で産出されることがあるそうで、その場合祭儀に使うことがあるそうです。そうした流れのものならば、正規……というにも微妙ですが、まぁ後ろめたくはないルートで手に入れることもできなくはないそうです。バイヤーの一人がグリーテンの品を扱う者なので、依頼はしておきました」

 

 グリーテンとは国交はないが、商人や冒険者が個人レベルで行き来することは皆無ではない。国に認められるだけの理由が必要であり、何十枚もの誓約書と同意書にサインする必要があり、かなり狭い門ではあるが。

 

「パパ、あのフワフワのおじさんにもたのんだの?」

 

 アクアが幼げな声で滑舌よく問いかける。エヴィアは一気にバカ親の顔になり、デレデレと笑いながらアクアのサラサラの金髪を撫でながら答えた。

 

「いや、バルバトスはこの前来たばかりだから、今ペターニにはいないからね。本命だったんだが……」

「本命?」

「どういうことだ?」

 

 エヴィアの一言にミスティもマクウェルも鋭く反応する。

 

「メノディクス族の行商人だ。自分自身も細工師で、なかなか石に詳しくコレクションも多いようでね、もしかしたらと思ってるんだが……バイヤーの中でも、現地に買い付けに行くだけでなく秘境に探検して見つけに行くような男だからな」

「そのバルバトスさんと連絡は取れないんですか?」

「サーフェリオに拠点があるようだから、そこに手紙でも出せば連絡は取れると思うが」

「今どこにいるかは検討つかないのか」

「知らないな。ゲート大陸を広く飛び回ってるからペターニにはたまにしか来ない。ひと月ほど前に来たばかりだからまた三ヶ月間前後はこないだろう、ということくらいしか」

「バルバトス宛に紹介状を書いてもらいたい」

「……行くんですか?」

「行くわ」

 

 二人の真剣な様子に、エヴィアは一考すると紙とペンを取りに席を立った。

 

 

 

 

 

 何かに導かれているような予感があった。後悔と覚悟を抱いて戦時中に国境を超え、シランドでマクウェルと出逢い、神秘錬金術(ミスティカ)を成すために欠かせないひととなった。たとえその先に何が待っていようと、進もうと行動するたびに道が開ける。決して日の当たる道ではないが、暗い暗い夜空に灯る星に導かれるかのように、可能性が見えてくる。

 エヴィアの店を後にした時、ちょうど後発の従者たちが馬車で到着しており、そのまま馬を新しく手配して翌朝にはペターニを発った。ようやくホテルでしばらく落ち着けると希望を抱いていた従者たちは主人のアグレッシブさにおののいた。

 サーフェリオ平原を駆け抜け、途中の村で宿を借り、四日かけてサーフェリオに辿り着く。

 かつての古代シーフォート王国の首都。聖珠セフィラによって水に沈んだ街は、今は亜人たちが住み着き事実上サンマイト共和国の地となっている。

 

「関所はどこかしら……入ってもいいのかしら?」

「大丈夫ですよ。ここの人たち、とても牧歌的なので」

 

 モーゼルの古代遺跡を調査するためサーフェリオに滞在していたことがあるマクウェルは、迷いなく村へ入ってゆく。

 一応関所として作られたらしき小屋は無人で、街を取り囲む壁なども見当たらない。住人たちはよそ者が来たことにまったく身構えていないようだった。水と緑に溢れ、高い建物もなく。あたたかな日差しがふりそそぐサーフェリオは、のどかでのんきな、穏やかな空気に満ちていた。

 

「すみません。バルバトスさんのお宅はどちらか、ご存知かしら」

 

 すぐそばを浮遊していたフラウ族の少女にたずねる。妖精と言われてイメージするような、30cmほどの背丈に翅が生えた姿の種族である。翅を高速で羽ばたかせ、長い髪を風に遊ばせてふわふわとホバリングする。この種族、見た目は可愛らしいが実のところ胸筋と背筋が非常に発達しているだろうなとミスティとマクウェルは内心考えた。

 

「バルバトス? え~と、え~とね……あっ! あの子についてくといいよ! チリコー!」

 

 フラウ族の少女は、水の上に建てられた木造の建物から出て来た影まで飛行し、声をかける。ふわふわと浮いているのは50cmくらいの背丈の小さな亜人だが、背中に羽は見当たらない。

 

「なぁに~?」

「チリコのところにお客さん~!」

「お客さん? なになに、バイヤーさん?」

 

 チリコ、と呼ばれた少女は快く道案内をしてくれた。彼女はバブルハーツという種族で、首から下げた宝玉の力で浮遊しているらしい。ヒューマンではなかなか見ないターコイズを思わせるような髪色をしており、それに合わせた鮮やかな緑の衣装がよく似合う。

 チリコの工房は陸地に建てられた木造の建物で、扉を開くとすぐに広い工房が広がっていた。窓が大きく、たっぷり光が入って来る位置に作業机が並んでいる。

 

「バルバトスはね~、あたしたちが作ったアクセサリーをお金にして来てくれるの~」

「タイミング良かったですね。バルバトスさん、おととい帰って来たところなんですよ」

 

 突然の来客に、フェザーフォルク族の女性が作業の手を止めお茶を出してしてくれた。シーハーツでよく飲まれているハーブティとはやや違う、独特の香りのする野草茶だ。

 フェザーフォルク族の女性・スターアニスは背丈はヒューマンと変わらないが、背中に鳥のような大きな羽が生えている。フラウ族が妖精のようならば、フェザーフォルク族は天使のように見える。実際、スターアニスはとても穏やかな顔つきをした優しげな女性であり、一般的なイメージによく当てはまる。

 チリコとスターアニスは細工師であり、エヴィアの店に卸される宝飾品も手がけているという。亜人は細かい作業を得意とする者が多く、彼らもそれを職にしたのだろう。

 

「帰って来たらしばらくは、仕入れて来た石でバルバトスさんも製作されるので、そろそろ来ると思いますよ。こちらがバルバトスさんのお家なんです」

「あら、そうなの。チリコさんのお家なのかと思ったけど」

「あたしはね~、出稼ぎに来たのっ! あたしが住んでるのはフラウの子の家~。アニスもでしょ?」

「はい、私は村長さん宅にお邪魔してます。春が来たら帰るつもりなんですけど、仕事が楽しくてどうしようかな~って思ってて……」

「この仕事楽しいよねぇ。バルバトスはね~、仕事がめちゃくちゃ早いんだよね~、せっかちな感じ!」

「チリコさんはじっくり時間かけてすごいの作りますものねぇ」

 

 せっかくだからと彼女たちの作品を見せてもらうと、質の良い品ばかりである。高級店に陳列されていておかしくないものもあれば、リーズナブルに手に入りそうなものもある。

 

「素敵ね。一ついただいていいかしら」

「わぁ、ぜひぜひ! 嬉しいです」

「マクウェルくん、どれがいい?」

「私、ですか?」

「たくさんお世話になってるから。プレゼント。遠慮しないで、いいなって思うもの選んで」

「……では、こちらのリングを」

 

 マクウェルが選んだのは、光の加減で色合いが変わる、透明の青緑色と濃青色が混在する宝石をあしらった金の指輪。他にも華やかなアクセサリーが並ぶにも関わらずなかなか渋い選択だが、スターアニスが感嘆の声を上げた。

 

「わぁ、お目が高い! こちら、かなりの希少石を使ってるんですよ。サファリンっていう石なんです」

「キレイだよね~。サファイアに似てるからサファリン、なんだって」

「マクウェルさんとても良い宝石をつけてらっしゃるから、珍しいものが気になるんですか?」

「……ミスティさんの瞳の色なので」

 

 マクウェルの言葉に、スターアニスが小さく声をあげる。ミスティは軽くうつむくとリングを受け取り、マクウェルの手をとって太さの合う指を探してゆく。

 

「薬指がちょうど合うみたいね。似合ってるわ」

「ありがとうございます」

 

 ピアスやスカーフリング、マントの装飾と金繋がりで調和も取れている。マクウェルは薬指を見つめると、軽くうつむいたままのミスティの頬に手を添え、上を向かせる。

 

「……やっぱり、同じ色ですね」

 

 ミスティの瞳と指輪のサファリンを並べる。たしかに、とてもよく似ている。

 少し困ったような顔をしていたミスティは、観念したようにマクウェルの手に手を重ね、花がほころぶように笑った。いつもの妖艶な微笑みではない、かわいらしい笑みを。

 

「なんじゃ、人ん家で若いもんがイチャイチャしおって」

 

 完全に浮ついた空気を一掃したのは、歳を重ねた男性の声。ボリュームのあるヒゲや狸耳、尻尾が加齢で白くなった、メノディクス族の初老の男性。待ち人であるバルバトスであった。

 

 

 

 交渉の席に着いて早々、マクウェルがエヴィアに用意してもらった紹介状を渡す。封を解き書面に目を通すと、バルバトスはスターアニスが用意したお茶で喉を潤した。

 

お得意先(エヴィア)に免じて深入りはせんが……本当に買うつもりかい」

「そうでなければ、ここにはいませんわ」

「そうじゃのう……」

 

 バルバトスはふさふさのヒゲを撫でて思案すると、席を立つ。奥の部屋に向かい、コーヒーを二杯ドリップできるほどの時間をかけて戻ってくる。

 その手には、シンプルな木の箱を持っていた。

 

「お主らの探し物、ひとつだけ持っておる。ワシの他にも信頼できる者複数に鑑定してもらった。本物じゃ」

 

 ミスティが木の箱を凝視しながら息を呑む。バルバトスが木箱にかけられた鍵穴に小さな鍵を差し込みひらくと、クリーム色の柔らかなクッションの上に。手のひらのうえに収まるほどの大きさの鉱石が、静かに佇んでいた。

 呼吸しているかのように、黄緑色に淡く輝く。

 

「これが……魂玉石(こんぎょくせき)……」

 

 手をかたく、かたく握りしめる。魂の組成成分が封印されていると言われている、伝説の鉱石。かつて初代ミスティが手に入れ、当代のミスティが作り上げる事叶わず、アンサラーに作ることを断られた。

 人体錬成に必須の、石。

 エリーを救うために必要な、石。

 

「いつの事だったか……アーリグリフだったのう……そうそう、バールの奥にある遺跡で見つけてきたもんじゃ」

「バール……!」

 

 まさか、故郷にあったものだったなんて。ミスティは複雑な気持ちで、なんと称したらいいのかわからない感情が胸のなかでせめぎ合い、唇を噛んだ。

 もしや初代ミスティは、バールでこの石を見つけたのだろうか。

 

「ドラゴンの生息域にあったからのう。お嬢さんが行くにはちと酷なところじゃろうて」

「鉱脈のようなものがあったのですか? もう他には無さそうでしたか?」

「鉱脈はなかったのう。遺跡のなか、だいぶ昔に誰かが保管していた形跡があったが、すでに放棄された区画のようじゃったから持ち帰らせてもらったものじゃ」

「そうですか……」

「……いくらなのかしら」

「買うつもりかい? シランドの一等地で家が建てれるくらいじゃぞ」

「お願い、教えて」

「うーむ、時価……9000万フォルにはなるのう……」

「9000万……」

 

 9000万フォル払うから死ね、と言われて死ねる人間は早々いない。命に値段はつけられない。つけるのならば、破格の値段になる。

 本来これは、売買することすら想定するようなものではない。唯一無二の。命に等しい石なのだから。

 命を買うことができるのならば、死という運命を覆すことができるのなら、安いとも言える。売り手の言い値が、等価だ。

 何かを手に入れるためには、等しい価値の対価が必要だ。

 エリーのためならば。

 私の罪を(あがな)うために。

 ミスティは、息を吐いてからバルバトスをまっすぐ見据えた。夜を溶かしたような瞳には、覚悟の光が灯っていた。

 

「……すぐには用意できない。全額は。銀行経由で分割払いはできるかしら」

「それは構わんが、前金二割は収めてもらわんと現物は渡せんぞ」

「1800万ね。それなら1000万は現金で、残りは小切手で、対応していただくことはできるかしら」

 

 買うことは決まっている。あとはどう支払うかだ。

 実際の価格を聞いて、ミスティはローンを組むことを迷わず選択した。マクウェルと話し合って目処をつけた、魔石の特許収入を見込んでのことだ。研究はほぼ完成に近く、細かい調整を行うだけ。それならば、間に合う。

 エリーを産みなおすまでに、間に合う。

 

「取り込み中すみません」

 

 真剣に話し合うミスティとバルバトスの間に、マクウェルが割って入る。

 

「価格は9000万フォルで確定でよろしいですか?」

「ああ。この額で動かない」

「では、」

 

 背後に控えていた従者が、いつの間にかその手に大振りの素朴なケースを抱えており。主人の目配せに合わせて机の上に置き、鍵をひらき蓋をあける。

 

「現金一括で購入します。お納めください」

「「「「!!?」」」」」

 

 最高価格の紙幣がびっしりと隙間なく詰まった中身に、全員が目を見開き息を呑む。

 希少だが価格は高くない宝石を、好いた女の瞳と同じだからと選んだ男が。中流階級が一生をかけて稼ぐ額の約4.5倍を、当然のように取引に差し出す。

 

「ひゃあ……ヒューマンって格差が大きいって聞いてましたけど本当なんですねぇ……」

「わぁあ、こんな大金みたことない~でもキラキラじゃない~」

 

 サンマイト共和国の亜人たちにも貨幣制度は浸透しているが、ヒューマンよりも自然に近い生き方をする者が多く、ごく一部の階層の者以外は牧歌的な暮らしをしている。だからこそ事業経営ではなく雇われ労働による出稼ぎが成立する。

 自ら事業経営をするバルバトスはともかく、チリコとスターアニスにとっては大量の札束そのものが初めて目にするもので、まるで非現実を見るような、夢見心地な様子である。

 この額が動く意味をよく理解しているバルバトスとミスティは、驚くなんてものでは済まず、絶句したまま動かない。

 資産を動かすのならば、事業を回すのならば、この額が動くのはよくある話だ。だが、私的な買い物でこの額を現金一括で用意する。すなわち、これは彼にとってはした金でしかなく、自由に使えるポケットマネーの総額はこの数倍以上はあるということだ。

 桁が、違う。

 

「前金のつもりで持ってきておいたんですが、座布団一枚でつりが来て良かったです。銀行から出してきたままで少々多いので、お手数ですが確認がてら数えてください。サンマイトの税制がどうなってるか詳しくは知りませんが、まぁ、利益は残るでしょう」

「残るなんてもんじゃないわい……」

「現物で持ってきておいてなんですが、なるべく早く銀行に預けた方がいいですよ。収支報告は偽りなくしておいた方が後々面倒ありません。ケースごとお渡しするので使ってください。ただ、こちらとしてはペターニで買ったことにしておきたいので、書類の内容はうまく辻褄合わせていただけると助かります」

「ッ、マ、クウェルくん、嘘でしょ、」

 

 いつの間にかミスティに代わり粛々と取引を進めるマクウェルに、ようやく我にかえったミスティがふるえる手で腕をつかむ。

 

「なんで、そこまでしてくれるの……」

 

 逢ってからたいして時間も経っていない、成り行きで体を重ねただけの女に。

 ──いや、知っている。理解している。そうなってはいけないのに、このひとは。本気で、真剣に、私を。たわむれではなく。

 

「金で解決できるならそれでいいでしょう。勝手にすみません、事前に言っても絶対に断られると思ったので」

「……、私、こんな恩、返、せない。返せない、返せないわ」

「別に恩を着せるために買うわけじゃないです」

 

 紅いひとみは、きっと世界の謎を解き明かした時と同じように、どこまでもまっすぐで。

 

「言ったでしょう。一蓮托生だって」

 

 ここまでしてくれる、誠実で真摯なひとを裏切らなければ、エリーを蘇らすことが、できない。

 心を慰める幸せなぬくもりが尊いほど、重ねる罪の重さと醜さに

 魂が、凍る

 

 

 

 度を越した知的好奇心の塊であり、この世の理をこの手で操ることを追求する歴代のミスティたち。それなのに、禁術の実行に到達した者がたったひとりしかいない理由。この術は、実行までの障害が多すぎる。

 禁忌にふれるため公に動けぬしがらみ。

 材料である魂玉石(こんぎょくせき)の入手難易度。

 胎児に宿っているかもしれない魂のゆくえを、知らぬふりをする残酷。

 それでも、なにもかもをなげうってでも蘇らせたいという渇望。

 胎児を得るための過程で、愛に癒やされ初志を貫けなくなる、弱い心。

 これらすべてを乗り越える覚悟を持つことは、困難だ。

 

 ここまでしてくれた彼を裏切りたくはない。けれど、それこそ。“事前に言っても断られる”から、レシピのすべてを共有するわけにはいかない。

 念願の魂玉石(こんぎょくせき)を手に入れたのに、心はまっくらな夜をさまよう。彼がもたらす光が暖かいほど、さまよう闇は深く深く、暗さを増す。

 もうなにも考えたくない。酒か、快楽か、溺れてしまいたい。心が、壊れてしまいそうだ。

 けれど。けれど、愛しいあの子を蘇らす術を前にして、それを選ばない選択肢は無い!

 覚悟はしていたことだ。何を欺いても踏みにじっても、エリーの魂を救い、自分の罪を(あがな)うと。自分の心など、壊れても。それが対価というのならば、壊れて良い。魔石の特許を彼に譲ればいい。それですべてが。収まるわけはないと知ってはいるが、そうすると決めた。決めたのなら、進めばいい。

 

──悲しみに沈んでいる時になにかを決断するのは危うい──

 

 なんの前触れもなく、アンサラーの言葉が蘇る。自分よりも遥かに研鑽を積んだ、偉大な先達。自分のためにかけられた言葉。彼はきっと、この状況までも予想してそう言ってくれたのではないかと、何故だか今唐突に理解した。あの方は自分のように壊れていく人を、何人も見送ってきたのかもしれない。

 それでも。それでも、

 

 

「宵闇に沈む錬金術士よ、吾輩の師匠が呼んでいる。その石を持って参るがよい」

 

 

 幼くもしっかりと芯のある、それでいて幽玄さを感じる声が、ミスティの思考を止める。

 バルバトスの住居兼工房にいつの間にか入ってきていたのは、亜人の少年。夜空を模した青地に星模様の衣装に、はしが擦り切れた外套を纏い、箒を手にしている。マクウェルとミスティは、彼が何かしらの術の心得がありその出で立ちに意味があると、一目見て理解した。

 

「……師匠? あなたは……どなた?」

「吾輩はメルト、星を読む者。夜をさまよう者がこの地を訪れることは知っていた。吾輩の師匠が、そなたの望みを叶えると申しておる」

 

 

 

 

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