「あの指示書、フェイトさんが書いたのですか」
数年ぶりの施術研究所──いや、施術兵器研究所は相変わらず散らかっていた。前より酷くなった気がするのは、他人のものでもまめに片付けていたディオンがいなくなったからだろうか。
「一言目がそれって、相変わらずね。マクウェル」
研究所の主が陽の光で読んでいた本を閉じ、机のうえに置いて視線を客人に向ける。この様子の彼女は片手間で聞いているわけではないことを、マクウェルはよく知っている。
マクウェルが施術研究所を退所した理由はいくつかあるが、このルーズな部長から受けるストレスと、抱いてしまった不信感によるところが大きい。
時間をはじめあらゆることがルーズで、研究に対してやる気があるのかないのか分からない。凄まじく高度な知恵を持っているのに、わざと手を抜いているように見える。
グリーテンのスパイなのかとすら考えたこともあるが、今は違う仮説を立てている。証拠もなく根拠は自分のカンという、証明のしようがない仮説だが。
そんな相手のいる元職場に何故おもむいたのかといえば、サーフェリオからペターニを経てシランドへ戻ってきたら、城から機密文書が届いていたからだ。それはサンダーアローを改良する為の指示書だった。
開発の場を離れて長いため、内部回路はずいぶんと仕様が変わっていた。だがなによりも驚いたのは、最も新しく施された改良点の数々だ。その指示によりサンダーアローはひどく洗練され、エネルギー損失を大幅に減らし、威力を増していた。
「まるで初めから答えを知っている教師が生徒に手取り足取り教えるような内容でしたね。グリーテンの技術者……と言うには、彼らの技術とは少々毛色が違うように見えますが。彼らの技術は施力を動力とするものであり、営力ではないはずです。まさか、星の船に関わりがあるのですか? それならいろいろと納得がいく。その仮説が正しいのなら、営力技術を探求してゆけば文明のレベルをいつか星の船の領域まで上げていけるということではありませんか? あなたは、その答えをご存知なのでは?」
「あー、もう、ほんと。だからキミは……」
危険な男。
エレナは苦笑するしかなく、頭をかかえて机に軽く伏せた。
そもそもその機密文書を送りつけたのが誰かなんて、留守を預かっていた家令にも伝えていないのに。当然のようにエレナのもとにやってきた彼は、頭の回転が早いのか思い込みが激しいのか。もともと異様に直感の鋭い男ではあったが。
「まぁ、なんだ。それを教えてあげてもいいんだけど、条件があるのよね」
鋭さや威圧感とは無縁の、角が取れきって、掴みどころがない人。容貌も仕草もあらゆるすべてがそんな印象を与えるのに、そんな元上司が静かに見据えてくるのは妙に迫力がある。
「あの本、どこまで読めたのかしら」
無断で失敬した本のことを指しているのだと察したマクウェルは、バツが悪そうに目を逸らした。結局、この人が一枚上手なのが昔から気に食わない。
「……、……一通りは読みましたが。解釈を保留にしている箇所は半分以上」
マクウェルがエレナの蔵書から失敬した古文書。有史以来の預言を記しているらしき一冊の本。研究員時代に研究所の本はすべて読んだが、シランド城が保有しているあらゆる蔵書とは一線を画している、と感じた。
時間と金をかけて研究するに値すると──真理に辿りつくための手がかりになるだろうと、どうしようもない意欲をわきあがらせる。まだまだ探求の余地がある営力の研究から離れてでもやる価値があると思ったから、研究所を退所することを決めたのだ。
「そう。ネタバレするみたいで悪いんだけど、実はあの本続編があるのよ。で、そこに書いてあるんだけど。これからこの星に、神の裁きがくだされる。それに対抗するため、一時的でいい。キミの力を借りたい」
ネタバレもいいところである。
そもそも続編があるなんて聞いてない。
正直、あまりにも突飛な内容だと感じた。錬金術士であるため必然と神学者でもあるが、あまりに超常的な神話や聖典の内容をそのまま鵜呑みにしているわけではない。
「……その神とやらは、星の船の親玉とでも?」
「そんなのじゃないわ。言うなれば、アペリスの親玉ってところかしら」
「それは、災害予知ですか?」
「いいえ。災害といえば災害、天災といえば天災だけど。言葉通り、神の裁きよ」
「その方法は?」
「おそらく……強力な魔物の出現、という形で来ると想定される」
「神の裁きのわりにちゃっちいですね。大津波で全部洗い流すなり溶岩で全部燃やすなりできないんですか? 神なのに」
「そういう方法、人間は死ぬけど生命が根こそぎ消えるわけじゃないからね」
「……神は生命すべてを……もう二度と命が生まれないほどに、消すつもりなんですか? やり直すわけでもなく」
「この世界そのものを消すつもりのようね」
あまりにも。あまりにも、突飛な内容だ。だが、星の船の襲来により異邦人の存在が確定した以上、想定外のことが起こるのはなにもおかしくないのだと知ってしまった。
なにより、この元上司がその能力を十分に使わなかった意味が理解できた気がした。この人はおそらく、現段階の文明に対してオーバースペックなのだろう。その由来があの古文書にあるのか、謎めいた出自ゆえなのかは、定かではないが。
「なぜ、この世界が消える危機に瀕することになったのですか?」
「この国に……シーハーツやアーリグリフに原因があるわけじゃない……別の星々が、神の領域を犯したから。禁忌に触れてしまったから」
「禁忌とは?」
「そうね、キミの流儀で言うならば……
「は!? それの何が禁忌なのですか!? 神は……いったい何様のつもりなんですか!?」
「ぐ、っふ、は、はは、ははははは」
退職のときにもめたとき以来叫んだマクウェルに、エレナが腹をかかえて笑う。我慢するにも完全に不意打ちで、抑えきれない。
「ははははっ、ああ、もう、おかしい、ははっ、そう、だね、くっ、ふふっ、か、神様のつもりなんじゃない?」
この天才錬金術士と似たように、非常に偏屈だけれど壮絶に優秀な天才技術者を思い出したエレナは、ぶり返してまた笑う。
何様のつもり。ルシファー、言われてるわよ。
「というか、やはり人は
度を越した知的好奇心の塊である錬金術士にとって、知恵と認識は魂を救済する、気高く尊いものだ。その探求ゆえに滅ぼそうとして来るなど、到底容認できるものではない。
傲慢なのは神か人か、哲学的な葛藤に耽るのも面白いかもしれないが、実害が及ぶとなったら話は別だ。錬金術士の悲願を否定する神など、不要だ。
「それで。そのロクでもない神に対抗するために、具体的に、私に何をしてほしいのですか?」
エレナがわざわざ喧嘩別れのような形で退職した自分を呼び寄せ、真剣に向き合ってくる以上、冗談は言っていないだろう。むしろ何か適当な、現実的な理由を作って協力要請することもできたはずなのにそうしなかったのは、彼女の誠意だろう。そう判断したマクウェルは素直に飲みこみ、続きをうながした。
「施術兵器の改良と増産、運営諸々。キミが指揮ってほしい。アタシもできる限りのことはする」
「神相手に施術兵器が有効なのですか?」
「こちらの世界に影響を与えうる体で来ると推測される。逆も然り」
理屈は通るが、現段階では証明のしようがない。あとはマクウェルがエレナを信じるかどうか、ただそれだけだ。彼女を信じてこの世界を守る為に、自分の研究を数ヶ月、あるいは数年、停めるか否か。
「……もう後悔したくないの。だからキミの力を貸してほしい。この世界を、奪われたくない」
いつも覇気がなく、のらりくらりと世を渡るようなこの人が。ここまで深刻に真剣に、向き合ってきたことがあっただろうか。
星の船はマクウェルから唯一無二の友を奪っただけでなく、この人からも後継として目をかけていただろう部下を奪っていった。
生涯をかけて守りたい、特別なひともできた。もう二度と奪われたくない気持ちは、マクウェルも同じだ。
「……わかりました。驚異が去るまで、協力しましょう。ただ一つ条件があります」
ハリのないまなざしをまっすぐに向けてくるこの人に対して、正直今でも腹が立つ。一緒に仕事をしたらいろいろとストレスがたまる確信がある。
それでも自分から目をそらさず視線を受け止め、耳を傾けるこの人の。
「本ッ当に、出し惜しみしないで、本気でやってくださいね」
本気の仕事を見れるのは、不謹慎かもしれないが、楽しみではある。
「私の技術を?」
「石に風雷の施術を封印して、それを施術兵器の動力にしたいのです。ぜひご協力いただきたい」
マクウェル邸の工房にて、論文の修正作業をしていたミスティにサンダーアロー開発への参加を依頼すると、彼女は青緑の目を丸くした。
施術兵器にはシーハーツの機密が詰まっており、軍事的にも政治的にも重要な位置付けにある。その開発室にアーリグリフの錬金術士を起用するなど、いくら同盟を結んだとはいえ情報管理の面で容易に許可が下りるようなことではない。
だが改めてフェイト達の手によって改良されたサンダーアローの実物を見て。マクウェルはミスティの技術が役に立つと察したのだ。
現在、サンダーアローは施術士が施力を込めなければ発動することができない。だが石に術を封じるミスティの技術を利用すれば、施術士がいなくとも──極端な話、アーリグリフ兵であったとしても、誰でも使うことができるようになる。施術兵器の運用が、一気に広がる。
「滞在費はすべて国が持ちますし、査証の期限も無期延期させます。それだけ状況が差し迫っているようなので」
「一体なにが? 星の船がまた来るとでもいうの?」
星の船の襲来は、はっきりと近いうちに死ぬつもりだったミスティにとってはたいしたことではなかった。死ぬなら死ぬで、死を贖罪にエリーに会えると考えていた。
だが今は。生涯をかけて共にいたいひとができた今では。あの脅威が、おそろしい。
「星の船ではなく。アペリスの親玉が来るそうですよ」
エレナが素直に事情を話したのは誠意を見せるためでもあるが、頭の回る錬金術士相手に適当な嘘を言っても看破されるか不信感を抱かれるかで、全面的な協力が望めないからだ。ゆえに錬金術士相手なら、事情を話してもいいと告げられている。
エレナの話を信じることにした理由を説明するマクウェルに、ミスティはそれでも逡巡する。マクウェルが信じたとしても、ミスティにとっては実感のわかないことだ。
だが、マクウェルが真剣に研究している古文書に記されているというのなら、信じる価値はある。錬金術士として、彼を信頼しているから。
「……正直、実感がないけれど。正式な依頼なら、受けるわ。それに……」
そしてひとりの人間として。ひとりの男と、ひとりの女として。
「あなたと一緒にいられるのなら、喜んで」
ほほえむミスティの右手、薬指には。マクウェルの瞳と同じ色の、スタールビーをあしらったシルバーリングがはめられていた。
修正した論文の査読を依頼するため、マクウェルと共にアンサラーの邸宅に赴いたミスティが婚約したことを告げると、老賢者はすこしだけ驚き、そしてやわらかく笑った。
「おめでとう。ワシからも祝福しよう」
「本当にありがとうございます。老が引きあわせてくださらなかったら、私は……あの子を余計に悲しませてしまっていました」
国境を越えてまで頼った賢者に魂玉石の作成を断られたときはどうしようもなく悲しかったが、結果として過去のすべてに感謝している。マクウェルと会うことがなければエリーの魂と対話することもなく、自己満足であの子を現世に引きずり戻してしまっただろう。
そしてなにより、ミスティが──ミリアムがこれから生きていく理由を、マクウェルが与えてくれた。
「両家には報告したのかね?」
「手紙は出しました。返事はまだ来ていませんが、おそらく問題ないかと」
マクウェルの母は非常に優秀な学者だった。家柄でも資産でもなく、聡明な彼女の人柄に父が惚れたのだ。教養豊かな錬金術士であるミスティならば、父も文句はないだろう。アーリグリフは男系社会ゆえ、貴族の男性に爵位を持たない家の女性が嫁ぐこと自体はさしたる問題にはならない。逆に、爵位を持つ貴族同士なら様々なしがらみがあり、完全に当人たちの一存で決めれる話ではなくなる。
「私も、ミスティ達は大賛成でしたし……」
「?」
すでにこの世から旅立った歴代のミスティ達がこぞって伴侶として最高の選択だ、と太鼓判を押していた──などと知るよしもないアンサラーは妙なつぶやきに引っかかりを覚えたが、ミスティがほほえんでごまかす。
陰りが消え、憑き物がとれたようなミスティの表情に、アンサラーは穏やかな気持ちでふたりを見守った。ふと互いの瞳の色の指輪に気付き、金と銀がまさに硫黄と水銀、仲睦まじい様子が物質の融和を思わせた。
「式はいずれグラナで挙げるつもりですが、老に仲人をお願いできればと考えております」
「ワシでよければ喜んで」
「ありがとうございます」
「まだまだお元気でいてもらわねば困りますね。シランドで仕事が入りましたので、だいぶ先になる予定なので。……そういえば老、風雷の術は習得されていらっしゃいますよね?」
「ああ、記録に残っている術はすべて使えるぞ」
「さようでございますか。さすがです」
無表情のまま脳内リストにアンサラーの名前を加えるマクウェルを楽しげに見ていたミスティが、懐から手のひらいっぱいの大きさの箱を取り出す。
「老。こちら、今回のお礼に差し上げたいのですけれども、どうか受け取ってくださいませんか」
思えば、
己が理解しきれぬものに頼るのは、錬金術士の行いではないのだから。
テーブルの中心に置かれた箱を受け取ったアンサラーは、そのなかに鎮座する石を前に目を大きく見ひらいた。
「……これは……!」
あわててメガネをかけ、その石をよく観察する。先祖返りの体質ゆえに、ミスティが目だけでは見えなかったものが、彼にははっきりと見えているのだろう。
それは錬金術士の悲願のひとつ。
秘められた石、哲学者の石、エリクサー、ティンクトラ、第五元素、太陽の花、赤い石。
数多の名を持つ、奇跡の石。
すべての物質の変質を誘発することができるこの石は、賢者の石と呼ぶにふさわしい。
「お主が作ったのか?」
「いえ。私よりももっと未来と可能性のある、女の子が」
- さよなかの猫 完 -