さよなかの猫   作:織々々

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01 嘆きの壁

 聖王国シーハーツ首都、城下町シランド。澄みきった聖なる水に囲まれ、白い石造りの建物が並ぶ街にそそぐ日差しはおだやかで、清らかな風は木々をやさしくゆらす。

 雪山と荒野が国土の大半を占めるアーリグリフとはあまりにも違う、聖なる気が満ちる街。濃紺のベールを纏った女性は、城に近いカフェレストランのテラス席におさまりながら、風光明媚な景色を愛でもせず、白亜の街並みを眺めもせず、ただただ虚空を見つめていた。

 故郷の砂埃を避けるためのベールが、この街ではまるで、アペリスから隠れるための目隠しのようだ。

 待ち人がおとずれるまでの時間をひたすら静かに過ごす。席に着いてから蹄と車輪の音が石畳を響かせてくるまで、短かったのか長かったのかもわからない。

 装飾は少ないが上質なつくりの、街中用の軽量馬車。シランドの紋章も事業の社章もかかげられていないそれは、とある老賢者の私物である。

 彼の到着を待ち望んでいたその女性は席を立ち、エントランスへ流れるように足早に移動した。ようやく、彼に逢える。

 馬車は女性の前で止まり、御者がすばやく移動して扉を開ける。ぬるりと影のように静かに。天鵞絨の外套を纏った老人が馬車から降り立ち、無骨な大杖を受けとった。

 長い時を生きた証が刻まれた皮膚、肉が落ちてきてたゆえか強調される大きな鉤鼻、色の抜けきった白髪、ゆるやかにまがった背中。老いてなおまなざしは鋭く、発する気はいささかもゆるんでいない。威厳に満ちた老賢者は黄金のように力強いヘーゼルの瞳で、目の前の女性を見据える。

 

「お主が新しい“ミスティ”か」

「はじめまして、アンサラー老。お会いできて光栄です」

「こちらこそ、継承の賢女殿」

 

 挨拶もそこそこに、ベールを纏う女性──ミスティが老賢者を気遣い席までいざなう。

 

「よく来た……いや、来れたな、このご時世に」

 

 ハーブティーをひとくち飲んで落ち着くと、アンサラーはため息をもらすようにそう言った。ゆったりした袖からのぞく肌には施文がなにひとつ刻まれていないのに、彼は施術を非常に高いレベルで扱うことができる。先祖返りだという長く尖った耳とあいまって、そもそもの規格が違うことが見てとれる。

 施術への深い造詣は、総合学問である錬金術へもおおいに貢献しており、過言なく錬金術士として頂点にいるひとだ。

 そんな彼が憂うように、シランドは一見人々が穏やかに暮らしているように見えるが、一皮剥けば不安と恐怖が満ち、混沌が渦巻いている。

 

「手間とお金は余分にかかりましたけれども、それくらいです。元より“ミスティ”は先人たちの実績ゆえに、査証の発行が比較的容易でございましたもので」

 

 アンサラーの属する聖王国シーハーツ、ミスティの属する軍事国家アーリグリフ。二国は今、長期戦争のさなかにある。国境を超えた移動には制限が強くかかっており、容易なことでは越境許可はおりない。

 錬金術士「ミスティ・リーア」は長年の実績ゆえ、アーリグリフにて錬金術士として揺らがぬ地位を築いている。故に、錬金術において最高峰の術師・アンサラーへの面会、および材料や資料の仕入れの旅として申請し、誓約書に何枚かサインして越境を許された。

 ミスティは亡命をするつもりはないし、漏洩するようなアーリグリフ軍の情報も持っていない。ただ、錬金術士として、どうしてもこの老賢者にたずねなければならないことがあった。国境を越えねばならぬ、理由があった。

 

「それはよかった。知の探求者にとって、時に国境や政治は煩わしいものよのう」

「ええ……」

「ただ、今はもはやそれどころでもない状態だが」

 

 人々を不安と恐怖に陥れているのは、もはや戦争ではない。

 ほんの少し前まで、シーハーツとアーリグリフ両国の最大の関心は、最終決戦とも言える重要な戦線──アリアス村をめぐる軍事衝突にあった。

 シーハーツにとっては、アリアスが陥落してしまえば地形の上での有利を失い、その先の防衛が非常に困難になるため、実質的な最終防衛ラインとして定められていた。

 アーリグリフにとっては、アリアスの奪取は王手をかけることと同義であり、シーハーツの新兵器が完成する前に攻略すべき重要地点。

 そのアリアスをめぐる一大決戦が行われているそのさなか。第三勢力が、突然現れた。

 誰も手を出せない遥か彼方の上空から、雲を割ってそれは来た。空をかける、おそらく金属製の船。今では星の船と呼ばれるようになったそれらは、絶対的な制空権と圧倒的火力により、無差別攻撃を始めた。

 それは戦場や軍属だけを狙ったものではなく、アイレの丘、カルサア丘陵に点在する村や町も攻撃範囲に含まれ、民間人にも被害が出た。

 武力戦争という政治外交の一手段ですら無い、未知の存在によりただの一方的な虐殺が行われたという事実。まるで世界の終末が訪れたかのような状況に、戦争とは比べものにならない恐怖と不安が渦巻き、混乱が続いている。未曾有の事態にシーハーツもアーリグリフも一時休戦の条約を結ぶのではないかとも噂されている。

 戦争は、関係国の主張の真贋や是非はどうであれ、一定のルールの元に行われる。必ず犠牲は出るが、最終的にはお互いが落とし所を測りあい、現実的な妥協点を探ることができる。

 開戦した側であるアーリグリフ王国も、領土の拡張が狙いであり、民族浄化や集団殺戮などは行っていない。武力で領土を奪いはしても、意図的に民間人へ危害を加えることはしていない。むしろ働き手が減ることの方が損失と考え、占領地の住民は新たな自国民として行政上相応の待遇で迎えている。

 多大なストレスや被害を与えようとも、戦争はまだ、現実の延長線上の話であり、適応できる歴史だったのだ。

 しかし、星の船はまったく事情が違う。星の船は、一瞬で数多の人々の世界をえぐりとっていった。

 ただ、ミスティにとってはその混沌すらさほど心の動かぬ背景としか感じられなかった。あの日からずっと、あらゆる喧噪も彼女の心を揺るがすことはない。恐怖と不安が渦巻く街のなかを淡々と進み、ひたすらに馬車を乗り継ぎ、まともに宿も取らずにシランドへとやってきた。

 

「ところで、先にお送りしておりました論文はご覧いただけましたでしょうか」

「ああ、もちろん。まさか査読の結果を直接聴きに来るとは思わなかったがな」

 

 アンサラーは鞄から論文の束を取り出すと、ミスティに渡した。戦争以前より“ミスティ・リーア”はシーハーツ・アーリグリフを超えた国際的学会に所属しており、ミスティは書き上げた論文の査読を、すべてアンサラーを指名して依頼していた。アンサラーも“ミスティ・リーア”に査読を依頼することがよくあり、ミスティの指名も快く引き受けてくれたのだ。

 

「内容は特に問題ない。細かいところは赤を入れておいた。この技術、理論が解明され普及すれば世界は大きく変わるだろう。期待しているぞ」

「ありがとうございます」

 

 呪紋を石に封印する術に長けている“ミスティ・リーア”の技を、ミスティはその法則をより詳細に解明しようとしている。血統に依存する施術とはまた違うアプローチで超自然的な現象を再現できうる技術は、普遍化すれば文明のレベルを上げると言っても過言ではない。

 世界の謎を解き明かし、万物の始源(アルケー)を問い、自らの手で操る。本懐を遂げるべく日々研究に邁進するのが、錬金術士である。

 

「あまり嬉しそうではないな」

 

 アンサラーは添削された論文に目を通すミスティを見て、あえて遠慮せずに言い切った。

 

「そんな、……」

「錬金術士としてすばらしい成果を出そうとしている者の顔ではない」

 

 一種独特な空気を纏う彼女の隠しきれない憂いを、アンサラーは容易に見抜いていた。わざわざこのご時世に国境を超えた理由と無関係なはずがない、とタイミングを見計らっていたが、それは彼女も同じことのようであった。

 

「そろそろ教えてくれ。何が目的で、シランドまで来たのか」

 

 ミスティは細く長く息を吐き。意を決して、アンサラーの黄金のように力強いヘーゼルの瞳を見据え。挑むように、慈悲をこうように、口をひらいた。

 

 

 

「……気の毒なことだ。お悔やみ申し上げる」

 

 事情を聴いたアンサラーは、やるせなくため息を吐くしかなかった。同じ立場にはついぞなることがなかったが、彼女の悲哀と辛苦を我が事のように理解できるようになるほどには、歳をとった。

 

「……たしかに、理論上可能かもしれんし、その石はワシなら作れんことはない。それこそ手間と金が膨大にかかるがな。……だが、禁忌に手を染めるつもりも、貸すつもりもない」

 

 同情はするが、彼女の望む通りに動くことはできない。そう告げると、夜空をとかしたような深い青緑の瞳がむなしく沈んだ。

 

「……そうですか」

「その石を手に入れるための方法、知らぬわけではあるまい。作るか、見つけるか、奪うか。どれも困難であり、特に最後は外交問題になりかねん。その石は、プネウマの……」

 

 木々をゆらしていた風が、途絶える。

 唐突に、しずかにおとずれた凪。まるで時間まで停止したようなひととき、わずかなささやきですら罪を暴かれるような心地がして、ふたり自然と口をつぐむ。

 ミスティはもともと白い肌をさらに白くさせて、ルージュをのせた唇を噛みしめる。自分を頼って戦時中に国境まで超えてきた彼女にそんな顔をさせるのは心苦しいが、だが、それでも。

 

「……悲しいことだが、ワシはなにより、未来あるお主があらゆる学会や術師から疎外されるようなことがあっては欲しくない。ミスティの名も堕ちるぞ。……ワシにできるのは、聞かなかったことにしておくことくらいだ」

 

 できる限りのいたわりに満ちた言葉に、ミスティは虚空を見つめながら力なくうなずく。

 

「悲しみに沈んでいる時になにかを決断するのは危うい。せっかくシランドに来たのだから、ゆっくり心を休めるとよい」

 

 心の底から自分のためを思ってくれていることを理解しながら、ミスティの心は深く重く、うつろな暗闇に沈んだまま動けない。

 故郷の砂埃を避けるためのベールが、この街ではまるで、アペリスから隠れるための目隠しのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

「アンサラー老! お会いできてよかった。ご意見をお伺いしたいことがいくつかあるのですが、お時間いただいてもよろしいでしょうか」

 

 シランド城の廊下を歩くアンサラーの姿をみとめるなり、神学資料室から出てきた青年が足早に歩みより、即刻本題をはきはきと述べる。

 アンサラーと同じく、シランド城での職務を退いてなお過去の功績により城の出入りを許されている、学者であり錬金術士である青年・マクウェル。あまりにもきびきびと歩くため、深紅のマントが風をはらみ、襟足で二つに結えた長髪がゆれおどる。そして近づくほどに、ほのかに甘く、重みのある香水の香りが鼻をくすぐる。

 纏う衣服すべて上等な生地で仕立てられており、火熨斗が隅々まで効いている。シワのない革靴は光沢が出るほど磨き上げられており、スカーフリングやマントの装飾には大粒の宝石があしらわれている。石を見る目がある者なら一瞥いちべつしてその価値がわかるほどの純度の宝石を、三つ。その姿から、一見して富裕層であることがわかる。

 端麗な容姿もあいまって、嫌味なほどに文句のつけようがない、完璧な外見をしている。惜しむらくは、顔立ちがややけわしく感じるほどに表情が薄いことくらいだろうか。

 

「引退しとるワシを使うことに遠慮がないのう、お主は」

「そうおっしゃるのなら、隠居された方がお静かに過ごせますでしょう。まだまだ衰えておられぬ上は、後進の育成にわずかでも手をお貸しいただかねば、その叡智惜しすぎる」

「相変わらずじゃな、マクウェル」

 

 ほほえむこともなく、少々不機嫌に見えるくらいの真顔で淡々と述べるマクウェルに、アンサラーは苦笑をもらす。この青年、媚びているわけではないが、それにしても愛想がなさすぎる。

 無愛想ゆえにその言葉が本心だと伝わってもくるのだが、世辞を言えず歯に衣着せない彼は留学生であったこともあり、学生時代完全にまわりから浮いていたのもアンサラーは知っている。

 自分から他人の悪いところを見つけにいくたちでもなく、悪口や陰口を言う暇があるなら本の一冊でも読む男で、他人のことも意外とよく見ている優しい性根ではあるのだが。いかんせん、誤解されることが多い上、愛想をよくするつもりがまったくない。

 気難しいこの男とうまく付き合っていた友人を思い出す。切磋琢磨していた同期であり、成績の上ではマクウェルの一歩先を行っていた、おだやかながら情熱を秘めた青年のことを。

 

「たわむれで言っているのではありません。後進の育成、もはやアーリグリフシーハーツ共に死活問題でしょう。あまりにも多く人が死にすぎた、死ぬ必要のなかった者まで」

「……ディオンのことは、本当に残念だった」

 

 星の船の攻撃で命を落とした、マクウェルの唯一無二のライバル、ディオン。地道に基礎理論を積み上げ、一度理解したことに対して非常に深い見識を示し、施術学校を首席で卒業した優等生。

 対するマクウェルは、直感的な鋭さで新しい世界を切り開いていく、優れた閃きを次々と掴んでゆく天才。留学生ながら次席で卒業した傑物である。

 ディオンとマクウェルは施術学校にて頭一つどころではない、並外れた優秀さを花ひらかせ、後半の方は自然と共に勉強し、常に議論をかわす仲になっていた。

 マクウェルの閃きをディオンが深く落とし込み、安定感のあるディオンが成績の上ではわずかに先を行く。そして負けず嫌いのマクウェルが非常に悔しがり、更なる高みを目指していく。

 客観的に見れば異なる優秀さを持っているだけの話なのだが、この男は聞く耳を持たない。自分の上をいっている──と思い込んでいる──ディオンに対して、わずかに劣等感すら持っているように見受けられることもあった。

 

「あれほど金と時間をかけて育ててきた稀代の頭脳を持つ人材を、よくも戦場に連れて行ったものですよ」

「マクウェル、」

 

 しかし、だからこそ。マクウェルはディオンを高く評価し、その実力を認め、友としてライバルとして、良き関係を築いていた。穏やかで懐の深いディオンも、マクウェルの気難しさをやわらかく受け止めていた。

 留学生であるマクウェルの出身地は、アーリグリフ。今まさに戦争をしている敵国の出身ということもあり、戦争に関する発言は公的な場や人の目があるところでは謹んでいたマクウェルが。ディオンの配置に関してだけは、人目をはばからずシーハーツ軍部を強く批難していた。

 

「敵の攻撃範囲が常識を超えていたのも承知しておりますが。……私にはディオンを前線に送ったことそのものがどうしても理解できない。いくら最新鋭の兵器でエンジニアが必要だったとはいえ、あの頭脳を失うことがシーハーツにとってどれくらいの損失であるか、理解していたらディオンを前線に送るなんてありえない。あきらかな悪手、愚策にも程がある、」

「……ああ、そうだな……」

 

 少々不機嫌に見えるくらいの真顔のまま声を絞り出すマクウェルに、アンサラーは返す言葉がなかった。達観した言葉で諭すことはいくらでもできようが、彼に今必要なのは、そのような導きではない。アンサラー自身も、そうするつもりになれなかった。

 未来のある若い命が、理不尽に散ってゆ

く。その虚しさは、いくら歳を重ねようともたえがたい辛苦だ。

 そして残された者は、どうしようもない現実に向き合うしかない。受け入れるにしても抗うにしても、苦しみや悲しみは、結局のところ時が癒してくれるのを待つしかない。

 

「……そういえば星の船対策、お主に招集があったと聞いたが」

「断りました。研究室を離れて長い私が戻るより、今現場にいる者を繰り上げていく方が効率的でしょう」

「一理あるが、お主ならすぐに戦力になれるだろうに」

「だからこそです。私のやり方に他の者が慣れるまでに時間がかかるでしょうし、新しいことをする暇がないのなら、いまの状況で私が戻ってもたいしたことはできませんよ。短期戦になるならなおさら」

 

 アンサラーの言う通り戦力にはなるだろうが、センスと閃き、その論理化に長けているマクウェルを現状で研究所に戻すのは、ベストな選択とはたしかに言えない。

 使い物になる人材がまったくいないのならば話は別であるが、次世代が叩き上げられ育っているのならば、少々つたなくとも任せてしまうのが手っ取り早い。その旨申告した時のラッセル執政官の苦い顔をマクウェルはよく覚えている。

 しかし、苦い顔をしたいのはこちらだと言わんばかりにマクウェルは眉根を寄せる。

 

「そもそも、元からあの人が本気で仕事をしてさえいれば、シーハーツが劣勢になることもなかったでしょうに。それこそ戦争もとうに終わっていたかもしれない、ディオンが死ぬことも──」

「マクウェル」

 

 マクウェルがこみ上げる想いをそのまま形にするかのように唸るが、アンサラーの鋭い一声で途切れる。

 黄金のように力強いヘーゼルの瞳が、紅の瞳をたしなめるように見据えていた。

 

「お主だからこそ見えるものもあるのかもしれんが、エレナ博士もディオンを失って深く悲しんでいる。それは、口にするな」

「……失礼致しました」

 

 相変わらずの無表情ながら声色に反省の意を示した若者に、老賢者はうなずき、話題を変える。

 

「ところで、マクウェル。お主、ミスティ・リーアを知っておるか?」

 

 目の前の青年を見ていたら、自然と思い至ってしまった。彼と同じく、喪失の痛みに苦しむ若き錬金術士を。

 

「ええ、もちろんです。彼女の論文は学生のうちにすべて読んでおります。特にホムンクルスの錬成と定義の分野において、視点が独特で面白い。最近の石と施術に関する研究も──」

 

 この青年、過去に施術学校でカルサア訛りをからかわれてからというものの口数が少なくなり無愛想に磨きがかかったのだが、錬金や学術のこととなると途端に饒舌になる。

 その若さと情熱が好ましくもあるが、話が長くなると判断したアンサラーは割り入るように息を合わせた。

 

「そのミスティ・リーアが今シランドにおるのだが、会ってみる気はあるか?」

 

 

 

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