さよなかの猫   作:織々々

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03 秘匿されし祭儀1

 シランドの街中にある宿「ソロンの導き亭」は、巡礼者の宿泊客が多い。戦争と星の船の恐慌によりアペリスに縋る信徒が連日おとずれているようで、連泊を申し込んだ時はベルマンにすこし難しい顔をされた。妥協案として、最もグレードの高い部屋を選び、事前の予約に合わせて部屋を移ることでようやく都合をつけてもらった。

 予算の範囲内で済むとはいえ、その分の費用を文献や材料の調達費に回したかったが、仕方ない。鍵付きの広い個室、行き届いたサービス、清潔な施設。その快適さを思えば、等価だ。

 きよらかな朝日が差し込むラウンジで、新聞を片手に朝のフレーバーティを口に含む。

 普段の朝は珈琲を好むのだが、シランドでは珈琲の扱いは少なく、紅茶やハーブティーが主流である。せっかくだからと紅茶を嗜んでみることにしたのだが、カフェインの量があきらかに少ない。

 低血圧、低血糖、低体温の三拍子が揃っているミスティにとっては、珈琲のない朝がすこし辛い。その分普段よりも睡眠時間を多く確保し、滋養のあるものを意識的にとるようにしていた。幸いなことにシーハーツは生鮮食品が豊富で、アーリグリフとは比べ物にならない彩り豊かな秋の実りが店頭に並ぶ。

 しかしシーハーツの店頭で出される料理は味付けがうすく、料理人には申し訳ないが、持参したハーブとスパイスを混ぜた塩を加えることも多い。

 アーリグリフは寒冷地のため、乾物や燻製、痩せた土地でもよく生える香草、山岳地帯での牧畜による乳製品を使ったレシピが多い。そして主食はグラナ産の麦で作ったパンやパスタ、あるいは芋。ハーブやスパイス、塩がよく効いた料理に慣れている体には、シーハーツ、特にシランドの料理は味が薄く水けが多い。素材の良さはわかるし美味しいのだが、出されるままに食べていると、体の調子が狂う。

 アペリス神のお膝元、きよらかで聖なる土地。この町に自分は似合わないのだろう、とミスティはフレーバーティにミルクを加えた。透き通った紅に白が混じり、濁っていく。

 

「お姉さん、学者さんなんですか?」

 

 豊かな金色の髪を高い位置で二つ結びにした女給が、モーニングのガレットを配膳しながらミスティにたずねる。晴れた空のような明るい青の瞳と、陽気な笑顔が印象的な少女だ。

 

「あら、どうしてそう思ったの?」

「いつも難しそうな本を読んでたり、書いたりされてるので……」

「そうね、学者というよりは錬金術士といった方が正しいけれど」

「錬金術士! うわぁ、素敵です~、憧れます!」

「あら、お嬢さんは錬金術士になりたいの?」

「うふふ、そうですねぇ、私、母が施術士だったんです。だから、施術学校に憧れて……学校について調べていくうちに錬金術のことも知って、すごく奥深い世界なんだなって思って……」

「そうね、本当に奥深くて……果てが見えない世界だわ……」

 

 日々研究を続けても、実験を重ねても、文献を読み解いても。何かを知るごとに、何も知らないことを思い知らされる。この世の謎は、果てが見えない。

 

「その施術学校には、入学の予定はおありなの?」

「いえ……弟はまだまだ幼いですし、学校に入るのもそれなりのお金が必要になるので……なのでこうして働いてます! 弟のためにも!」

「そう……」

 

 気概は人一倍ありそうなのに、残念なことだ。母が施術士ということは、遠くても貴族の血が入っているということだ。子ども二人、高等教育を受けさせることもできそうなものだが、そうではないということは何か事情があるのだろう。

 錬金術士は金には興味がないが、錬金術は金がかかる。材料の鉱石や薬剤は高価で、毎日のように実験を繰り返すため、文字通り金を溶かすように使う。

 資金力がないのならよほど優秀な人材でなければ、学校に入ったとしても卒業してから錬金術を続けられる見込みは薄い。何らかの研究機関に属するか、パトロンがつくか、とにかく資金が必要になるものだ。錬金術による特定の技術だけで生計を立てることはできなくはないが、それは錬金術士というよりは職人だ。

 余計な詮索はしないまま、チップを多めに渡すとその少女は大げさに驚いて喜んだ。太陽のような満面の笑みでお礼を言う彼女に、この子ならいつか良い人に見初められて生活も楽になるのでは──なんて陳腐なおとぎ話のようなことをミスティは考えた。屈託のない笑顔は陰る心を照らしてくれるから、こちらも何かしてあげたくなる。他にもそう考える大人はいるだろうから。

 

「あなた、お名前は?」

「エリザと言います!」

「そう、エリザちゃんね」

「あ、そうだ。お姉さんに渡すよう言われてたんです。リーア様でお間違えないですよね?」

 

 女給の少女──エリザから渡された手紙の封蝋には、クラークス家の盾型紋章が描かれていた。

 

 

 

 

 シランド城からほど近い、まぎれもなく一等地である敷地にある屋敷。馬車で迎えに来てくれた従僕曰く、マクウェルが留学するにあたって、マクウェルの住居兼クラークス家の別荘のひとつとして土地ごと買いとり、改修したのだという。

 アーリグリフでほぼ唯一と言っていい、作物が安定して育つ土地グラナ。国の命運を握ると言っていい土地を治める領主一族は規格外の資産家であると知ってはいたが、息子一人のために他国の一等地に建つ屋敷を土地ごと買いとるなど、言葉通り規格が違う。

 ミスティは錬金術士としての実力と経験はマクウェルの上を行くが、身分はあきらかに差がある。ミスティの一族はバール一帯の地主でありある程度の資産を持ってはいるが、爵位を持つ貴族ではない。

 アーリグリフ建国の混乱期にシーフォートから移ってきた施術士、つまりは貴族がバールにたどり着き住み着いたことで一族に施術の知識と素養がもたらされ、総合学問である錬金術へ至ったという。

 しかし亡国の貴族の血が入っているからといって、不思議と知識欲の権現ばかりが生まれ育つ権力に興味のない一族は、その血を利用してカルサアなり王都なりに進出しようなど誰一人考えてこなかった。

 むしろ爵位を得てしまえば、男も女も社会規範に押し固められる。一族は男女問わず、貴族社会のしがらみに縛られるくらいなら自由に学術を探求したいという者が多く、現状が最善の選択だったのだ。

 そういうわけで、当主が伯爵の位を持ち、莫大な資産を保有しグラナ丘陵を治めるクラークス家と、バールの山あいでひっそりと暮らすミスティの一族とでは、おおきな身分差というものがたしかに存在する。

 であるにも関わらず、マクウェルは“ミスティ・リーア”へ素直に尊敬の念を抱き、それを隠さず真摯に向き合う。少しからかってもゆらがずに、さらけだした肌から目を背けて、まっすぐ目を見て話してくれる。

 表情が薄く、言動の節々から不器用な様子がうかがえるが、生真面目な好青年だとミスティは思った。恵まれた環境に生まれ、金銭的不自由なく育ったからこそ、身分差に頓着が無いのだろうだろうか。

 

「お待たせいたしました、リーア様。お足下、お気をつけくださいませ」

 

 従僕のエスコートで馬車の階段を降りると、薬草や香草の独特の香りがさわやかな風に乗ってきて、胸いっぱいに広がる。

 通されたのは敷地内にある錬金術用の工房で、改修の際に一軒建てたのだという。工房の周辺には錬金術で使うのだろう植物が栽培されており、緑が多い。

 クセのある植物の香りを嗅ぎ慣れているミスティにとって、居心地が良い。錬金術士の根本は、自然を愛することから始まる。植物ひとつ育てられない者に、自然の法則を解き明かし操ることなどできはしない、と幼い頃に先々代のミスティに教えられた。

 

「ミスティさん、ようこそお越しくださいました」

「おはよう、マクウェルくん」

「おはようございます」

 

 玄関先で出迎えてくれたマクウェルは相変わらず表情が薄いが、ミスティは声色や仕草で彼の機嫌がなんとなく理解できる。今日のスケジュールは今の所時間通りなのだろうし、“ミスティ・リーア”に見せたいものを見せることができるのが嬉しいのだろう。表情以外のところがわかりやすいから、かわいらしい。

 書斎へ通され視界に飛び込んできたのは、壁一面に作り付けられた本棚。見栄えのための模造品など一冊たりとも無いだろう、所狭しと並べられた本は圧巻だ。

 個人でこれだけ蔵書を保有できるなど、クラークスの資金力あってこそだ。バールにある一族の屋敷にも同じかそれ以上の量はあるが、先人達が少しづつ集めて貯めた財産であり、一族全員でねぶるように回し読みをしている。たった一人、留学してから集めたと考えると垂涎ものだ。

 その本棚の中央あたりに、使い込まれたキャビネットデスクがある。マクウェルはその机でずっと勉強や研究をしてきたのだろう。几帳面な印象とはうらはらに、机のうえは文房具や資料がやや雑多に置かれている。

 

「準備しますので、どうぞおかけください」

 

 全体的に、装飾は最低限の無骨な印象を受ける工房だが、すべて一級品の材料で作られているのだろう。

 部屋の真ん中に置かれた応接用のテーブルはよく手入れされ艶が出ており、塗装をほどこしていないヌメ革のソファはしっとりと肌に吸い付くようだ。これはおそらく、オイルでの手入れをしないほうが長持ちするタイプの、極上の革だ。

 敷かれた絨毯は馴染みのある風合いと柄で、あきらかにアーリグリフ産である。トラオム山脈の厳しい冬を越したヤクの毛を使った、きめ細かく脂ののった上質な糸を、気が遠くなるほどの時間をかけて手仕事で織り上げた逸品だ。

 ソファに落ち着いてからそう時間も経たぬうちに、客間女中がティーセットを乗せた盆を運んで来た。ドーム型の蓋をとると、焦がれた香りが鼻腔をくすぐる。

 

「あら、珈琲」

「アーリグリフの味が懐かしくなってくる頃かと思いまして」

「ええ、ずっと飲みたかったの……嬉しいわ」

 

 焙煎した豆を挽いた、香ばしい香り。香りを感じるだけでも体が喜んでいるのがわかる。一流のシェフが淹れたのだろう一級品のカップに入れられた珈琲は、骨の髄まで沁みる美味しさだ。

 

「美味しい」

「それは良かった」

「豆は、アーリグリフのかしら?」

「ええ、取り寄せております」

「戦時中もずっと?」

「はい」

 

 商売用のルートがあるとはいえ、戦時下の越境コストと物流コストを考えれば、戦前と戦中で倍以上は価格が違うだろうに。クラークスにとってはその程度の物価の上昇はささいなことなのだろう。あるいは優先順位の高い必要経費なのか。

 客間女中は保温用のキャンドルに火をつけてその容器の上にガラスのポットを置くと、静かに退室した。ポットの傍らにはクッキーを盛り合わせた皿が添えられている。

 

「それにしても、すばらしい蔵書量ね」

「学んでも学んでも足りず……いつの間にか増えてしまいました」

「ほんとうに、こればかりは足ることを知らないわよね。あとで拝見してもよろしいかしら」

「ええ、ぜひ。気になったものがあればお貸ししますよ」

「ありがとう。施術と……魂についての文献が読みたいのだけれど、あるかしら」

「魂? そうですね、いくつか取り上げているものはあると思います」

 

 もしかしたら、街の本屋や図書館よりもここの方が役に立つ文献に出逢える確率は高いだろう。そもそも施術に関する書籍は一般には出回っていない。彼の立場で集めた蔵書から探したほうが効率的だ。

 

「すみませんが、扉と窓を閉めさせていただきます」

「かまわないわ。秘密のおはなし、なんでしょう?」

 

 主人自ら扉と窓を閉め、鍵をかける。風のささやきもゆらめくガラスの向こうがわに遠ざかり、空間が静寂に満ちる。ミスティがカップをおく音、動き回るマクウェルの衣擦れの音が静かに響く。

 マクウェルは金属製の実験器具を机の上に並べてゆき、最後に重そうなつくりの棚にかけられた幾重もの鍵を開けると、紐で閉じられた分厚い紙の束を取り出した。

 

「いつかひとかどの成果を出したら、貴女のおかげだとお礼を言うのが夢だったんです。貴女の本で錬金術を志し、この地へ留学して。そうして世界の謎をひとつ、解くことができました」

 

 たいせつなものを扱うように、そっと紙を広げたマクウェルの表情は。誰が見ても分かるくらい、誇らしげな、情熱的な顔をしていた。

 

 

 

 

 

「すばらしいわ」

 

 マクウェルの講義が終わる頃には日が沈んでおり、窓から見える風景は宵闇に染まっていた。講義に夢中になったあまり昼食もとっていないが、充実感に満たされたミスティは目を閉じてソファに体を預け、講義の内容を頭の中で反復した。

 実験と座学を合わせて説かれた内容は、雷と似た力の営力理論。条件さえそろえば誰にでも操ることができる再現性があり、新たな動力として期待を寄せられているという。

 そしてマクウェルはその営力と、磁力の間に成り立つ統一方程式を単独で完成させたという。

 驚くほど簡潔な数式に秘められた情報量は膨大で、奔流にのまれそうになる。これだけの情報量をすべて理によって解き、丁寧に、時には大胆に法則を見出して、こんなにも短い式に凝縮したのだろう。

 式の意味をひとつひとつほどくように説かれるごとに心臓が高鳴り、頭の先から指の先まで興奮で熱くなる。世界が、輝く。

 

「ほんとうに、すばらしい……まるで詩ね……自然の法則を、数学を使って詩のように表現しているみたい……」

 

 錬金術士の本懐。この世の謎を解き明かし、自らの手で操ること。マクウェルは、人類にとっていまだ未知の領域、それを覆う薄暗がりのベールを颯爽とはがしてしまったのだ。

 このひとはまぎれもなく、人類を万物の始源(アルケー)への理解へと前進させた。

 

「これは、あなたお一人で?」

「はい。もちろん巨人の肩には乗っていますが、理論はすべて単独で組み立てました」

「すばらしいわ。もう、言葉がない……」

 

 うっとりと数式を反復する。無意識のうちに受け入れていた世界を論理的に解き明かされた時の、知識欲が満たされる充足感。この至福のひとときを、いつまでも味わっていたい。

 

「なんて美しい……」

 

 今この時は。過去にも未来にも囚われず、ただ目の前の美しさに心酔することができる。この幸せを知っているから、歴代のミスティは。社会の慣習に立ち向かってきたのだ。

 

(美しいひとに、美しいと言われてしまった)

 

 しあわせそうに数式をながめるミスティを、マクウェルは充足感に満ちながら見つめる。ずっと抱いていた夢を実現できたことと、このひとがこんなにも喜んでくれたことの嬉しさが。あふれて止まらない。

 

(このひと、こんな顔するのか)

 

 妖艶で神秘的なイメージからは考えられない、子どものように頬をあかく染め、目をきらきらと輝かせ。数式を何度も何度も、何度もなぞる。

 あやしげで色っぽいほほえみではない、無垢な笑顔。

 それもそうだ。このひとは、マクウェルよりもはるかに研鑽を積んだ、経験豊富で実力も高い錬金術士なのだから。同じ志を持っている──いや、“ミスティ・リーア”に示してもらって、マクウェル・クラークスが同じ志を抱くようになったのだから。

 世界の謎を、自然の法則を解き明かすことの幸せを共有できるのは、必然なのだ。

 

「そう……錬金術は、森羅万象が花ひらき色褪せる、その秩序さえ解き明かすことができるのなら……どんな可能性も……」

 

 青みがかった濃厚なワインのような爪紅をのせた指先が、紙からはなれ。濃いめの紅がのせられたくちびるに、そっと添えられる。伏せられたまつげからのぞく青緑の瞳がゆれた気がして、目が離せない。

 

「でも、」

 

 唐突に顔を上げたミスティと視線が絡み合い、マクウェルの心臓が跳ねる。だが驚きは心うちにとどめ、なんてことないように装った。

 

「どうして……こんなすばらしい成果が、秘密なの? 今すぐにでも、学会に発表して……」

「……この成果によって、シーハーツの施術兵器開発が軌道に乗ったんです」

「あ、」

「私が方程式を完成させたのは開戦前ではありますが、アーリグリフの国民にとってはそんなこと関係ないでしょう。このことが公になれば、国賊として祖国での処刑はまのがれないでしょうね」

 

 留学先の施術学校を卒業し、そのままシランド城の施術研究所に就職し、研究を続けてこの成果を得た。そしてシーハーツ・アーリグリフ間の戦争が始まった。

 結果的に、祖国の損となる研究に加担したどころの話ではなくなってしまった。

 

「実のところ首脳部は知っているみたいですが、何かの間違いでグラナ領主の息子を処刑してしまえば国がゆらぐから、状況が変わるまでは帰ってくるなという事になりまして。それまでは好きに過ごせと」

「……人材としては、確保しておきたいでしょうね。上の人たちは」

 

 戦時中帰国したとして、このことが世に漏れてしまえば。戦争による利益を是とする勢力の熱で、敵に加担した売国奴として処刑を望まれるだろう。いくら首脳部が後々の益を考えて確保しておきたくても、民衆が熱に狂えば、そう動かざるを得ない状況もありうるのが人の世だ。

 戦争が終わって状況が落ち着いてしまえば、これほどの頭脳を持つ人材はどこの陣営も引き入れたいに決まっている。それを思えば、施術兵器研究所への在籍を強要して既成事実を作らなかったシーハーツは、優しくもあり愚かでもあり、狡猾でもある。

 

「あなたは、これからどうしたいの?」

「今はとある古文書の研究をしています。どうやらアペリス教そのものを解体して知ることのようなので、イリスやらカナンやらモーゼルやら、フィールドワークであちこち巡ってます」

「そう。やりたいことをやれているのなら、よかった」

 

 その古文書は元上司の蔵書で、無断で失敬したということをミスティは知らない。

 

「貴女はバールに戻って研究を続けられるのですか?」

「そうね。シランドに来て、やっぱり私はアーリグリフ人だって感じたわ」

「それは私も思いますね。慣れたといえば慣れたのですが」

 

 ミスティがサイドテーブルの水差しからフレーバーウォーターをそそぎ、マクウェルにも差し出す。使われているハーブはこの工房の庭で採れたものだろうが、祖国でもよく見られる組み合わせで、馴染みがある香りだ。

 ひと息つくと、ミスティはマクウェルを見据え、ゆっくりと口をひらいた。

 

「……せっかくだから、今のうちにあなたに何かお礼をしたいわ」

「お礼? なんのですか?」

 

 心の底から疑問符をうかべるマクウェルに、ミスティが慈しむように笑う。どこまでもストイックなひとだと。

 

「こんなにすばらしい秘密を共有させてくれたことの」

「いえ、それは、私こそ! 貴女のおかげで、こちらこそ……これが私のお礼なんですから」

「……じゃあ、言葉を変えるわ。これであなたと終わりにしたくないの」

 

 青いひとみが、紅いひとみを力強く見据える。マクウェルはその真剣なまなざしにたじろぎそうになったが、真摯に受け止めようと視線を逸らさず、まっすぐに見返した。

 

「いつになってもいいから、“ミスティ・リーア”に……そうね、その古文書の研究成果を、学会で発表するより先に教えてくれない?」

「……わかりました。貴女に、真っ先にお伝えします」

「お願いね。その時にまだあなたが帰ってこれなければ、また査証を取るわ」

 

 そう言うとミスティは紙とペンを求め、バールの住所を連ねた。

 

「ミスティ・リーアからのお礼。何がいいかしら」

「……では。差し支えなければ……ホムンクルスを作っていただけませんか?」

 

 ホムンクルス。フラスコの中で生まれ育つ人工生命体。かすけき自我と知識を持つ霊的な存在であり、大抵はいずれ何かに宿り、自然にかえっていく。宝石や玉に宿して霊力を付加させる使い方が多い。

 ホムンクルスが欲しいというよりは、ミスティ・リーアがホムンクルスを作る過程を観察したい。文字と図画だけでレシピの行間を読み取るには限界がある。実際にこの目で見て、安定して生み出せるコツを知りたいのだ。

 

「ホムンクルス? ああ、先代が得意だったのよね。それにまつわる闘争の裏話も聞いたわ」

「闘争……?」

「先代、国内の学会で文字通り戦ってたのよ。一部の学者が言うにはね。ホムンクリは女性によって“汚染”されていないから本来の霊的な力を備えている。女がつくったホムンクルスなどまがいものだ。……って」

「……どのような意味なのでしょうかね?」

「女の血で男の霊が汚れる、みたいな?」

「……男の血と女の血で差異があるかどうかは、同定すればいい話では……あ、だからあの論文……」

「そういうこと」

 

 数年前に読んだ論文の内容を思い出し、マクウェルはその舞台裏にため息を吐いた。材料による差異をあれほど細かく分類し、執拗に効果を数値化した意味を、今知ることになるなんて。詳細なデータを網羅して証明する情熱と、ホムンクルスを何十も安定して作れる実力におののいたものだが。そんなくだらない事情があったなんて。

 

「ミスティさん、だいぶいらない苦労をされてきたのですか」

「ふふ、まぁ、それによる成果もないわけじゃないから良し悪しだけど。気分の良いことではないわよね」

 

 何ができるわけでもないが、マクウェルはなんとなく残っていたクッキーの皿をミスティにすすめた。まるで子どものような行いにミスティは思わずふきだし、クスクス笑いながらお礼を言っていちまいほおばった。

 あの男系社会の上流階級に生まれて、よくもここまで偏見のない、無垢な青年がすこやかに育ったものだ。女系社会であるシーハーツで過ごした経験も大きいのだろうか。

 

「でも、ホムンクルスを安定して作るには……女性の血を使うと、成功率が上がるのよね」

「たしかに、そのデータがありましたね。34%は差が出ると」

「命って結局……陰陽を重ねないと、産まれないものなのかしらね」

 

 つややかな湿りけのある声が、妙に響く。

 ふと、マクウェルは今この時、お互いしかいないふたりきりの空間で秘密を共有したばかりなのだと思い出してしまった。

 銀色の長いまつげがゆっくりとまたたき、夜空を溶かしたような深い青緑がゆらめく。

 このひとといると、無防備にさらけだされた肌を見ないよう、なるべく目を見るように意識するのだが。こんな状況で視線を絡ませていることが背徳的に感じてしまい、ひそかにつばを飲み込んだ。

 

「じゃあ、材料お願いね」

 

 妙な静寂に陥るまえに、ミスティがにっこり笑って空気を変えた。その意味をすぐに察し、別の意味で気まずくなった。

 

「あ、……はい」

「まさか、ホムンクルス作ろうとするたびに他の人からわざわざ提供してもらったりなんてしてないわよね?」

「はい、ええ、まぁ……そうなんですけれども」

「もしかして、手伝いが必要かしら」

「結構です」

 

 いじわるく、あやしげにほほえむミスティはいつも通りの調子で、マクウェルは素直に真面目に返すことしかできない。

 彼女の妖艶な格好やふるまいは結局のところ、男を遠ざけるためなのではないだろうか。と、ふとマクウェルは考えた。この仮説、そう遠くは外れてはいない気がする。

 

「……ちなみに貴女はいつもどうしてらっしゃるんですか」

「離婚する前は旦那にもらって、今は親戚からもらってるわ」

 

 少しくらいやり返してもバチは当たらないだろう、とたずねるとあっさり答えられる。

 

「離婚、されてたんですね」

 

 結婚はしているだろうと思っていたが、離婚しているのが意外で、マクウェルは目を丸くした。だがたしかにアーリグリフの既婚女性が、いくら知識欲の権化である錬金術士であれども、夫を国に残して国境を越えるなど滅多にあることではない。単独で行動している身軽さを思えば、納得する境遇ではあるが。

 

「せっかく貴女と結婚したのにその縁を棒に振るなんて、ずいぶんともったいないことをしましたね。その人は」

 

 自分だったら、このひとを伴侶にできたら、決して愛想を尽かされないよう大事にするだろうに。こんなにも美しく賢く、奥深いひとを。

 

「……すみません、ですぎたことを」

 

 ふと、デリカシーの無い発言をしてしまったことに気付き、慌てて頭を下げる。ミスティはなにも言わず、深い青緑のひとみでマクウェルを見つめながらほほえんでいた。

 

 

 

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