さよなかの猫   作:織々々

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06 さよなかの猫2

「……」

 

 天蓋越しに朝陽が差し込む。いつもの時間に目を覚ましたマクウェルは、腕のなかで眠る、一糸まとわぬミスティの寝顔をぼんやり見つめた。

 閉じられたまぶたからのびる銀色の長いまつげ。ルージュがのっていない裸の唇はほんのり紅みがかったピンク色。肌は相変わらず、どこまでも白い。

 夢のような一夜だった。夢ではなく現実だったのだと、じかにふれるぬくもりで実感する。やわくすべらかで、ここちよい。

 

(結局、勢いで最後までしてしまった……本当に最後まで……)

 

 マクウェルにとって、完全に想定外の一夜だった。

 ほんの少しでも想定していたら、避妊の為の薬やら道具やら用意しておいた。身だしなみは常に最善に整えるようにしているが、そういうつもりなら普段使う香水を変えていただろうし、爪はもっと短く整えておいただろう。

 流された、というのだろうか。誘われたとはいえすると決めたのは自分の意思だったが、言葉通り“最後まで”したのは、本当に想定外だった。

 性行為の本来の目的を達するための。最後の最後まで。欲された末に、合意の上で。

 

(……もしもこれでできたら、)

 

 このひとは喜ぶのだろうか。嬉しいのだろうか。勢いでしてしまったと後悔するのだろうか。

 その時、自分を頼ってくれるのだろうか。

 くずおれそうなほど悲哀に満ち、こころをすり減らしている彼女の誘いに、乗ってしまって本当に良かったのだろうか。

 結局言い出せなかったが、もしも彼女が自分を頼って縋ってきたのではなく、自分自身を傷つけたくて抱かれたのなら、するべきではなかった。

 それでも、その可能性が脳裏をよぎっても、マクウェルはミスティを抱くことを選び、請われ、最後の最後まで果たした。

 

「……放って、おけない」

 

 悲しみにくれるこのひとを、放ってはおけない。肌を重ねて、完全に愛おしくなってしまった。

 こうして体を重ねることが、このひとの心をすこしでも慰めるのなら、いくらでも。それが真の救いにならなかったとしても、時間をかけて寄り添いたい。

 腕のなかのミスティをじっと見つめていると、長いまつげをふるわせ、ぬくもりを求めるように身をよじる。

 

「おはようございます」

「……おはよう……」

 

 まどろみから目覚めたばかりのミスティは心ここにあらずといった様子で、ぼんやりとマクウェルの顔を見上げた。

 

(かわいい……)

 

 普段は美麗で妖艶、といった言葉を体現するような、きれいな人なのに。ベッドの中では、信じられないくらいかわいらしい。あどけない寝起きの顔が愛おしく、すべらかな頬をそっと包む。

 するととろんとした眼をゆみなりにして、くしゃりと笑う。そんなことをされてしまえばもう我慢できず、そっと顔を近づけて視線で許しを乞う。合図が来たらむさぼってしまおうかと思っていたのに、

 

「ん、……」

 

 ミスティの方から触れるだけのかわいらしいキスをしてきて、何度も何度もついばまれる。

 頬に添えていた手を背中に回し、やわらかい感触を何度も味わう。しかしそれは長くは続かず、ミスティはふたたび目を閉じて、マクウェルの首筋に顔をうずめてじっとした。

 

「……おはようじゃなかったんですか」

「ねむい……」

 

 まるで子どものような言い方に苦笑する。これは、リラックスしてもらえていると思っていいんだろうか。頭を撫で、髪の毛を手櫛でやわくとかすと、ミスティはすぐにうとうととまどろみのなかに溶けていった。

 マクウェルのスケジュール的には既に起床するべき時間なのだが、こうなってしまったら仕方がない。今日のスケジュールは完全に白紙だ。いや、そもそも昨日の夜から、完全に予定が狂った。

 今は誰に雇われているわけでもなく、回している事業も特に自分がすることはない。自分の研究に遅れが出るだけだ。

 二度寝で惰眠を貪るなど、いったい何年ぶりのことか。前回のそれは、以前の恋人と過ごした記憶がある。猫と恋人は、マクウェルが秒単位で組み立てているスケジュールをいとも簡単に乱してゆく。

 

(……恋人……)

 

 告白したわけでもなく体を重ねただけで、このひとを恋人と言っていいのか分からない。最中にそうと受け取れる事を伝えた気がするが、その言の葉は熱に呑まれて空を漂っている気がしてならない。

 

 

 このひとは、どうしたいのだろう。

 

 

「どうしたの?」

 

 工房の書斎で文献を調べるミスティのことを、無意識に目で追ってしまっていたらしい。あでやかに微笑むこのひとは相変わらず美しいが、調べている内容は禁忌に触れるためのものだ。このひと、魂に関わるものはすべて読み尽くし調べるつもりらしい。

 

「貴女が綺麗だから」

「ふっ、ふふ、お上手ね」

 

 そうミスティは笑うが。普段こんなにも綺麗なひとがベッドのなかではあれだけかわいくなるのは、不思議なことだと純粋に思う。

 あのあと何事もなかったかのように朝食をとり、最近の習慣どおり工房で過ごす。ミスティは魂や施術に関する文献を調べ、マクウェルはモーゼルで調べてきた内容をまとめ、資料と照合する。

 何の変哲もない日常と化していたその光景は、何一つ変わっていないように見えて、今や二重の意味で変わってしまった。

 日がかげり、工房を閉めるころ。二人きりの空間を惜しむように、どちらからともなく、視線をからませ、抱きしめあう。

 

「ねぇ、マクウェルくん。今日も……」

「……いいんですか」

「査証の期限中しかいられないのよ、私」

 

 腕のなかから覗きこんで、切なげに言う。服を越してつたわるぬくもり、熱を秘めたまなざしに、昨晩むさぼった肢体の熱さが蘇る。

 

「今のうちに、あなたとたくさんしたいわ」

 

 だからお願い、と吐息を漏らすように乞うこのひとは、すべてわかった上で誘っているのだろう。今日マクウェルが爪を短く整えていたのも、きっと知っている。

 そのあざとさすら愛おしく、深く深く口づける。

 今朝、メイドを呼んでミスティの身支度を任せたから、使用人は全員知っているだろう。主人と客がそういう関係になったと。だが全員いい歳をした大人なので、誰も公然と口にはしない。

 そんななか、いつも通り湯浴みをし、いつも通り夕食をとり、いつも通り就寝の準備をして。いつも通り居間で主人と猫が戯れ、そして客が訪れる。

 探りながらの昨晩よりも、あきらかに激しい夜だった。

 だが、熱に呑まれながらもマクウェルの頭はどこか冷静に、現状を考える。

 なによりも近づいたはずなのに、距離を計りかねる。このひとを愛しく感じてしまうのに、このひとの心がわからない。女性とは、本気の相手に、こんなたやすく最後の最後まで許してしまうものなのだろうか。悲しみを埋めるために種を欲しがっただけなのだろうか?

 査証の期限中しかいられない、と彼女は言った。このまま何も手を打たなければその通りになる。ミスティは、まるで限りあるからこそ体を許したようにも見える。

 突然のことだったとはいえ。手順を、間違えてしまった気がした。

 

 

 

 

「ディオン。お前、その幼馴染と結婚するのか?」

 

 二人で施術研究所への就職が決まり、留学生のマクウェルも、ペターニから来たディオンも、続けてシランドに住むことが決まったとき。幼馴染とずっと文通を続けているディオンにそうたずねると、ディオンは顔を赤くして驚いた。

 

「けっ……、ああ、そ、うだな。うん。そうだな、したいよ、いつか」

「いつかなんて日は来ないぞ。自分で決めないと」

「……そうだな」

 

 就職が決まった以上、この街に腰を据えることになる。もしも結婚を見越しているなら、彼女を呼び寄せるなり、一度結婚して単身赴任の状態にするなり、いつかは選ばなければいけない。そしていつかなんて日は、無い。あるのは、自分で決めた日しかない。

 

「ありがとう。そうだな、いつかするつもりなら、早い方がいい。次に会えたとき、プロポーズするよ」

 

 その後、ディオンがシランドから出ることは無かった。

 エレナ博士の営力理論は画期的で、この実用化のために研究所は湧いていた。研究所は期待の新人ふたりに自由裁量を与え、ディオンとマクウェルは水を得た魚のように研究に没頭した。帰省するとなると移動コストからして少なくとも二週間は休暇を取ることになるが、そんな時間を取ろうとは思えない状況だった。

 そして戦争が始まり、ディオンは帰省どころか休みすらまともに取らなくなり、シランドから長く離れる暇など完全になくなった。そうしているうちに戦争がはじまり、音信不通になった。

 もっと早く、結婚を申し込んでいれば。アミーナはアーリグリフではなく、シランドに身を寄せることができたのではないだろうかと、ディオンはずっと後悔していた。

 あのふたりは、最後の最後に会うことができて。幸せだっただろうか。

 

 

 

 

 

 

「──あら、あなたカルサア訛りがあるのね」

 

 何気なくミスティが呟くと、マクウェルは言葉をなくして固まった。

 はじめてマクウェルの工房に招かれた日、営力理論について講義を受けている時のことだった。熱弁をふるう彼の口調に、馴染みのあるイントネーションが顔を出してきたのは。

 

「グラナのご出身ですものね。全然気付かなかった、わ……」

 

 本当に、何気ない話題のつもりだった。他意もなく。ただ今日は天気がいいですね、くらいの調子で言ったのだが。

 

「……すみません」

 

 向かい側のマクウェルが顔を耳まで真っ赤にして、目を伏せてうつむき、大きな手で口を押さえている。

 あまりにも意外な様子に。ときめいてしまった。

 

(え、この子、そんなに訛り気にしてるの……? かわいい……)

 

 何があっても信念が揺らがない、人の目をあまり気にしない人だと思っていたが、カルサア訛りをそんなに気にしていたのだろうか。

 

「すみません……シランドに来てから、矯正……したんですけど……うっかり……」

 

 こんなに恥ずかしがるなんて、もしかして訛りをからかわれたりしたのだろうか。

 とってもかわいいチャームポイントなのに。

 

「私、訛りなんて気にしないわよ」

「私が、気になるんです……故郷の言葉を恥じるわけではないつもり、なのですが……多感な頃に、少々よくない思い出が……」

 

 多感な頃なんて自分で言うの、とあまりにかわいくて笑いだしたくなったが我慢して微笑む。あまりにも真剣で、彼にとっては重要なことなのだろうから。

 

「あなた、俳優みたいにかっこいいし、裕福で賢くて、あんまり完璧だといらないひんしゅく買うでしょう。そういうところ、あっていいんじゃないかしら。私はとってもいいと思うけど」

「……ありがとうございます」

 

 表情がうすく全然笑わないけれど、口調や声音、しぐさや雰囲気で機嫌や機微が丸わかりの、ものすごくわかりやすい人。だということは察していたが、そんな彼がこうして顔に感情を出すことがこんなにもかわいらしいなんて、いざ目にするまで知らなかった。

 世界の謎をひとつ解きあかした、その歴史的な実績を築くに至る膨大な努力の積み重ね、真理への飽くなき探究心。このひとは人生を錬金術に捧げる覚悟をしていると、自分とおなじ志を抱いていると、魂の内側から理解できる。ストイックなひとだと、知っている。

 意図的に女性性を強調する格好をしている自分のことを、決して必要以上に女扱いせず、錬金術士として対等に接してくれる。誠実なひとだと、知っている。

 誠実で真摯なひとだと、言葉や表情ではなく、行動で示している。そういうひとだと、知っていた。

 そんなひとが、人並みに訛りを恥ずかしがるなんて。こんなかわいらしいひとだなんて。そんなところを見せてくれるなんて。知らなかった。

 反則だ。そう、思ってしまった。

 その時以来、ストイックで誠実で真摯な彼が、どこかズレているところがあったり、時間にうるさいわりに猫をかまいすぎて予定がおしてしまったり、人前でも無表情にひたすら猫を吸っていたり、かわいいところばかりだと気付くようになってしまった。

 そしてこのひとをかわいらしく感じるのが、いつしか愛おしいと感じるようになっていった。

 このひとなら、抱かれたいと思った。抱いてほしいと、体が熱を持つ。

 そんな彼に抱いてもらう時間は、夢を見ているように甘やかだ。

 離婚を決意してから、もう二度と幸せな夜は来ないかもしれないと諦めていた。好きな人に抱かれることがこんなにも幸せなことだと全身で感じることができて。せめて、その時だけは。幸せでいても許してほしい。

 たとえひとときの関係だとしても。だからこそ。このひとと、愛しあいたい。

 そしていずれ自分のことは忘れて、いいひとを見つけてほしい。

 そのことを思うと切なくなるけれど。けど、そうするしかないのだ。自分の罪を(あがな)えば、もうこのひとと会うことはないのだから。

 だから、今、この時だけは。体をめぐる熱のままに、繋がっていたい。

 

 

 

 ガラス越しに夕焼けが差し込む工房の書斎は薄暗く、公然の秘密をたのしむふたりの姿はきっと、アペリス神からは隠れているだろう。

 ふたりきりの空間で手をからませ、くちびるを深く深く重ねる。こうするようになったのはつい最近のことなのに、まるで前からずっとそうしていたかのように、この時間がしっくりくる。

 そろそろ、工房を閉めて屋敷に行かなければならない。離れてしまうのが惜しいが、夜が更けたころ、また逢える。

 名残惜しくも離れようとした時、マクウェルが真剣な様子で口をひらいた。

 

「どうにも……はっきりさせないのは気持ちが落ち着かなくて」

 

 少しだけ体を離し、手はからませたまま。紅いひとみがまっすぐに、青いひとみを見据える。

 

「ミスティさん。結婚してくれませんか」

 

 そして人生の約束を、願う。

 

「け、っこん……?」

 

 どこまでも真剣な様子の彼にはとてもとても申し訳ないのだが、はじめに脳裏をよぎったのは。

 

(いや、童貞じゃあるまいし)

 

 妊娠が確定したわけでもないのにほんの数回体を重ねただけで、結婚を申し込むなど早すぎる。一度経験があるから、余計にそれがどれだけ人生を縛るものなのか知っている。

 

「……あなた、ちょっと、そういうのは軽く決めないほうがいいと思うわ」

「それはこちらのセリフでもあります。簡単に中に出せなんて言うものじゃないですよね」

 

 至極まっとうなことを言ったつもりだったが、更なる正論で返される。

 

「こちらとしても、それなりに考えて……、覚悟してるんですよ。軽く考えてるつもりはありません。責任とる覚悟で……こちらは、したんです」

 

 彼のいう通り、結婚した配偶者でもないのになんの避妊具もつけず、避妊薬も使わず、そんなことを言うのもさせるのも無責任が過ぎる。あばずれと思われても仕方がないことだ。

 だから、きっと。

 

 

 

「胎児が必要なんですか? 娘さんを蘇らすために」

 

 

 

 いつかばれるとは思っていた。その上で黙ってこの関係を続けてくれるか、こうして問われるかは賭けだったけれど。負けて、しまった。

 知られた以上、もうこの関係は終わりにしなければならない。体の中心に氷を流し込まれたように血管が収縮し、胸が痛む。わかっていたことなのに。

 体を離そうとすると、逆につないだ手に力が入る。逃がさないとでも言うように。

 

「胎児に、娘さんの魂を宿すんですか」

「……そうよ」

「そうして産まれる子は、私の子どもでもあるんですよね」

 

 鮮血のような紅のひとみに、貫かれる。罪を暴かれるしかない罪人は、業火に身を焼かれるだけ。それは覚悟の上だったけれど。

 

「だったら、私も見届ける権利があるはずです。貴女が人体錬成をするというのなら、私も手伝います。共に禁忌を犯しましょう」

 

 なによりも恐れていたのは、このやさしいひとを巻き込むこと。

 

「……だめよ、あなたを共犯者にはできない……それに……」

「私はもう、貴女を忘れることができない」

 

 その言葉に、心をふるわせてはいけないのに。

 

「だから、種を与えるかわりに、私も貴女と運命を共にしたい。人体錬成するにしろしないにしろ。貴女だけがして私は何もしないのは、無しです」

 

 このひとの優しさに、癒されてはいけない。このひとの情熱に、救われてはいけない。罪はひとりで(あがな)わなければならない。業はひとりで背負わなければならない。

 それなのに。それなのに、

 

「貴女となら、共に罪を犯すのも悪くない」

 

 どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく、喜ばしい。決して、決して、受け入れてはいけないのに。

 度を越した知的好奇心の塊であり、この世の理をこの手で操ることを追求する歴代のミスティたち。それなのに、禁術の実行に到達した者がたったひとりしかいない理由がわかった気がした。この術は、実行までの障害が多すぎる。

 禁忌にふれるため公に動けぬしがらみ。

 材料である魂玉石(こんぎょくせき)の入手難易度。

 胎児に宿っているかもしれない魂のゆくえを、知らぬふりをする残酷。

 それでも、なにもかもをなげうってでも蘇らせたいという渇望。

 

「……なぜ、私だったんですか?」

 

 そして胎児を得るための過程で、愛に癒やされ初志を貫けなくなる、弱い心。

 涙が、こぼれる。あの子が亡くなったときは絶望のあまり心が凍って、泣くことすらできなかったのに。

 

「あなたが、よかった……あなただから、抱いて欲しかった……他の男じゃ……あなたじゃなきゃ、いやだからに決まってるじゃない。でも、あなたを巻き込みたくない。そんなこと、言わないで……」

 

 自分本位な肉体関係に、ぬくもりに、救われてしまっていた。すこし、揺らいでしまった。このままこのひとと生きたいと、不相応な願いを、夢見てしまった。

 安らぎなど、幸せなど、手に入れてはいけないのに。ぜんぶぜんぶ、あの子に捧げなければいけないのに。エリーのために。それしか、もう生きる意味が、価値が、ないのに。

 それなのに、体をひきよせてくれるこのひとを、抱きしめてくれるこのひとを、頭をなでてくれるこのひとを、いとしくて、その背に腕をまわしてしまう。すがってしまう。

 あの時、もう限界だとこぼしたのは、本音だ。

 なにを捨てても欺いても、あの子の魂を救わねばならないのに。それなのに。ぬくもりがほしい。いとしいひとの、ぬくもりがほしい。このぬくもりを、離したくない。離さなければいけない。

 

「もうとっくに、巻き込まれてますので。地獄の果てまで付き合います」

 

 罪を(あがな)うために禁忌に触れ、禁忌をおかすために更に罪を重ねる。

 こんな罪深い女に、優しくしないでくれたらよかったのに。一時の、からだだけの関係を、たのしんでくれればよかったのに。

 だけど、やさしいひとだから、このひとに抱かれたいと思った。

 ……このひとを巻き込むくらいなら。ここで終わって、他の種を探そうか。一時の享楽にふけるような、刹那的な男は探せば山ほどいる。……けど。けど、けれど、そんな。そんな関係で、最後まで何度もできるだろうか。体が拒絶しそうで、……あの子にまた、いらない業を背負わせてしまいそうで。

 どんなに罪深い母から産まれたとしても。せめてあの子は、いとしいひととの、愛に恵まれたこどもであってほしい。

 自分勝手でおろかな願いだ。このやさしいひとのことも、結局利用しているだけだ。それでも。それでも、情動は止まらない。あふれて、こぼれて、身を焦がす。

 最初からこのひとと出逢っていればよかったのに。このひとと、エリーと、ごく普通の家族として。生きれたらよかったのに。

 

「私も錬金術士のはしくれです。真理を手に入れ、この手で操りたいのは同じ気持ちです。共に死を克服しましょう。どうせ一蓮托生なら、最後まで一緒にいさせてください。だから、結婚してくれませんか」

 

 こんなところで、自分に向けられた言葉の意味を実感することになるなんて。

 ミスティはアンサラーが案じて伝えてくれた言葉の意味を、理解した。頭ではわかっていたが、その立場になってはじめてわかることがある。

 今、目の前に、才能と実力と可能性の塊である、未来ある若者が。露呈してしまえば学界から排除されうる禁忌を犯そうと、あなたと一緒なら、と。

 そんなことを、言わせてしまった。

 離れなければならない。離れがたい。体が、心が、動かない。迷って、惑って、真っ暗な夜のなか、どこに進めばいいのかわからない。

 二律背反に陥り、力なく涙を流すしかないミスティを抱きすくめながら。マクウェルが秘密をうちあけるように、耳元でささやいた。

 

「それに……魂玉石(こんぎょくせき)。確実ではないですが、心当たりがあります」

 

 

 

 

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