「このバカ引道!!!!!!!」
ぶたれた頬の痛みで思考がクリアになる中、神代さんは俺の胸倉を掴みそう叫んだ。向こうでは加賀さんたちが頑張っているというのに、その情報が入ってこない。
「ちょ、え?ちょっと待ってください…」
「うるっさいバカ!いい?私が今言うことをしっかりと聞きなさい!?」
バカと呼ばれ少し頭にきたが、細い腕から伝わってくる振動に気圧され紡ぐことは出来なかった。
ちらりと氷室さんの方を見るが、彼は何も言わないし止めもしない。完全に神代さんに任せるということだ。おい警察官、加賀ちゃんたちはいいのかよ。
よそ見をしている俺が気に食わなく思ったのだろう。さらに胸倉を引き上げられて睨みつけられる。それはもう互いの息がかかるほどに…。
「あんたがどうなろうが私の知ったこっちゃないけどね…、美琴を泣かすな!」
「……っ」
「大切な人が傷ついて、死んで…枯れるほど泣いたあの子をあんたは追い詰めるの!?好きだなんて無責任なことだけ言っておいて、都合に任せて泣かせるの!?」
「…すんませ」
体の中をえぐる攻撃を受け続け、絞りだした情けない謝罪の言葉ですら神代さんは許してくれない。
かぶせるようにして怒鳴り、目には涙を浮かばせていた。
「ふざけんな!!私よりも頼りにされているあなたがそんななりでどうするの!?そんなになるんなら…美琴に……私に迷惑かけないでよ…」
大きかった声も徐々に弱り、最後はむしろ懇願するほどの勢いだった。大きく見開いて睨みつけていた瞳は半分閉じ、端からは綺麗な弧が描かれている。
あぁ、ちくしょう…ほんとにいつもこんなんだな、俺。ほんとに自分が嫌いになるよ。
「でも……」
「何よ」
俺が何か言い返すと思っているのか、目に力を込めて言葉を待つ。怖くて引っ込みたくなったが…というよりもまずしなきゃいけないことがあるのを忘れていた。
「とりまその…加賀さんたちと合流しましょう」
「…」
「そうだな。神代君、今は彼の言うことが正しい。喧嘩は一旦落ち着いてからにしよう」
「…分かりました」
しぶしぶと言った感じで俺から顔をそむける神代さん。目の端に浮かべた水滴を乱暴に袖でふいた神代さんは、一度佐藤さんに手を合わせると姫野さんのとこへ走っていった。
氷室さんも、あまりにも手こずる加賀さんたちを見て不気味に思ったのか、俺を置いて行ってしまった。
少し先で金属が擦れあう音や、鈍い音が絶え間なく聞こえてくるのを、未だ聞くことしかできてない俺は、きっと、足を掴まれているんだろう。
「いやいや、ここで動かなきゃ次に死ぬのは俺の感じになるよな…」
だから振りほどく。引きちぎる。それは姫野さんたちを助けに行きたいとかじゃなく、ただ自分の欲望に従って。
「くそぉ!半分野郎のくせして倒れやしねぇ!」
「全くです。中身はもうそこに落ちてないというのに、どこにこの体を支える力があるのでしょうか」
加賀さんと小野さんが珍しく怪異に対して苦いことを言っている。かくいう私は、香織ちゃんを守らなければいけないのに、彼らの助けになれもしない。非力だからと言って、詩織ちゃんを庇いながらも小野さんたちの手助けになりたいだなんておこがましいのか。
「美琴ちゃん。私怖いよ…」
「ううん、大丈夫だよ。詩織ちゃんをちゃんと返すって、皆と約束したからね」
私の手を握りながら震える彼女を優しく抱き寄せ、氷室さんたちが向かってくるのを見た私は少し安心した。
今のところ、赤い女が襲ってくる気配も様子もない。佐藤さんの死体を操って混乱させたこの状況は、怪異にとって都合のいいはずだ。なのに襲ってこないのは、佐藤さんの死体だけで勝てると思い込んでいるのか。もしくは、混乱したこの状況下で他のことを狙っているのか。考えるだけ不気味だ。
「姫野君!少しそこから離れて!」
「は、はい!」
結構な速さで戻ってきた氷室さんは、私がどいたと同時に、流れるように拳銃を発砲した。慣れない轟音は私よりも詩織ちゃんに効果があり、涙ぐんでしまった。堪え泣きである。
「くそがぁ!これでも倒れないんなら、どうすればいいんんだ氷室ぉ!?」
「さあな!倒せないのなら倒さなくてもいい。行動を制限すれば何とかなる!」
「妙案ですね。では私がバールで足を取りますので、氷室さんたちは腕をお願いします」
発砲音にひるんでいる私たちをよそに、氷室さんたちは化け物の対抗策を練ったみたいだ。剛力さんや田中さんが私と香織ちゃんが化け物と接触しないように、壁となって隔てている。小野さんは代わる代わる肉弾戦の中で、バールを振り回していた。あんな小野さん、初めて見るので、印象と大きく外れてしまい、困惑した。
「美琴、大丈夫!?」
駆け足で戻ってきたのは由香だ。さっきは引道くんと話していたが、もう終わったのか。
「うん、大丈夫。この調子なら、もう少しで終わるかも」
「ほんとに?…って、あれって小野さん!?なんか、すごいんだけど」
やはり由香も同じ反応を示す。そもそも、女性が力で化け物と対等に渡り合っている時点で、小野さんの本性はここにあったのかもしれない。
香織ちゃんには見せられないので、優しく目を塞いでいるが、ふと、戻りが遅い引道君が気になり由香の後ろを見た。
何かにふけっている彼を見るのは初めてではない。ひとりかくれんぼもくねくねも、どこか代わっている彼は、常に独り言と考え込むことが多かった。
今、廊下に両膝をつけている彼は、その時の彼だ。そして、その時の…いや、大概の人に該当することだが、何か考え事をしているときは、とても無防備になりやすいものだ。現に彼は、背後に迫ってくる真っ黒の人間に気が付かないでいた。
「っ!引道君、危ない!!」
何かの危機を素早く察知した私は、彼に気が付かせてあげるべく大声を掛けた。私が声を荒げたことにより、当然氷室さんたちは何事かと目を向ける。
背中に嫌な汗が流れる。詩織ちゃんの目を塞いでいた両手を外し、引道君のもとへ向かおうと走り出す―――
「っ……!」
よりも早くに飛び出したのは、誰でもない由香だった。この選択が正しかったのか否か。氷室さんは構えていた拳銃を鳴らすことが出来なかった。
「え、ちょまっ!!」
今更のなってようやく気付いたのか、引道君が事態の異常さを把握した。数多い様々な視線が、彼を突き刺す。水滴音を鳴らしながら走ってくる由香に手を伸ばそうとした刹那…、彼はいきなり後退を始めた。いや、正確には引っ張られている。それもものすごい速さで。
私のもとまで戻ってきた剛力さんが、懐中電灯で引道君を引っ張る黒い人間を照らした。
「っ…!糞が!!!」
加賀さんが一目散に抜け出した。彼を追うためである。かの化け物の姿に恐怖したというのに、それでも満足に動ける彼はすごかった。
「お、姉ちゃん…怖いよう…!」
「っ…大丈夫よ、きっと!皆ここから出られるんだ。だから、彼だって、きっと戻ってくる」
黒い人間に見えたそれは、あまたの生あるものを処刑した痕である、血で染められた姿だった。不気味なほどまで延ばされた黒い髪は、引道君に纏わりつかんとする勢いで床を滑る。
その後を、由香は全力疾走で追いかけて行った。
「由香君、待て!!これ以上離れると、君の身の安全がとれなくなる!」
「由香さん止まりなさい!!…ッ、この!!」
小野さんがたまらず追いかけようとするが、その気持ちは『佐藤さん』の後ろ半分によって遮られた。
「やばいな、これは。あのバケモン、相当切れるみたいだな」
「そんなのどうでもいい!私は由香を、引道君を…!」
分かってる。これがすべて赤い女の計画だとは。ここまできれいにお膳立てされていて、しかも絶好のチャンスと来た。狙わないはずがない。しかも、ひとりかくれんぼの実行者である由香を、エキスパートたちから引きはがせたんだ。
狙うは目的の人物の確保と人数の減少。こちらが勝手に分断してくれれば儲けものだ。
それがあの『赤い女』の考えであるのはすぐに理解できた。
でも―――
「もう、誰も失いたくない!!!」
氷室さんや剛力さんの囲いから飛びぬけた私は、前から聞こえてくる反響した音だけを頼りに、暗く足場の悪い廊下を駆けることとなった。
もう誰も失いたくない。大切な人の死に方なんか見たくない。涙だって、これ以上流したくないんだよ…!
優しかった由香のおばさんおじさん。
丁寧に答えてくれた佐藤淳二さん。
玩具のように扱われ放置されたおじさんの頭。
逃げ場を失い、突き落とされたのだろう、おばさん。
穏やかだったはずが、突然変わりだし消息を絶った佐藤淳二さん。
恐ろしくも、彼らと重ねてしまった私は、また泣いているだろう。ただ助けられることしかされず、手助けになることもほとんどとしてない。
―――お荷物なのだ。
引道君も由香も、大が付くほどのお人よし。引道君とよく言い争う由香だが、根っこからは嫌ってなどいない。私には分かることだ。
不気味なほど助けてくれる変態な彼。苦しい顔をするのに、弱みも見せるのに、最後まで見捨てず諦めない。
由香たちが死ぬなんてことは、私が嫌だ。利己でもエゴでもいい。私は由香が、引道君に…
「生きてほしいよ!!」
やがて、荒く呼吸を繰り返す私だけが、薄く月明かりに照らされる廊下にいるだけだった。
「ああああああああああああ!!??」
今現在、私は化け物に引きずり回されています。髪の毛が俺の足元にくるほど伸びているのが、今では恐怖の一種だ。
これだけを見れば、もうこいつはひき子さんで通るだろう。
落ち込んだ空気から一変して、俺はものすごく怖いさなかに置かれている。赤い女というほどだから、力がそんなにないとみんなは思うかもしれないが、前の一戦から、この怪異は恐ろしく強いことが窺える。
小野さんの渾身の一撃を耐えきって見せたのだ。…いや、そもそも怪異ならあれくらいは耐えられるだろう恐らく。
由香さんから授かった叱責を租借しているところ狙われた。いつでも10分前行動が大切だと、口酸っぱく言っていた先生の顔が脳をよぎる。
立ち上がるのが遅かった俺は、由香さんが離れて行った瞬間を見計らって攫われた。しかも特に大きい抵抗を見せることもなく。そんな中、一番に、必死になって追いかけてきてくれた人がいる。
神代由香さんだ。
「この、待ちなさいよっ!!!」
陸上部顔負けの瞬発力と持久力を武器に、一向に引き離されない。それどころか、怒鳴ることが出来るほど、まだ体力が有り余っていると見える。
離されるどころか、距離が縮まっていき、伸ばせば届くところまで彼女はついてきてくれた。
「引道っ、掴んで!!」
伸ばす手に少しのためらいを乗せながら、手を伸ばす。しかし、なかなか上手くいかない。
頭の切れるこのバケモンは、俺を引っ張りながらも、速度を落としはしない。
無抵抗なりに暴れてみるが、虚しいかな。床を実質滑ってるので、うまく姿勢を保てないし、つねっても叩いてもビクともしない。このバケモンに相当な深手を負わせた小野さんは、間違いなくバケモンだと、改めて思った。
「くそっ…ダメです届きません!!」
そろそろほんとに何とかしないとまずいことになる。主に俺の尻が。マッチ棒の間隔が今わかったよ、神代さん。チャッカマンよチャッカマン。
どうして私があいつのために飛び出したのか。美琴や氷室さんたちは驚いていることだろう。でも一番驚いてるのは私だと思う。あいつには今まで…まあそんなにいるほどの関係だもないが、腹が立つことを結構されてきた。無論、美琴関係である。
「ハア、ハア……ったく、どこ向かってんのよ!」
彼が気に入らないのは、私と同じ、美琴が好きだということ。嫉妬していると言えば、当然嫉妬している。私は嫉妬深い女だ。美琴のことを一番好きなのは私であり、そこに追随なんかさせやしない。
なのに彼は、持ち前の明るさと元気で美琴を好きだと、何回も告白した。美琴はやんわりと断ったが、それははじめだけらしく、慣れてきたころからは、結構適当に流されるみたいだ。
(気に入らない)
諦めの光すら見せやしない引道にも。そして、そんな引道を受け入れている…美琴にも。
『美琴はさ、どうして引道と一緒にいるの?』
『えぇ!?それは、その…成り行き、かな』
『引道と仲良さそうに見えたけど。告白とかしつこくされてさ、嫌いになんないの?』
『それは、まあめんどくさいなって思うことは少しぐらいあるよ。でも、嫌いにはならないよ』
『ふーん…どうして』
『だって、引道君は…私の、ヒーローだから』
(ムカつく)
引道には絶対に秘密にしてと言われたが、私はこれを彼に話す。話したうえで、叩き潰す。もう、着いてこないように。
小学校のころ、誰よりも気の強かった私は、周囲から浮いた存在だった。少し怒れば泣かせてしまうし、話すときは敬語で話す人がほとんどだった。
怒らせたくない、極力関わりたくない。そんな思いが作り上げた孤独に、私はいた。
そんな中、私と対等に接し、あまつさえ間違いを起こせばキチンと叱ってくれる友達が、一人だけいた。美琴だ。保育園からの幼馴染ということもあるが、周囲から浮いた異物の私に、いつもと変わらず接し、友達でいてくれた。
当時の私は、それだけで救われた。嫌いだった学校も、美琴となら頑張れる。それは中学、そして高校でもだ。
だから私は気に入らない。認めたくない。
あいつが美琴を好きでいることが。仲良くしていることが。ありえないとは分かっている。美琴は優しいから、私と親友でいてくれるのは知っている。でも心配なのだ。焦っている。あいつに、私の居場所が取られてしまうんじゃないかって…。
「引道っ、掴んで!!」
けど、一番にムカつくのは私だ。それでも彼を助けようとしている。気持ちと行動が合致していない。
美琴の悲しむ姿が見たくないから?人として真っ当にいたいから?
『神代さん。彼を嫌う理由に、姫野さんを使ってはいけません』
少し前に、小野さんに言われた言葉だ。その時の。そして今の私には、その言葉がどうしても理解できてしまう。それがムカつく。
そして、その答えを知っている自分が、鬱陶しいほどに嫌いだ…。
「っ…!いい加減、止まりなさい!!!」
私はポケットに忍ばせていた果物ナイフを、力の限り投げつけた。綺麗な縁を描きながら飛ぶナイフは、見事に化け物の頭にぶつかった。
スピードは少し衰えたが、止まることはない。化け物でない私は無尽蔵に走ることのできるロボットではない。このままでは引き離されてしまう。何か方法はないかと必死に探し…一つの可能性を見つけた。
うるさい心臓に負荷をかけ、少し息を吸い込み…叫んだ。
「ホープ・メビタル!!」
声を…いいや、違う。狂気的なほどに愛していた、生きていたころの彼の名前に、化け物…赤い女は、強く反応した。
引道は呑み込めていないみたいだが、赤い女。『彼女』は違う。反応からして、あの資料は本当だったみたいだ。キレて襲ってくると思っていた赤い女は、引道と私を置いて、暗闇へ姿を消していった。
「好きな人が、忘れられない…か」
とりあえず、チャッカマンチャッカマンと喚き散らしているこいつに、私は特大のお仕置きを考えるのだった。
今回も読んでくださり、誠にありがとうございます!
書いてて思ったんですが、由香さんちょっと怖くしすぎたなと思いました。「あれ、ヤンデレにしすぎたか?」って思ってしまい、展開が難しくなってしまいました。持ち前の根性と夢に見た桃源郷を目指して頑張ります。
感想をくれた方、お気に入りをしてくれた方。ありがとうございます!!
次回もぜひ見に来てください!それではこれにて...ではでは~