二週間後、世界は滅びるらしい。

これは、何でもない私の初恋のお話。


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少年と少女は世界の終わりに初恋をする

 これは、何でもない私の初恋のお話。

 

 

 

 

 7月16日(金)

 二週間後、世界は滅びるらしい。

 

 

 テレビで偉い人がそんな事を言っていた。正直、突然そんな事を言われても実感が湧かない。

 

 まだ子供の私は、二週間後の事よりも明日見に行く約束をしていた映画の方が気になる。

 それに、今日から夏休みだ。明日は美容院で髪を染めて、今年の夏休みを満喫すると決めている。

 

 

『突然ですが、二週間後に人類は滅びます』

 モニター越しに何処かの国の偉い人が話しているのを、何処かの誰かが通訳した言葉が耳に入ってきた。

 

「お母さん、人類滅びるって」

「何言ってんの、あお。……本当だ」

 リビングのソファーに座ったまま首を後ろに垂らして私が言うと、台所で皿洗いをしていたお母さんが口を開けたまま手に持っていた皿を落として割る。

 

 嫌な音が鳴って、私達はその場で少しの間固まった。

 

 

『二週間後。七月三十一日、巨大な隕石が地球に衝突する事が分かりました。隕石の衝突を防ぐ手立てはありません』

 静かなリビングに黙々と流れるニュースの音声。

 

 

「ねぇ、お母さん」

「……何? あお」

「明日、美容院空いてるかな? 予約してたから大丈夫だよね。あと、映画館」

 私はリビングに置いてある鏡を見て、真っ白になった自分の髪の毛を触りながら母に問い掛ける。

 

 

 二週間後の事よりも、私は明日の事の方が大事だった。

 突然人類が滅びるなんて言われても困る。

 

 

「……空いてないと思う」

「えー、そんなの困るよ。私の髪ブリーチで真っ白だよ! 夏休みは青い髪で過ごすって決めてたのに。それに映画も楽しみにしてたのに!」

「……子供は呑気でいいわ」

 頭を抱えている母の横で、私は頬を膨らませてソファーの上で両手足を振り回した。

 

 でも暴れたって明日の事は明日しか分からない。二週間後の事も二週間後しか分からない。

 

 

『───以上、○○大統領の会見でした。十分後、○○総理大臣の会見が始まります』

 だから私は、二週間後の事よりも明日の事を気にするのである。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月17日(土)

 美容院は空いていなかった。

 

 

「ねー、お母さん。美容院空いてなかった」

 隣町の美容院から帰ってきた私は、靴を脱ぎ捨てながら玄関に置いてある姿見を覗き込む。

 

 真っ白な髪。

 別に生まれたて髪の毛が白い訳じゃない。髪の毛を青く染めたいから、何回もブリーチしたのだ。

 

 

「うわ、髪の毛ヤバ」

 そのせいで自慢の長い髪も、バサバサに傷んでしまっている。せっかくここまでしたのに、美容院がやってないんじゃ意味がない。

 

 

「あお、あんた朝から居ないと思ってたら本当に美容院行ってたの?」

「だって、髪」

「呆れたわ。お母さん、今からお父さんを迎えに行くから」

「お父さんを? お父さん、東京でしょ。夏休みだし、八月には帰ってくるんじゃないの?」

 私が首を傾げてそう言うと、お母さんは大きく溜息を吐いて「八月は来ないの」と言葉を落とした。

 

 

 そうだ、人類滅びるんだっけ。

 

 

「だから、最後はお父さんと暮らすの。あおは家で待ってなさい」

「えー、ご飯は?」

「冷蔵庫に作っておいたから、温めて食べなさい」

 そう言って、お母さんは車の鍵を持って玄関を出る。そこでやっと私は大切な事に気が付いた。

 

 

「映画は!?」

「見れる訳ないでしょ!?」

「約束したじゃん!」

「家でビデオでも見てなさい。あと、鍵はちゃんと閉めて。誰が来ても開けたらダメだからね」

 お母さんはそう言って車に乗る。私は口を尖らせて「はーい」と答えた。

 

 いい子にしててね、と。お母さんは車の窓越しに私の頭を撫でる。

 

 

 一人で家に戻った。鍵を閉める。

 ビデオを取り出して、テレビで見る事にした。

 

 ボールに入ってるモンスターの映画。今日見に行く予定だった映画の、前の奴をお菓子を食べながら見る。

 

 

「勝手にお菓子食べちゃった。お母さん怒るかな。学校の宿題もやらないでおこっと。お母さん居ないし」

 家に一人。

 なんだか、これまであまりない事でワクワクした。映画を見てる気分。なんだか不思議な事でも起きそう。

 

 

 

 田舎だから、家の外も静かだ。

 家の窓の何処から外を見ても田んぼか山しか見えない。

 

 カエルと虫の鳴き声。

 車は滅多に通らないし、人もいない。歩いて一時間の場所に私の中学校があるけど、クラスは一つしかないし部活もないような学校である。

 

 

 本当に静かだ。

 

 

「……映画、行きたかったなぁ」

 暇だからテレビを付ける。どこのチャンネルも、ずっと同じニュースをやっていた。

 

 

『現在接近中の隕石は───』

『NASAの発表では───』

『隕石を破壊する手段───』

『人類の生存は絶望的───』

 ───つまらない。

 

 

『───た、たった今入ったニュースです!』

 もう一つチャンネルを変えると、男の人が慌てた様子で喋っていて少しだけ内容が気になる。

 

 

『世界各国で核ミサイルが発射、第三次世界大戦が……現実に』

 核ミサイルってなんだっけ。

 

 

「……あ、広島」

 社会の授業で習った奴だ。大きい爆弾。

 

 沢山の人が死んだ爆弾。

 

 

『……東京にも、ミサイルが向かって……え? ここに? え、ちょっと、え?』

 テレビの音声は色んな雑音が混じって煩かった。だけど、少し経ってその音は光と一緒に消える。

 

 

「……何? 雷?」

 窓の外が少し光った気がした。その後少しして、家が少し揺れる。

 テレビが消えた。

 

 

「うわ!? 停電!?」

 家の電気も消える。

 家具とか扉に体当たりしながら玄関に向かってブレーカーを上げようとしたけど、私の身長だとそれは出来なかった。

 

 

「もー、最悪。……どうしよ」

 停電してるから電話も使えない。困った事に、私は他の連絡手段を持っていないのである。お母さんはケチだから「子供には早い」とか言って買ってくれない。

 

 

 

「お母さーん、早く帰ってきてー」

 私はただ、寝る事しか出来なかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月18日(日)

 太陽の光で目が覚める。

 

 

 昨日は早く寝たから、よく眠れた。

 まだ家は停電している。

 

 

「私天才じゃない?」

 リビングのソファーをゆっくりと押して、玄関まで持ってきた私はブレーカーを上げる事に成功した。

 実はこの作戦は昨日の夜から練りに練った作戦である。昨日は暗くて出来なかったのだ。

 

 

「……って、あれ? 電気付かないし」

 だけど、家の電気は付かない。どうしようかなと思いながら、とりあえず朝ごはんに昨日の残りを温めて食べようと思った所で冷蔵庫も止まっていれば電子レンジは使えない事に気が付く。

 

「……腐ってる? やめとこ。お母さんお昼に帰ってくるって言ってたし」

 お腹壊しても嫌だし、朝ごはんくらい我慢しようと思った。

 

 

 お昼までゲームで遊んで、一時を過ぎてもお母さんが帰って来なかったから私はお昼寝をする事にする。

 

 

 

「───お腹減った」

 起きたら、外は真っ暗になっていた。

 

 

「お母さーん?」

 電気は付かない。お風呂も入れないから、良い加減嫌になってくる。

 

 カエルと虫の鳴き声しか聞こえない。

 

 

「お母さん?」

 お母さんは帰って来なかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月19日(月)

 家の外に出る。

 

 

「誰も居ない」

 田舎だから静かなのはいつもの事だけど、歩いても歩いても誰にも会う事はなかった。

 いつもなら近所のおばあちゃんが居る畑にも、誰もいない。

 

 

「……コンビニ行こ。遠いけど」

 山の裏の学校のちょっと奥、家から一番近いコンビニエンスストアがある。最近出来た。

 

 お小遣いを握って、私は家を出て山に向かう。いつもの通学ルートは、この山のトンネルを抜けて後は道なりに真っ直ぐだ。

 

 

 

「……うわ、何これ」

 学校に着くと、異様な光景が目に入る。

 

 私の通う中学校の窓ガラスが、見えるだけ全部割れていたのだ。あと、何故か周りの色々なものが倒れている。

 

 

「夏休みの悪戯にしては気合が入り過ぎだぜ。……私は何も見てない」

「おいお前」

 突然声を掛けられた。

 

「私じゃないです!!」

 久し振りに聞く人の声になんだか不思議な気持ちだけど、それよりも早く条件反射で弁明が口から漏れる。

 

 

「はぁ? そんな事は知ってる。そっちは行かない方が良いぞ」

 腕を組んで、半目で私を見る少年が一人。

 

 年上だろうか。身長高めの、ちょっと顔の良い男の子だ。

 

 

「こっち来い」

「ナンパ?」

「違うわ! バカかお前! そっちは二日前に核爆発で吹っ飛んでるんだぞ?」

「あー、ニュースでやってた奴。どうなったの、それ」

 少年に、私は首を傾げてそう問い掛ける。

 

 

「……そりゃ、東京は、ドカンだろ」

 短い黒い髪を掻きながら、少年はたどたどしくそう言った。

 

「東京、お母さんがお父さんを迎えに行ってたんだけど。帰って来れる?」

「……死んだよ」

「え?」

「東京に居たなら、お前の両親はもう死んでる。それで東京に行こうとしてるならやめとけ」

 少年の言葉の意味は、私には理解が難しい。

 

 

「お母さん、死んだの?」

 私はその日、漸くこの世界が終わる事を理解したのだと思う。

 

 

 誰もいない学校。街。

 

 私はただ、現実を理解して整理する時間、ひたすら泣き続けた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月20日(火)

 黒い雨が降っている。

 

 

「この世の終わりだ!?」

「いやそうだけど」

 窓の外を見て私は頭を抱えた。

 

「とりあえず食え。今日は学校に居よう」

 昨日私に話しかけてくれて、私が泣き止むまで側に居てくれた少年がパンを手渡してくれる。

 昨日もこうして泣きじゃくる私に何か食べ物を食べさせてくれたっけ。優しい少年だ。

 

 

「ナンパ?」

「アホ」

「酷い」

「お前何歳だ。俺はお前みたいなガキ、興味ない」

「十三歳。中一」

「俺は十五だ。中三」

 そんなに歳離れてないじゃん。

 

「どこ中?」

「ここ中」

「あー、先輩か」

 どうやら同じ中学の先輩らしい。

 クラスは一つと言っても、先輩の顔まで覚えてはいない。一応見覚えはある。それだけ。

 

 

「先輩名前は?」

「松田修(しゅう)。お前は?」

「赤井青(あお)」

「赤井で青なのに髪の毛白いんだな」

「これは! ブリーチ! 青くするつもりだったの!」

 白い髪を笑われたので、私は両手を振り回すが修が片手で私の頭を掴んで手を伸ばしたせいで私の手は彼に届かなかった。

 

 

「クラスの男子にもそれ言われた。だから、夏休みに髪の色青くしてやろうと思ったのに」

「世界が終わるって言われて、美容院がやってなかった訳だ」

「そう! あと、映画も見れなかった」

「モンスターの奴?」

「それ!」

「俺も見たかったけどなぁ。……ははっ」

 突然笑い出す修。どうしたんだろうと、私は彼の顔を覗き込む。

 

「……なんか、お前と話してると馬鹿みたいに思えてくるな」

 修は泣いていた。

 

 

「……なんで泣いてるの?」

「俺達、死ぬんだぜ。あと十一日で。隕石が、地球に落下してな」

「あと十一日もあるのに」

「あと十一日しかないんだよ。……でも確かに、あと十一日もあるのか」

 泣いて、笑って、修は私の髪の毛をわしゃわしゃにする。

 

 

 やめろ。ブリーチで傷んでるんだから。

 

 

「お前の髪の毛ヤベーな。チンゲみたい」

「めっちゃ失礼じゃん」

 黒い雨はその日一日中降り注いだ。

 

 

 

 私の名前は赤井青。中学一年生。

 初恋はまだしてない。

 

 男の子の名前は松田修。中学三年生。

 性格が悪いから多分彼女がいない。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月21日(水)

 吐き気がする。吐いた。

 

 

「……気持ち悪い。なにこれ、死にそう」

「死ぬけどな」

「死ぬの!?」

「十日後に」

「そっかぁ」

 私が安心してため息を吐くと、修は「放射能汚染とか言ってもどうせ十日後には死ぬなぁ」なんてよく分からない事を呟く。

 

 もしかしてこの人頭良い人かもしれない。

 

 

「喉渇いた」

「雨水だけは飲むなよ」

「なんで?」

「見た目がヤバいだろ」

「確かに」

 学校の外に視線を移すと、真っ黒な水溜りが見えた。まるで地球の奥まで繋がってる穴に見えて、少し怖くなる。

 

 

「どこ行くの?」

「水と飯の確保。○町のコンビニとか、スーパーとか。どうなってるか分からないけど」

「○町!? めっちゃ遠いじゃん。△町じゃダメなの!?」

「そっちは吹っ飛んでる。人もいない」

「うへぇ」

「電気もガスも水道も止まってるから、近場にある物は何も頼りにならないからな」

 △町に住んでる友達の事を思い出した。頭を横に振る。

 

 

「それと、隕石は太平洋に衝突するって言ってたから西側に行けばあるいは……」

「あるいは?」

「いや死ぬか」

「なんだ」

 ぶつぶつ言いながら、修は立ち上がって歩きだした。○町まで歩いて五時間は掛かる。多分、修は帰ってこない。

 

 

「行っちゃうの?」

「は? お前も来るんだよ。こんな所いてもしょうがないだろ」

 修はそう言って、私の手を引っ張った。大きな手にビックリする。男の子の手だった。

 

 

「家は?」

「行くぞ」

 真っ直ぐ歩く。

 

 

 黒い水溜りの道を、私達は西に向けて歩いた。少しの間静かに歩いていたけど、私の口が自然に開く。

 

 

「修はゲームとかするの?」

「呼び捨てかよ。良いけど、お前は?」

「するよ。モンスターの奴。図鑑全部集めた」

「すげ。俺全然」

「私の勝ち!」

「バトルは俺強いぞ。六匹ちゃんとレベル百にしたから」

「は、すご」

 取り留めない会話だった。

 

 

「テレビとか見る?」

「野球とか。スポーツとか見る」

「男の子は好きだよね。スポーツ」

「俺は柔道が一番好きだ。やってるからな」

「え、すご。でも柔道あんまりテレビに映らないよ?」

「そうか? そうか。いや、でも来年のオリンピックとか」

「あー、オリンピック」

「……いや、来年は来ないのか」

「そうだったね」

「……そうだな」

「ねー、あれ見せてよ! あれ!」

「アレってなんだよ」

「背負い投げ!」

「お前にやれば良いのか?」

「痛い?」

「痛い」

「やっぱやめとく」

 意外にも修はスポーツ少年。

 

 

「勉強出来る?」

「普通かな」

「私全然ダメ。英語とか訳わかんないし。算数もダメ」

「数学な」

「そうそれ、数学。算数は得意だったんだけどな。そろばん得意だよ、そろばん」

「それはちょっと凄いな」

「ちょっとなの」

「ちょっと」

 修は勉強も出来る。

 

 

「どこに住んでるの?」

「□町」

「一緒だ」

「お前の家こっちか」

「ここ真っ直ぐ行ったら私の家。修の家もこっち?」

「俺の家は……あっち」

「寄ってく?」

「寄ってかない」

「なんで? 修のお母さん達は?」

「死んだ」

「……ごめん」

「お前空間読めるんだな」

 失礼だ。

 

 

「私の家! これ、家の鍵」

「家には誰も?」

「居ないよ。一人っ子。去年まで犬飼ってたけど」

「へー」

「名前は犬太郎」

「犬太郎」

「犬太郎」

 家の鍵を開ける。中に入るとなんだか安心した気分になった。

 

「入らないの?」

「入って良いのか?」

「誰も居ないよ」

「それもそうか。……お邪魔します」

 修が家に入ったのを確認すると、私はリビングまで走って冷蔵庫を開ける。

 

「臭!!」

「そりゃ色々腐ってるよな」

「お茶飲む?」

「ありがとう」

 ぬるいお茶を注いで修に渡して、私もたっぷりと飲んだ。生き返る。

 

 

「飲み物、鞄か何かに入れて持っていこう。腐ってないパンとかあるか?」

「パンあるよ。食べる?」

「もらって良いなら」

「良いよ。ここに居たらダメなの?」

「十日分の飯ないだろ。……待て、そうか。やっぱり俺の家も寄ろう。使える物を持っていきたい」

「使える物?」

「缶詰とか、ライトとか。お前の家ラジオあるか?」

「あるよ!」

 修に言われて、確かリビングのテレビの横に小さなラジオが置いてあったのを思い出した。

 

 それを修に渡すと、修は「お前は荷物を集めてくれ」とラジオを弄りだす。

 停電で電気はないけど、ラジオは電池で動くから。修が少しラジオを触ると、ザザッと雑音が家の中に響いた。

 

 

「……ダメか」

 ただ、少しして修の口からそんな言葉が漏れる。ラジオからは雑音しか聞こえない。

 

 

「荷物まとめたよ!」

「多い」

 パンパンになった鞄を修の前に置くと、修は「何がこんなに入ってるんだ」と目を半開きにする。

 

「ゲームと電池と、お茶とパンとシャンプーとリンスーと石鹸とタオルとハンカチと歯ブラシと十日分の着替え」

「十日分の着替え」

「十日分の着替え」

「着替えは要らないだろ、置いてけ」

「えー、でも私達めちゃくちゃ臭いよ。お風呂入りたい」

「……臭いか」

「臭い」

 家を出てから三日間、ずっと同じ服を着てたからもう汗臭い。

 

 

「分かった。でも着替えは五日……三日分」

「ケチ。七日分!」

「五日分」

「えー」

「流石に多い」

「今着替えてきて良い?」

「良いけど待て。……これ、天然水。タオルと。これで体拭くと良いかも」

「おー、貴重な天然水。良いの?」

「良い。てかお前の家の天然水だろ」

 なんて贅沢な天然水の使い方。

 

 

「天然水でお風呂!」

「そんな量はない」

「覗かないでね!」

「覗かねーよ」

「すけべ!」

「は? 良いからとっとと着替えてこい」

 私は浴室でタオルと二リットルペットボトルの天然水を使って身体を洗った。けど、天然水が半分になった所で首を横に振る。

 

 浴室から出て、一番お気に入りのワンピースに着替えてから私は玄関にある麦わら帽子を被ってリビングに戻った。

 

 

「似合う?」

「お」

「お?」

「うん」

「お?」

「ん?」

「可愛い?」

「……風呂出たら行くぞ」

「うわ。あ、待って。修もお風呂入って! 臭い!」

 私が天然水とタオルを修に突き付けると、修は「良いのか?」と何故か顔を赤くして首を傾げる。

 

「臭い」

「あ、うん。分かった。入ってくる」

「お父さんの着替え使う?」

「俺の家に寄るから、その時にまた着替える」

 そうして私達は荷物を持って家を出た。少し歩いた所で、もうこの家に戻って来ることはない事に気がつく。

 

 

「ね、修。私自分の家に男の子呼んだの初めてかも」

「あ、そう」

「いっぱいご飯あったらここに住めたのにね」

「二人で?」

「あ、結婚みたい」

「け───」

「なーんてね。修の家行こ」

 また歩き始めて、少しだけ横目で家を見た。

 

 

 

 遠くなっていく。

 

 

 

 修の家に着いた。

 

「ここで待っててくれ。何かあったら叫べ」

「入っちゃダメなの?」

「ダメ」

 玄関に来て、私は門前払いされる。何か隠し事でもあるのかもしれない。

 

 

「エロ本だ! 絶対エロ本が部屋のベッドの下に隠してある! エロ本!」

「違うわ!! うるせぇ!!」

 勢いよく扉を閉められて、鍵までされた。絶対エロ本部屋に隠してる。

 

 この前クラスの男の子が学校でエロ本を先生に没収されていたのを思い出した。友達がその時「男の子は皆家にエロ本を隠してる」って言っていたっけ。

 

 

 

 その男の子と友達は△町に住んでる。

 

 

 

 暇だ。

 

「遅い。部屋でエロ本見てるのかな」

 少し時間が経って、庭の石ころを数えるのにも飽きてくる。ふと意識を石ころから外すと、ベランダの窓ガラスが不自然に割れているのが見えた。

 

 学校の窓ガラスとは割れ方が違う。学校の窓ガラスは外から中に割れた感じだったのに、修の家の窓は内側から外側に割れていた。

 それに、他のガラスは割れてない。私の家のガラスも割れていない。

 

 

「泥棒だったら外から割るよね?」

 気になって、ベランダに近付く。カーテンが閉まっていて中は見れない。

 

「カーテンが染みてる? 変な匂いする」

 覗き込んだら怒るかな。そう思ったその時───

 

 

「何してる」

「きゃぁ!」

 カーテンが空いて修がそこから出てきた。驚いて尻餅をつきそうになった私の手を、修が引っ張ってくれる。

 

 

「行くぞ」

「何その荷物」

 修は私の着替えよりも沢山の荷物を背負っていた。山男みたい。

 

「修だけいっぱい着替え持ってきたの? ズルい」

「これは寝袋とちょっとしたキャンプ用具。あと缶詰とか色々使える奴。着替えは二着しか持ってきてない」

「ふえー」

「ほら行くぞ」

 そう言って、修は私の手を掴んで歩き出す。彼は私と違って振り向かなかった。

 

 家に誰もいないのかな。

 あと、まだ修以外に誰とも会ってない。少し、寂しくなってくる。

 

 

 

 夜になった。

 

「修、真っ暗だよ。懐中電灯使おうよ。まだ付かないの?」

「いや、今日はこの辺で野宿しよう。ちょっと家でのんびりし過ぎたな」

「え、野宿?」

「野宿」

 そう言って、修は道の脇にある茂みに向かって歩いていく。

 

「ちょ、ちょっと修! そっち何もないよ? ホテルとか泊まろうよ! せめて誰か人の家に泊めて貰おうよ!」

「ホテルなんかこんな所にある訳ないだろ。良いから来い」

「無理無理無理! 絶対虫いっぱいじゃん! 絶対無理! そもそも寝袋持ってない!」

「寝袋貸してやるから」

「もうちょっと歩いたら○町じゃないの?」

「良いからもう寝ろ。嫌なら一人で行け。俺は寝る」

「え、ちょっと……」

 一人で茂みの向こうに歩いていく修に、私は言葉にならない声を上げながら両手を浮かせた。

 

 

「待って! 置いてかないで!」

 修を追い掛けると、少し開けた所に寝袋が二つ並んでいる。修は意地悪だ。

 

 

「全部閉めれる寝袋だから、そうそう虫も入ってこないだろ。……寝ろよ、おやすみ」

「うん、おやすみ」

「おやすみ」

「おやすみ」

「おやすみ」

 何回かおやすみって言って、私は目を閉じる。眠れない。

 

 真っ暗だ。

 

 

 怖い。

 

 

 寂しい。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月22日(木)

 虫の鳴き声で目が覚める。

 

 

「ヒグラシうるさい」

 寝袋を開けると、まだ太陽も登ったばかりの時間だった。普段日が沈んだばかりの時間なんかに寝ないから、かなりの早起き。

 何時か確認しようと思ったけど、時計もない。

 

「修、起きてないの?」

 隣に目を向けると、寝袋は閉じたまま。隣には修の荷物が置いてある。

 

 

「何持ってきたんだろ」

 立ち上がって、荷物に手を向けたその時───

 

 

「触るな!」

「きゃぁ!」

 大きな声に驚いて飛び跳ねた。恐る恐る声の方向に首を向けると、茂みの間から修が出てくる。

 

「お、起きてたの? ビックリした。……ご、ごめん。人の荷物だった」

「いや、悪い。俺も怒鳴り過ぎた。……トイレ、行ってたんだ」

「あー。……う」

 言われて気付く奴が来た。

 

「どうした?」

「うぅ……」

「腹痛いのか?」

「うぅ……」

「なんとか言えって」

「いや、えと、うぅ……」

「お前もうんこか」

「最低!!」

「ちょっと歩いたらコンビニあるから、そこまで我慢出来るか?」

「ちょっとってどのくらい?」

「ちょっと。無理ならその茂みの裏でしろ」

「我慢する!」

 お腹を抑えながら歩く。修も荷物を纏めると、昨日の道に戻って真っ直ぐ歩いた。

 

 

「コンビニ、誰もいないよ?」

「そうだな」

「変じゃない?」

「変じゃないだろ」

 町外れのコンビニ。山道にポツンと建ったそこには店員さんもお客さんも見当たらない。

 

「トイレ借りてこいよ。俺は使えそうな奴を拾ってくから」

「お金は?」

「払わなくて良いだろ」

「泥棒じゃん」

「泥棒だよ」

 なんだか悪い事をしている気分になる。悪い事をしてるんだけど。

 

 

「食え」

「パンだ」

 トイレから出ると、今朝よりも少し膨らんだ荷物を背負った修がコンビニのパンを渡してくれた。

 お腹が減っていたから嬉しい。

 

 

「これからどうする?」

「予定通り○町に行く。人が居るかも知れないから、気を付けて進むぞ」

「なんで気を付けるの? 家に泊めて貰おうよ」

「お前、あの日ずっと家に居たんだっけか」

 目を半開きにしてそう言う修の言葉に、私はパンを咥えながら首を横に傾ける。

 

 

 正直、薄々思っていた事だった。感じていた事だった。

 

 その光景を見て、私はやっと理解する。

 

 

「なにこれ」

 ───世界が終わってしまった事に。

 

 

 

 町は燃えていた。

 核爆弾が落ちてきた訳じゃない。町の至る所で火事が起きている。

 血だらけの人が道路で倒れていた。その意味を理解する前に、修から借りた双眼鏡が取り上げられる。

 

「あ」

「○町はダメだな。別の町に行こう」

「別の町って。○町は?」

「まだ分からないのか。隕石が落ちてくるって分かって、核爆弾まで落ちてきて、電気もガスも水道も止まって、大人達も皆ヤケになってるんだ。食料の奪い合いで皆が殺し合いしてるんだよ」

「殺し合いって……」

 まるで、漫画や映画の話だった。

 

 

 でも現実に町は火の海で、私の脳裏には道端で血だらけになって倒れていた人の姿が焼き付いている。

 

 

「……怖い」

「とりあえず町から離れよう。他人に見付かるとまずい。俺達のこの荷物だと、食料持ってるのがバレバレだ」

「見付かったらどうなるの?」

「……殺されるかもしれない」

「嫌だ!」

「だったら行くぞ」

「うん。うん!」

「……結局来週には死ぬんだけどな」

 修に着いて歩いた。何処に向かってるのかも分からない。

 

 

 歩き続けて、隠れてお昼ご飯を食べる。また、日が落ちるまで歩いて茂みに隠れるように寝袋を敷いた。

 

 

 懐中電灯を使わないのは、他人に見付からない為だと修が寝る前に説明してくれる。

 やっぱり私は怖くて直ぐには眠れなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月23日(金)

 朝から歩く。昨日から歩きっぱなしだ。

 

 

「疲れた」

「置いてくぞ」

「嫌だ」

「ほれ」

 修は振り返って私に手を伸ばす。

 

「手を繋いで歩いて欲しいって思う程子供じゃない」

「荷物貸せ。持ってやるから」

 言いながら、修は私の荷物を持ってくれた。足が軽い。

 

「無駄な荷物増やすからだ」

「む、無駄じゃないし。うーん、お気にのワンピなのに。そろそろ着替えないと。……コインランドリー」

「ないし、あっても動かない」

「川で洗濯。ほら、桃太郎!」

「バカ。……いや、川か」

 ふと、修は別れ道の前で止まる。少しだけ考えて、修はずっと真っ直ぐに歩いてきた道から逸れるように別れ道に向かって歩き出した。

 

 

「どうしたの? そっち山じゃない?」

「町とか行くより安全かもしれないだろ」

「この先の町は安全かもしれないよ?」

「そんな訳ない」

 言い切った修は真っ直ぐに歩く。私もそれに着いて歩いた。

 

 

 コンビニが見える。

 

 

「俺、見てくるから。荷物を頼む。誰かに見付かったら叫んでコンビニの方に逃げてこい。荷物は置いてきて良い」

「な、なんで?」

 コンビニまで百メートルくらい。茂みに隠れながら週修はそう言った。

 

「コンビニに誰かいるかもしれないだろ」

「いたらどうするの?」

「危ないから、お前はここにいろ」

「一人にしないで。昨日は一緒にコンビニ行ったじゃん」

「昨日は朝早く起きて俺が確認しといたから」

「でも」

「危ないから」

「だって」

「危ないって言ってるだろ」

「……うん」

「よし。……俺が直ぐに戻ってこなかったら、俺の鞄だけ持って山に入って逃げるんだぞ。その後は……なんとかしろ」

「なんとかしろって、無理だよ」

「なんとかしろ」

 そう言って、修はコンビニに向かって歩き出す。私はそれを茂みの中から見てる事しか出来なかった。

 

 

「……直ぐっていつ」

 修がコンビニに入って、多分一分くらい経ったけど修はコンビニから出てこない。怖くて手が震える。

 

 逃げろって言われてたけど、そんな事言われても私一人じゃその後どうしたら良いか分からない。

 

 

「修」

 無意識に修の名前を呼んで、荷物を置いたままコンビニまで歩いた。

 少し近付くと、人の声が聞こえる。誰かと会って、修が話をしてるのかもしれない。

 

 

「───こんな所に手ぶらで来る訳ないよな。なんか持ってんだろ!」

「何も持ってねーよ! 触んな!」

「ガキが口答えすんな!」

「……っ。このコンビニの物は諦めるから、離してくれよ」

 でも、聞こえてくるのは言い争ってるような会話だった。私は走ってコンビニに入る。

 

 

「修!」

「お前、バカ!! 逃げろ!!」

 コンビニの中で、修は男の人三人に囲まれていた。顔に痣が出来てるようにも見える。

 

 男の人はお父さんと同じくらいの歳の人が三人。そんな大人達が、修をリンチして笑っているのに私はムカついた。

 

 

「修を離して! なんでそんな事するの!」

「なんだこのガキ」

「おー、お前の彼女か。ヒューヒュー」

「修を離して!」

「バカ! 良いから逃げろ!」

「よく見たら上玉じゃね?」

「は? お前こんなガキが好みなのかよ。キモ」

「うっせーな。良いだろ。もう世界も終わるんだから、遊ばせろよ」

 男の人の一人が、嫌な顔でゆっくり歩いてくる。男の人が私の肩を触った瞬間、修が「逃げろ!!」と大きな声で叫んだ。

 

 反射的に、私も振り向いて走ろうとする。だけど、男の人に先回りされて両肩を掴まれて捕まった。

 

 

「逃げんなよ。ほら、脱げ」

「ちょ、嫌! 嫌だ!」

 男の人に服を破かれる。力が強くて、私は逃げられない。

 

「一丁前にブラしてんじゃねーか。おい、暴れんなよ」

「嫌! 嫌だ! 離して!! 嫌ぁ!!」

 怖い。嫌。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 

 

「───っぁぁぁぁあああああ!!!!」

 大きな声が響いた。同時に、花火のような大きな音がコンビニの中に響く。

 

「コイツ!! 銃持ってや───」

 そしてもう一度、同じ音がした。気が付いた時には修をの近くにいた男の人二人が床に倒れていて───

 

 

 

「お前───このクソガキ!!」

 私の身体を触っていた男の人が、血相を変えて修に掴み掛かろうとする。

 修は身体を捻るようにしてその男の人を背負い、投げた。

 

 そして、またさっきと同じ音がする。

 

 

「……修?」

 静かになったコンビニの中で、私に背中を見せて修一人だけが立っていた。

 

 ふと床を見ると、夥しい量の赤い液体が床を塗りたくっている。

 その赤い液体が足元まで来た時に、修が何かを持っている事に気が付いた。

 

 

「それ……」

 ゆっくりと視線を上げる。

 

 ドラマとか映画でしか見た事のない、拳銃。

 修の手にはソレが握られていて、私は何が起きたのかやっと理解した。

 

 

「い、嫌ぁぁあああ!!」

 死んでる。

 

 男の人は三人とも死んでいた。

 銃で撃たれて、修に銃で撃たれて、死んでいる。

 

 

「ま、待て!」

「嫌だ!! 来ないで!!」

 私は走って逃げた。でも、修は足が早くて直ぐに追い付かれる。

 

 肩を掴まれて、どうしようもなくてその場にしゃがみ込んだ。

 

 

「嫌ぁ! 嫌だ嫌だ嫌だ!! 嫌ぁ!!」

「落ち着け! 落ち着けって。お前に何もしない! な! お前には何もしないから!」

「嫌!! 離して!!」

「分かった、離すから。これが怖いのか? ほら、地面に置いたぞ。こっちを向いてくれよ」

 何か言ってるけど、私は怖くて修が何を言っているのか理解出来ない。ただ言葉にもならない声を上げて、耳を塞いで泣き叫ぶ。

 

 

 もう嫌だ。

 お母さんも死んじゃったし、お父さんも一緒で帰ってこない。学校も友達が住んでた町も吹っ飛んでる。

 隣町の人は殺し合いをしてた。修は私と居てくれたのに、人を銃で撃って私を追いかけて来るし。

 

 もう何もかも嫌になる。

 

 

 何が隕石だ。

 もう死んだ方がマシじゃん。人類滅亡なんてどうでもいい。もう全部嫌。

 

 

「……お、青。ごめん」

 修が謝ってる。でも、なんで謝ってるのか分からない。

 

「俺はもう銃を持ってない。お前がもしコレが怖いなら、今から捨てて来るから。……怖いよな? 分かった。怖いよな」

 そう言って、修は立ち上がって、直ぐに戻ってきた。

 

 

「銃は捨ててきた。本当だ。俺の荷物の中、全部見ても良い」

「……本当?」

「本当。もう何もないから、怖くないから」

「……うん」

 少しだけ顔を上げて、修の顔を見る。酷い顔をしていた。

 

 

「……話を、聞いて欲しい」

「……うん」

「一旦、荷物のところまで行こう。コンビニの近くで他人に見付かりたくない」

 修は立ち上がってそう言うと、私に手を伸ばして来る。私はその手を取るのを少し悩んで、袖を掴んだ。

 

 ゆっくり歩く。

 

 

「……銃は、俺の親父が持っていた奴だ。警察官だったから、親父」

 茂みに戻ると、修はそうやって話を始めた。

 

 ふと、修の家に行った時の事を思い出す。

 

 

「……親父は、隕石が落ちるって分かって。町で色んな人が暴れ出すのを最初は止めようとしてたんだ。だけど、どうしても誰も止まってくれなくて……親父は銃で人を撃った」

 割れたガラス。

 

「そこから、親父も止まらなくやった。町の皆、一日で死んだよ。……青は、ずっと家にいて良かった」

 染みたカーテン。

 

 

「……俺は、親父をあの銃で殺した。親父が、色んな人を殺して、許せなくて……それで、俺、親父を、銃で───」

「……修」

「───皆を!! 皆が皆、自分の事だけ考えて、人の事殺して!! 俺も……何人も、一日で、殺して!!」

 大きな声だった。

 

 

「……ごめんね、修」

 彼の胸に頭をぶつけて、私はそう言う。

 

 多分、凄く怖かったのは修も同じだったんだ。

 それなのに、私を助けようとしてくれた修の事を私が怖がるなんて最低だと思う。

 

 

「……ごめんね」

「青」

「修も怖かったんだよね。ごめんね」

 私がそう言うと、修は私に抱き付いて思いっきり泣いた。

 

 力が強くてちょっと痛い。

 だけど、その力強さが今はなんだか心地良く感じる。

 

 

「……学校で青を見付けてさ。色々馬鹿馬鹿しくなったんだよな」

「もしかしてバカにしてる?」

「さあ。でも、自分勝手だけどさ。せめて青だけでも、護りたいと思った。……迷惑だったかもしれないよな。ごめん」

「そんな事ない。私、多分修が居なかったらもう死んでる」

「青……っ」

 突然、修は顔を真っ赤にして自分の荷物に手を突っ込んだ。何かと思ったら、修は大きめのタオルを荷物から取り出して私に投げ付ける。

 

 

「コレ! 羽織ってろ!」

「……っぁぁ!」

 そう言われて、意味が分かって私はまた言葉にならない悲鳴を上げた。

 

 だけど、その悲鳴は嫌な気分の悲鳴じゃなかったと思う。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月24日(土)

 昨日は適当な茂みの中で一夜を過ごした。

 

 

 二人ともあまり寝れなくて、寝袋越しに取り留めもない話をずっとしてたのを覚えている。

 だから、ちょっと寝不足だ。

 

「川だ」

 少し遅めの移動。

 山を登って少しすると、修の目的の場所に辿り着く。

 

 

 それは歩いて渡れそうな小さな川だった。

 

 

「身体洗ってきて良いぞ。俺は……近くの茂みに居るから、何かあったら叫べ」

「えー、一人は怖いよ。近くにいてよ」

「どうせ覗きとかすけべとか言うだろ」

「大丈夫」

 そう言いながら、私は自分の荷物に手を突っ込んで必要な物を取り出す。

 

「じゃじゃーん、水着。あるから」

「いや、なんでそんな物持ってきてるんだよ」

「可愛いでしょ」

「子供っぽい」

「修って絶対モテないでしょ。彼女とか居ないでしょ」

 私がそう言うと、修は「うるせぇ」と言って私に背中を向けた。図星か。

 

 

「振り向いちゃダメだよ」

「誰が」

 私も修に背中を向けて、服を脱ぐ。昨日ボロボロにされてしまったお気にのワンピはもう着る事はない。

 でも、修が私にくれたタオルだけは何故か手放したくないと思った。今日寝る時も羽織ってたから汚れちゃってるけど、川で洗ったら使えるかな。

 

 

「着替えた!」

「ん。何その格好」

「のうさつポーズ。テレビでやってた」

 川の水に自分の姿が映る。フリルの着いた白色の水着。私はもう少し胸が大きくなれば、立派な美人さんになるに違いない。

 

 そういえば髪の色も真っ白だ。しかも、ボサボサ。

 

 

「十年早い」

「見る目がないなぁ。彼女居ないくせに」

「誰も居ないとは言ってないだろ」

「居るの?」

「居ない」

「ほーら」

「お前は」

「居ない」

「なんだよ」

「バーカ」

「走って転ぶなよ」

 川に向かって走って、靴を脱ぎ捨てる。そうして川に入ろうとしたら、石ころに躓いて頭から川に転んだ。

 

 普通に痛くて泣く。

 

 

「馬鹿! 青!!」

「───っ、あはは、あっはははは」

 起き上がって、私は笑った。泣きながら。

 

 

「お前なぁ……」

「そういえば、青って呼んでくれたね」

「今更……」

 そうだっけ。

 

「川、気持ち良いよ。修も入ろ」

「俺は良い」

「えー、入ろうよ」

「服が濡れる」

「えい」

 渋る修に、私は川の水を掛けてやる。修は表情を引き攣らせて「あーおー!」と襲い掛かってきた。

 

 

「ひゃー!」

「待てこの馬鹿青!!」

 川を走る。

 

 

 誰も居ない。歩いて渡れる川。

 山奥の静かな場所。

 

 地球に隕石が落ちてきて人間は皆死ぬ事になるなんて、忘れてしまいそうだった。

 

 

 

「くっそ、ズブ濡れだ」

「あっはは、修の髪ヤバ。変なの」

「お前の髪の方が───本当に大変な事になってるぞお前の髪」

「うぅ……言わないでよ。本当は、髪の毛青く染めて、ちゃんとお手入れしないといけなかったのに。それでこの水着で海もプールも行ってさー、夏休みなのに。あ、でも川も良いね。涼しー」

 川で遊んでいて勝手に身体は綺麗になったけど、髪の毛まではどうしようもない。

 

 

「……そのままでも、良いと思う」

「何が」

「なんでもない。そろそろ出発するぞ」

「えー、もう少し川で遊んで行こうよ」

「日が暮れたら困るだろ」

「ここで寝ちゃえば良いんじゃない?」

「……熊が出るぞ」

 脅すような低い声でそう言う修の言葉に、私は息を呑む。

 

「……熊?」

「熊。怖いだろ」

「怖い。行こう」

 新しい服に着替えて、タオルと水着はもしかしたらまた使えるかもしれないから乾いてないけど袋に入れて鞄に戻した。

 

 

「どこに行くの?」

「とにかく人の居なそうな場所。このまま西に向かっていけば、道路もない山ばっかりになるから」

「道路なかったら歩くの大変だよ。道路あっても大変なのに」

 ここ数日、昼間は殆ど歩きっぱなし。疲れたなんて言えないけど、ちゃんと舗装された道以外を歩く事を考えると気が滅入る。

 

 いや、もう正直なところ滅入っていた。歩きたくない。

 

 

「ごめん。人に会うのが怖いんだ……」

「修……。ごめん、歩こ」

 でもやっぱり、わがままばかり言ってられない。

 

 

「───青!」

 そうして歩こうとしたら、修に手を掴まれて道の端まで引っ張られる。

 何かと思ったら、道路の後ろから車が一台向かってきていた。

 

「人……」

 身体が勝手に震える。修はそんな私の身体を力強く抱きしめながら、車を睨んでいた。

 

 

 クラクションが鳴って、私達の前で車が止まる。

 

 

「───こんな所にまだ人が居たんだな。……って、子供か。お前ら、何処から来た?」

 車の窓が開いて、二十歳くらいのお兄さんが右腕を窓の外に出しながら私達に話しかけてきた。

 そのお兄さんが運転席に居て、反対側の助手席には同い年くらいのお姉さんが座っている。

 

「□町です」

「青」

 私が言うと、修が後ろから小突いてきた。勝手に喋ったから怒ったのかもしれない。

 

 

「□町か、遠いな。お前ら、二人か?」

「はい」

「青」

「ハッ、そう警戒すんなって。いや、気持ちは分からなくもないけどな」

「こんな所に居たって事は人のいない所に行きたいんでしょ? ねぇ、この子達も乗せてあげたら?」

 お兄さんは修の反応を見て笑って、助手席のお姉さんは私達に「どう? 乗ってかない?」と聞いてくれた。

 

 

「途中までなら、車に乗せて行っても良いぞ。途中までならな。勿論運賃は取らない。金なんてあっても、もうなんの意味もないからな」

 なんて言ってから笑って、お兄さんは「乗るか?」と再び私達に問い掛ける。

 

「修」

「乗らない。大丈夫です」

「修?」

 乗れば良いのに、なんて思ったけど私も首を横に振った。

 

 

 そうだよね、怖いよね。私も怖い。

 

 

「ごめんなさい、ありがとうございます。大丈夫です」

「そっか。……おい坊主」

 私達が答えると、お兄さんは残念そうな表情をしてから修を手招きする。

 修が恐る恐る車に近付くと、お兄さんは修の頭に手を乗せて髪の毛をわしゃわしゃとも揉みくちゃにした。

 

 

「───ちょ、なに」

「その子の事ちゃんと守れよな。行こうか」

 そう言って、お兄さんは車を発進させる。けれど、車は少し進んでから止まってお兄さんは再び窓から顔を出した。

 

 

「お前ら、車運転出来るか?」

「出来る訳ないでしょ」

「だよなー。いや、まー、簡単だぞ。あと、この先にキャンプ場があるからな。それじゃ」

 手を振って再び車を進ませるお兄さん。

 

 私達は顔を見合わせて、少し経ってから車を追い掛けるように歩き出す。

 

 

「……乗せていって貰った方が良かったか」

「修の気持ち、分かるよ。怖いよね」

「……ごめん」

「修がちゃんと考えてくれてるの、知ってるから。行こ」

 歩くのは大変だけど、こうして話しながらゆっくり進むのも悪くない。

 

 そうしてちょっと歩くと、大きな地図が道端に展示されていた。この付近の地図みたいで、修は紙を取り出して地図をメモしていく。

 

 

「カメラあったら良かったのにね。写真にしたら簡単に持ち運べるのに」

「現像する場所がないだろ」

「あ、そっか」

「そうだよ。ん、キャンプ場か」

 ふと、地図を見ながら修は目を細めた。

 

「食料が確保出来るかもしれない。人が居るか分からないけど、とりあえず覗いてみたい」

「ご飯、もう少ないもんね」

 ここ数日で、鞄はかなり軽くなってしまっている。全く無いわけじゃないけど、少し先を考えると不安になる量だ。

 

 

「行こっか」

「乗せてって貰えば良かったかもな。キャンプ場まで行ったら、こっちに向かうか。この距離なら、三時間くらいだな。よし、明るい内に着けそうだ」

 紙にメモをして、修は私の手を引っ張って歩き出す。その少し大きな手に引かれるのも、なんだか慣れてきた気がした。

 

 

 

「───修、あの車!」

 数時間歩いて、目的のキャンプ場に辿り着く。

 

 キャンプ場には人は居なかったけど、見覚えのある車が一台だけ止まっていた。

 

 

「さっきの人達の車か」

 夕暮れ少し前。昼頃に出会ったお兄さん達の車を見付けて、私達は無意識に車まで歩く。

 

 

「……寝てるのかな?」

 様子を覗いてみると、窓の閉まった車の中でお兄さんとお姉さんは手を繋いで眠っていた。

 なんだか大人の関係というのを感じて、顔が熱くなる。

 

 

「……待てよ。これ───自殺」

「修?」

「……っ。青、離れよう」

「なんで?」

「なんでも!」

「修はそればっか。何も教えてくれない」

「死んでるんだよ! その人達」

 私の手を引っ張りながらそう言う修の言葉に、私は意味が分からなくて固まってしまった。

 

 

「……そんな、だって、この人達、さっき」

「車の中で練炭炊いてるんだよ。一酸化炭素中毒」

「助けなきゃ!」

「青! バカ!」

「痛い!」

 車の扉を開くと、修に思いっ切り腕を引っ張られる。

 

「……死んでるんだよ」

「……っ。修……修ぅ」

 この世界が終わる事を、私はまた思い出した。

 

 

 

 隕石が落ちる前に、二人は幸せな内に死のうとしたのかもしれない。

 修はそう言ったけど、私は分からなくて首を振る。

 

 死んじゃったら、全部おしまいだ。

 町の道で倒れていた人みたいに、コンビニで修が殺してしまった人達みたいに、お兄さんもお姉さんも、お母さんやお父さん、友達も皆。

 

 もう会えない。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月25日(日)

 キャンプ場で朝を迎える。寝袋で寝るのも慣れてきた。

 

 

 受付をする建物の中に、薪や着火剤なんかが沢山あって、私達はそれを車の後ろの席に積み込む。

 

 

「修、運転出来るの?」

「ゲーセンで運転した事ある」

「凄い、全然信用できない。やっぱ辞めよ。無免許運転だよ」

「使わない手はないだろ」

 今朝、修がお兄さんとお姉さんの遺体を建物の中に運んで「車を使わせてもらおう」と言った。

 

 昨日お兄さんと会った時、お兄さんは去り際にキャンプ場の事を教えてくれたし、私達に「運転出来るか?」と聞いてきた事を思い出す。

 

 

「多分、あの人達は初めから自殺するつもりだったんじゃないかな。それで、俺達を見付けたから……」

「……うん。もしあの時、車に乗せてもらってたら?」

「一緒に自殺してたかって? 多分、それはない」

 運転席に座りながら、修は一枚のメモ用紙を私に見せてくれた。

 

 そこには、何故か車の運転の仕方が簡単に書かれている。メモ用紙の一番下には、一言。

 

 

『俺の愛車なんだ。ローン残ってるから、大切に使ってくれ』

 なんて文が書いてあって、自然と涙が出て来た。修も、珍しく泣いている。

 

 いや、修は泣き虫さんだ。私が知らないだけで、修も怖いし辛いんだと思う。

 

 

「……助けられたかもしれない」

「修は悪く無いよ」

「……ありがとな。行こう」

 車のアクセルを踏む修。車は勢いよく真っ直ぐに進んで───正面の木に激突した。

 

 

「───修ぅ!?」

「……ご、ごめん。思ったより早かった」

 お兄さん、本当にごめんなさい。

 

 

 気を取り直して、車は進む。

 私の命令で安全運転で全然スピードは出てないけど、それでも歩くよりは早いし、何より荷物を持たなくて良いし足を動かさなくても車は勝手に動いた。

 

 車が本当に凄い物だって、改めて思ったかもしれない。

 

 

「……ちょっと楽しいかも」

「え、私もやりたい」

「無免許運転って怒っただろ」

「少しだけ!」

「危ないからダメ」

「修も車ぶつけたじゃん!」

「バカ辞めろ! またぶつかる! うわぁ!?」

 車は進む。

 

 

「───あっははは、悪い事してるみたい! 凄い! 走ってる!」

「本当だな。悪い事してるみたいだ。……本当は悪い事だけどな」

 人は居ない。

 

 道は真っ直ぐ。山を登って、降って、私達はその日車の中で一夜を過ごした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月26日(月)

 終末、世界は滅びるらしい。

 

 

「車どう?」

「ガソリンの事は考えてなかった……。ダメだ、動きそうにない」

 夕方、昨日からずっと運転していた車が動かなくなってしまう。

 

 道路も舗装されていない、獣道みたいな場所で止まっている車。

 私達は車を捨てて、また歩く事にした。

 

 荷物は、またちょっと多い。

 

 

「重くない?」

「……大丈夫」

 その殆どを持ってくれる修は、鞄を背負うだけでも辛そう。

 

「少し待つよ」

「良いよ。青は青の荷物だけ持ってれば」

「私の荷物だよ」

 無理矢理、修から荷物を少し奪った。重い。

 

 

「重いだろ」

「重い」

「バカだなぁ」

「うっさい」

「行こうか」

 今日も、修は手を引いてくれる。

 

 車の中で手を握っていたお兄さんとお姉さんの事を思い出した。私は、修の手を強く握り返す。修はビックリしたのか、驚いた顔で私を見た。

 

 

「青?」

「行こ、修」

 一週間もしないで、地球に隕石が落ちて来て人類は滅びるらしい。

 

 私達は何処に向かっているんだろう。

 

 

 少し歩いて、私達は地面に倒れ込んだ。

 

 

「……お腹空いたね」

「缶詰あるぞ」

「最後の奴じゃん」

「食べろよ」

「修は?」

「俺は良い」

「だって」

「疲れたな」

 空を見ながら、修は自分の腕で顔を隠す。頬に水滴が付いていた。

 

 

「前に進めば、何か見付かると思ったんだ」

「修……」

「なんにもない。青は、今日が何日か知ってるか?」

「知らない」

「二十六日。あと五日で、隕石が落ちてくる」

 修は顔を隠していた腕を、勢いよく地面に叩き付ける。

 

 

 あと五日。

 今日が月曜日だったら、五日後は土曜日。次の休みを楽しみにする期間だ。

 

 

 一週間以上前。

 二週間後に地球に隕石が落ちてくると言われても、私は実感が湧かなくて。だけど、お母さんや他の人達は分かっていたんだと思う。

 

 

 あと五日。

 その日、私は───私達は死ぬんだ。やっと、実感が湧く。

 

 

 

「何の為にここまで来たんだよ俺は! 畜生!! 畜生!!」

「修!!」

 地面を叩く修に抱き着いてそれを止めた。手が痛そうで、嫌だったから。

 

「離せよ! なんだよ、なんでだよ! くそ、くそ!!」

「辞めて、辞めてよ! 修!」

「何の意味もなかった。何も出来なかった。誰も助けられなかった、青だって……俺は───」

 ふと、修の言葉が止まった。

 

 私が安心したのも束の間、修は私を強く抱く。突然どうしたのかと思ったけど、その身体は震えていて、修はゆっくり私を地面に押し倒した。

 

 

「修……? ちょっと、修?」

 少し怖い。

 

 けど、修の体越しに視界に映った光景を見て、修がどうして私を押し倒したのか理解する。

 

 

「青だけは、殺さないで下さい」

「修……」

 私達の後ろに、人が居た。

 

 

 白髪混じりの優しそうな顔のお爺さん。

 けど、その手には大きな銃が握られている。テレビで見た猟銃という銃だ。

 

 

 お爺さんはその銃を私達に向けている。

 

 

「修! ダメ! 死んじゃう! 修!」

「青……。ごめん……ごめん」

「修───」

「すまん。熊かと思った。頭を上げてくれ」

 ───けれど、お爺さんはそう言って銃を持ったまま両手を上げた。

 私と修は泣き顔のままお互いの顔を見合わせて、大きな溜息を吐く。

 

 

 まだ、私達は生きていた。

 

 

 

「───凄い」

 山の奥。大きな山小屋に私達は辿り着く。

 

「驚かせた詫びだ。ここを使いなさい」

 猟銃を持ったお爺さんは優しくそう言ってくれる。お爺さんは優しい人だった。

 

 食料を取る為に、猟銃を持って山を歩いていたら私達を見付けたらしい。

 滅多に人が来るような場所じゃないからと、お爺さんは修の声を聞いて熊か何かと勘違いしたのだとか。

 

 

「……お爺さんは知ってるんですか? その、隕石の事」

「知っているさ。後五日だろう。俺も、どうしようか悩んでいた所だ」

 山小屋の中で火を炊いて、お爺さんはシチューを作ってくれる。

 久し振りに食べたちゃんとした料理は、中学入学の時に連れて行ってもらった東京のご飯よりも美味しかった。

 

 

「俺はここ数年ここに住んでいたんだがな。丁度良い、山を降りようと思っていた所だ」

「どうして。ここの方が安全でしょ」

 修の質問にお爺さんは「そうかもな」と答える。

 

「幸せは人それぞれだ。俺は安全を幸せとは思わない。だから、こんな山小屋に暮らしてたのさ」

「幸せは人それぞれですか……」

「隕石が落ちて全員死ぬって言ってもな、それに悲観して目の前にある幸せを見逃すのはいけない。勿体ない。せっかく世界が終わるんだ、俺は……そんな終わる世界を見てくるとする。それが俺の幸せだ」

 お爺さんのそんな言葉に、私はお兄さんとお姉さんの事を思い出した。

 

 

 二人は幸せだったのだろうか。私は───私達は、どうなんだろう。

 

 

 

「この小屋は好きに使ってくれ」

「え、でも」

「お前さん達を泣かした詫びだよ。俺は、ちょっくら終末旅行にでも行ってくるさ。もし世界が終わらなかったら、また会おう」

 そう言ってくれた後、お爺さんはこの小屋の事を教えてくれた。

 

 火の起こし方と、非常食の置き場所。ハサミから包丁まで、暮らしに必要な物はいくらか揃っている。

 しかも、ドラム缶のお風呂があった。お風呂に入れる。

 

 

「───このくらいだな。食料も一週間は待つだろう。あとは、この猟銃だが」

 お爺さんが背負っていた猟銃を掴んだ瞬間、私の身体は無意識に震え出した。脳裏に真っ赤な光景が映る。

 

 

「……すみません。要らないです。銃はお爺さんが持っていって下さい」

「……そうかい。だが、気を付けろよ。この辺には熊が居るからな」

「分かりました」

「終末まで楽しめ。じゃあな」

 そう言って、お爺さんは山小屋を出て行った。

 

 

 暖かい山小屋は、夜になってもランプがあって暗くならない。

 お風呂に入る。暖かい。

 

 ベッドがあって、その上に寝袋を敷いた。

 

 

「青がベッドを使えば良いのに」

「私は寝袋で寝るのが好きなの!」

「でもこの光景は意味分からん」

 何故かベッドの上に寝袋が二つ。並んでないと、不安になるからだ。

 

 

「寝よ、修」

「そうだな」

 世界が終わると聞いて十日目の夜。暖かい部屋で、私達は久し振りにぐっすりと眠る。

 

 世界が終わるまで、あと五日。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月27日(火)

 朝は卵とハム、サラダを食べた。

 

 

「召し上がれ!」

 焚き火にフライパンで目玉焼きを作って、ハムを切って野菜を千切る。料理とも言えないけれど、私にはこれくらいしか出来ない。

 

「ありがとう、青」

「えへへ、どういたしまして」

 いただきます、と。久し振りにゆっくりと朝食を食べた。

 

 

「食材は本当に沢山あるし、一週間は大丈夫だと思うよ」

「一週間か。……その時にはここも吹き飛んでるかな」

「かもね」

 四日後、地球に隕石が衝突する。多分私達は、その時に死ぬ筈だ。

 

 だから、あと四日間の事だけを考えれば良い。

 

 

「……青は、俺に付いてきて後悔してないか?」

「なんで?」

「もしかしたら、他の人なら青を助けられたかもしれない。……死ななくて、済んだかもしれない」

「どうしたら助かるの?」

「それは……宇宙に行くとか?」

「無理じゃん」

「無理だな」

「私は今、幸せだよ」

「青?」

 お爺さんの言葉を思い出す。目の前にある幸せ。確かに、そこに幸せはあった。

 

 

「修がそこに居てくれてるから、私怖くないもん」

「青……」

「修は?」

「俺は……」

「修は、今幸せじゃない?」

 その日、私は荷物からゲームを取り出して修と遊ぶ。

 

 修は「こんな物持ってきやがって」と呆れていたけど、一緒に『はじめから』でプレイしている内に楽しそうに笑ってくれた。

 

 

「そうだ、絶対図鑑埋まらないじゃん!」

「データ消す前に気が付けよ。交換でしか手に入らない奴も居るんだから」

「あー、どうにかならないかなぁ。うわ、電池切れそう! 修、電池!」

「さっきので最後だって。朝から晩までゲームしてさ、こんなの……こんなの怒られるぞ普通」

「怒られるね、普通」

 朝から晩までゲームをして。クリアしたけど、図鑑は埋まらない。

 

 

「電池切れたぁ!!」

「あーあ」

「うぅ……」

「大切なデータだったくせに」

「……でも、修と一緒にやったデータだから。これも大切だよ」

「青……」

「あ、お風呂入りたい。……その前に、修にお願いがあるんだけど」

「お願い?」

 首を横に傾げる修を他所に、私はハサミを持ってきてそれを修に渡す。

 

 

「髪の毛、切って」

「良いのか? せっかく長いのに」

「ボッサボサだもん。短くしたい」

「分かった」

 夜、私は修に髪を切ってもらった。肩までしかなくなった白い髪。

 床に落ちている真っ白な髪を集めて、捨てる。

 

 

 よし。

 

 

「可愛い?」

「髪切った奴のセンスが悪い」

「自分じゃん」

「そうだな。……ごめん、下手くそだ」

「ううん。ほら、可愛いよ」

 窓に映る自分は、髪の毛がぐちゃぐちゃだ。だけど、修に切ってもらったからこれで良い。

 

 

「可愛い?」

「……うん、可愛い」

 照れ臭そうに、修は笑う。

 

 

「……青、外」

「外?」

 ふと、窓の外を指差す修。

 

 私も外を見てみると、そこには凄い光景が広がっていた。

 

 

「流星群……なんてレベルじゃないな」

「すっごい! 綺麗!」

 空を覆う、覆い尽くすような───流れ星。

 

 真っ暗な空を、無数の光が流れて行って照らしている。夜なのに、街の明かりも電気もないのに、空は昼間のように明るかった。

 

 

「……綺麗だね」

「アレは、隕石が近付いてるから、その破片が落ちてきてるだけで」

「でも、綺麗だよ」

「そうかもな」

「お爺さん言ってたよね。今目の前にある幸せを見逃すのは勿体ないって」

 綺麗な空を見ながら、私はここ数日の事を思い出す。

 

 

 嫌な事も沢山あった。でも、楽しかった事も沢山あったと思う。

 

 

 

「私ね、隕石が落ちてきてくれて良かったよ」

「それは流石にどうなんだ?」

「だって、隕石が落ちて来なかったらこんな景色見られなかった」

「いや───」

「それに、隕石が落ちて来なかったら修と会ってない」

「青……」

「私は今、幸せだよ」

 流れ星は止む事なく、私達が寝るまで空は瞬き続けた。

 

 人類が滅びるまで、あと四日。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月28日(水)

 明日の事を考える。

 

 

「今日のお昼は干物だよ」

「ありがとう、青」

 料理は私の担当だ。その代わり、掃除は修がしてくれる。

 

「えへへ。なんだか新婚さんみたいだね」

「そうか?」

「そうだよ」

 食材を見て、私にも作れそうで食べられそうな物を選んだ。

 お肉とお魚は交互に食べよう。今日の夜はハムを使って、明日の朝は缶詰の鯖を開ければ良い。

 

 そうしてどの順番で食べようか考えていたら、明後日の事を考えて───

 

 

「三十一日の、いつだっけ」

「いつ、か。えーと、いつだっけ」

 その日は何となくダラダラと過ごして、寝る前に修にそんな事を聞いた。

 

「夜の十時、だったかな」

「十時かぁ。あ、待って、でも時計ない」

「そういえば、ないな」

 ここ数日時間を気にした事なかったのに。

 

 

「……ねぇ、修」

「どうかしたか?」

「今日は、寝袋なしで寝よ」

「ど、ど、ど、ど、どうした」

 顔を真っ赤にする修をベッドに連れて行って押し倒す。

 

「……怖い」

「……青」

「死んじゃうの、怖い。死んじゃう時に、修が一番近くに居ないと嫌だ」

「……分かった」

 修は優しく、私を抱いてくれた。

 

 

 

 怖い。怖くなった。

 あと三日だと思って、その瞬間がいつ来るのか分からなくなって、本当に怖くて怖くて。身体の震えが止まらない。

 

 でも、修が優しくしてくれる。怖くなくなった。身体は、熱くなる。

 

 

「……修、私……私ね、修が好きだよ」

 人類が滅びるまで、あと三日。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月29日(木)

 ずっと二人でいた。離れない。

 

 

 人類が滅びるまで、あと二日。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月30日(金)

 少し家を出る。私の我儘だった。

 

 

「───川遊び?」

「うん、また……最後に。修と遊びたい」

 明日、私達は死ぬ。

 

 だからそれまでに、絶対に忘れない思い出が欲しかった。

 

 

「えーい!」

 近くに川があって、私は水着に着替えて遊ぶ。

 修は服のままだったから、私が水を掛けたら襲い掛かってきた。

 

「待てこの馬鹿青!!」

「ひゃー」

 楽しい。

 

 こんな時間が、ずっと続けば良いのにって思う。

 

 

「遊んだー!」

「……つ、疲れた」

「修は体力がないなぁ」

「お前、どこにまだそんな体力が……くそ」

 倒れ込む修。日も暮れてきたし、着替えて帰らないと。

 

 茂みに置いてある荷物を取りに歩くと、ふとガサガサと音がした。

 

 

「───青!!」

「え?」

 音がする。

 

 

 

 熊がいた。

 

 

 

「───え、嫌」

 大きい。

 

 怖い。

 

 

「青ぉ!!」

 熊がゆっくりと近付いてくる、修が走ってくる。

 

「修!」

「───っ」

 私の前に立った修は、熊に体当たりされて地面を転がった。

 

 

「……い、嫌」

 川まで転がった修はそのまま動かなくて、川の水が真っ赤になっている。

 私が川に誘ったからだ。

 

 

 銃は? 銃があったら、熊だって。

 でも、銃はない。私が怖がったから修は銃を捨ててくれたし、お爺さんからも受け取ってない。

 

 

 全部私のせい。私のせいで、修が───

 

 

「修……」

 私はその場に崩れ落ちて、熊は目の前で立ち上がる。

 

 

 どうせ明日死ぬんだ。

 だったら───

 

 

「───っぁぁぁぁあああああ!!!」

 声が響く。

 身体中真っ赤にして、修が立ち上がった。熊はビックリしたのか、私に背中を向けて勢いよく走っていく。

 

 

「……助かった。……修!!」

 直ぐに修の元に走った。修は血だらけで、その場に座り込む。

 

 

「修!! 修!!」

「いってぇ……やべぇ、めちゃいてぇ」

「修、大丈夫? ねぇ!」

「大丈夫じゃない。死ぬ」

「嫌だ!! 修が死んだら嫌だ!! 嫌だ!!」

「うぉ、青……お、おい。嘘だって。冗談だって。大丈夫だから。な? ほら、生きてるから」

「うん! 修、修ぅ……。生きてる。生きてるよ」

「うん。生きよう。最後まで、諦めずに。生きよう」

 頭から血を出しながら、修は私の頭を撫でてくれた。

 

 ごめんなさいでも足りない。でも、生きていてくれて良かったと思う。ありがとうって、沢山思った。

 

 

「熊、背負い投げしようとしたんだよ。無理だった」

「修、バカじゃないの」

「ひっで。でもそうだよな、バカだ。柔道、役に立たなかったな。ははっ」

「そんな事ない。修、助けてくれたよ」

 怪我してる修の手を引いて、ゆっくりと小屋に戻る。明日は小屋に居ようと思った。二人で。

 

 

「修、怪我は?」

「血は止まったな。大丈夫だ」

「そっか。今日も一緒に寝よ」

「うん」

「修」

「なんだ」

「ありがとう」

「なんだよいきなり」

「助けてくれて」

「当たり前だろ」

「ずっと、助けてくれて」

「俺も、青に助けられたんだよ」

「修?」

「あの日、学校でお前に会えて良かった。青」

 人類が滅びるまで、あと一日。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 7月31日(土)

 今日、この世界は終わりを迎える。

 

 

 至って普通の朝だった。

 目玉焼きとハムとサラダ。朝ごはんを食べて、二人でなんでもない会話をする。

 

 なんでもない会話はお昼まで続いた。

 お昼ご飯を食べても、本当に何でもない会話をずっとする。

 

 

 多分私達は目を逸らしていた。

 今日、死ぬ事に。

 

 

 けど、太陽が一番高くまで登ってから降り始めて。

 私は「今日は早めにお風呂に入りたい」と提案して、会話は途切れる。

 

 無意識に、分かってはいたんだ。

 何をどうしたって、しょうがない事なんて。

 

 

 生きていたってしょうがない事なんて分かっていたし、それでも死にたくなかったんだと思う。

 違うかな。きっと、違うよ。

 

 私は、今この瞬間の為に生きてるんだ。

 

 

「お風呂、一緒に入ろ」

「狭いだろ」

「ギリギリ」

「いやいや」

「お願い」

「分かった」

 まだ日も沈んでないのに、お風呂に入る。

 

 

「そういや、お前ちょっと髪の毛プリンになってるぞ」

「うっそ。え、最悪じゃん」

「プリンチンゲ」

「本当に最悪なんだけど!」

 でも、夢に思うんだ。

 

 

「私ね、洋服屋さんになるのが夢なんだ」

「へー。俺の服でなんか着せ替えしてくれよ」

「良いよ。えーとね、これとこれで」

「待て、それは青の服だろ」

「似合うよきっと」

「女装じゃん!!」

「私は修の服着よっかなぁ」

 本当は隕石は地球に落ちて来なくて。

 

 

「お、知らない服だ」

「これが最後の着替え。どう? 可愛い?」

「可愛い」

「えへへ」

 明日も、明後日も、こうして修と一緒にいる。そんな未来があっても良いなって、そう思うんだ。

 

 中学で出会って、卒業した修に勉強を教えてもらって、同じ高校を目指す。

 高校生になったらバイトして、ポケベルをかって毎日修とお話をするんだ。そして、大人になったらまた一緒に暮らして、結婚する。子供を産んで、きっと私は幸せになる筈だ。

 

 

「ぎゅってして」

「うん」

 思うだけ。そんな未来はない。だって、隕石が衝突しなかったら修に会えてない。

 

 でも、同じ学校の先輩だったし。もしも、なんて思って私は首を横に振る。

 

 

 

 

 私は今だって幸せだよ。

 

 

 

 

「青……」

「空が……」

 夜。

 空が燃えていた。

 

 大量の流れ星。それに混じって、太陽よりも大きく見える光が空を覆い尽くす。夜なのに、その一瞬は昼よりも明るかった。

 

 

 黒いキャンパスを燃やしているかのような空。

 

 

 震える身体中を、修が優しく抱いてくれる。

 

 

 

「青、俺は幸せだった」

「私も」

「青が好きだ」

「私も───」

 光が、世界を包み込んだ。強く、修の熱だけを感じるように、彼と抱き合う。

 

 

 

 ───私も幸せだったよ。私も、修が好きだよ。

 

 

 私の初恋は、世界の終わりと一緒に終わった。

 

 

 

 

 これは、私の何でもない初恋のお話。



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