10話『芝の感覚』
「はぁあ~~~……疲れたぁ……」
外は薄暗くなりかけた時間。
寮部屋に戻ってきたセラフィナイトは、制服姿のままベッドに倒れこむ。
マットレスに沈み込む身体に、意識を奪われそうになっていると
薄手のシーツが掛けられた。
「……あぁ。ありがとう、ボタンちゃん。先戻ってたんだね」
「はい。先輩はゆっくりしてください。部屋の灯り消しますね」
そう言って電気を消し、勉強机に向かい合ったウマ娘は
セラフィナイトと同室で同チームの後輩、カルミアボタン。
手入れしても外向きに跳ねてしまう、赤い髪をしたボブベアー。
身体の大きなウマ娘としても有名な、ヒシアケボノに劣らない体躯。
しかし、体の割に物静かで、レースと同じくらい読書が好きと言う彼女は
積みあがった借本を手に取り、お手製のしおりを挟んだページを開く。
卓上のライトで続けるその習慣からか、落ちた視力は度数の高い眼鏡で矯正されていた。
「ごめんねぇ……。あ、でもまだ歯磨きしてないや……。お風呂もはい……ら……」
光度の低い部屋と疲労で、しなくてはならないことが意識の外へ消えていく。
薄れゆく意識の中、今日の出来事を思い返し……満足げな顔で眠りにつくセラフィナイトだった。
――数時間前。
「じゃあ、セラ。皆をお願いね」
「はい」
チームトレーニングに合流したセラフィナイト。
学期も変わり、チームにも新米が続々と参入した。
アルタイルの規定は、特に厳しくはなく。
来るもの拒まず、去る者追わずの姿勢。
昨年度、GⅠウマ娘を二人も排出した実績もあって
今年は特に多くの希望者が集まっていた。
そこで、トレーナーは一つの提案をする。
セラフィナイトに新入生の世話を任せる、というものだ。
もちろん、見るだけでなく
彼女自身がお手本となり、それに付いてきて貰うというもの。
本人のトレーニング代わりにもなるし
トレーナーは特に大事なレースが控えているウマ娘の世話に集中できるし、で一石二鳥なのである。
「じゃあ、まずはコースをぐるっと回ってみようか。
準備運動済んだら、スタート地点まで来てね」
「はい!」
そう言い残して、セラフィナイトは一人コースの方へ歩いていく。
(あぁ……この感じ……久しぶりだ)
一歩進むごとに、笑みが零れる。
芝を踏みしめた時に返ってくる蹄鉄越しの感触。
土の柔らかさと手入れされた、とてもよい芝生の状態に改めて感動する。
両方の足首と膝には、サポーターが巻かれていた。
本来は怪我をした右足のみで良いのだが、バランスがおかしくなる
とのことで、双方に装着している。
「だらしないわよ、セラフィナイトさん」
「そういうキングもね~。ラフィを見るなり、緩んでるよ。顔。」
「な!? 何言ってるのよ!? そんなわけないじゃない!」
練習着のキングヘイローとセイウンスカイが歩いてきた。
彼女らはトレーナー専属メニューをするので、別行動となっている。
ここに来たということは、心配でわざわざ見に来てくれたのだろう。
「えへへ。やっぱ、普通のシューズと感覚違うなぁ、って」
「喜ぶのはもっと後でしょ。レースで勝ってからにしなさい」
「うへ~。キングってば厳しいな~。
そりゃあ新人ちゃん達の指導係候補から外されるわけだよ。
私なら、三日で逃げ出しちゃう」
「ス、カ、イ、さん~~~?」
「あ、ホントに気にしてたの? ごっめ~ん☆」
「ふふ。キングちゃん、安田記念があるんだから、他の子の世話してる暇なんてないでしょ?
こういうのは、私の得意分野なんだから。安心して任せてよ」
誇らしげに胸元に拳を当てて、ふんぞり返るセラフィナイト。
「……得意?」
「……分野?」
「どうしたの、二人とも?」
だが、彼女を良く知る友人は、怪訝な顔つきになっていた。
「ラフィ、あのさ。わかってると思うけど、みんなまだコース走り慣れてないからね」
「自分のペースで走るのはやめなさいよ。
ブランクはあるんだから。無理しないようになさい」
「?? そんなのわかってるよ。大丈夫大丈夫!」
(絶対わかってない顔だな~コレ)
(やっぱり、最初ぐらいはトレーナーに見てもらう方が良かったんじゃないかしら)
二人が不安げに顔を見合わせる。
その後、予想通りの展開が繰り広げられていた。
――――。
「はっ……はっ……。あれ? そういえば……」
練習が始まり、少し時間が経った後のことだ。
ふと、セラフィナイトが後ろを見ると誰も居なかった。
(……あ! ま、まさか……私、やらかしてる!?)
足音がする、コースの向こう正面に目をやると
新顔たちが、ゆっくりと走っている。
わざとではない。
これでも必死に走っているのだ。
ただ、その気合に追従する体力がないだけ。
「ご、ごめんごめん! 久しぶりで夢中になっちゃった。
軽く流してるつもりだったんだけど……!」
慌てて戻り謝罪をする。
息も絶え絶えな新入生たちは、肩で息をしながら一様に同じことを思っていた。
(か、軽く流して……この速さ……? ウソでしょ……)
(トレーナーは、ケガで戦線離脱してた先輩だから
置いて行ったりしないでね、とか言ってたけど……)
(丸っきり逆じゃん……! これが、チーム・アルタイルのレベルなの……!?)
彼女らが驚くのも無理はない。
全速力ではないとはいえ、それなりに負荷をかけての速度。
にも拘わらず、既にコースは数周走っている。いま何㎞経過したのか、忘れるほど。
「あ、でもボタンちゃんはまだ元気そうだね」
額に汗がにじんでいるが、まだ平気そうに立っている子が一人。
後輩のカルミアボタンである。
色々と勉強したい、とのことで新入生に混じって参加していたのだ。
集団の最後方を、セラフィナイトとは別の形で引率する役割を担ってくれていた。
「いえ。これでも、そこそこ疲労は感じます」
(え? なんて?)
近くにいるウマ娘ですら、ほとんど聞こえない。
カルミアボタンは背が高いうえに、声量が非常に小さい。
さらには屋外ともなると、環境音で何も耳に届かないほどだ。
「またまたー。そんな顔して、実は結構余裕なんでしょ?
私なんて、ちょっと脇腹痛いし……」
「そのぐらいで済んでるなら、流石はセラフィナイト先輩です」
「あはは。褒めても何も出ないよ」
(な、なんでこのヒト、普通に会話できてるの……?)
わけがわからないことだらけで、新入生たちは遂に地面に腰を落とす。
「せ、先輩……やっぱちょっと……キツイです~!」
「む、無理ぃ~~!」
意地で言いたくなかった言葉を、ついぞ漏らしてしまった。
「あわわ!? ご、ごめんねぇー!」
慌ててタオルや飲み物を持って、コースから新入生たちを外す。
かつて、アップのランニングと言う名でよく友人らと走っていた。
だが、セラフィナイトは走ることが楽しくて、周りを置いて行けぼりにすることが多々あった。
並のウマ娘なら問題ないが、彼女のマイペースはかなりのハイペース。
ついていこうとして、潰れてしまうことはよく見かける光景だったのである。