「うーん……」
ストップウォッチを持つトレーナーは苦い顔で、息を切らせるセラフィナイトへ言った。
「やっぱ、タイムがどうにも上がってこないね」
「そう……ですか……」
全力で走っているはずだが、どうしても結果が伴わない。
たくさん筋トレもしたし、不安材料の足も特に問題はない。
全盛期と劣っている部分が見られないのに……。
(……原因はわかるんだけどな……)
トレーナーが下した視線の先には、セラフィナイトがずっと装着しているサポーターがあった。
一度痛めた靭帯は、修復しても再発率が当然存在する。
高くはないが、未然に防ぐためにも処置はした方が良い。
飽くまでサポーターは補助。ないと走れないわけではないが……
やはりどうしても、健康面に気を遣ってしまう。
無理に取るのはおすすめできない。
しかし、はっきりしているのは『それ』が、彼女本来の走りを阻害しているのだ。
再び走るようになる際に、もちろん相談はしたのだが。
サポーターなしで走るのは、まだ恐怖があるらしい。
「セラ、午後のトレーニングはやっぱり筋トレにしようか」
「え? でも、私まだ走れますよ」
「うん。わかってるよ。
でも、もう少しだけ重点的にトモの筋力を上げよう」
「……わかりました」
そろそろ本格的に夏へ入る。
併走トレーニングや模擬レースをしているが、いまいち結果も振るわない。
並のウマ娘としてなら、悪くない戦績を残して終わるだろう。
それぐらいの仕上がり。
ここ最近の"最強世代"の中では、確実に一歩、いやもっと劣る。
長距離であっても、得意としていないキングヘイローにすら負けるだろう。
(何かこう、きっかけがあれば……あるいは)
「トレーナーさん、あの。ちょっと練習メニューで相談したいことが」
悩みながらタブレットを弄っていると、所属チームのウマ娘が話しかけてきた。
この役割も、以前はセラフィナイトが肩代わりしてくれていたのだが……。
決めた以上は、文句も不満も言えまい。
「うん。どうしたの?」
情報の整理しきれない頭のまま、話を聞くことにした。
――――。
「ごーじゅう!」
脱力すると同時に、ウエイトマシンの重りが学舎のトレーニングルーム内に甲高い音を立てる。
トモを鍛えるためのメニューを、セラフィナイトは今日もきっちりこなした。
汗を拭い、クールダウンの念入りなストレッチの後に、練習着を着替えて制服へ。
トレーナーに言われた量を終わらせても、まだ日は高い。
チームの様子を見に行こうと思ったが、今日はこうして別メニューの日。
ターフに居ると、うずうずして走りだそうとするから、筋トレの日は来るな、と
トレーナーに釘を刺されている。
仕方なしに、今日のメニューが完了したことを報告。
最近遅めになりがちなトレーナーの返事を待たず、スマートフォンを鞄にしまった。
(何かしようかなぁ……)
この季節は寮の門限も遅めになるので、自由時間がとりやすい。
過剰なトレーニングは禁止されているので、他のことをしてみよう。
(今日は、散歩でもしようかな)
軽くデオドラント剤を使用し、気持ちをリセット。
学生鞄を肩にかけ直し、セラは学外へと歩き出した。
「あら、セラちゃん」
「グラスちゃん!」
校門付近で、ばったりとグラスワンダーと出会った。
服装を見るに、彼女もトレーニングを終えた後なのだろう。
「今日はもう帰りなの?」
「はい。ちょっと寄りたいところがあったので」
「へ~。どこ行くの?」
「ウマーバックスへ行こうかと思いまして~。
抹茶を使ったフラペチーノの新作が出たんですよ」
「夏なのに珍しいね。あ、私も行っていい?」
「ええ、ぜひ~」
にこにこ、ほんわりと笑う栗毛のウマ娘。
少し前、触れれば切れてしまいそうな闘志を放っていた人とは
同一人物に思えないほどのギャップだ。
「エルも誘ったんですけど、あの子ったら、
クリームと抹茶を混ぜるなんて絶対変デス! なんて言うんですよ」
「納豆にホットソースかける子がよく言うね~」
「ええ、ほんとに」
結露するプラスチックカップを片手に、二人は散歩を楽しむ。
日中の暑さも引いて、ちょうど良い気温だ。
目当ての物が購入できた喜びのまま、近くのベンチへ腰をかける。
グラスワンダーは、早速フタを開けてクリームをスプーンで掬い
小豆色の液体が掛かった部分を、少しだけフラペチーノに浸して口に入れた。
「ん~! 美味しい!」
「いつものより、ちょっとお抹茶が渋くて良いね」
「あんこのソースがまた合うんですよ~」
幸せそうに尻尾を振りながら、食を進めるグラスワンダー。
そんな顔につられて、セラフィナイトも笑顔になる。
「そういえば、スペちゃんは?」
「減量中だそうですよ。
本人は来る気だったんですが、トレーナーさんに止められてました」
「あはは。スペちゃん、たくさん食べるからなぁ」
「セイちゃんやキングちゃんは、どうしてますか?」
「今日は二人とも、まだトレーニング中。
私は別メニューだったから」
「そうですか。
……セラちゃん、調子はどうなんです?」
「う~ん……正直、イマイチかなぁ」
ズゴゴゴ、とストローがだらしない音を立てる。
空になった容器を持ったまま、セラフィナイトは空を仰いだ。
トレーナーの考えに沿って、ひたすら練習と筋力増加を図っている。
夏合宿で仕上げて、秋口からはレース。
本当にこれで良いのか。
このまま、進むことは出来るのか。
不安や焦りはあるのに、一向に拭えない違和感が更に状況を迷宮入りさせる。
「……」
そんな友の横顔を見ながら、グラスワンダーは思ったことを口にした。
「セラちゃん、今楽しいですか?」
「え? 楽しいって……そりゃもちろん、楽しいよ」
「本当に?」
「なぁに、グラスちゃん? 本心も本心だよ。
諦めようとしたけど、こうして今走れてるんだもん。
楽しいに決まってるよ」
「…………」
気持ちは伝わる。
嘘をついている様子もない。
セラフィナイトがレースのトレーニングを再開してから、3か月。
時折、その様子を同期の皆も覗いていた。
流した汗も、厳しいトレーニングで苦痛に歪む顔も、本当のもの。
勝ちたい気持ちも、ちゃんと胸に宿している。
(ああ、何となくわかったわ)
それは、最前線を走っている
トレーナーが早く気付くべきことなのだろうが……。
いや、気付いているのだが、中々手が回らなかったのかもしれない。
足りないならば補ってあげよう。
それが、グラスの優しさなのだから。
「セラちゃん」
「ん?」
「今度、私とレースをしませんか?」
ニコリと笑うグラスワンダーの笑みには、あの宝塚記念当日のような
ひりついた気配が漏れていた。