(別チームのウマ娘とレースなんて、いつ以来かなぁ……)
念入りなストレッチをしながら、横で和やかに身体を伸ばすグラスワンダーを見る。
先日、セラフィナイトは彼女から一つの提案を受けた。
「私と勝負しましょう、セラちゃん」
共に感覚を確かめ合い、ガッツを鍛える併走トレーニング。
提案されたのは、それとは違い真っ向から優劣を決する模擬レース。
独断では許可できないので、トレーナーに相談をすることにした。
話を聞いたトレーナーは、タブレットを手に持ったまま驚いたように尋ね返す。
「グラスちゃんと? どうしてまた」
「わからないです。お話してたら、突然言われて……」
「……」
宝塚記念の疲れもまだ抜けきってないはず。
これから夏に入り、グラスも合宿の時期。
秋のレースや年末に向けて、大事な調整をする期間だ。
無駄に疲れをため込むようなことを、わざわざ提案するウマ娘でもない。
だったら、何を目的として……。
タッチペンで唇を押し上げていたトレーナーは、そこで気付く。
多分これは、難しい話でもなんでもない。
打算も何もないのだ。
きっと、彼女は……。
「……受けようか、それ」
「え? あ、はい。わかりました」
気の抜けた顔で返事をするセラフィナイトに
少しだけ不安を覚えながらも、今日という日へ向けて共に練習してきた。
(今やれることはやった。……あとは、セラがそれを実感してくれれば良いんだけど)
「トレーナ~! なんかたくさん人集まってきちゃったけど大丈夫なの~?」
困ったように……いや、諦めたような顔でセイウンスカイがやってきた。
練習場のスタンドには、噂を聞きつけた人だかりが出来ていた。
「良いの良いの。観客の前で走る練習でもあるんだから」
みんなが注目するのも、当然ではある。
"最強世代"の筆頭格、グラスワンダー。
対するは、ここ最近の成績すら存在しない『元マネージャー』の肩書を持つウマ娘。
誰もが、何故こんな無謀なレースが組まれたのか理解できていない。
ただ一部を除いて。
「グラス……本当にやるんデスね」
困惑した表情で、エルコンドルパサーがコース上のウマ娘に視線を送る。
「……エルちゃん、グラスちゃんは今日のことをなにか言ってた?」
隣で真剣な顔をしながら、同じ方向へ目を向けているスペシャルウィークが尋ねた。
「特になにも言ってないデスよ。楽しみ、とは言ってましたが」
「……もしかして、なんだけど。
グラスちゃん、セラちゃんに勝ち癖をつけさせるために、この勝負を申し込んだとか……?
ほら、二人とも怪我から復帰したもの同士だし」
「……スペちゃんは、あのグラスの顔を見てもそう思いますか?」
遠く、スタート位置で準備を始めているグラスワンダーは
既に先ほどまでの、穏やかな空気を纏っていなかった。
先日、最終直線で競り合いの末に完全敗北を喫した。
レース前から異様な雰囲気を放っていた彼女は、ターフを駆けている時も変わらなかった。
ただただ、後ろから迫ってくる蹄鉄の足音が、裂帛の気迫と錯覚するほど。
背筋の凍るような感覚と同時に、気が付けば横に居て、背中を見ていた。
二着に敗したスペシャルウィーク当人が、宝塚記念で感じたことである。
その時ほどまで、研ぎ澄まされてはいないが……似た空気を漂わせているのだ。
「……本気、なんだね。グラスちゃん」
普段は優しく、気配りも出来る優等生な彼女のことだ。
自分にも他人にも厳しい。甘さなどあるはずもない。
今日は、真っ向から勝ちに行くつもりの面持ちだった。
「セラちゃん。改めて、今日はよろしくお願いします」
口元にしか存在しない笑みで、練習着姿のグラスワンダーが手を差し出す。
「うん。よろしく」
セラフィナイトも手を出して握る。
「距離は1800mですからね~。ちょうどコースを一周ですよ」
「大丈夫、わかってる」
模擬レースとはいえ、久しぶりの対外戦。
手から伝わる緊張に、グラスワンダーは声をかけない。
これは真剣勝負なのだから。
「お互い、全力でいきましょう」
「うん!」
手を放し、スタート位置に入る際
グラスワンダーはちらりと、対戦相手の足元を見た。
両足に装着されたサポーター。
……特に言うことは無い。
それが『現在地』であるなら。
理解させるだけ。
「二人とも、準備は良いわね」
くじで負けたキングヘイローがスターターを務めることとなった。
お互いの状態を確認すると、すぐに肯定が返ってくる。
手に持った旗を前に差し出すと同時に
前傾姿勢になったのを見定めてから……少し間を置き。
「よーい……スタート!」
振り上げの動作と掛け声。
芝の抉れる音と強い振動が二つ、ターフに鳴り響いた。