「くぅう! また負けた!!」
学園付近で行う階段ダッシュや坂路でのトレーニングで使用するのとは違う、ゴツゴツした土がむき出しの傾斜の厳しい坂。
よりバランス感覚と、筋力や根性の試される長い道のりを、ただただ駆け上がる練習。
炎天下の中、中長距離を目標レースに掲げているウマ娘たちが競い合うように走っていた。
「えへへ。この距離なら、流石にキングちゃんに負けてらんないよ」
爽やかな笑顔で勝ち誇るのは、金髪緑眼のウマ娘セラフィナイト。
夏用のトレーニングウェアと、シューズ。
ただ、それのみの格好でキングヘイローと競争をしていたのだ。
彼女の全力を抑えていた、補助器具はもうそこには無い。
「ふん! これはトレーニングなんだし、構わないわ。本番では、キングが勝つんだから!」
「うん。そうだね。楽しみ!」
「……あなたねえ。みんなにどれだけ心配かけたかわかってるの? この、この」
「ん~! ほっぺた突かないでよ、キングちゃ~ん!」
楽しそうに、仲間と笑いながら練習をする……当たり前の風景。
それが、あんまりに嬉しくて。
指導役のトレーナーは、たまに涙ぐんでしまう。
セラフィナイトが、再び本来の走り方を取り戻した日の夜。
トレーナーは、スペシャルウィークの宿を訪ねて、ただひたすらに感謝の意を述べた。
それだけでは気が済まないので、学園近辺で使えるお食事券や、近所で行われる夏祭りで使える屋台の金券
更には自分たちのホテルでのビュッフェに、いつでも参加できるように手回しをしたことを伝えた。
「そこまでしていただかなくても……」
遠慮と歓喜を隠しきれない笑顔を、トレーナーは丸ごと抱きしめて言う。
「それぐらい、嬉しいし有難いことなの」
「……いいえ。私だけの成果じゃないですよ」
「うん。そうだね。でも、それでも……ありがとう。スペちゃん」
「はい。……私たち、ターフで待ってますから」
そう、これはまだ頑張りの途中。
走れる場所までたどり着いた。
勝つための要因を手にした。
後は、勝利を掴み取るだけ。
GⅠレースで、彼女らよりも先にゴールするために。
また思い出して、泣きそうなトレーナーが声を張る。
「さー、午前中の折り返しだよー! 気合入れて走りなさーい!」
「もうやってまぁ~~す! あー! もぉー! あーーつーーいーー!!
室内トレーニングさせてよぉ~~~!!!」
ヘロヘロになっているセイウンスカイが、やけに厳しいトレーニングに抗議の意味を込めて叫んでいた。
「セラちゃぁ~~~ん!」
「な、なんですか?」
午後の練習に向かおうとした時だった。
今日は、練習施設が貸し切りで使えるので、涼しい環境で室内トレーニングが出来る。
それぞれが、自分に合ったメニューをこなす時間だ。
セラフィナイトも事前に貰っていたものを、実施しようとしたのだが。
やけに上機嫌なトレーナーが、甘えた声ですり寄ってきた。
「あなたはこっち」
「え? でも、午後は筋トレって書いて……」
「変更変更! スケジュールが思ったより前倒しになってくれたから。
先に、叩き込んでおきたいことがあるんだ」
「……?」
言われるがままに付いていく。
施設を出て、海の方へ歩くみたいだ。
「セラさー、耳が凄く良いでしょ。もっと活かせる武器に出来ないかなぁってずっと考えてたんだ」
道中、何をするかの説明をしながら進む。
「ゲートの開く音、事前に察知できたら最高のスタートが切れると思わない?」
「えぇ~。何言ってるんですか……」
そんなエスパーじゃあるまいし。
いくらウマ娘が常人とは異なる能力を持っているからと言って、出来ることと出来ないことがあるだろうに。
「そもそも、セラさ。スタートが早いのはどうして?」
「どうして、って……。うぅん。あんまり考えたことないですけど……
こう、ゲートが開くかな~って感じがわかるというか」
「そう。多分、元々出来てるんだよ。でも、今はまだ感覚の段階。
それを確実な技術に仕立て上げちゃおうかと」
気が付けば、海辺まで来ていた。
少し待っているように言いつけられると、トレーナーはとある店の中へ入っていく。
しばらくすると、ライフジャケットと鍵を持って出てきた。
レンタルボート屋の名前が書かれたキーを楽し気に振り回しながら、停泊所へ向かう。
「セラは浜辺の方に居てね。所定の位置に付いたら、電話するから。はい、これインカム」
「わかりました」
今から何が行われるのか、さっぱり理解できないセラフィナイト。
ウマ娘用の、骨伝導スピーカーのヘッドセットを装着し、スマホと連動させる。
トレーナーの方は慣れた動作で船に乗り込むと、それは上手な舵取りで沖の方へ向かっていった。
しばらくするとスマホが鳴ったので、通話アプリのボタンを押す。
「聞こえる~?」
「聞こえます」
「よし。じゃあ、これは?」
「え?」
何のことだろうと、ボートの上のトレーナーを見る。
スマホを向けて、何か操作をしているが全く聞こえない。
波の音、浜風や海鳥の泣き声。
そもそも、距離があるので音がこちらに到達しているかも疑わしい。
「なんなんですか、これ」
「ゲート音だよゲート音! 今鳴らしてるんだよー!」
「えぇ……」
困惑しながら、これのどこがトレーニングになるのだという疑問が真っ先に浮かぶ。
何度かタップの動作をして、聞こえるかどうかの確認をするが一片たりとも音は届いてこない。
耳を澄ましてみても、全然だ。
「トレーナー、いくらなんでも無理ですよぉ」
「あれ~? 本当に聞こえない? おかしいなぁ……。物凄くリアルな音にしてあるんだけど」
こんな騒音だらけの中、スマートフォンから発せられる小さな音が耳に入るわけがない。
素っ頓狂なトレーニングメニューを思いつくことに定評のあるトレーナーだが、今回は流石にただの失敗に終わりそうだ。
「この音ね、ちゃんとマスキングしてるんだよ」
「マスキング……?」
「うん。海辺って色々とうるさいでしょ?
環境音を相殺することで、必要な音だけ届けるようにしてるの。簡単に言うなら、ノイズキャンセリングってヤツね。
トレーニングになるように、完全にかき消してはないんだけど……波長が合ってなかったかな?」
「……」
どうやら、割と本気で考えているらしい。
明らかに無免許では乗れなさそうなボートを、当然のように操ってること。
知らない技術で、ゲート音を練習用に加工していること。
相も変わらず、謎だらけの女性だが……向き合う姿勢はいつだって本気だ。
「トレーナー、もう一度鳴らしてみてください」
「え? あ、うん。……はい」
「…………」
ダメだ。聞こえない。
自分の集中力が足りていないだけだろうか。
風が鬱陶しく、髪が顔面にぶつかってくる。
塩が混じっているうえに、今日は気温が高い。不快感は更に倍増だ。
でも。
こんな中、そんな小さな音を拾うことが出来たとしたならば……。
「不規則で良いんで。何度もやってください」
「うん。いくよ」
半信半疑だった声に、真剣みが帯びてくる。
感じ取ったトレーナーも、本腰を入れて操作をする。
「…………」
セラフィナイトは、目を閉じた。
なまじ視覚で、トレーナーの動きを見ようとするからいけないのだ。
必要なのは、音の情報だけ。
金属の軋む、一瞬の音。
バネの動き、金具の衝突するあの感じ。
イメージを作った。
今、自分がスターティングゲートに居るなら。
その音は、どう鳴るのだろう。
意識を体の奥に沈めていくにつれ、セラフィナイトは耳に当てていた手を下ろした。
それは自然な姿ではなかったから。
もっと、もっと。
波の音をかき分け、潮風を突き破り。
音を自ら拾いに行く。
細い糸を飛ばすように。
されどアンテナのように、幅広く気配を張り巡らせれば……。
――――カシャン。
「…………聞こえた!」
「え!? ホント!?」
自然音ではない、人工的な音。
荒波の中でも、わずかにそのスタートの合図は耳に届いた。
「もっかい! トレーナー!」
「うん! やっぱセラは凄いよ! これが出来たら、次は本物のゲートでやるからね!」
より難易度の高い状態から始めれば、短期間でも効果は絶大になる。
今の集中力を持ってすれば、ゲート内で音を聞き分けるぐらい余裕になるだろう。
他のウマ娘も見なくてはならないトレーナーが考えてくれた、圧縮トレーニングである。
(やっぱ、トレーナーを信じて正解だ)
何度も何度も繰り返す。
時には聞こえないこともあったが、日が赤色に染まる前にはほぼ8割ぐらいの成功率になってきた。
「よし。こんなところかな」
キリの良い所で切り上げ、再び陸へトレーナーが戻ってくる。
「成功率も十分だし、後は実機で反復練習だね」
「はい」
「アルタイルが全チーム最高のスタートを切れるようになるとしても
あなたは、その中でも最速を目指して欲しいんだ。逃げのセラにとっては、大きな武器になるし」
「そうですね」
「あー、そうそう。ゲートでの訓練から、ちょっとスタートの出だしも変化を加えるからね」
「出だしを?」
「うん。みんなはもう出来るんだけど……セラは、これを組み合わせればホントに最速になると思う」
「……?」
「合同練習でやってた『あれ』を、伝授するからね」
「……ああ、あれ。聞いてはいましたけど……やるんですね」
「うん、やっちゃう」
にやりと笑うトレーナーにつられて、セラフィナイトも同じように笑った。