【続いて、7枠7番】
秋の中山レース場に、拡声器越しの綺麗な声が響く。
オールカマー当日。
パドックでは、各ウマ娘のお披露目が行われていた。
【5番人気、セラフィナイト】
名を呼ばれたウマ娘は、一呼吸して気合を入れた。
体操服、ゼッケン、シューズ。
どれも、練習の時とは違う。
本物のレースで使う、この時の為の一張羅。
肩に乗せたジャージも、マントのようで軽やかに風を切る。
重厚なカーテンが開くと、光が一気に入り込んできた。
目の前に広がる、誰も居ない緑色の硬い道。
カツカツと蹄鉄を鳴らしながら進んでいく。
そして先頭付近まで進んでいくと、勢いよくジャージを脱ぎ去った。
大きな歓声……があがりはしなかった。
しかし、彼女をよく知る友人らは声援をあげてくれた。
「いいデスよセラちゃーーん! 気合十分デスねーーー!!」
「頑張ってー!」
「せんぱーい! 輝いてますよーー!」
だが当然、中にはこんな声も。
「誰、あのウマ娘? 初めて見た」
「新人……なわけないよな。デビュー遅れの子か?」
「セラフィナイト……。あ、あったあった。前回のレース、一年以上前じゃないか。しかも怪我が原因?」
ざわつく観衆も、喜びの応援も。
全部聞こえている彼女は受け止めて、なおのこと大きく胸を張る。
この中山レース場、2200mを走り終わった後。
あらゆる人々に、セラフィナイトの名を刻んでやるのだ、と。
「……!」
パドックで久しぶりのパフォーマンスを終えて、満足げに地下バ道を歩いていると
少し先に、カルミアボタンとトレーナーの姿があった。
「調子は良さそうだね」
「はい。好調です」
ボタンはやや腰を曲げ、トレーナーは耳に手を当てながら会話を続ける。
「今日走る子たち……先行策が多そうだよ。差しは一人だけかな。追込みは多分、あなただけね」
「問題ないです。私は、セラフィナイト先輩しか見ませんから」
「おやおや。まだセラが一番だなんて決まってないよ?」
「いえ、きっとそうなります」
「……そっか。うん。わたしもそう思う。
だったらペース配分、乱されないようにね。練習とは違って、多分メチャクチャな動きするよ、あの子」
「なおさら、楽しみです」
「あはは。その意気や良し! 一番人気の名に恥じない、力強い走りで一着取っておいで!」
「はい!」
遠くで見守っていたセラフィナイトは、会話が終わるのと同時に歩き出す。
全て耳に入っていた前提で、トレーナーは声をかけた。
「ようやく、だね」
「はい」
「緊張してる?」
「してないと言えば嘘になります。でも……それ以上に」
「ワクワクする?」
「はい」
かつての陰りのある彼女の表情からは、想像もつかない。
覇気を帯びた、強張った顔。
楽しさと嬉しさと、恐怖と不安が全部混じり合った、戦う者の整った表情。
「有馬記念に出るには、実績と人気の双方がないと、だからね。
出るレースは全部一番、なおかつ皆を魅了する。そんな展開を繰り広げないといけない」
「だったら、大丈夫ですね」
「言うね~。あ~、そのギラギラした感じ、久しぶりに見た! うんうん! 良いねぇ」
「トレーナー」
「うん?」
「私。早く、走りたいです」
「よし! 行ってこぉい!! みんなの度肝を抜いちゃえ!」
「はい!」
ハイタッチを交わし、光の下へ歩き出す。
久しぶりの練習場以外で歩くターフを踏みしめながら、ようやくセラフィナイトは
(……懐かしい景色だぁ)
観客席からではなく、コースの下から見える風景。
芝の香りと、他のウマ娘の放つ戦いへの気合。
GⅡのレースということもあり、客の入りも上々だ。
各々が声をかけたり、お気に入りのウマ娘へエールを届けたりして盛り上げている。
「セラフィナイト」
受け止められる感覚を満喫していると、背後から声をかけられた。
そこに居たのは、同期のウマ娘。
青い髪を後ろで束ね、キリっとした丸い金色の瞳を持つ彼女は、オルニット。
"最強世代"の栄光に埋もれてはいるが、重賞レース5勝という優秀な成績を持つウマ娘である。
「オルニットさん! 久しぶり!」
「今年の秋から復帰するって聞いてはいたけど、本当だったのね」
「うん。今日に向けて、たくさん練習してきたよ」
「楽しみにしてるわ。……でも、オーディエンスにとって、本命はどうやらあっちみたいだけど」
指をさした先には、赤い髪の眼鏡をかけたウマ娘。カルミアボタンが、軽いウォームアップをしていた。
客の声も、目線も、確かに彼女が一番大きく注目されている。
「皐月賞は3着、ダービーは2着。距離が延びるごとに、順位をあげている。
……なんで菊花賞の前に、オールカマーに出ることになったかは知らないけど。
要注意なのは間違いないわね、あなたの所の次期エースは」
一般的には、菊花賞の前哨戦ならセントライト記念を選ぶだろう。
普通と違うことをする以上、誰もが警戒をしている。
「うん。ボタンちゃんね、私と真剣勝負したいんだって」
笑顔でセラフィナイトは答える。
「はぁ? そんなことの為に?」
「本人が言ってたから間違いないよ。後のレース日程だと、合わせにくいみたいだし」
「そっか。チームメイト同士にも、色々あるのね。
……それにしても、あなた。良い顔に戻ったわ」
「ん?」
「マネージャーの時に、何回か姿を見かけてたけど。
楽しそうなのに……なんというか、寂しそうでもあったから」
「あはは……。見抜かれてた?」
「でも、今のあなたは故障前と同じ……ううん、それ以上。
今日、打ち勝つ相手としては申し分なしだわ」
「うん! でも、私も負けないよ!」
「ええ。良い勝負をしましょうね」
そう言い残すと、2番人気の差しウマ娘はゲートの方へと向かっていった。
遠く、セラフィナイトとカルミアボタンの目が合った。
普段はチームメイト。同室の、仲が良い先輩と後輩。
けれど、今日は競い合う敵同士。
お互い何かを伝えるかのように、数秒だけ視線を重ねると
意を決したように、それぞれ所定の位置へ足を進めるのであった。
「お、揃ってるねぇ皆さん」
応援と作戦会議を終えたトレーナーが、観客席の階段を上り切ると楽しそうに声をかけた。
そこに居るのは、セラフィナイトの同期たち。
ジュニア、クラシック、シニア級のレースを含めた、芝レースのGⅠウマ娘の称号を誰かしらが持っているすさまじい顔ぶれだった。
「トレーナーさん、あの。どうして、こんな上から応援なんですか?」
彼女らが居るのは、コースから離れた上部席。
大事な友人を応援するには、やや不適切な位置にも思える。
スペシャルウィークが心配するのも当然だった。
「わかりました! それぐらい、大きな声で応援しましょう、ってことデスね!?」
マスクが特徴のウマ娘の発言を、苦笑いでトレーナーは流す。
「それも嬉しいんだけど。どうせみんな、セラが気になってるでしょうから。
見せるなら、一番いい所で魅せてあげたくってね」
「見えなくはないですが……見えやすい、とは言い難いですね~……」
若干困った様子のグラスワンダーに、トレーナーは胸を張って答える。
「いいのいいの。レース始まったら下りていけばいいし。
とにかく、みんなにはとっておきの『打ち上げ花火』をご覧頂きたいんですよ!」
「打ち上げ花火……?」
何も聞かされていない三人のウマ娘は顔を見合わせる。
同チームのセイウンスカイとキングヘイローも、同じ動作をするが、その表情は「やれやれ」とでも言いたげなものであった。
【美しい青空が広がる中山レース場。ターフも絶好の良バ場になりました。
9人立ての本日のオールカマー。果たしてどのウマ娘が栄誉を掴むのでしょうか】
女性実況者の声が会場に響き渡る。
コースにはスターティングゲートが設置されており、各ウマ娘が自分のタイミングでゲートインを始めていた。
【本日の3番人気、ウェットバーニス。パドックでの様子は良さそうでしたね】
【2番人気、オルニット。昨年度の優勝ウマ娘でもあります。本日も期待できますね】
【そして注目の1番人気、カルミアボタン。
ダービーでは惜しくも2着でしたが、菊花賞に向けてぜひここは1着を狙って欲しい所】
【ダービーでの残り1ハロン。デッドヒートの末にハナ差でしたからね。
あの走りを見て、ファンが期待を寄せるのも頷けます】
静かになりつつある会場。
実況者と解説者の声だけが響いていく。
【そうそう。本日は珍しいウマ娘が参加していますね。7番、セラフィナイト。
5番人気のウマ娘ですが……前回のレースは一年以上も前になっております】
【完走はしましたが、レース中にケガをしてしまったウマ娘ですよね。
痛々しい姿を今でも覚えていますよ】
【ですが、それまでの戦績は全戦全勝。根強いファンのおかげか、5番人気ですからね】
【好走を期待しましょう】
【さあ、各ウマ娘ゲートイン完了したようです】
観客の声が止まった。
静寂だけが、巨大なレース場を支配している。
まだか、まだか。
スタートの体制を取ったウマ娘達が、焦るように、けれど集中を増してゲートが開かれるのを待っている。
――そして、その時が来た。
金属音が鳴り響き、一斉に開門が果たされる。
ウマ娘達が、それに応じてスタートを切った。
「え!?」
「な!?」
「はぁ!?」
【今ゲートが開かれました! 各ウマ娘、綺麗なスタートを……切ってない切っていない!】
スタートと同時に、凄まじい速度で飛び出したウマ娘が一人! ゼッケン番号7番、7番の!】
歓声があがるはずだった。
観客席のファンも、見ている友人も、ライバルも。
彼女のことを知らない誰もが、驚愕の声を出して、ただ一点を見つめている。
金色の髪を靡かせ、大きな歩幅でぐんぐんと後続を突き放す。
目を奪われないわけがない、異様な光景。
2200m中山レース場の、最初に立ちはだかる上り坂を軽々と登っていくウマ娘が一人。
【セラフィナイトだ! セラフィナイトが、一気に5バ身以上のリードを取ってスタートダッシュを決めました!】
どよめく周囲を見ながら、想定通りの反応を得られたトレーナーがしたり顔をする。
(よしよし。今日も完璧に使えたね、セラ。
あなただけの、究極のスタート……『
レース中は、後方のバ群の音だけを拾うようにしているセラフィナイト。
だが、今日は。
今だけは、少しだけ。
観客の声に傾聴することで、己の力量を確かめる。
そして、どよめきの内容を理解すると。