(凄い……信じられないハイペース。これが、本番でのセラフィナイト先輩……!)
シンガリの位置にいるカルミアボタン。
その大きな体が災いし、レースを始めた頃は、よく出だしに他のウマ娘とぶつかることがあった。
故にスタートが未だに得意ではなく、アルタイルの代名詞もあまり意味をなさない。
後方に付けて、レースをじっくり見定めてからロングスパートを仕掛けるのが、カルミアボタンの勝ち方。
展開が中盤に入ったころ、少しずつボタンは走るペースを上げていった。
それは、徐々に間を詰めて追い抜く算段ではなく。
車のギア比のように、徐々にトップへ持っていき最高速を生み出すための予備動作。
巨体も完全に温まり、自らの持つ強心臓と肺の状況を検めて。
得意のロングスパートを掛けることとした。
「始まった……!」
俯瞰しているセイウンスカイは、レース展開が動き始めたことに気付いた。
カルミアボタンが加速している。
大きな足取りに、力強さを込めて一歩進むごとに速度を増す。
ダービーの時にも見せた、彼女の恵まれたタフネスに物を言わせる長距離加速。
合宿で鍛えた能力が上乗せされ、高低差の激しい中山レース場であっても700mから仕掛けられるようになった。
(な……!? ぜ、全然離れていかない!? それどころか……!!)
すぐ前を走っていたオルニットは焦る。
こちらも全力を出すために、ギアを一段上げていた。
先行集団に詰め寄り、カーブで大外に入り一気に打ち抜かす作戦。
だったのに。
(付いていけない……!!)
その横を、歯牙にもかけない動作でカルミアボタンが駆け抜けていった。
地響きすら鳴っていそうな強烈な脚力に、畏怖を覚えつつ
懸命に追いすがるオルニットは、遂には置いていかれてしまった。
「え!?」
「うそ!?」
「無理ぃ~~!!」
ハイペースに惑わされないようしていたウマ娘たちは、悉く撫で斬られていく。
一人、また一人とその歩幅と無尽蔵とも思える体力から生み出される、驚異の加速についていけない。
あっという間に、前に居るのはセラフィナイトだけになった。
(ボタンちゃん、もう上がって来た! 模擬レースの時より、仕掛けるタイミングが全然早い!)
後ろに向けた耳が捉える轟音。
バ群を、こじ開けるような猛々しい脚取り。
最終コーナー直前、二人の距離はもう残り3バ身にまで近づいていた。
「うわわ! カルミアボタンさん、すっごい追い上げ方!
あっという間にセラちゃんの後ろに入っちゃった!」
「オルニットとほぼ同時に仕掛けたのに、とんでもない末脚デスね。
……というか、末脚と呼ぶにはちょっと距離が長すぎデスが」
「まるで戦車ですね~」
観客席が湧き始める。
途中まで完璧なレースメイクをしていた、セラフィナイトがあっという間に追い詰められている。
誰もが、このまま順当に逃げ切るのだと思った。
だが、赤いウマ娘の速度を見ると、期待を寄せてたファンの想いもよくわかる。
(爆発力だけを持つウマ娘はたくさんいる。
その中でも、ボタンは持続力まで備えているんだから……ホント逸材だよ。
セラがうちに勧誘してくれて良かったぁ)
大人しい性格と見た目からは想像もつかない、荒々しいスパート。
彼女がもし、"最強世代"と同期であれば名を連ねていたに違いないだろう。
「……でも」
同期の皆は知っている。
セラフィナイトは、逃げウマ娘。
スタートは最初から上手だった。
長い距離を走れる、特異な体質と技術を持っていた。
けれど、それだけじゃない。
それだけなら、少し速くて強いウマ娘だ。
彼女が、同期内で最強たらしめていた秘めたる力は……!
(セラフィナイト先輩……!)
金色の髪を持つウマ娘の背中が、捕捉範囲まで迫ってきた。
距離が近づくたびに、カルミアボタンの中に思いが溢れてくる。
それは、初めてセラフィナイトと会った時の記憶だった。
――――。
「初めまして。カルミアボタンです。本日からよろしくお願いします」
荷物を抱えて、私は丁寧にあいさつをした。
部屋で座って待っていたのは、足に頑丈そうな石膏を付けたウマ娘。
事前に聞いてはいたが、実際に見ると痛々しい。
レースのケガで、何かと落ち込んでいたり気分が沈んでいることだろう。
頑張って出してみても、聞こえにくいと悪い意味で評判の、私の声。
せめて、機嫌を損ねたりしないように出来るだけ、折り目高に接しなくては。
「初めまして、こんにちは! 私はセラフィナイト! カルミアボタンちゃんだね。よろしく~!」
松葉杖を手に取り、その先輩はゆっくりと立ち上がって手を差し出した。
屈託のない朗らかな笑顔に、良い雰囲気のウマ娘と同室になったと安堵したのを覚えている。
「ボタンちゃん、大きいね。身長いくつあるの?」
「183cmです」
「183!? ヒシアケボノさんより大きいんだ! 凄いね!」
「え? あ、そ、そうなんですね……」
「あ、この部屋去年まで先輩と使ってたんだけど。ドリームトロフィーリーグに行っちゃってね。
これがまたズボラな先輩でさ。荷物結構置きっぱなしでしょ? 勝手に処分して良いよ、って言ってたから好きにしちゃって!」
備え付けの机や椅子以外にも、勉強に使っていた道具やぬいぐるみなどの小物が散乱している。
自分の趣味にも合いそうにない。
「わかりました」
頷くと、先輩は緑色の目を輝かせて手を叩いた。
「そうだ! 入寮祝いに、何か食べに行こうよ。ボタンちゃん、好きな物は?」
「え? えっと……にんじん饅頭です」
「お、渋いねー。それなら、
「はい……。是非……」
生返事をしながら、ようやく違和感に気付いた。
今までにない、この感覚は何だろうと思いながら話していたが……。
「あの。セ、セラフィナイト先輩」
「ん? なぁに?」
「私の声、普通に聞こえるんですか……?」
「え? ……あ~、うん。
私、生まれつき耳が良いんだ。
ただ寝てる時におっきな音がすると、猫みたいにパーンと起きちゃうのが難点なんだけどね~」
「そう……ですか」
初めてだった。
常人よりも聴力に優れているウマ娘でも、中々一回では会話の成立しにくい自分の声。
当たり前のように話してくれるから、新鮮だった。
こんなウマ娘も居るんだ、と驚愕した。
トレセン学園は、選りすぐりのウマ娘しか入れないトレーニング施設。
もっとギラギラしていると思って、勝手に委縮していたが。
思いがけない初体験を、こんな早く届けてくれるだなんて。
「セラちゃん、やっほー。足はどう?」
「やっほー。まだまだ、これからだよ! リハビリ頑張るから、待っててね!」
「おや、新入生連れて楽しそうだね、セラフィナイト」
「はい、今からプチ歓迎会なんですよ! 先輩もどうです?」
「はは。また今度ね」
「絶対ですよ~?」
天性の明るさなのか、歩くウマ娘がどんどん声を掛けてくる。
図体だけなら、私の方が目立つのに、先輩の方がよっぽど注目されているようだ。
「人気者なんですね、先輩」
カフェテリアで、おすすめのにんじん饅頭を口にしながら言う。
パンケーキにたっぷり蜂蜜をかけながら、頬張る先輩は照れながら答えた。
「いやいや~。みんな素敵なウマ娘さんばっかりなんだよ。
トレセン学園って、ホントに良いところ! 来られてよかったね、ボタンちゃん!」
「はい。そうですね」
眩しい笑顔に反応しきれず、ぎこちない笑みで返すしかなかった。
それから。
先輩は、いつも私に気をかけてくれて。
引っ込み思案な性格も相まって、中々トレーナーが決まらない私へ
信頼できるトレーナーが居るから、とアルタイルにも誘ってくれた。
何も不安はなかった。
この人の言うことなら、何でも信じられると思えていたから。
元気いっぱいで、
でも。
クラシックロード、最後の菊花賞が終わった時。
遅くに寮部屋へ帰ってきた先輩が、声を殺して泣いていたのを私は知っている。
それからほどなく。
マネージャーへの転身を決めてしまった。
なんて声を掛けたらいいのか、全然わからなかった。
過去の戦績や映像を見て、その余りに圧倒的な走りに驚いた。
現在活躍している同期のウマ娘たちのことを考えれば、セラフィナイト先輩の立ち位置はすさまじいものになる。
なのに……もう走るのは諦めてしまうだなんて。
「じゃーん、見てみて。マネージャー用のジャージだって。どう?」
「ええ、似合ってますよ」
やせ我慢なのがわかるぐらい、無理に明るく振舞っているのが見て取れた。
自分は、この人に何かをしてあげられないのか。
悩んだけれど、口下手な私には手段や方法が思いつかなくて。
ずっとずっと、悔しかった。
落ち込んでいる中、それでも心配かけまいと精一杯のから元気を振舞っているこの人へ
自分がしてあげられるのは、不得手な笑みを浮かべることで、少しでも明るい雰囲気を損なわないようにするぐらい。
だから、新学期。
再び、レースに戻ってくると聞いて嬉しかった。
何も出来なかった自分に代わり、尽力してくれたトレーナーや先輩方には感謝しかない。……少しだけ嫉妬もしたが、それよりも。
尊敬する人と、戦えるようになれた事実に心が躍った。
(でも……だから……私は。走っている先輩に勝ちたい……!)
レースに出るのがワクワクしてたのは、あなただけじゃない。
ずっとずっと、あなたと走りたかった。
最速と名高いあなたに、打ち勝って……自分に自信をつけたかった。
だから、あえて同じレースを希望したんだ。
菊花賞で、今度こそ栄誉を得るために。
そして、
先輩たちと同じぐらい、
今度は私が、あなたの走る目標に、なってあげたいんだ……!!
「……はぁあああ!!」
(ボタンちゃん……!)
聞いたこともない、気合の叫びが後方から届いた。
セラフィナイトは一瞬驚く。
足音も近づいてくる。
この歩幅、この距離。
このままでは、いずれ追いつかれ……抜かされるだろう。
「……くっ!」
思わず、苦しい息が漏れた。
心臓が高鳴る。頭の中が焦りでいっぱいになる。
後輩が、とてつもない強さを持って追ってくる今の感情を、セラフィナイトはどうとらえるのか。
彼女の脳裏に、そんな窮地でいつも見ていた、不可思議なビジョンが浮かび上がった。