(……寝れない)
それは、明くる日にジャパンカップを控えた夜だった。
分厚い布団と毛布に包まれ温度も適温、同室の後輩がラベンダーの香りのする加湿器も付けてくれており、眠るには申し分のない環境。
それでも、目は冴えてしまう。
意識を落とすことに集中すればするほど、頭の中は覚醒していく。
(うー……緊張しちゃってるんだなぁ)
向かいのベッドで、静かに寝息を立てているカルミアボタン。
クラシックレース三冠を走ってきた彼女は、どんな気持ちでその前夜を迎えていたのだろう。
初めて出走する、グレード1のレース。
相対するのは、海外からも出走する有名なウマ娘に……同期のエルコンドルパサー。
絶対に負けたくない。
自らの評価を揺るがないものにするため、勝利は必須。
その気持ちは、明日のレースにぶつけるだけでいいのだが……。
セラフィナイトは、クラシック期間を全て棒に振っていたため、どうしてもGⅠへの思いが強くなってしまう。
寝なくては、パフォーマンスも十分に発揮できないというのに。
身体が言うことを聞いてくれない。
何度も何度も寝返りをうち、絶好のポジションを探すも、全然定まらず。
一度リセットする必要がありそうだ、と立ち上がった。
物音を立てないように、抜き足で歩き、上着を羽織ってから寮部屋の扉を開ける。
廊下の光が、カルミアボタンの顔に当たらないように注意を払ってから、セラフィナイトは外へ出ていった。
消灯時間よりも、かなり前に就寝準備をしたため、まだ寮内は明るかった。
談話スペースで会話をしている子もいるし、風呂上がりの子とすれ違いもした。
セラが向かったのは、共用の厨房。
温かいミルクでも飲んで、気持ちを静めようと思ったのだが……。
「あ。」
「ケ!?」
同じ行動をしようとしていた、覆面のウマ娘と入り口で鉢合ってしまった。
「……」
「……」
友人とはいえ明日、戦う者同士。
気まずい空気が流れるが、お互いやるべきことは果たしたい。
無言でエルコンドルパサーが一歩踏み出すと、負けじとセラフィナイトも歩みを進めた。
物言わぬまま、その静かな攻防が繰り返されると二人は目当てのものがある冷蔵庫の前に到着する。
競い合うように取っ手に手を伸ばし、扉を開けるが……都合の悪いことに、そこに牛乳は入っていなかった。
「……ぷ。くくく……。何やってるんでしょうね、エル達」
「あはは。ホントだね」
どうでもいいことで、無駄に体力と精神を消費してしまった。
あまりにもくだらなくて、思わず笑いが零れる。
緊張が緩んだところで、セラフィナイトは質問をした。
「エルちゃんも、眠れないの?」
「スィ。こういう時は、ホットミルクが一番なんデスが……」
彼女も、いくつもの重賞レースに出走している。
たくさんの強敵とも戦っている。
それでも、普段と違うのは。
目の前に居る、同期内で最速のウマ娘とようやく対峙できるから。
気持ちの入れ方は、どちらも同じのようだ。
「……セラちゃん、ちょっとだけエルと散歩しませんか?」
「え? 今から?」
「明日じゃ遅いデスよ?」
「私は別に良いけど……もう門限も過ぎちゃってるし」
こんな時間に、寮内を歩きながら話すつもりなのだろうか。
早寝のウマ娘に対して迷惑だろうし、何よりそんなところを寮長のヒシアマゾンに見つかればどうなることやら。
そんな疑問を浮かべるセラフィナイトに、エルコンドルパサーは小声で耳打ちする。
「実は、外に出られる場所があるんデス。こっそり行けば、絶対バレませんから」
「ええ~? でもぉ……」
色々と心配事がありすぎる。
明日のレース、体裁、ルール違反。判明しなければ問題ないが、逆を言えば判明するとどうなるか。
「セラちゃん。アタシ、セラちゃんとお話したいんデス」
「え?」
「……その……。あんまり、聞かれたくない内容でもあるので……。
できれば、人のいない所の方が良いかな~、って思って……」
珍しく しおらしい反応に少し驚く。
まるで、これから恋愛相談の一つでも受けてしまいそうな雰囲気。
ちょっとだけ、それが可笑しくて。
セラフィナイトは、好奇心に勝てず了承した。
――。
エルコンドルパサーに言われるがまま、後ろをついていく。
到着したのは、普段から使っている寮の階段。
目的の場所は、2階へ上がる裏の部屋。掃除道具などが閉まってある倉庫だ。
辺りを伺ってから、安全を確保。
隙を見て怪鳥は、戸を開けて入る。
追うようにセラフィナイトも入ると、エルコンドルパサーは暗闇の中でスマホのライトを頼りに、足元で何かをいじっていた。
金属の擦れる音が静かに鳴った後、冷たい空気が狭い室内に流れ込んでくる。
「さ、いきましょう」
セラフィナイトにしか聞こえない声量で、追従を促した。
屈んだ先にあったのはまさに秘密としか言えない、上手に切り取られた勝手口。
近くで見ると、かなり年季が入っている。
過去に、先輩たちが門限を破って戻ってくる際に使われたのだろうか。
「エルちゃん、よくあんな場所知ってたね」
「内緒デスよ」
声を殺して、窓の四角を進んで寮の敷地の外へ。
もう喋っても問題ない場所に移動が済んでから、セラフィナイトが称賛の声を浴びせる。
いたずらっぽく笑う、口元に持ってきたエルコンドルパサーの人差し指には武骨な鍵が握られていた。
勝手口の傍に置いてあった、錠前を開くためのものだろう。
誰もが利用できる、というわけではないらしい。
「レースで一緒に走った先輩から教えてもらったんデス。遅くまでトレーニングしたい時に使ってたんデスよ。美浦寮秘伝の抜け穴だそうデス!」
「へ~。知らなかった。グラスちゃんによくバレなかったね」
その言葉を聞くと、顔を逸らされた。
どうしたのだろうと首をかしげると、消え入りそうな声が聞こえてくる。
「多分、気付いてます……。消灯時間ギリギリに帰ってくるたび、次の日の朝、笑顔で指を一本ずつ立ててくるんデス……」
「ち、ちなみに……今は何本目?」
「二本デス……」
「……つまり……。仏の顔も三度まで、ってこと……?」
「お、おそらく……そうデス」
一度目は、遊びに夢中になったことによる失態。
二度目は、遠くまでプロレス観戦に行った際に、電車に乗り遅れたことによる不始末。
そして、今が三度目……。
既にグラスワンダーは寝ていたそうだが、もし途中で起きてしまったとしたら……。
「だ、大丈夫デス! なんかこう……適当に言いくるめまーす!」
「グラスちゃん相手に……?」
「……頑張りまーす……」
後悔が強めな言葉に、セラフィナイトも苦笑いをする。
行動する前に、ちゃんと確認しない猪突猛進な所も彼女らしい。
ただ、逆に言えば。
そこまでリスクを冒してでも、話したいことがあるということ。
すっかりしおれた耳をする友人に、セラは優しく言葉をかけてみる。
「何かあったら、私もちゃんと援護するから。気を落とさないで」
「セラちゃん……!」
気休めにしかならないかもしれないが、助力してくれる心遣いが嬉しかった。
エルコンドルパサーが頬を緩ませていると、本題を思い出したセラフィナイトが口を開く。
「それで、エルちゃん。お話って?」
「おっと、そうでしたね」
二人は、気が付けば人気のない公園まで来ていた。
冬の夜、トレセン学園にアクセスの近いこの場所は、夜になれば誰も居ない。
用がある人など皆無だろうから。
それがちょうど良いので、エルは園内へ入っていく。
かじかむ手を擦りながら白い息を吐いた先に、ブランコがあった。
サイドロープに手を掛けながら、後ろをついてくるセラフィナイトへ言う。
「アタシ セラちゃんの、強さの秘密が知りたいんデス」
「え?」
後ろを向いているので表情はわからなかったが
落ち着いた口調から、これが会話の本題であることが伺える。
しかし、理由を考えてみるどころか、そもそもその質問がおかしいとセラフィナイトは思う。
「私の強さって……?」
走りのことを言っているのだろうか。
身体的な構造の話にもなるし、トレーニングの話にもなる。
技術面なら、一応他言無用の専用技などもあるが……。お披露目自体はしている。
レースにおける、強弱についてならば今更エルコンドルパサーが聞きたい答えなんて
セラフィナイトはどこにも持っていなさそうだ。
「エルが知りたいのは、セラちゃんのレースへの姿勢デスよ」
緑色の瞳に、怪鳥……いや、エルコンドルパサーの弱弱しい表情が写った。
「不思議だったんデス。
セラちゃんは、どうしてあれだけ くじけても苦しんでも、這い上がってこれるんだろう、って」
絶対的な自信があったはず。
誰よりも速く、強く。楽しそうに走る姿を、ずっと見てきた。
共に走っても、いつも勝てなかった。
そんな絶頂の時に起こった、ウマ娘にとって致命的な怪我。
そこから長くつらい時期を乗り越え、ようやく踏み出した一歩。
でも、まだ壁はある。走り方が戻らない。
だけど、諦めなかった。
上手くいかなくても、懸命にもがいていた。
結果、見事にかつて以上の力をつけてターフに帰ってきた。
「アタシには、絶対出来なかったことだと思うんデス。
同じ立場だったら、きっと……諦めてました」
だから、理解できなくて……怖いのだ。
自分に出来ないことを、自分以外のヒトが達成している。
今日、こうして眠れなくなってしまったのも、それが原因。
「ねえ、セラちゃん。どうして、セラちゃんはそこまで強くなれたんデスか……?」
懇願するように問う友達へ、セラフィナイトは少し恥ずかしそうに答える。
「……エルちゃんが、それを『私の』強さだって思ってるなら。
きっと、勘違いだよ」
自分で強くなったわけじゃない。
強くしてもらっただけ。
「トレーナーに、キングちゃんに、グラスちゃんに、スペちゃんに。
スカイちゃんも居たから、私は今こうして走れてる。
エルちゃんみたいに、強い
たくさんの人が、手伝ってくれた。
たくさんの人が、応援してくれた。
たくさんの人が、支えてくれた。
泣いて叫んで、俯いて地べたを這いつくばる自分を
いつも、みんなが手を差し伸べて立ち上がらせてくれた。
「だからね。私は強くなんかないよ。
強い皆が居てくれるから、弱いままじゃいられないと思って。
一生懸命、付いていってるだけなんだ」
「……」
エルコンドルパサーは、ゆっくりと覆面を外した。
悔しそうに、
「やっぱり敵わないデスね、セラちゃんには」
力なく、ブランコに腰をかけて空を見上げた。
「エルちゃん……?」
「本当に強い人は、自分の弱さをちゃんと知っているんデス。
セラちゃんは、自分自身と向き合える力がある。
だから、それだけ強くなれたんデスね……」
対して、自分はどうなんだろう。
いつも、仮初の姿で戦って、仮初の姿で勝利して。
「アタシ、レース前はいっつもこうなっちゃうんデス。
特にGⅠタイトルが掛かってる日なんかは」
「……そう、なんだ」
「パパから貰った、最強無敵の証。このマスクがないと、アタシはまともに羽ばたくこともできない……」
大事な贈り物を、エルコンドルパサーは震える手で握りしめる。
「弱い……ウマ娘なんデス」
木枯らしが、一陣吹き抜けた。
自らを世界で最も強いウマ娘と豪語する姿とは程遠い。
飛んで行ってしまいそうな小さな背中。
聞いたこともない、そんな本音の吐露。
…………セラフィナイトは。
「よかった」
「え?」
そんな姿が、妙に嬉しくて笑った。
「エルちゃんの素顔、私初めてみたかも」
「……そうでしたっけ?」
同じ寮生なので、寝顔はまだしも風呂場で遭遇することぐらいはある。
流石のエルコンドルパサーも、浴室ではマスクを外すのだが。
「ううん、そうじゃなくて」
「?」
「エルちゃん、いつも元気一杯で強気だからさ。
そんなこと考えたり、悩んだりしてるだなんて思いもしなかったなぁ、って」
「……隠してましたからね」
本音をぶつけられる相手が居る。
自分の弱い所を、知ってくれる人がいる。
それだけ見れば、きっとセラフィナイトもエルコンドルパサーも。
何も違いはないのだ。
「私たち、似たもの同士だね」
「ケ? そ、そうデスか……?」
「エルちゃんのマスクと同じ。
私の足も、自分だけじゃ動かせなかったから」
今はつけていない、
一人じゃここまで来れなかった。
初めて走る、明日のGⅠ。
一年前の自分に言って聞かせても、きっと信じられないだろう。
……友達が、ライバルが、トレーナーが居たから。
「エルちゃんだって、マスクの下の自分も
"怪鳥"エルコンドルパサーの自分も。
ちゃんと上手に向き合えてると思うよ」
「……そう、かな……。」
「こうして、ウジウジ悩んでるのもエルちゃん。
高笑いして、自分を最強って豪語するのもエルちゃん。
全部ひっくるめて、エルコンドルパサーなんだから。それでいいんじゃないかな」
「セラちゃん……」
物憂げなエルコンドルパサーの前に、セラフィナイトが立つ。
「……私のことをそれでも『強い』って認めてくれているんだったら。」
月を背後に、ハッキリと告げた。
「私たちに、差なんて何もないよ。後は、レース結果で勝負をつけよう!」
(……ああ。ホントに、強くなったんデスね。セラちゃん)
不敵に笑う好敵手の姿を見て、エルコンドルパサーも決意を固める。
ブランコに座ったままだった状態から、軽く地面を蹴り、セラフィナイトが避けるのを確認。
反動を使って、もう一度強く大地を踏みしめ、振り子が最大限になった所で。
「とうっ!!」
勢いを利用して、空中へ飛び立つ。
くるくると身体を回転させながら、手にしたマスクを装着。
そして、甲高い音を立ててブランコの前にあった柵へ着地した。
「セラちゃん、明日の勝負! アタシが絶対に勝ちます!!
世代最強の名は、エルにこそふさわしい称号なんデスから!!」
突き出される拳に、セラフィナイトは答えるように拳を突き合わす。
「私だって、絶対負けないから!」
弱さを隠した二人は、互いに笑い合う。
緑と青の瞳に、陰りはもう無かった。