37話『それでも。』
「く……うぅう!!」
今、使える全身の力を込めてエルコンドルパサーは走る。
坂を上りきり、真っ向勝負の平坦なコースへ。
邪魔するものは何もない。
己の力と技術と精神と。それらが上回った者だけが勝利を得る。
後続のウマ娘たちも、猛烈な追い上げで迫ってきている。
だが、自分と前を走るウマ娘までは捉えられまい。
それほどまでに、圧倒的な力量差がある。
「……え?」
なのに。
残り1ハロン。
差は5バ身。
衰え無しの脚で、逃げ切られると思った。
認めたくないが、その差をあとどれだけ埋められるかに懸かっていると思った。
現実は、予想だにしない光景を映している。
ガクンとフォームを崩し、急激に失速するセラフィナイトに追いついてしまったから。
「……!!!」
声にならない声がトレーナーから発せられる。
一歩目で違和感はあった。
けれど、今日は重バ場だから。単に足を滑らせただけかもしれない。
だが、二歩目は明らかに違った。
軸足にも力が入らず、まともなスプリントフォームも作れていない。
明確な身体の故障。
「ラフィ、落ち着いて!!」
トップスピードから、急に停止すれば大事故になる。
特にセラフィナイトは逃げウマ娘。
先頭を走っていたがゆえに、後続者も多い。
そのまま転びでもしたら、目も当てられない惨劇が起こるだろう。
届くはずと信じて、セイウンスカイは珍しく大声を出した。
「……ッ!!」
身体を前傾姿勢にし、力の籠らない足を筋肉で固定。
頭を振りかぶり、歩幅の短い走法に切り替える。
突如届いた友人の声が、脳裏に浮かばせたアルタイル独特の走法。
どうにかゴール板を越えるが、順位は一番とは程遠いもの。
【エルコンドルパサー、1着でゴールイン!! 去年に引き続きジャパンカップを制しました!
2着はパルイーフ、3着は14番人気アライズスターという予期せぬ結果でした!
最終直線まで疾走していたセラフィナイトは、まさかの失速から12着でレースを終えております】
【セラフィナイト、大丈夫でしょうか。明らかに、異常を来した走りになっていましたが……。
ああ、やはり良くなさそうですね。いま、救急車が向かっていっております】
場内に響き渡る歓声と、嘆きの声。
普段の集音力が上手く発揮できず、無駄に拾ってしまう。
期待と失望を耳にしながら、埒に手を掛けて呼吸を整えようと手を伸ばすセラフィナイト。
だが、朦朧とする意識のせいでそこに手は届かず。
倒れこみそうになったのを、いつの間にか駆けつけていたキングヘイローが支えてくれた。
「…………セラちゃん……」
1着を取った喜びなんか感じる余裕もなく。
肩で息をしながら、汗まみれのマスクごしに呆然とその姿をエルコンドルパサーは見つめる。
称賛してくれる声に応えたいが、頭の中はそれどころではない。
何があったのか。
骨折? それとも怪我の再発?
現段階で判断できるのは、走行が不可なほどの故障が起こったことだけ。
救急車に乗る同伴者はキングヘイローのみで、トレーナーの姿は見えない。
観客席を見てみると、グラスワンダーとスペシャルウィークが不安げな表情で、下方に声をかけている。
ちょうど柵板に隠れて見えないが……。傍では、厳しい顔つきでセイウンスカイがスマホに話しかけていた。
レースを終えたばかりの自分に出来ることは何もない。
無力さと無念を胸に、エルコンドルパサーはウイナーズサークルへと向かっていく。
本来なら、勝利の喜びをファンの皆へ伝える楽しい場のはずなのに。
笑顔も碌に作れず、重々しい空気のインタビューとなってしまった。
――――――。
薄い雲と、澄んだ空。
昨日までの天気から一転して、晴れやかな景色だった。
風一つなく、枯れた木々は真っすぐ聳え、道行く人の口からは白い息が漏れている。
当たり前のように流れる、平穏な景色。
それを、窓越しに眺める一人のウマ娘が居た。
差し込む太陽光を反射させる金色の髪。健康的な白い肌は、その部屋には似つかわしくない。
相応に思えるのは、彼女の右足を包んでいる白い布ぐらいだろう。
ベッドに座ったまま、ぼんやりと外を見ているとノックが鳴った。
「どうぞ」
余所行きの声で答えると、ゆっくりとドアがスライドする。
力ない様子で入ってきたのは、チーム・アルタイルのトレーナーだった。
服装はいつものパンツスーツスタイルだが、髪は酷いものだった。
いつもキチンと手入れされた艶やかな黒髪を、綺麗にハーフアップにしているのだが
今日はボサボサ。化粧もまともにしておらず、目元の隈はくっきり浮かんだままだ。
「トレーナー、大丈夫ですか?」
立場のおかしい質問をしながら、病室の主……セラフィナイトが困ったように質問をした。
トレーナーは返事もせず、ヒールを鳴らしながらベッド傍の椅子に座る。
そして、うつろな目でじっとセラフィナイトの故障した足を眺めた。
「……」
「……」
沈黙が空間を満たす。
話したいことはたくさんあるのに、それが言葉にならない。
意志をくみ取り、セラフィナイトは黙って待つ。
時計の長針が何度か動いた後、ようやくトレーナーは言葉を口にした。
「……捻挫、だってね」
「はい。スカイちゃんと一緒。救急車で運ぶほどのケガじゃなかったから、なんか恥ずかしかったですよ」
「全治一か月って、お医者さんは言ってたよ」
「今日だって、検査入院ですから。有馬記念にだって、間に合いますよ!」
「………………ダメ!!」
笑顔で答えていたセラフィナイトに、突如声を荒げて反発する。
想像しない返事に目を丸くしていると、取り乱したことを謝罪しつつトレーナーは続ける。
「治療だけなら確かに、間に合うよ。でも……前と同じ所だったんだよ……。
以前のケガの時、言われたこと……覚えてるよね?」
再び同じように痛めれば、下手をすると歩くことも出来なくなる。
その危険性を孕んだまま、今日までセラフィナイトは走り続けてきた。
復帰してから、筋肉も以前より鍛えてきた。
骨や靭帯は鍛えられないから、そうやって強度を上げるしかない。
結果、確かにリスクは減ったのだろう。
普段のトレーニング、二度のレース本番でも問題なく走り切れたから。
だが、今回のジャパンカップでの出来事のように。
次、ならない可能性は否定できない。
「あの時、セラが故障したってわかって……わたし、何も出来なくなっちゃったんだ。
スカイとキングが、すぐ動いてくれて助かったんだけど……。
トレーナー失格だね」
慰めの言葉を発そうとするが、自分が起因ゆえに上手い台詞が思いつかず。
口を開いては、再び閉じてしまうセラフィナイト。
「……上からも、お叱り受けちゃってね」
「え?」
「スカイやセラみたいに、GⅠ級ウマ娘をこんな短期間で連続故障させるだなんて。
指導が過剰なんじゃないか、とか管理が甘すぎるだろう、って。
サブトレーナーも雇わず、一人でやるからそうなるんだとか」
「そんな……トレーナーは何も……!!」
環境が急変したのは今年度からだ。
メンバーも増え、他のチームからのマークも厳しくなり、アルタイルはより一層の強化が望まれた。
忙しくなり、確かに完璧に管理できているかと言われれば難しい状態。
だが逆を言えば、そんな状況になるほどの功績を挙げられたのは、他ならぬトレーナーが指導してくれたからだ。
サブトレーナーを雇わないのは、ウマ娘との関係性を第一にするため。
募集や面接はしているのだが、中々良い人材に恵まれないので、どうしようもないのだ。
少し前までは、とても頼りになる『マネージャー』が居てくれたから、上手に回せていたのだと痛感する。
とはいえ、忙しさが二人の故障の要因、とまでは言えないはず。
だがそれでも、URA側は大局的に視てそう判断したのだろう。
「次やらかしたら、謹慎処分になるかも……」
「……」
保身の意味で言っているわけじゃない。
トレーナーが居ないウマ娘は、レースに出られない。
自分の立場ではなく、チームメンバーのことを思うなら……無理は禁物だ。
一応、トレーナー起因の場合は特別措置があるので出走取消にはならないのだが……。
指導者不在のまま、万全の状態で走れるウマ娘は存在しない。
勝っても負けても、何かしらの遺恨は残るだろう。
「ごめんね。別にセラやスカイ、ううん。他のみんなは誰も悪くないんだよ。
……やっぱ、わたしには不相応だったのかなって……ちょっとヘコんじゃっただけで……」
「トレーナー……」
自分がどれだけ辛くても、忙しくても。
決して、落ち込んだ姿を見せずに明るい姿を見せていたトレーナーが、大きく肩を落としている。
……もし、本当に彼女だけのことを思うならば。
良い子らしく、優等生な振る舞いをすればいいだけだろう。
でも。
セラフィナイトは、どうしても果たしたい約束があるのだ。
「トレーナー」
「……なに?」
「ごめんなさい。それでも、私。有馬記念に出たいです」
「セラ……」
枕の傍にあったスマートフォンを手に取る。
操作を何度かした後、画面を見せながら言った。
「みんな、私に期待してくれてる。
ずっとずっと、待っててくれてたファンの人だって、こんなに居るんですよ」
それは、有馬記念の中間発表。
同期組5人はもちろんのこと、カルミアボタンやオルニット等の名も連なっている。
そして、一番上にあるのは……セラフィナイトの名前。
ジャパンカップから、まだ日も浅い。
一着のエルコンドルパサーが人気を掻っ攫っていくと思ったが……。
怪我の情報も当然流れている。
それでも……いや、だからこそ。
誰もが期待を寄せずにはいられないのだろう。
彼女が、ライバル達と走ったらどうなるのだろうか、と。
「前に言いましたよね。私たち、いつ走れなくなるかわからない、って」
セイウンスカイが足を痛めた時のことだ。
「今回、回避しちゃったら……。もしかしたら、永遠にチャンスが訪れないかもしれない。
スカイちゃんも、もう走れるみたいだし。
だったら、私がちょっと頑張れば……」
「頑張って、それで。セラがまた故障したら、どうするの?」
俯きながら、強めの語気で聞かれる。
わかっていたから。
用意していた答えを、セラフィナイトははっきりと告げた。
「その時は、この足と一緒に。私はターフを去ります」
「……絶対ダメ!!」
静かな病室に、怒号が飛んだ。
先ほどまでの落ち込んだ表情と違い、明確に憤慨している。
立ち上がった際に倒れた椅子も気にせず、トレーナーは続けた。
「走れなくなって、後悔するのはセラだよ!
誰よりも辛い思いをするのは、セラなんだよ!!
そんな危険があるのに『はい、わかりました』なんて、言えるわけないじゃない!!」
「……でも」
「でも、も、だけど、も聞かない。今度は、わたしがちゃんと言う!
セラフィナイト。有馬記念は回避しましょう!
足と一緒に心中だなんて、絶対許さないから!!」
涙目で懇願するその顔を、セラはしっかり見た。
「……お願い……だからさ……。無茶だけはしないでよ……」
誰よりも、自分のことよりも、ずっとウマ娘のことを第一に考えてくれているトレーナー。
忙しくても、辛くても。みんなを支えるために、身を粉にして働いてくれている。
絶対の信頼と、言動や行動から溢れる愛を感じずにいられない。
セラフィナイトにとって、最も大事な人。
そんな人からの、心からの願い。
尊重してあげたい。
裏切りたくない。
「……走れって言ったり。走るな、って言ったり。
みんな、ホントに勝手ですよね」
でも。
「トレーナー、私ね。前にケガしてからも、ずっと思ってたことがあるんです」
「……なに?」
「半年ぐらいだったけど。それでも……。
マネージャーの仕事、すっごく楽しかった」
かつて、決意を込めた時に言った言葉。
走ることも大好きだけど、支えることも大好き。
嘘偽りのない、彼女の本心。
「もし。もしもですけど。走れなくなったとしても……私、後悔はしませんよ。
だって、サポート役として生きる道も悪くないんじゃかな、って思えたから」
「……セラ」
「故障のしやすい私の身体。私のことは、私が一番よく知ってます。
だから、その為に。
私はあの時、マネージャーを選んだ。
また走るためでもありましたけど……別の生き方を知るためでもあったから」
遠くの空を見上げながら、セラフィナイトは言う。
「だから、お願いトレーナー。私を走らせて。
これで最後になっても良い。
走らないで後悔するより。走ってから後悔する方が、満足できるから」
彼女の本気の願いだった。
いつも、いつも。
こういう時、セラフィナイトは決まって泣く。
心が弱いから、上手く御しきれなくて。溢れた感情が涙になって零れていく。
でも、今は違った。
何度も挫け、転んできたセラフィナイトは
その緑色の瞳に、激しい闘志を込めている。
(……強くなったね……セラ)
走りだけではない。
レースへ対する思いが、最初のケガをした時よりずっとずっと強固になった。
尊重してあげたい。
この気持ちを、ターフの上で発揮させてあげたい。
だけど。
「トレーナーとしては……やっぱり、認められない」
「……」
言いながら。
ゆっくりと、胸元のバッジに手を掛ける。
「…………でも」
赤字の蹄鉄マークをした証を外し、握りしめた。
「わたし、セラのファン第一号だからさ。
有馬記念で、一番を取るところ。見たいな」
「トレーナー……!」
ハンカチで目元を拭いながら、セラフィナイトの頭を撫でる。
「……まずは怪我、治そうね」
「はい」
「絶対、ラストランなんかにさせない。
有馬記念の出走登録は、撤回しないでおくから
焦らず、ちゃんと戻ってこよう」
「はい!」
少しだけ、セラフィナイトの目も潤んでいた。