大きなカーテンを開けて、朝日を浴びた。
昨日は暗くて、見えにくかった街並みが照らし出されている。
高い所には あまり来ることはないので、見慣れない景色に少し心が躍った。
「セラ。おはよう。よく眠れた?」
先に起きていたトレーナーが、背中越しに声を掛ける。
パジャマの上からエプロンを付けた姿が珍しくて、セラフィナイトは普段より一層笑顔になった。
「おはようございます。はい、ぐっすり眠れました!」
「よかった。ごはん、もうすぐ出来るから。顔洗ったら、リビングへおいで」
「はい!」
凛々しい顔つきと、はきはきした返事。
いつもの話し方に戻っていることに、ちょっぴり残念な気持ちになりながら
トレーナーは、普段使わないキッチンへ鼻歌交じりで戻っていった。
――――。
中山レース場。
今日行われるレースの名は『有馬記念』。
国内のみならず、海外においても人気な年末のグランプリレース。
今年の成績、それを加味したファンからの投票で選出されなければ、戦いの場に立つことすら、まずできない。
一年の総決算ともいわれる、ウマ娘達にとって特別なレース。
会場入りの時点で、お客さんの数は予想をはるかに超えていた。
トゥインクル・シリーズに興味がない人でも、きっと今日だけは足を運んでくれたりしているのだろうか。
騒めく観衆達の声の届かない控室。
人気投票1位のウマ娘、セラフィナイトはじっと勝負服の自分を見ていた。
「……」
鏡に映る顔を眺める。
金色の髪と白髪の輪、銀の耳飾りについた鉱石のアクセサリー。丸い眼と緑の瞳。
いつもと変わらない、
驚くほど自分でも、落ち着いているのがわかる。
今日のこの時を、ずっとずっと待ち望んでいた。
芝のレース、クラシックシニア含めGⅠを根こそぎ制覇している同期。
いつの間にか呼ばれるようになった"最強世代"という賛称。
でも、自分たちはいつもその名に満足していなかった。
誰もが思っているのは、その中で一番強いのは誰なのか。
それだけだった。
(……もしかして、逆なのかな)
己と向き合ってみても、不思議なぐらい感情が動かない。
これはひょっとして、落ち着いているんじゃないくて……
高ぶりすぎて、興奮を通り越しているのかもしれない。
あるいは、嵐の前の静けさなのだろうか。
時計を見ると、パドックへ向かう時間だった。
やっぱり、平常心ではない。さっき見た時は、まだ30分以上は余裕があった。
そんな長い時間、鏡を見ていたなんて普通ではまずありえないこと。
深く息を吐き、セラフィナイトは勝負服のマフラーを手に取る。
首に巻き付け、大きく深呼吸をすると、部屋の扉から規則的な音が鳴った。
「はい」
「セラ、わたし」
「トレーナー!」
急いでドアを開ける。
そこに居たのは、いつもと変わらないスーツスタイルのトレーナー。
今朝は一緒に出てきたから、見慣れたものである。
「……緊張してるね」
「……どうなんでしょう。妙に落ち着いてるんですが……あはは」
おどけた様に笑うが、それも取り繕ったものと一目でわかる。
緊張しないわけがないのだ。
多分、今まで走ってきたどのレースよりも気持ちが入っている。
真剣勝負の場に慣れてきたセラフィナイトでも、今日ばかりは向き合い方がわからないのだろう。
「キングとスカイ、今話してきたけど……二人とも気合十分だったよ。
やっぱ、あの子らは場数が違うね」
「そう、ですか」
普段は、地下バ道で打ち合わせを行うのが習わしのチーム《アルタイル》
今回のレースは、同チーム者が多いためそれをすると邪魔になるだろうから、とそれぞれの控室を回ることにしている。
同期の二人の名を聞いて、セラフィナイトの顔が強張る。
本人の中には、負けたくない気持ちと、今まで友達と過ごしてきた楽しい思い出。
ライバルとしての、混濁した思いがせめぎ合っていることだ。
「セラ」
「はい」
それを整えるのがトレーナーの仕事。
銀の耳飾りについた、鉱石のピアスへ手を伸ばしながら言う。
「セラは、何のために走るの?」
「……私は、誰よりも速いことを……同期のみんなの中で、一番強いことを証明したくて……」
「そうだっけ?」
「え?」
間違ったことを言ったつもりはない。
思ったままの本心をぶつけたが、耳のアクセサリーを弄り続けるトレーナーの顔は、微笑んだまま変わらない。
答えを待っているようだが、他に何が……。
「それも大事だけどさ。
あなたには、もっとシンプルな答えがあるんじゃないかな~?」
「……あ。そうでした」
セラフィナイトの表情が変わると、トレーナーが納得したように飾りから手を離す。
「トレーナー」
「うん」
「私、今日のレースを楽しんできます! 一番先頭で!」
「よし! その意気だ!」
はやる気持ちが抑えられないのか、やや慌てた様子で部屋の外へ向かい出すセラフィナイト。
ドアノブに手をかけると、何かに気付いたようにピタリと止まり。
そのままの態勢で振り返りつつ、頬を染めた笑顔で言った。
「いってくるね、おねえちゃん!」
「いってらっしゃい、セラ。」
負けじと笑って見送るトレーナー。
扉が閉まり一人残された部屋で、彼女はただただ願う。
(……無事で帰ってきてね)
一着であることを願わないわけではない。
ただ、それでも。
一番に願うのは、彼女が先ほどと同じ笑顔で戻ってくることであった。
――――。
【続きまして、6番人気 8枠15番 キングヘイロー】
【クラシックレースでは、同世代の誰にも勝てなかった彼女ですが……
高松宮記念、スプリンターズステークスと短距離路線に照準を向けてから、GⅠウマ娘としての才を開花させております。先月行われたマイルチャンピオンシップも制覇し、まさかの年内GⅠ3勝ですから、驚きですね】
【短い距離でのみ発揮される末脚を、この中山レース場2500mでどう使ってくるのか。注目したいところです】
【5番人気 1枠2番 セイウンスカイ】
【菊花賞から約一年、長い間GⅠ勝利から遠ざかっていた彼女が、天皇賞秋を制した記憶はまだ新しいですね】
【普段は逃げの作戦で走る彼女が、まさかの差し切り勝ちという珍しい展開でした。ただ、その後怪我をしてしまって、しばらくレースから離れていたのがこの人気というわけでしょうか】
【果たして、今日はどのような走りで会場を魅了するのか。楽しみです】
【4番人気 3枠5番 スペシャルウィーク】
【春の天皇賞では、圧倒的なレース展開でした。秋の天皇賞では、先ほど紹介したセイウンスカイに惜しくも敗れましたが、長距離においては無類の強さを誇る彼女です。天皇賞の連覇、春シニア三冠とあと一歩で大記録に及ばない戦績が続いてしまいましたが……ダービーウマ娘の名に恥じない実力者なのは間違いありません】
【中山レース場は起伏が激しく、スタミナが重要視されますから。今回のレースは期待ができますよ】
【3番人気 4枠8番 グラスワンダー】
【去年の有馬記念覇者が、3番人気とは驚きですね】
【今年は宝塚記念、ヴィクトリアマイル、エリザベス女王杯とGⅠ勝利数は今回の出走ウマ娘の中でも、キングヘイローとタイ記録です。
"栗毛の怪物"に相応しい実力者と言えますね。特に勢いに乗った時のスペシャルウィークを差し切った宝塚記念は、まさに向かう所敵なしでした。
グランプリレース3連覇の偉業をこの目で見たいものです】
【2番人気 4枠7番 エルコンドルパサー】
【ジャパンカップ2連覇は伊達ではありませんね。
昨年の有馬記念は、体調が優れず見送っていましたが。
出ていれば、グラスワンダーにも劣っていなかったと思いますよ】
【安田記念で当たっていても、彼女が制覇したであろうとも言われております。
それだけ、期待と実力が備わったウマ娘なのでしょう。
今日も調子は良さそうです。好走を期待しましょう】
そして。
【1番人気 1枠1番 セラフィナイト】
【今日の主役は何といっても、セラフィナイトでしょう。
圧倒的速度、衰えない末脚、類を見ないスタートダッシュ。
見る者を魅了する、圧巻の存在感を放つウマ娘です】
【2番人気以下が、ほぼGⅠウマ娘の中で、この子のみが未だに未勝利。
それにも関わらず、1番人気なのはやはり、先述のエルコンドルパサーとの対決によるものでしょうか】
【結果的にレース中に足を痛めて12着でしたが……実力を考慮すれば、当然の人気でしょう】
【何より今回の有馬記念出走のウマ娘たちは、16人のうち7名が同世代という珍しいケースです。初の直接対決でもありますから、誰がどのようにして勝利するのか……。
この中山レース場に押し掛けた、過去最高数のファンがその結果に期待を寄せていることでしょう】
パドックでのお披露目が終わり、セラフィナイトは一歩ずつ本バ場へと向かう。
その途中。
前を塞ぐ、5人のウマ娘が居るのに気付いた。
"最強世代"を最強たらしめている、優駿たち。
プライベートの仲も良く、遊んだり学んだり偶に喧嘩もしあう、とても良い関係の友達。
でも、今日は。
いや、レースにおいての彼女らは全く違う。
みんなのことをよく知っているからこそ。
本能に強く従いたくなる。
誰よりも、速く、強くありたい、と。
「……せっかくだからさ、本バ場まで行こうよ」
ヒリつく雰囲気の中、セラフィナイトが言う。
口を開けば、熱い宣戦布告を始め合いそうだったので。
それは、今日この場を作ってくれたファンの方々にも見てもらうべきだ。
そう思い、"最強"のウマ娘は皆を先導した。
音圧で地面が割れてしまいそうだった。
最も注目を集めている、6人のウマ娘が同時に本バ場入りしたからだ。
己の応援するウマ娘の名を、それぞれが一斉に叫んでいる。
重なり合った声は、識別不可能なほど絡み合い、音波のみがコースへ叩きつけられていた。
ただ、それでも一人だけ。
自分の名を呼んでくれているファンへ、正確に手を振るウマ娘が居た。
「……さて」
サービスを終え満足げな顔をした、そのウマ娘……セラフィナイト。
同期5名と共に、輪になってから口を開いた。
「スペちゃん。エルちゃん。グラスちゃん。キングちゃん。スカイちゃん。」
一人一人の名前を呼びながら、目を合わせていく。
「待たせちゃってごめんね」
他の子が険しい顔をする中、スペシャルウィークだけが優しい顔で首を横に振る。
「たくさんたくさん、今日のことで話したいことがあるんだ。
でも、それは今じゃないと思う。レースが終わったら、いっぱい喋ろう」
セラフィナイトは、右足を見た。
「強くなった皆と、今の私。どれぐらいの差があるかはわからない。
足は完治してるけど、100%完璧な調整が出来たとは言えないかも。
……でも。」
一呼吸置き、しっかり前を見据えて言った。
「それでも……今日は、私が勝つ」
丸くて大きな緑の目が、鋭く熱く燃えていた。
眼光がまるで残像のように流れる。
セラフィナイトは、いつだって。
宣戦布告をするときは『負けない』と言っていた。
それは、彼女の中の無意識な
だが、今日この瞬間だけは。
自分こそが最強だと証明すべく。
甘さも優しさも全て無くし、貪欲に勝利を掴み取る。
そんな意志が見て取れた。
「ブエノ! やっぱり、セラちゃんと一緒に走れるのは、最高の楽しみデス」
満足そうな笑みで、腕を組み去っていくエルコンドルパサー。
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
険しい顔のグラスワンダーは、そう言い残すと背を向けて歩いていった。
「……え、えっと……。わ、私も! 今日は負けないから!」
上手く言葉が出ないスペシャルウィークを、微笑まし気に見送る。
「最強はこのキング! 今日こそは、それを証明してみせるわ。
他でもない、あなたにね。セラフィナイトさん」
強い言葉に頷くと、キングヘイローも自分の持ち場へ戻る。
「みんな熱血だねぇ。私は今日もゆる~くいくから。よろしくね、ラフィ」
腕を頭の後ろで組み、踵を返すセイウンスカイ。
セラフィナイトは、その緩さの奥にある闘志をしっかり受け取ってた。
全員が、溢れる戦いへの意志を露にしている。
応えたい。
待ち望んだ決着の答えを、違わず果たしたい。
セラフィナイトも高鳴る心臓を感じつつ、自分の枠……1枠へと歩いていった。
「あなたの先輩たち、凄い気合ね」
遠く、眺めている長身のウマ娘カルミアボタンへ、一人のウマ娘が声を掛けた。
黄色いとんがり帽子を首の後ろにさげ、薄い青色をしたローブのような勝負服を纏うオルニットだった。
小さい声を拾おうと、耳を手に当てながら返事を待っている。
「……話しかけられる雰囲気じゃありませんでした」
「あの子らは、私たちの中でもちょっと特別だからね。でも、勝負は勝負だから。
頑張りましょう。負けるつもりなんて、考えてないんでしょ?」
「はい。もちろんです。お気遣いありがとうございます」
優しく背中を叩かれ、二人ともゲートへ向かっていく。
会場のボルテージは最高潮に達し始めていた。
……心臓の鼓動が聞こえる。
天華一閃の為に集中しているから、音に敏感になっているのだろう。
外の音は取捨選択できるが、内側の音だけはどうしようもできない。
普段と違う雰囲気の中、既に出走の準備は終わっていた。
今はもうスターティングゲートが開くのを待つのみ。
あとどれぐらいだろう。
今日、この日で全てが決まる。
150秒に満たない、刹那に思える時間で優劣が決定されるのだ。
有馬記念を勝ったから、誰よりも強いと証明できるわけではないが。
こんな機会はもしかすると、もう訪れないかもしれない。
漠然とした不安がある中での、ライバル達全員揃っての勝負。
(……必ず勝つ)
強い思いを心の真ん中に引き落とし、セラフィナイトの覚悟が定まる。
静寂が止まった。
機械の駆動音が耳に届いてきたのだ。
誰にも聞こえない、自分だけの聴覚領域。
タイミングを計り、少しずつ身体を前傾姿勢に持っていく。
そして。
遂に、ゲートが開かれた。
【さあ、スタートしました! 今日もセラフィナイトが先頭を奪って……え?】
「!?」
「えっ!?」
「なにぃ!?」
何かを失敗したとか、何か大きな事故が起こったとか。
そんなどよめきではない。
セラフィナイトが唯一可能にする、超高速スタート『天華一閃』
天性に左右される技術ゆえ、模倣は不可能。
だが。
【セイウンスカイ!! セイウンスカイが、セラフィナイトとほぼ同時にスタートを切って並んでいるぞぉ!!!】
開始数秒の間に、必ずハナを奪う究極の技に付いていく葦毛のウマ娘。
同チーム、同世代のライバルの一人。
セイウンスカイが、セラフィナイトの真横に並び走り出していたのだ。
(当然、今日の為に調整してきたんだから。ちょっとは驚いてくれなきゃ困るよ)
(流石スカイちゃん! いつもそうやって私をワクワクさせてくれるね)
目を見開きながら困惑しつつも、笑うセラフィナイト。
セイウンスカイも、その表情を見て不敵に笑う。
最強世代決定戦と称される、年末大一番のレースは誰もが予想だにしない形で始まった。