日本一のウマ娘って、何なんだろう。
トレセン学園に入る前、お母ちゃんに『なってくる』と約束したけれど
漠然としたその言葉に、中々たどり着くことが出来なかった。
栄えあるクラシックレース。
中でも、一際人気のある日本ダービー。
私は一着を取って、ダービーウマ娘の一員になれた。
重賞レースの中でも、たった一度しか挑めない。
更に、ダービーを取った者は年間王者と言われるほど特別なもの。
ゴール板を抜けた時の、あの大歓声は忘れられない。
みんなが私のことを、笑顔で褒め称えてくれていて
優勝トロフィーを手にした重さは、その記憶を強く刻んでくれている。
これが日本一になることなのかな、って思えたほど。
……でも。
同じくらい忘れられないものを、あの日見た。
観客席で、みんなと同じぐらいの笑顔と声で「おめでとう」を言ってくれた。
セラちゃんの、ちょっとだけ見せた悲しそうな表情。
そうだ。そうだよね。
模擬レースをやっても、一度だって私はあなたに勝てたことがない。
練習で測ったタイムも、一度だって抜かせたことがない。
ケガで走れないだけで、レースで勝てる自信なんて……なかった。
実際に一度だけ走った、ジュニア級での勝負でも歯が立たなかった。
そんな凄いウマ娘が居るのに、日本一……?
本当に強いヒトを差し置いて、口にして良いものではない。
いつの間にか、私は癖のように言っていた『目標』を胸の奥に隠してしまっていた。
(だから今、こうして。また一緒にセラちゃんと……
セイウンスカイとの競り合いを見届けた後、スペシャルウィークは弾かれるように飛び出した。
二人がどのような結果を出そうと、次の瞬間には仕掛けると決めていたから。
(でも、スペちゃんにしてはちょっと早いね)
普段の傾向と違うことを、セラフィナイトは理解していた。
先行、差し。
どちらの作戦で走ろうと、スペシャルウィークはレースの後半からスパートをかける。
今の位置は、まだホームストレッチに入る最初の直線だ。
ここで優位に立ち、どのようなレース展開をするつもりなのだろう。
(難しいことはわからない。今、ハナに立って何が出来るかなんて、全然考えてない)
だけど。
(セラちゃんに、一度だって良い。私の背中を見せたい!
絶対に先頭を奪わせないあなたを、追い抜かしたい!)
険しい顔でスペシャルウィークは走っていく。
タフさが売りの彼女でも、流石に後半ではガス欠を起こしそうなダッシュだ。
(最高の舞台、全力を出せるセラちゃんに、私だって勝ってみたい!)
その時こそ、胸を張って言うんだ。
(日本一のウマ娘になる、って!)
スタンドの歓声が大きく湧き上がる。
坂を上る直線を、セラフィナイトが駆けていく。
追うように、スペシャルウィークもついていく。
ダービーを制覇した時に習得した、歩幅の短いピッチ走法で必死に食らいつく。
苦しそうに前を走るセイウンスカイを躱し、翼がたなびく背を見据えた。
(長距離のレースについて私とスペちゃん、よく比較されてたよね)
地力の勝負で、果たしてどちらが強いのか。
後半になっても足の衰えないスペシャルウィークか。
独特の走りで、スタミナを維持するセラフィナイトか。
セイウンスカイやキングヘイローも注目されていたが、長距離枠になると
二人の方に軍配があがる。
チームも違うし、クラスも違う。
だけど、よく一緒に走っていた。だから、周囲の目に付いたのだろう。
「ふぅ~! 今日も私の勝ちぃ!」
「はぁ……また負けちゃったあ……」
クラス対抗レースで、セラフィナイトは5バ身の差をつけてスペシャルウィークに勝利した。
3着との差は8バ身もあったので、二人とその他の実力差は明確なものになる。
「セラちゃん、また速くなったね」
「スペちゃんこそ! スパートの時間長くなっててビックリしたよ」
「……え? 見てないのに、よくわかったね。結構遠くから仕掛けたと思うけど……」
「ああ、言ってなかったっけ。私、耳が良いんだ。だから、スペちゃんの足音から、大体の位置取りはわかってたんだよ」
「そんなこと出来るんだ……凄いね、セラちゃん」
「えへへ。ありがと」
その時、スペシャルウィークは本能的な恐怖を感じた。
レースは駆け引きだ。
今まで北海道の田舎で、漠然と走ってる時は実感したことなかったけれど……
デビュー戦が終わり、重賞レースにも出るようになって知った。
みんな、物凄く考えて走っている。
気の入り方もあるし、全てが計算とはいえないけれど。
自分の体力、コースの状態、周りの速度。
それらを把握しながら走っている。
だが走りながら、本当に全てを傾注するのは難しい。
自分のことならまだしも、他人の頭の中なんて覗けるわけがないから。
でも、このひたすらに速いウマ娘は、それを察知できる。
自分たちと住んでいる世界が違いすぎる。
ジュニアクラスの時点で、既に感じてしまった差。
周りの評価は、まだ五分と言っているが……すぐに覆るだろう。
だったら、どうすればよいのか。
(……走るしかない)
トレーナーと相談した末の結論はそれだった。
ただただ鍛えて鍛えて。
スパートを察知されようが、関係ない。
持ち味の末脚で、最後に差し切る。
そのためのスタミナを、ひたすらに鍛える。
難しい作戦を考えても、中々うまく行かないのだったら。
真っ向勝負で、打ち破るしかないのだ。
(私、そんなスペちゃんに憧れてたんだよ)
迫りくる轟音に、思わずセラフィナイトは笑う。
坂を上るのは、どんなウマ娘でも辛く苦しい状況なのに。
足音と息遣いで伝わる。
後ろから追いつこうとする、愚直なウマ娘の純粋な思いが嬉しい。
かつて、共に走った時とは大違い。
パワーもスピードも、何もかも格段に上がっている。
観客席からレースは見ていたが、ターフの上だと全然別物だ。
強くなった。本当に。
昔の面影なんて、どこにもない。
大阪杯に天皇賞・春を制した実力は本物だ。
この驚異の走りを支えているのは、真っすぐ前を見続けた頑固な精神力だろう。
(すぐに挫けて、泣いて、諦める私なんかと大違い)
何より、優しい性格が好きだった。
自分だって大変な時でも、スペシャルウィークは他人を気遣ってしまう。
本人は、それを『不器用』となんて言葉で片付けてしまうことが多いけど。
誰にでも出来ることじゃないんだよ。
私には絶対できない。
(ありがとう、ずっと私に手を差し伸べてくれて)
ケガで悩んでいる時。
いくつも伸びていた手を、振りほどいたこともあった。
だけど、最後の最後まであきらめずに
自分も共倒れする可能性があっても、手を取ってくれたのはスペちゃんだった。
(セラちゃん……すっごく
夢に見た、その遠い背中をかつての幻影と重ねてスペシャルウィークは、強く足を踏み込んだ。
セラフィナイトのフライト走法は、下り坂はまだしも、上り坂には大きく優位に立てない。
飛んだところで、すぐに傾斜にぶつかるから。
それを考慮したかはわからない。
だが、仕掛けるタイミングとしてはベストだった。
「はぁあああ!!」
本来、走るときに声を出すのは逆効果だ。
力は入るかもしれないが、酸素を無駄に消費してしまう。
ゴール直前ならまだしも、まだレースは序盤も序盤。
燃え尽きるような走り方をするのは、無策としか言いようがない。
でも。
(それでこそ、スペちゃんだよね!!)
歓喜を力に変え、セラフィナイトも足を強く踏み込んだ。
短く速いピッチで進んでくる足音に対抗するにはどうすればいいのか。
そんなものは、一つしかない。
長く強い脚で、ただ前に進むのみ。
真っ向勝負には真っ向勝負でしか、勝ちえないのだ。
「……ぅうう!!」
信じられない力の差を感じるスペシャルウィーク。
まだ届かないのか。
諦めそうになる気持ちを、もう一度押し殺して前へ進む。
(セラちゃん! 私、もっと
(うん、わかってる)
(前より速くなったんだよ、って教えてあげたい!)
(伝わってるよ)
(あなたより、強いことを……証明したい!!)
(だったら、追い抜いてみせてよ。スペちゃん!!)
会話などしていないのに、不思議と伝わるお互いの気持ち。
走ることで、彼女らは今まで出来なかった
坂を一旦上り切り、直線からコーナーへ入る。
その時、セラフィナイトは気付いた。
(……ごめん、スペちゃん。一旦ここまでだ)
名残惜しそうに、目を細める。
まだレースは終わってない。
きっとセイウンスカイと一緒で、最後に競り合うことになるだろう。
本当はもっと続けたかったけど……。役者は一人じゃないから。
(いいよ。おいで、エルちゃん)
「!!」
スペシャルウィークの横を、赤い外套が一気に駆け抜けてきた。
力の象徴であるマスクを今日も装着し、大胆不敵に笑うウマ娘。
(あの時、付けられなかった決着……今日こそつけよう!! セラちゃん!!)
"怪鳥"エルコンドルパサーが、二人を追うように勝負に出たのだった。