闇の中で、セラフィナイトは一人
足を抱えて、ふさぎこんだまま動こうとしない。
その時、突然たくさんの輝きが前へ飛んでいった。
青、赤、紫、薄緑、濃緑。
思わず顔をあげた視界の中、ひときわ目を引く5つの光は、セラフィナイトを誘うように回転すると、一気に遥か先へ走っていく。
泣きはらした目で見ていると、今度は全身を温かさが包み込んだ。
優しく、だけどしっかりと彼女を立たせたその光は、セラフィナイトが前を向いたのを確認すると、軽く背を押してくれた。
涙を拭いたセラフィナイトは、鋭い表情に切り替えると、強く激しく駆けだす。
あっという間に、五色の光へ追いついた。
それぞれの色と共に、踊るように併走し、確実に置き去りにする。
最後、強く輝く濃緑の光を撫でるように、触れながら抜き去ると。
闇が瞬く間に消え去り、碧眼には晴れ晴れとした天へと伸びる、真っすぐな道が映った。
誰も居ない。
誰にも邪魔させない。
自分だけの、唯一の輝かしい一筋の
セラフィナイトは、背に大きな白い翼を宿し
嬉しさを爆発させ、一人きりの絶景を堪能した。
【さあ、直線に入った! 中山の直線は短いぞ! セラフィナイトはトップを維持したままゴールするのか!
スペシャルウィーク、いやセイウンスカイ!? エルコンドルパサーが追い上げて……グラスワンダーが躱し、キングヘイローが真っすぐ飛び込んでいく! いったい、誰が一番にゴール板を抜けるのか、全くわからない!!】
(そんなもの、決まってる)
それぞれ性格も違う、能力も違う6人のウマ娘。
だが、この時だけは。刹那の瞬間だが。
全く同じ言葉を、口にした。
「「「「「「私だ……!!」」」」」
残り200mを切った。
もうどのウマ娘も、既に全身全霊を使い切っている。
特定の条件のみ浮かび上がる心象風景も、誰もが見た。
前に出るスペシャルウィークを追い越すエルコンドルパサー。
外から抜き去るキングヘイローの間を突き破るグラスワンダー。
全員の動きを見極め、躱す様に進むセイウンスカイ。
皆が揃って、たった一人のウマ娘を追いかけている。
割れんばかりの歓声が、彼女たちに浴びせられる。
見たこともないレース展開に、興奮しきった中山レース場が震えている。
歓声は力に、応援は速度に。
背を押してくれるファンの想いを背負いながら、ラストスパートを命を削るように仕掛けていく。
(…………ごめんね。スカイ、キング、ボタン)
祈っていた手を解いた。
懸命に、懸命に走っている、担当のウマ娘。
同じチームの、同じくらい大切な子もいるのに。
今、この時だけは。
先約があるから、許してもらおう。
観客席の一番前から、トレーナーは身を乗り出す様にして
ターフを走る一人のウマ娘を呼ぶ。
「セラーーー!!」
更に息を吸い、叫んだ。
「頑張れーーーーーー!!!」
「…………うんっ!!!!」
行き交う数多の音、コース上での地鳴り。
決して聞こえるはずのない、その大事な人の声をセラフィナイトの耳が捉える。
苦痛で歪みそうになりかけた表情を、再び笑顔に戻し
彼女は、ターフを駆けていく!
一歩。
半バ身。
二歩。
一バ身。
三歩。
二バ身……!!
(私、みんなと同期で本当に良かった……!)
誰もが、最強格のウマ娘。
普通なら、そんな天才たちが居れば夢を諦めてしまうことだろう。
だけど、自分にはそれが刺激的だった。
強くなった皆と競うことが、最高の喜びだった。
ジュニア、クラシック、シニアの芝GⅠの栄誉を持った、最強のウマ娘達。
グラスワンダー
スペシャルウィーク
エルコンドルパサー
セイウンスカイ
キングヘイロー
いつしか呼ばれるようになった"最強世代”5人の中に
今ようやく。
6人目として、名を連ねるウマ娘が誕生した。
それは
金色の髪
緑の瞳
白を基調とした翼の生えたような勝負服
規格外の速度、技術で他を圧倒する。
辛い時にこそ、走る喜びを笑顔に変え、最後の瞬間まで全力で駆けていく。
天使のように、無垢な笑顔で走るウマ娘。
忘れることはないだろう。
誰もが記憶に刻むだろう。
一斉に、名を呼んでいる。
知らない人も覚えて欲しい。
知ってる人は叫んで欲しい。
"最強世代”最速のウマ娘。
彼女の名は、セラフィナイト。
遠く、長く、果ての見えない数多の挫折と戦いを経て。
初めて、彼女はGⅠの舞台でその言葉を口にした。
「私の……勝ちだ……!!」
【ゴォオオオーーーーーール!!! 中山レース場に、天使の笑顔が咲きました!!
セラフィナイト!! セラフィナイトです!!
長い間、不運からGⅠを制覇出来なかった彼女が、今! 年末のグランプリレースで、並みいるライバル達を圧倒する、コースレコードでの勝利を飾りましたぁああーーーーー!!!!】
大地に空に、ターフにウマ娘に。
歓喜と称賛の声がひたすらに浴びせられる。
「うぉおおーーー! 勝ったーーーー!!!」
「やったーーーーー!!!」
「GⅠ初制覇、おめでとーーー!!」
「最高のレースだったぞーーー!!」
「セラフィナイトーーー!!!」
「セラーーーー!!」
「セーラ! セーラ! セーラ!!」
愛称のコールが、徐々に徐々に会場全体を包んでいく。
応えるように、セラフィナイトは観客席の方へ向き直った。
息を整え、汗を拭いながら。
羽を模した首元のマフラーを掴み、太陽の方へ投げる。
そしてくるりと踊るように一回転してから、人差し指を大きく上へ掲げた。
当然、満面の笑みを浮かべながら。
決めポーズで再び湧き上がる観客へ、手を振る。
そう、まだやることがあるから。
ゴールの方へ体を向き直そうとすると、突然身体に衝撃が走った。
「うわぁ!? スカイちゃん!?」
何も言わず、レースの後の火照った体のまま。
セイウンスカイは、セラフィナイトに抱きついた。
顔を胸元に埋めているので、表情が見えない。
だけど、力強く愛しむような抱き方に、何を考えているのか瞬時に理解が及ぶ。
「……ラフィ。」
「うん」
「……ラフィ……ッ!」
「なぁに?」
「……ごめん」
「……うん。ありがとう、スカイちゃん」
掠れた声のやり取り。
回された腕を優しく握り、答える。
遅れて、息を切らせてやってくる仲間が来た。
セイウンスカイは、顔を逸らしたままそっと離れる。
「セラちゃん……おめでとう!」
手を取り、潤んだ目でスペシャルウィークが言う。
「ありがとう、スペちゃん。恩返し、出来たかな?」
「もちろん! これで、本当に名実ともに最強のウマ娘だね」
「あはは。そうかな?」
「そうだよ! ……だからさ、セラちゃん」
「うん」
「また走ろうね。私、日本一のウマ娘になるのが夢だから!」
「……うん。そうだった。そうだったね。
わかった。約束だよ」
名残惜しそうに握りしめた手を離す。
レースの最中とは全く違う、柔和な顔のグラスワンダーが寄ってきた。
「おめでとうございます。素晴らしいレースでした」
「ありがとう、グラスちゃん」
「普段であれば、負けたら悔しさしか残らないものですが……。
あれほど完膚なきまでに打ちのめされれば、逆に晴れ晴れした気持ちになりますね」
「えへへ。そうだったら、良かった。グラスちゃんの末脚に、ようやく勝てたよ」
「今日の所は完敗です。しかし、次は私も負けませんよ。もっともっと鍛錬をして、再戦しましょう」
「うん」
ちらりと視線を、グラスワンダーの背後にやる。
腕を組み、視線を逸らすキングヘイローが居た。
「キングちゃん」
声をかけると、ようやく言うべき言葉が見つかったのか前へ出てきた。
「……悔しいけど。今回は文句なしの負けだわ。……おめでとう、セラフィナイトさん」
「今回は、ね。次は、どうなるかな?」
「ふん! そんなの当然よ! このキングがぶっちぎりで勝つに、決まってるじゃない!!」
「じゃあ、レコード更新だね! 楽しみにしてるよ!」
「そっ、そうね! ……ねえ、せめて上り3ハロンでの勝負にしない?」
「えー? ダメダメ。キングちゃんなら、出来るでしょ?」
「……くっ。ええ、わかったわ! やってやるわよ! だから、絶対また勝負よ!? いいわね!?」
「うんうん、わかってるわかってる」
「…………」
次々に言葉を浴びせるライバルの中、エルコンドルパサーがゆらりと近づいてきた。
表情から見て取れる、無念の気持ちをそのままぶつける。
「セラちゃん。これでアタシとは、1勝1敗デス。ドローですよ」
「だね」
「まだ決着はついてないんデスから!」
「わかってるよ。またやろう」
「……絶対デスよ!? 次はエルが勝ちます!」
「うん。約束だね」
「……はぁ……。セラちゃん、一着おめでとうございます……デス!」
何かを振り払うように、目元を拭うと。
エルコンドルパサーは手を差し出した。
今度は、しっかりと握り合う。
他のウマ娘達とも、固い握手と再戦を誓い合った。
「あ。」
友人らと約束の取り交わしをした後。
遠く、芝の上で大きな体を震わせて立ち尽くすウマ娘を見つけた。
後輩のカルミアボタン。
今年の菊花賞ウマ娘が、調子が悪くないにも関わらず掲示板入りを逃している。
その事実が悔しいのか。はたまた全く別の理由か。
「ボタンちゃ……」
声をかけようとしたところ、背を摩っている同期のオルニットが制した。
「この子は見ておいてあげるから。あなたは行くところがあるでしょ?」
「……うん。ごめんね」
「なんで謝るのよ。良いから気にせず行きなさい。
……一着、おめでとう。セラフィナイト」
「ありがとう、オルニットさん」
涙の滲んだ目を見送り、言葉に甘えたセラフィナイト。
ゆっくりとした足取りで、とある場所へ向かっていった。
「……トレーナー」
口元をハンカチで押さえているトレーナの前に付くと、呟くように呼ぶ。
そして涙で見えて無さそうな瞳を、しっかり見据えた。
「有馬記念、優勝できました。」
「うん」
言葉を紡ぎながら。
セラフィナイトの脳裏には、様々な思い出が蘇る。
走って、ケガをして。悔しくて、泣いて。
立ち上がり、笑い、苦しんで。
また走って、走って。泣きそうになって、だけど、走って。
遂に、一つの目標を達成した。
「……本当に、本当に。長かったです。
苦しかったし、辛かったし。大変でした。
何度も途中で諦めそうになりました。
……でも。」
「……うん……っ」
「でも……!」
ターフに、一粒の涙が落ちる。
「みんなが……おねえちゃんが、私を呼んでくれたから。今日、勝てたよ」
「……うん。よかった……良かったね。セラ」
堪えきれなかった感情が、ただただ頬を流れていく。
復帰し、秋からレースを再開してから。
筆舌に尽くしがたいほど、色々な経験をしてきた。
だけど、その間。セラフィナイトは一度も泣かなかった。
弱い自分と決別したはずだったから。
だけど。
今ぐらいは。
「おめでとう、セラ」
「ありがとうございます、トレーナー」
堪えきれずに柵を乗り越えたセラフィナイトは。
自分に翼を授けてくれた、トレーナーと抱き合う。
いつしか、周囲の歓声は拍手に変わっていた。
中山レース場。
芝2500m。
タイトル名、有馬記念。
年末最後のレースは、誰しもが望んだ未来とドラマを生む最高の結果で幕を閉じたのであった。