【完結】彩る世界に響く音   作:かってぃー

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間話Ⅲ 同じ黄昏の下、カレらは

 西の空より差し込む陽光が大都会の無機質な無彩色を茜色で塗り潰し、先刻までは雲一つない群青色だった筈の天球に染み出した黄昏がグラデーションを描いている。そして空と合わせ鏡の如き海原もまたそれを写し、水平に至るまで黄昏に沈んだ世界はまるで燃えているかのようですらある。ならば今も岸壁に寄せては返し心地の良い旋律を奏でる漣はさながら揺らめく炎の切っ先であろうか。そんな倒錯めいた感慨を抱きながら、大雅はフェンスに寄りかかりつつ何をするでもなく海を眺めていた。時折右手に持った黄と茶の警告色めいた色彩を呈する缶コーヒーを傾ければ、痺れる程の甘さが味覚を支配する。

 

 まさしく茫洋という表現が似合う有様である。夕刻を迎え少しずつその密度を増しつつある雑踏から切り離されているかのような彼に声をかける者はおらず、稀に遠巻きに黄色い声を洩らす者はあれどそれに大雅が気付く事はない。忘我。或いは思索。それに大雅の意識は囚われていて、しかし唐突にそこに切り込む声があった。

 

「あれっ、大雅くん?」

「……高咲。それに上原も。相も変わらず仲良しだな、オマエら」

 

 よもや声を掛けられているとは思っていなかったのか大雅の応えには数拍を要し、けれど飛び出したのは常と同様の軽妙な物言いである。しかしその冗談のような声音とは裏腹にそこには先の思索の残滓とでも言うべき懊悩の気配が潜在していて、それを見抜いたかのように侑が薄く微笑む。

 

 その微笑みからあえて張り付けた軽薄が無力と化したのを悟ったのだろうか、自嘲のような短い溜め息を吐いて大雅が肩を竦める。その所作から両者の間に無言の交感があった事に気づいたのか歩夢は不満げであるが、大雅の瞳の裡に寂寞の色合いを読み取りその感慨を収めた。

 

「偶然だね。何してたの?」

「別に、何もしてねぇよ。コーヒー片手に海を眺めてただけだ。画になるだろ?」

 

 大雅に倣ってか岸壁のフェンスに身を預けながら問う侑に、右手のアルミ缶を揺らしながらおどけた態度で答える大雅。まるでナルシシズムに酔った愚昧であるかのような解答だが、事実として独りで黄昏る大雅の姿はそれだけで周囲の興味を惹いてやまないだけのものがあった。大雅自身も自己評はどうあれ他者からのそういった評価を知るが故に、そこに傲慢の色は無い。

 

 或いは侑と歩夢がそんな印象を抱いたのは、最早大雅の呈する軽薄がその裏側に在る感情を隠すための道化でしかないと両者共に知るが故なのであろうか。同じクラスであるために多少の付き合いがある侑ならばともかくあまり交流の無かった歩夢にすらそれを悟られ、次第に気取った表情が剥がれ落ちてきまずそうな面持ちに変わっていく。

 

 平素は余裕のある気位を崩さぬ大雅らしからぬ無様であるが、それも致し方ない事であろう。元より彼ら3人に共通して存在する話題などひとつしかなく、なれば彼らが揃った場において思い起こされる事象はそれに限られる。加えて先日の騒動もあればこそ、宗谷大雅という少年が平静でいられる筈も無いのだ。

 

「あの後、彩歌くんの様子はどう?」

「特に変わらず、だ。平気そうな顔して、でも眼だけは誤魔化せてなかった。途中で別れてからの事は……オレにも分からん」

 

 前置きすらなく直截極まりない侑の質問に、道化を脱ぎ捨て吐き捨てるような声音で答える大雅。同時に胸中で再燃した憂慮をコーヒーを呷る事で肺腑の底に流し込もうとするも、痺れにも似た甘美は脳裏に居座り続けるヴィジョンまで掻き消すにはあまりに無力であった。

 

 先日のコンクールの後に起きた、彩歌と嘗ての同門たる美律による騒動。そのために尻切れとんぼな形での現地解散の後、彩歌と行動を共にしていたのは大雅であった。故に、彼は知るのだ。ホールからの帰路にあって落ち着きを取り戻した後であっても彩歌の目には恐怖や諦観などが残存していた事を。

 

 大雅はそれ以上に詳しく答えようとはしないが、侑と歩夢もまた現場に居合わせ発作とでも形容すべき彩歌の異状を目撃したが故に解答としてそれは十分に過ぎた。あまりに思わしくない言葉にふたりは表情を曇らせ、大雅は手元の缶に視線を落としている。

 

 しかし、である。ならば何故、大雅は何もせずこの場でただ物憂げに海を眺めているだけであったのか。真っ先にその疑念に辿り着いたのは侑ではなく歩夢であった。或いはそれは種類は違えど大切な相手についての不安を抱えながら平静を演じるという点において共感めいた感覚を抱いたからであろうか。生まれた疑問がそのまま口を衝いて出る。

 

「……行かなくていいの、彩歌くんの所に?」

「上原がオレにどんなイメージを持ってるかは知らねぇが、オレとアイツは四六時中一緒にいる訳じゃない。それに……心配そうにしてるのはオマエらだって同じじゃねぇか」

 

 歩夢の問いに対する解答としては聊かズレた言葉を投げ渡す大雅であるが、少女らが反駁を返す事はない。経緯はどうあれ異状を露呈させた彩歌の事を心配してはいても結果的に手をこまねく形になっている点においては、大雅とふたりは等位であった。歩夢は侑程には彩歌と交流は無いけれど、本質的に善人であるが故に他者の異状に無関心ではいられないのだ。

 

 しかし歩夢からの問いを煙に巻くかのような大雅の言葉は、転じて憂慮の所在に対する肯定とも言える。()()()()()()()()があったが故に彩歌の許にはいない侑らとは対称的に大雅にそういった理由があるようには思えず彼女らは更に問いを重ねようとして、しかし大雅が先んじてしまう。

 

「……そうだ。なぁ、高咲。ひとつ訊いてもいいか?」

「ん。何?」

「オマエさ、もしかして、彩歌がずっと強がってたの薄々気づいてたか?」

 

 全く思ってもみなかった問いに声を詰まらせ、目を見開く侑。対する大雅は言い方こそどこか刺々しさはあれど、侑へと向けられた視線は全く以て平静であった。ならばその乱暴な物言いも大雅にとってはそれが常であり、そして彼にとってはこれがただの事実確認以上の意味を持たないのは明白であった。

 

 微かではあるが自身が感じていた彩歌の虚勢に潜む瑕疵について、侑が大雅に対して口にした事は一度として無い。だが、彼は知っているのだ。せつ菜の復帰ゲリラライブの直前、侑が彩歌が来ない可能性を考えてかすみを遣わせた事を。そして事実、彩歌は一度呼び出しを反故にしようとした。

 

 大雅はその理由となる事象を知るが故に何とも思わないが、事情を知らぬ余人からすれば彩歌のそれは不実極まりない行いである。にも関わらず侑が彩歌に対して悪印象を抱いている様子はなくむしろ友好的であるために、大雅はずっと気になっていたのだ。

 

 恐らくは侑から告げられる形でその気づきについて知っていたのだろう、歩夢が不安げな視線を侑に向ける。対する侑は暫しの吟味の後、口を開いた。

 

「全部気づいてたワケじゃないよ。でも……彩歌くん、たまにすごく悲しそうな目をするから。もしかしたらって思ったんだ」

 

 理由としてはあまりに薄弱に過ぎるそれは、まさしく明確な理屈の無い直感とでも言うべきものだ。大雅の想像通りに侑は彩歌の過去に何があったかを全く知らず、故に何故彼がその選択をするかについてを彼女に理解する術は無い。なればこそ、侑の感覚は直感という他ないだろう。

 

 答えると同時に侑の脳裏に想起されたのは以前、偶発的な遭遇から屋上にて昼食を共にした時の彩歌の姿。せつ菜への想いを語る侑と歩夢を見ていた彩歌の表情はひどく眩しそうで、けれどその瞳には影と言う他ない不穏があった事を彼女は覚えている。それと同じ目を先日中庭にて邂逅した際にも彼は一度見せていて、ならばそこに何かがあると気付くのは自然な事だろう。

 

 そして極めつけとばかりに先日の発作である。そこで侑が目撃した彩歌の目は不穏などという表現ですら生温い、まるで森羅万象悉くを恐怖するかのようなそれであり、加えて演奏自体にも何か違和感とでも言うべきものがあったのならば、確信に至るのも無理からぬ事である。尤も友人が苦しんでいる事は分かっても対象と経緯を知らぬがために、未だ何もできずにいるのだけれど。

 

「大雅くんは知ってるんだよね? 彩歌くんに何があったか」

「……あぁ。アイツの身に何が起きたかも、それでアイツがどれだけ苦しんだかも、オレは全部知ってる。何しろ、オレはこの目で全て見てきたんだからな。アイツの一番近くで」

 

 そう言い終えると同時に大雅は缶を両手で握り、唇を強く引き結んだ。声音こそ冷静であったがその両手は込められた力のあまりに小さく震えていて、大雅が抱える無力感の程を所作が雄弁に物語っている。ならば舗装された地面に向けられた彼の目に映っているのは目前の光景などではなく、これまでの記憶なのだろうか。

 

 故に大雅に見えているものについて彼や彩歌の過去を知らない侑と歩夢には想像する事すらできず、彼の懊悩の程も想像する事しかできない。けれどもしも、自分の一番近くにいる人が苦しんでいると分かっているのに自分ではその相手を救えなかったら。互いに顔を見合わせた刹那に彼女らの胸中をそんな夢想が過り、知らず、背筋に悪寒めいたものが奔る。

 

「自分の気持ちに正直だった頃のアイツはずっと笑顔で、幸せそうだった。だからオレはまたもう一度アイツのそんな顔が見たくて……でも、ダメなんだ。オレではアイツを救えない。“大好き”の無いオレでは、アイツに道を示せない」

「“大好き”が無い……?」

 

 独白のような大雅の呟きに、思わず声を洩らす歩夢。それに大雅は無言の首肯を返すと、茶化すように肩を竦めた。

 

「昔から執着とかが薄い気質(タチ)でな。イマイチ分からないんだ、夢に繋がるような“大好き”ってのが」

 

 それは大雅自身による最も端的で、かつ冷酷な自己評価であった。彼は他者からは眉目秀麗にして文武両道という評価を下されているがそれも当然というもので、事実として彼は幼い頃から大抵の事が人並み以上にできたのである。そのために彼の前にあっては凡そが些事であり、故にこそ何かに執着するという事が無かった。中学の頃からサッカーを続けているのも特別好きなのではなく、偶々スポーツが得意で中でもサッカーが上手いからという、それだけの理由でしかない。レギュラーという立場でありながら彩歌のコンクール観覧のために平然と練習を休んだのも、そういう面の顕れであるのかも知れない。

 

 彼が個人的に親しくしているとある後輩が言う所の“適性”。誰に言われるまでもなくそれに従って生きてきたのが宗谷大雅という少年であるのだ。高校教師という夢も教えるのが特別好きなのではなく、ただ嘗て彩歌から告げられた言葉と感謝が嬉しかったという経験の延長でしかない。詰まる所、彩歌と大雅は互いを親友と認めてはいてもその在り方、人生における指針においては根本的に性質を異としているのだ。別々の道を共に立つ親友であればこそ、彼には己の道を往く事しかできない。

 

 その吐露が衝撃的であったのだろうか、少女らは驚愕の表情で大雅を見ている。或いはそれは彼女ら自身やその周囲の者らもまた自身の“大好き”に正直に在る事を選んだ者であるからなのだろうか。そんなふたりの表情に、大雅が苦笑する。

 

「オレのコトはいいだろ。こういう自分のコト自体は嫌いじゃねぇんだよ、オレは。

 でも……アイツの道標になれないのは、悔しくもある。オレの道標(ゆめ)はアイツのお陰だってのにな」

 

 そう吐き捨てる声音は自嘲のように。込み上げてきた冷笑を僅かばかり残ったコーヒーで臓腑の奥に流し込み、空になった缶を手の中で弄ぶ。そうして幾許か、最早無用の長物と成り果てたアルミ缶を大雅は片手で握り潰してしまった。

 

 “大好き”を実感として持たず、己の適性に従った生き方をする己が大雅は嫌いではない。彼にとってはそれが自然な在り方であり、誇れる己だ。だがそれは決して自身と異なる在り方を否定する訳ではない。もしもそうであったのなら、大雅は彩歌と親友などにはなっていまい。己の“大好き”を指針とする嘗ての彩歌の在り方もまた大雅は貴いものだと考えていて、それに基づく友の笑顔は彼にとってさえ何物にも代え難い幸福であった。

 

 だが大雅は“大好き”を実感として持たぬが故に、それを指針とする者の道標にはなれない。それは大雅にとって貰ったものを返せていないも同然であり、であれば彼が懊悩するのも致し方ない事であろう。独語めいた大雅の述懐を少女らは黙って聞いていて、それが途切れた時、真っ先に言葉を発したのは歩夢であった。

 

「それでも……それでも、彩歌くんは大雅くんの存在に救われてたと思う。隣に誰かがいてくれるのって、それだけで嬉しいもん」

「上原……くく、アンタがそう言うと、何だか説得力あるな」

「も、もうっ、からかわないでよぉっ!」

 

 悪戯な揶揄いに軽く頬を膨らませながら抗議する歩夢であったが、大雅は何処吹く風だ。くくく、と口元に手を遣り笑うその姿は細かな違いこそはあれど彼の親友の癖とよく似ていて、彼らが共に積み重ねてきた時間の質量を思わせる。また、大雅の所作は露悪的とさえ言えるそれであったが表情は柔らかく、であれば先の軽口が一種の照れ隠しのようなものである事は明白であった。

 

 隣にいてくれるだけで嬉しい。そう在ってくれるだけで救われるのだ、と。大雅は己の存在が本当に彩歌の救いになっているかは分からないけれど、少なくとも彼自身にとっては親友と一緒にいる時間を楽しいと感じているのは事実だ。そして彩歌もまたそうであったのなら、それ以上に嬉しい事もあるまい。

 

 らしくもない感傷だ。確証もない希望に基づいて他人に期待する、などと。けれど悪くないとも思う。気の済むまで笑声を零してからひとつ大きく息を吐き、少女らから視線を外して海原を一瞥する。太陽が先よりも傾いたからだろうか、水平線からは夜の気配が染み出してきていた。

 

「まったく……アイツも人を見る目が無いな。オマエらや会長ちゃんみたいな良い(ヤツ)にも自分(てめー)の過去を知られる事を嫌がってたんだから。……まぁ、あの状況自体がアイツの地雷だったんだ、仕方ねぇ所もあるけどな」

「地雷……」

「そうだ。以前にもアイツは似た状況を経験して、そして、友達だと思ってた連中にこう言われたのさ。

───“オマエが死ねば良かったのに!“……ってな」

「っ……!」

 

 大雅の語勢が異様な苛烈さを内包したのは、刹那よりもなお短い須臾の裡の事。だというのに彼の再現があまりに堂に入っていたからか、或いはその言葉そのものが宿す狂飆の如き悪意のためか、それを目の前にした侑と歩夢の背筋を駆け抜けたのは電撃的な悪寒であった。

 

 それを見せられてしまえば、嫌でも理解せざるを得ない。大雅の言う地雷とは何であるか、何故大雅や彩歌がこれまで頑ななまでに何も語らなかったのかを。そして先日の騒動こそはまさしく、彩歌が抱く傷跡(トラウマ)のひとつの再演であったのだ。それを知るからこそ、大雅は誰にも口外しようとしなかった。

 

 であれば今より少女らが行おうとしているのは膿んだ傷跡を切開し、その正体を詳らかにしようとするに等しい。最早彼女らは何も知らぬ身ではなく、隠された過去が余人の立ち入りを拒むものであることも理解していない訳ではない。或いはその正体を知れば自身の裡に在る真野彩歌という少年の像が崩れ果て得る事も。けれど、それでも友人が苦しんでいるのなら、力になりたい。そのためには、知らなくては。彼女らの中にある善性は、目撃した悲哀を無視するという選択肢を自身に許さなかった。

 

「それでも、オマエは知りたいと思うか? アイツの秘密を」

「……知りたい。たとえ彩歌くんが何を思っていて、何を隠していても、苦しんでいる友達を放っておくなんてできないから」

 

 即答であった。侑の返答に対して大雅はすぐには何も言わず、けれどその紅玉の如き瞳は真っ直ぐに彼女の目を射抜いている。そうして会話のないまま、幾許か。ひとつ溜め息を吐いてから、大雅が口を開いた。

 

「分かったよ。オマエらにとっても半ば乗り掛かった舟だ。それに、どうせ会長ちゃんは直接アイツの所に行ってるんだろ? 会長ちゃんだけ色々と知るってのも、不公平だしな」

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