「──とは言ったものの……”俺の音”か……」
陽彩や詩音と共に愛歌の墓参りを行った、その明くる日。虹ヶ咲学園のカフェテリア、その一角で、己の決意を反芻しながら彩歌がそんな呟きを零した。彼の目前には瑞々しい野菜をいっぱいに挟み込んだサンドイッチとコーヒーが芳香を漂わせているが、手が付けられた様子はない。
時刻は既に昼。窓ガラスより除く空は渺々として高く、鏡合わせの海もまた深い蒼に染まっている。遠方に見える工業地帯は陽炎に揺らめいていて、まるで天球に揺蕩う幻惑のようだ。
カフェテリア内はとうに喧噪の内にあり、受け取り口の辺りには長蛇の列ができている。今はまだ空席も多いが、数分もすれば全て埋まってしまいかねない勢いだ。だがそんな混沌さえ、彩歌の裡では何の意味も与えられないまま霧散していく。彼は既に席を確保しているのだ。喧噪など無縁であるし、何よりそんな事よりも重要な憂悶が彼を支配していた。
今度こそ己の音で以て、全国の頂点を獲る。それが昨日、彩歌が両親と師の前で立てた誓いだ。およそ半日の時が経った今でもその決意には一片の揺らぎもなく、また退路を断った事への後悔もない。だが果断は揺らがずとも時を挟めば否応なく思考は冷却されるというものであり、それに伴って見えてくるものもあろう。
自分の音。あまりにも断固たる言葉であり、それでいてこれ以上も無い程に曖昧な定義だ。何しろ正答が無い。それはある意味で自己定義そのものではあれど、その点において彩歌はあまりに不利であった。
物心ついた頃から事故に遭うまで貫いてきた、母の教えを体現した音。それが彼の根底に在るのは確かだが、同時に事故から今まで己に強いてきた圧倒的な修練と技術に依って立つ無機質な音もまた彼が彼自身に課した定義には違いない。一種の二律背反の下に、彼はあった。
つまり自らの求める解に辿り着くまでに彩歌は自らを解体しその全てを掌握せねばならず、それは難行に等しかろう。それを前に必要以上に考え込んでしまうのが彼の性分で、しかし考えてばかりでも答えが出ない命題もあるとは彼とて理解している。
ともあれ、まずは栄養補給だ。深みに嵌りそうな思考を強制的に切り上げ、サンドイッチを豪快に頬張る。いかにも腹ペコの学生が好みそうな、濃いめの味付け。それでいて新鮮な野菜のために中和されているのか全くクドさは無い。普段は自ら弁当を作ってくるためカフェテリアを利用しない彩歌だが、これはなかなかどうして悪くない、と。もっきゅもっきゅと咀嚼しながら感心にも似た感慨を懐いていた彼であったが、刹那、不意に肩を叩かれた。
全く以て意識外からの介入である。故にそこに警戒が差し挟まる余地などある筈もなく、彩歌は反射的に振り返ってしまう。────サンドイッチをいっぱいに詰め込んだ頬に突き刺さる、細く長い指。その時点になってようやく、彼は己の失策を悟った。
「にっしっし、またまたイタズラ大成功です! 引っ掛かりましたね、彩歌先輩!」
「……中須さん。久しぶりに会っていきなりこれとは、随分なご挨拶だね」
果たして彩歌の視線の先、まんまと悪戯を成功させた事で得意げな笑みを浮かべている介入者の正体とは虹ヶ咲が誇る”小悪魔系スクールアイドル”こと中須かすみであった。相手の不意を突いて頬をつつくなどあまりにも古典的な悪戯であるが、彼女の口振りからして彩歌以外にも同様の手口に遭った者がいるのだろう。彩歌もめでたくその仲間入りとなってしまったのだ。
つまりはまんまとかすみの思惑に嵌ってしまった形ではあるが、彩歌にそれを怒る気は無かった。返しこそ皮肉めいてはいるけれどそこに剣呑の気配は無く、むしろ眼光は柔和の色を湛えてさえいる。
数拍が経っても未だ彩歌の頬に突き立てられたままの指。故に彼は顔を動かす事ができず目線のみを巡らせ、そうしてかすみの右手に握られた小さなバッグに気づいた。大きさからして、恐らくは弁当であろう。昼休みのカフェテリアに来ている時点で半ば当然のようではあるが、かすみもこれから昼食であるらしい。
そこまで思い至った彩歌が何かを言いかけ、しかしそれに先んじて別の声が彼らの耳朶に触れた。
「かすみさん? イタズラはめっ! だよ? すみません、彩歌さん。かすみさんが失礼を……」
そう言って彩歌に軽く頭を下げたのは、腰ほどまである長く流麗な黒髪と後頭部で結ばれた真っ赤な大きいリボンが印象的な女子生徒であった。胸元のリボンタイの色は黄色。つまりはかすみと同じ1年生である。
彩歌はその女子生徒の名前を知っていた。かすみと同じくスクールアイドル同好会に所属している”演技派系スクールアイドル”こと”桜坂しずく”。彩歌とはあまり接点の無い相手だが、せつ菜の復帰ゲリラライブ後に言葉を交わした事があった。
「構わないよ。可愛い後輩のお茶目くらい、いくらでも受け入れるさ」
あまりにも気障に過ぎる弁護であった。ともすれば心にもない軽薄を疑われ、信任を喪ってしまいかねない程に。だが彩歌の孔雀青はどこまでも澄み渡り、そこに邪心の気配は無い。そもそも彼にはあえて気障ったらしく振る舞ったつもりもないのだから、そこに邪心の介在する余地がある筈もないのだ。
故に彩歌の言葉は額面が漂わせる軽薄とは裏腹にどこまでも真っ直ぐであり、少女らがそこに疑念を差し挟む事はなかった。或いはそれはせつ菜の一件にて彼が同好会の面々から得た一定の信用の現れでもあるのだろうか。
「えへへへぇ、可愛いだってぇ。やっぱり彩歌先輩は見る目あるねぇ、しず子ぉ」
「良かったね、かすみさん」
よしよし、と。可愛いという感想を正面からぶつけられてだらしなく表情を緩ませるかすみの頭を、しずくが優しくなでる。その手つきは明らかに慣れている者のそれで、それがふたりにとって日常のひとつである事を伺わせる。
微笑ましい光景だ。まるで仲の良い姉妹であるかのような、余人の立ち入りを躊躇わせる気配がある。それは発端たる彩歌も同様であり、頬杖を突きながら何気なく視線を巡らせる。そうして不意に、しずくの陰から覗く瞳と目が合った。
小柄な少女である。身長はかすみはせつ菜よりも幾分か低いようで、恐らくは150㎝程だろう。クセのある桃色の髪の下で輝く琥珀色の双眸は可愛らしい造作や小さな体躯と相まって、さながら小動物のようだ。
彩歌にとっては初対面の相手である。だが、彼はその少女の名前を知っていた。
「キミは……”天王寺璃奈”さん、だね?」
「……私のコト、知ってるの?」
「勿論。優木さんから話は聞いてたし、俺自身も同好会の活動はチェックしてるからね。
キミのライブ映像も観たよ。凄かった。この感情は……そう、高咲さん風に言うなら、”トキメキ”というヤツだね」
「そうなんだ。……嬉しい」
トキメキ。それは彩歌自身が認める通り全く侑からの受け売りの表現ではあったが、同時に彼の内心を表す言葉としてこの上なく適切なものでもあった。
せつ菜のゲリラライブを目の当たりにしたとき。或いは、かすみの路上ライブを目撃した時。彩歌の胸中には身を焦がすかのように熱烈な光輝があって、しかし嘗ての彼はずっとそれを無視してきた。そんなものを感じる権利など、己には最早与えられていないと思っていたが故に。
だが託された思いを知り一歩踏み出した今となっては、もう自らの気持ちに嘘を吐く理由も無い。そうして解体してその光輝を検分した時、それを表す言葉として”トキメキ”はこの上なく
言葉とは定義。そこに例外は存在し得ない。そしてそこに奸計が無いのならば、それは過不足なく感情の発露である。彩歌のそれを正面から受け止めて、璃奈は僅かに俯く。その表情は殆ど変わってはいないけれど、微かに頬には赤みが差している事に彩歌は気づいた。
「そんなに照れるコトないじゃないか。フフ、可愛い」
「えっ……?」
璃奈の反応を前にして口元に手を遣り、不敵に笑う彩歌。それは彼にとっては何という事の無い、至っていつも通りの応対であったが、どうやら璃奈にとってはそうではないようで、弾かれたように顔を上げた。かすみとしずくもまた近しい表情で彼を見ていて、彩歌が首を傾げる。そこへ、璃奈の問い。
「分かるの……?」
「え……うん。分かる……けど。何か失礼をしてしまったかな、俺」
「ううん、そんなコトない」
照れている事が分かったのか、と。心底から不思議そうに訊ねる璃奈に、彩歌は少々気圧されながらも首肯する。その様はいっそ訊ねられた事に戸惑っているようで、あてずっぽうで偶々言い当てた訳ではないようであった。
天王寺璃奈という少女は表情が乏しい。それは彼女自身も理解する所であり、だが無表情であるからとて決して彼女は無感動ではないのだ。むしろ彼女は感情豊かであり、故にこそ”璃奈ちゃんボード”は彼女にとって自身の表情そのものに等しい。初対面のうち、それもボードもなしに彼女の心情を理解した相手というのは、家族や同好会の面々以外では初めての事であった。驚くのも無理からぬ事である。
──彼女らは知らない。或いは彩歌自身ですらも、それに自覚的でないのかも知れない。彼が他者の機微に聡い、もとい敏感であるのは、彼がずっと他人を恐れていた事の裏返しなのだと。
暫しの逡巡。僅かばかりの沈黙を経て璃奈は矢庭に顔を上げると、手に持っていた昼食のトレイを彩歌の対面に置いた。そうして彩歌が首を傾げるよりも早く、半ば前のめりになって彼に迫る。その気勢に彼は思わず息を吞み、その間隙に璃奈が言葉を差し挟む。
「私、もっとあなたとお話したい! ……ダメ、かな?」
「えっと、キミがそうしたいなら、俺に拒否する理由はないよ。中須さんと桜坂さんは、それでいい?」
彩歌とてひとりの健全な男子高校生である。璃奈のように見目麗しい少女に接近されて全く平常心を保ち続けられる筈もなく、しかし彼は自律と克己にかけては人一倍であった。それの前に在っては動揺は無力であり、彩歌は須臾の内に己の心を制圧してかすみ達の方へと向き直る。だがその視線の先、目が合ったのは頬を膨らませ、赤く大きな目で彩歌を睨めつけるかすみであった。背後に”ぷりぷり”、或いは”ぷんぷん”という擬音を幻視してしまいそうな気迫に、彩歌がぎょっとしてしまう。
「おわぁっ!? 何、どうしたの……?」
「フンだ! 何でもないですよっ! 席着こっ、しず子!」
「ふふ、はいはい」
たとえ彩歌がその場にある感情の機微に敏いのだとしても、情報の無いものは悟りようがない。相手が憤慨の理由について口を割らないというのであれば彼も気づきようがなく、しかししずくにはその所以までも明らかなようであった。微笑しながら、かすみを見ている。
だが憤慨しているといえど自律を忘れないのが中須かすみである。その一挙手一投足、頭の頂点から足の指先に至るまで彼女の所作は全てが”可愛い”の内であり、彩歌は感心してしまう。
そんな彩歌の内心を知ってか知らずか、かすみは彩歌と璃奈が座るテーブルの隣、その璃奈と同じ側に座る。必然的にしずくは彩歌の隣だ。未だぷりぷりと怒っている様子のかすみであるが、嫌われた訳ではないと分かり、彩歌が内心で安堵の吐息を零す。
「そうだ。まだちゃんと名乗ってなかったね。俺は──」
「知ってるよ。真野彩歌さんでしょ?」
自己紹介を先回りされた形である。思わぬ梯子の外され方にたじろぐ彩歌だが、復帰は早かった。
「おっと……知ってたんだね」
「うん。たまにせつ菜さんや侑さんの話に出てくるから、どんな人なんだろうって思ってたの」
「そうなんだ……なんだか恥ずかしいな」
せつ菜と侑。どちらも彩歌にとっては大恩ある友人達であり、同時にひどい迷惑をかけてしまった相手である。そんな人々から話題に出されていたと知り、彩歌が頬を赤らめながら、しかし何処かばつが悪そうに後ろ髪を掻く。その様はさながら、不徳を注意された子供のようだ。
自らのいないところでも自身が話題に挙がり得ると、彩歌とて知らぬ訳ではない。そもそも彼がトラウマを克服しつつあるのも彼の無い所で親友が尽力していた所によるものが大きいのだから。その経緯と恩を忘れる彼ではない。
だが忘れていないのだとしても、羞恥を覚えるか否かはまた別の問題だ。当人の関知しない場で存在を知られている、というのは彩歌と璃奈に限ってはお互い様といった所ではあるけれど。
誘引された気恥ずかしさごと吞み下すように、サンドイッチを一口。ある種の照れ隠しと言うべきだろうか。だが動揺のためかその所作はあまりにもあからさまで、璃奈がどこからともなく1冊のスケッチブックを取り出した。顔を隠すように保持されたその白い画用紙には、璃奈の顔を模したしたり顔が描かれている。曰く、”璃奈ちゃんボード「ニヤリ」”である。
「彩歌さんのコト、とっても優しくて真面目な人だって、せつ菜さんが言ってた。あと、頑張りすぎちゃう人だって」
「んぐっ。……随分高く買われてるなぁ、俺……」
或いは先刻畳みかけた仕返しのつもりなのだろうか。璃奈の声音は先の彩歌のそれと同質であり、それが分かっていながら馬鹿正直に正面から受け取ってしまう。サンドイッチを喉に詰まらせかけたのは、そのためであった。
璃奈の言っている事に嘘は無い。根拠こそないが、それが彩歌の所感だ。この場において虚偽を述べる事で璃奈が得られる利益は皆無に等しい。何より彼の眼には璃奈が無用な嘘を吐くような少女には見えなかったし、彼女の口から告げられた評はひどくせつ菜らしいものだったのだから。
優しくて真面目。そして、頑張りすぎる。最後の一言はともかく、前者ふたつはありふれた好意的印象だ。おべっかと、そう割り切ってしまう事もできる。なのにせつ菜からの評というだけで浮足立つ己がいる事を、彩歌は自覚していた。
奇妙な感慨だ。それを鎮めようと彩歌は両手で顔を扇いで、その途中で対角にいるかすみと目が合う。珍獣を目の当たりにしたかのような、そんな目だと彩歌は思った。
「何かな、中須さん?」
「あ、いえ……彩歌先輩って、そんな風に笑うんですね。知りませんでした」
笑っていたのか、自分は。彩歌の裡にはそんな驚愕もあったけれど、彼はそちらには執着しなかった。それに勝る疑問があって、それの解消の方が彼にとってはより重要な事であったのだ。
かすみの様子の中に先刻見せていた筈の憤慨の気配は無い。元から大した程度ではなかったのか、或いはそれを塗り潰してしまう程の驚きであったのか。自分が笑っていた自覚さえない彩歌には推し量る事さえできない。手元に材料が無いのなら何を考えてもそれは妄想に過ぎず、首を傾げる彩歌。
「変だったかな、俺が笑うの?」
「そーゆーワケじゃないんですけど……彩歌先輩って、もっとミステリアスというか、クールな感じに見えてたので。穏やかに笑うのが意外だったというか……」
「む。心外だなぁ、俺は元から───」
こういう奴だよ、と。そう言いかけて、しかし彩歌は途中で口を噤む。声になる筈だった呼気は半端な形で外界に洩れ、些細ながらも決定的な違和として立ち現れる。3人の視線が己に集中した事に、彩歌は気付いた。
クール。或いは、ミステリアス。あくまでもそれらはかすみのイメージでしかないが、それだけに正直な印象だ。彩歌はそれを心外だとは思えど、否定する権利を持たない。そう見えてしまう原因に心当たりがあるというのに、どうして否定ができようか。
しかし、これは全く個人的な事情だ。あえて語るようなものではない。彩歌はそう断じるけれど少女らの視線は興味を内包したそれで、今更誤魔化すという事もできそうにない。観念し、口を開く。
「当時、ちょっと悩んでいたコトがあってね」
「悩み、ですか……あっ」
恐らくは合点がいく事があったのだろう。かすみの声は半ば無意識の事であったようですぐに口を手で隠すけれど、最早後の祭りだ。たとえそれが個人的な懊悩であっても、彩歌は立ち入る事を許した。その時点で彼にかすみを責める権利は無い。むしろその可愛らしい仕草に、微笑を浮かべる。
とはいえ、全てを話す訳にもいかないだろう。今更になっても話したくないというのではない。だが数年に渡って積み上げ続けた徒労と愚行は、その全てを詳らかにするにはあまりにも長すぎる。
故に、返答は簡潔に。堆積した巡礼の裡より骨子を抽出し、要約する。それは自身の弱さを晒すが如き試みであったが、不思議と彩歌に抵抗は無かった。それはさながら、自叙の頁を手繰るように。
「怖かったのさ、
「────!」
すぐ横でしずくが目を見開き息を呑んだ事に、果たして彩歌は気付いたのかどうか。
余計な情念を廃したものであるだけに、それに秘められた質量は純粋である。だがかすみがすぐには反応できなかったのはそれによる事だけではないようで、赤い目の焦点がしずくに合う。しずくもそれに気づいたようで笑声を零し、そこに彩歌の理解が立ち入る隙は無い。
「桜坂さん? どうかしたかい?」
「いえ、何でもないんです。ただ、彩歌さんの気持ち、私、よく分かってしまって。……私も、そうだったので」
「……! キミも……」
厳密に言えば、ふたりの感情は全く性質を同一とする訳ではないのだろう。彩歌からではしずくの内心を正確に推し量る術は無いけれど、異なる人生を歩んだ両者の感情が完全に符合する筈もない。
だが全く別の経路を辿り、一度は至った結論が近似している事は往々にしてある。彼らの
彩歌の問いに、無言で首肯を返すしずく。そうして昼食のひとつであるコッペパン──見るからに購買のそれではない──を一口だけ咀嚼してから、言葉を続ける。
「でも、どんな”桜坂しずく”でも大好きって、そう言ってくれた人がいたんです。だから今、私は”私”でいられる。……彩歌さんも、そうなんでしょう?」
「うん、そうだね。俺も、最近になってやっと気づけた」
どんな桜坂しずくでも大好きだと、彼女にそう言った人物が誰であるかを彩歌は知らない。だが見当は付く。彼の目の前ではかすみが微かに顔を赤くしていて、そんなかすみを璃奈が撫でていた。それを見ても何も気づかない程、彩歌は鈍くないつもりであった。
親友。ふたりの関係は、そう形容すべきなのだろう。少なくとも両者の感情に勘付いた彩歌の脳裏に過ったのは己が朋友たる大雅の存在で、転じて、彼はようやく親友の意図に気づいた。言葉にしてくれたら分かりやすかったのに、と彼は笑う。それが野暮だとは、分かっているけれど。
かすみからそれを告げられた時、しずくはどんな思いだったのだろうか。それを正確に量る手段は彼にはないけれど、嬉しかった事だけは彼にも分かる。しずくの笑顔は、彼にそれを確信させるには充分に過ぎた。
彩歌の視界の裡で、少女らが笑い合っている。あまりにも穏やかで、何という事の無い光景だ。だがその裏には彼女らが積み上げてきた時間と思いがあって、それ故に日常は日常として在るのだ。
「───皆、凄いなぁ」
知らず、言葉が洩れた。何処か上の空で、飾り気が無い。それだけのその呟きは彼の本心であり、純粋な感情の顕れは特有の引力を以て少女らの意識を引き付ける。その事に、彼自身は無自覚だ。
「むっふっふ、やっと気づいたんですかぁ、彩歌先輩? そうです、かすみんは凄いんです! もっと褒めてくれてもいいんですよっ?」
「うん、凄いよ。中須さんも、桜坂さんも、天王寺さんも、同好会の人たちも……皆、”自分の音”を持ってる」
中須かすみの”Poppin’Up!”。
天王寺璃奈の”ツナガルコネクト”。
桜坂しずくの”Solitude Rain”。
その全てを、彩歌は観た。それは何もせつ菜に影響されてだとか、彼がファンであるとか、それだけの理由ではない。あえて形容するのならば、”研究”だろうか。あまりにも打算的だが、彩歌の試みの裡にそれがあったのは事実だ。
そうして彼が得たものは、あまりにも歴然としたひとつの事実。画面越しでさえ少しも色褪せる事無く、見る者の心を掴んで離さない強烈な”自分の音”が彼女らにはある。それは、揺るがない確信であった。
或いはそれは、自己の輪郭そのものであるかのような。”大好き”だけではなく、時には懊悩さえもそこにはあって、故にこそそれは文字通りの全身全霊。己が総てを歌や踊りとして外界に出力するからこそ、その力は絶大だ。ともすれば世界の法則すら屈服させ、自らの心象で塗り潰してしまう程に。
「俺にはそれが無い。まだ見つけられずにいる。だから皆を尊敬しているし……同時に、ひどく羨ましくも思う」
そう言い切る、彩歌の双眸。それが放つ孔雀青の光に、少女らは思わずたじろいでしまう。洞を思わせる漆黒の光輝ではない。さりとて、見る者全てを魅了する一番星の輝きでもない。そこに在ったのは、言うなれば地上より虚空の星々を見上げる迷い人のそれであった。道を探す者にしか持ち得ない、星を撃ち落とすが如き熱情であった。
それを前にしては、否が応でも理解してしまう。彩歌の言葉に、嘘は一切無い。同好会の皆を心底より尊敬しているという事も、”自分の音”の在処を知らずにいるという事も、その動機までは判然としないけれど。
その欠落を以て何とするか。その方針を、彩歌は持たない。まさしく暗中模索だ。光輝を知らぬ者にその暗闇を切り開く事は困難であり、しかし光輝そのものには容易な事。かすみの口角が、不敵を描く。
「彩歌先輩っ、放課後、時間ありますか?」
「放課後? ……うん、あるよ」
要領を得ない問いだ。かすみの真意を彩歌は悟れず、けれど問われたからには答えねばなるまい。自身の日程を思い返し、彼は頷いた。全国大会に向けての練習も必要だが、詩音が帰ってくるのは夜だ。
視界の端にはしずくと璃奈が顔を見合わせ、驚きつつも笑っているのが見える。どうやら彩歌とは異なり、彼女らはかすみの思惑に気づいたらしい。だがあえて彼にそれを告げる事はしない。
若干前のめりになるかすみ。数拍を置き、彼女が再び口を開いた。
「なら決まりですね! その時間、かすみん
───かすみんに、イイ考えがあるんですっ!」
あまりにも強引だ。だが得意に笑むかすみを見てはその真意を問い質すのも野暮な気がして、彩歌は問いの代わりに吐息を漏らした。
断る理由は無い。断れる筈もない。何故なら彼は、可愛い後輩のお茶目なら、受け入れてしまうのだから。