【完結】彩る世界に響く音   作:かってぃー

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第30話 コノ気持ちの名前は

 特筆するような事は何もない、ひどく穏やかな午後であった。半ばルーチンワークと化した授業を終えてから、特段の連絡事項もない形骸のSHRを右から左に受け流し、放課を迎えてからの少しを同じクラスの学友達との駄弁に費やして、幾許か。事の発端は、()()()を拾いつついつもと違うルートで部室に行こうという、ただの思い付きであった。

 

 友人達に分かれを告げて教室を出立し、中庭に差し掛かった頃。何気なく外を見遣り、その景色の中に見知った後ろ姿を見つけて、かすみは足を止めた。ベンチに座っているため背中の半ば程から下は見えないが、その肩にかかる程度の柔らかな亜麻色に、かすみは見覚えがあった。現同好会発足時に侑や歩夢と活動していた時期にも彼女は近い角度からそれを見ていて、故に見紛う筈もない。その姿の正体とは、かすみの待ち人でもある真野彩歌その人に他ならない。

 

 かすみが指定した待ち合わせ場所は中庭ではないが、結果的に合流できるのなら構うまい。加えて彩歌はまだかすみの存在に気づいていないときている。未だ彩歌は手元の何かに視線を落としたまま、無防備な背中を晒しているのだ。それらの状況を総合し、かすみが嗤う。

 

「にっしっし、またまたイタズラチャンス到来ですよぉ。無防備すぎますねぇ、彩歌先輩……!」

 

 今度はどんな悪戯をしてやろうか。思いもよらず降って湧いた好機に、かすみが思考を巡らせる。手元に使えそうな物品はない。つまり悪戯を行うなら身ひとつでの敢行となろうが、かすみに躊躇いはなかった。

 

 そろり、そろり。悪戯のために隠密行動をするのだとしても、かすみにとっての第一は可愛さだ。だが擬音を態々口に出しながら近づいても、彩歌が接近に勘付いた様子は無い。彼が時に屋外で眠ってしまう程に警戒が薄れる事があるのはかすみも知っていたが、これではあまりにかすみに好都合だ。或いは警戒を上回るだけのものが、彩歌の視線の先にはあるのだろうか。

 

 しかしそれは取りも直さず彩歌の世界の裡において明確にかすみより上位を占めるものが存在する事の証明であるかのようで、しかし不思議とかすみに不快はなかった。それはきっと、亜麻色の間から覗く彩歌の瞳があまりにも真剣だったから。それを邪魔するのは、ひどく野暮な気がしてしまったのだ。

 

 そのせいか出来心は立ち消え、生まれた空隙は興味に取って代わられる。足取りはそのままに、けれど隠密は忘れて。それでも彩歌はかすみの接近に気づかない。そうして奇しくも当初の思惑通りに彼の意識外から近接する事に成功し、間合いである事を認めるや否や両腕を大きく広げた。

 

「せーんぱいっ!」

「───んみゅっ」

 

 あまりにも情けなく、そして頓狂な声であった。だが、それも致し方ない事であろう。何しろ数瞬前まで彩歌の意識の裡には目前のものしかなくて、出し抜けに両頬を挟まれれば油断も表に出るというものだ。

 

 その中に在っても彩歌にとって幸いであったのは、背後から両手で挟まれているため押し潰された変顔をかすみの前で晒さずに済んだ事か。けれどそれは顔を動かせないのと同義であり、またノイズキャンセリングイヤホンを付けたままでは外音の聞き取りもままならない。精々かすみの声が聞こえる程度だ。

 

 つまり、今の彩歌は完全にかすみに為されるがまま。完全に受け身にならざるを得ず、だが解放は思いのほか早いものであった。頬から離れた指が首筋をなぞり、掌が肩へ。そのまま、左肩にかかる重みが少しだけ増した事に彩歌は気付いた。何という事は無い、かすみがその細い頤を彼の肩口に乗せ、彼の手元を見ているだけだ。苦笑し、かすみの熱を感じる方とは逆側のイヤホンを外す。

 

「……近くない?」

「イイじゃないですかぁ、これくらい。かすみんと彩歌先輩の仲ですし」

「そうかなぁ……そうかも……?」

 

 不意に詰められたかすみとの距離に気づいた瞬間こそ狼狽した彩歌であったが、改めて考えてみればこれで何か不都合がある訳ではないのだ。加えて大雅やせつ菜とは肌が触れ合う程度には密着した事もあるのだから、同様に友人という尺度で測れば、これも何らおかしな事ではない。

 

 自身で出した結論であるにも関わらず何か釈然としない所を感じていた彩歌だが、彼にはあえてかすみを拒絶する理由もない。ならば何も問題はあるまいと、彼は己を納得させる。そんな彼の内心を知ってか知らずか、再び耳元でかすみの声。

 

「と・こ・ろ・で……そんなマジメな顔で、何見てたんですか、彩歌先輩? あ、もしかして、かすみんのMVとかっ?」

「それも何度か見ているけど、今は外れ」

「むっすー。かすみんより優先するべき事が、この世にあるって言うんですかぁ?」

 

 彩歌の返答に納得がいかなかった、という事ではないのだろう。しかしスクールアイドルたる中須かすみとしてそこを譲る訳にはいかなくて、かすみが頬を膨らませる。彩歌からではその姿を見る事はできないけれど、肌に感じる熱の具合からそうと知る事ができた。およそ数センチの間隙越しにそれを感じ、彩歌が苦笑を漏らす。

 

「ふふふ。ごめんね、許してよ。これは、俺のち……憧れの人のライブの映像なんだ」

「彩歌先輩の、憧れ……ライブってコトは、もしかしてアイドルですか?」

「そうだよ。とは言っても、20年くらい前に引退したアイドルだけどね」

 

 憧れの人。そう言う前に彩歌が何と言いかけたのか、察する術をかすみは持たない。だがそれを口にする彼の瞳に一片の翳りも無いというのであれば、それに疑いを懐くかすみではなかった。

 

 だがいかにアイドル業界に精通しているかすみとて、それだけの情報で詳細が分かる筈もない。故により身を乗り出して仔細を見て取ろうとしたかすみであったが、彩歌はそれに気づかずにスマホをスリープモードにしてしまう。

 

 むぅ、と不満げな吐息をひとつ。かすみとしてはこの歳上の友人の事をもっと知る機会と思っていたが、あえてここは受け流すと決定する。ここで知れずとも、彼女の()()が成れば機会はいくらでもあるのだから。

 

「でも、なんだか意外ですねぇ。彩歌先輩の憧れの人が、アイドルだなんて。もっとこう、カタカナばっかりで覚えにくい人だと……」

「あはは……勿論、楽聖達の事は尊敬しているし、憧れてるピアニストだっているさ。その憧れに順位や貴賤を定めてないってだけでね。それに……」

 

 それに、何だというのか。彩歌がそこで言葉を一旦を区切り、そしてかすみはその続きを推測する術や手札を持たない。何しろ、かすみは彩歌の事をよく知らない。精々が音楽科に所属している何処かスカした先輩であり、”自分の音”を探している。それだけだ。

 

 尤も、それで何が変わるという訳ではない。たとえ何も知らないのだとしても、かすみが彩歌を友人と思っている事に違いは無い。それにかすみには野望もあるのだから、今は知らずとも問題は無い。

 

 まずは、野望の第一歩。全ては”かすみんワンダーランド”のために。半ば彩歌を騙すような形になってしまう事を申し訳なく思う気持ちがかすみに無い訳ではないが、結果的にwin-winになれば良いのだ、と。そうして実行に移そうとして、しかしその刹那、よく聞き知った声が彼女の耳朶を打った。

 

「──あれっ? あっ、かすみさん!」

「げげっ、せつ菜先輩!?」

 

 マズい。自分の思惑、その出端の破綻を予感し、かすみが驚愕の表情を見せる。だが彼女の計略などせつ菜の知る所ではなくて、不可解なまでに過剰な応答に首を傾げるばかりだ。

 

 何故ここにせつ菜が、などは考えても詮無い事。そもそもかすみの接触さえ彩歌には想定外であったのだから、かすみにとっての想定外が起きる事に何の不思議があろうか。通りがかりに姿を見つけたから、声をかけた。それ以上に理由が要るだろうか。

 

 驚愕するかすみとは対照的にせつ菜はあくまでも平静な様子で、しかし唐突にその足が止まる。その視線は変わらずかすみの方に注がれているけれど、それだけではない。距離が近づいた事でかすみの陰に隠れる形になっていた彩歌の存在に気づいたのだ。

 

「彩歌くんもいたんですね! じゃあもしかして、かすみさんがメッセで言ってた──」

「わーっ! せつ菜先輩、ストップ! ストップですっ!」

 

 恐らくは彩歌の関知しない所で遣り取りがあったのだろう。何かに合点がいった様子で口を開きかけたせつ菜であったが、それに先んじて彩歌から離れたかすみが両手でせつ菜の口を塞いでしまう。もがもが、としばらく声にならぬ息を漏らし、事情を知らぬまでもせつ菜が頷きを返す。

 

 少女らのそんな遣り取りを背後に彩歌は首の自由を取り戻した事を確認し、ベンチに座ったまま上体を半回転させて視界をふたりの方へ。せつ菜と目が合い、微笑みながら手をひらとさせる。

 

 せつ菜もまた同様の仕草で彩歌に挨拶を返し、けれどふと何かに思い至ったかのようにその手が止まる。そうして無言のままに彩歌とかすみの間で数度も往復する視線。今度は彼らが疑問符を浮かべる番であった。

 

「どうかしたかい、優木さん?」

「いえ、何という訳ではないんですけど……おふたりが仲良しだって、そう言えば知らなかったなって」

「あれ? 言ってませんでしたっけ? せつ菜先輩が復帰する前に……あ。───はぁッ……!!」

 

 その時、かすみに電流奔る────と言うが良いか。返答を言い切る前にかすみが漏らした声はそういった色であり、彩歌の前で晒した初めての”可愛い”の自律の外であった。それでも決して滑稽に堕ちない所は、流石の”中須かすみ”と言うべきか。

 

 そうして何かに勘付いたと思しきかすみの行動は早く、せつ菜と彩歌が反応するに先んじてせつ菜の肩を掴んだかと思えばそのまま彩歌から少し離れた所まで連れて行ってしまう。その上に殆ど頬が密着するに等しい距離で耳打ちなどされてしまえば、最早彼には漏れ聞こえる筈もない。

 

 一方で突然に連行されたせつ菜は訳も分からず混乱するばかりであり、その隣ではかすみが悪戯な笑みを浮かべている。

 

「大丈夫ですよぉ。安心してください、せつ菜先輩。彩歌先輩を盗っちゃったりしませんから。何たってかすみんは、皆のかすみんですからねっ!」

「とっ、とととと、盗る!? 何のコトですか?!」

「またまたぁ、トボケちゃってぇ。案外せつ菜先輩も可愛い所ありますねぇ、このこの~」

 

 完全に我が意を得たりとばかりにせつ菜の肩に回した腕とは逆側でせつ菜の脇腹をつつくかすみ。だが当のせつ菜は紅潮しつつも目を白黒とさせていて、その有様にかすみは己の失態を悟る。早とちりとも言えようか。

 

 だが、間違いはない筈なのだ。根拠はない、謂わば”乙女の勘”とでも言うべき感覚の産物ではあるが、かすみは己のそれに絶対に近い信用を持っていた。それに基づけば、先の反応は十中八九”是“だ。

 

 しかしこれはひとつ手を誤れば藪蛇になりかねない。それだけは想定外であり、かすみは己の裡で悪戯心が急速に萎んでいくのを感じていた。だがそれに反比例して顔を出してきたものに従い、その体勢を続行する。

 

「いちおー確認なんですケド、せつ菜先輩、さっきかすみんが彩歌先輩にくっついてた事に気づいた時、どう思いました?」

「えぇっ? うーんと……」

 

 先のそれとは異なり明確な摯実の情を覗かせるかすみの声音。それを前にしては最早その真意を問い質す事さえ不実のようで、疑問を飲み込んでせつ菜は自身の胸の内に意識を潜航させる。

 

 そもそも事の発端は通りがかりにかすみの背を見つけてせつ菜から声を掛けたというだけで、そのルートを通った事自体には何らおかしな事は無い。つまりはいつも通りに部室に向かっていたらその途上にかすみと彩歌がいただけの事でしかない。

 

 しかしそれだけであるにも関わらず言い知れぬものを感じている己がいる事も、せつ菜は自覚していた。それが胸中に去来したのはかすみが想像した通り、ふたりの距離が非常に近かった事に気づいた時。髪を挟んでいなければ互いの体温をはっきり近くできる程度の間合いとは、彼女も思っていなかった。

 

 せつ菜も分かってはいるのだ。かすみには相手にそれを許容させるだけの雰囲気があるし、今の彩歌であれば接近を拒む事は無いだろうという事は。ふたりはただの友人であり、それ以上でも以下でもない。

 

 だが、ただの友人でしかないという点でいえば、それはせつ菜も同じ事。それを思うと彼女の胸中に蟠るものはよりその主張を強めて、けれど彼女はその輪郭さえ掴めない事を、今になってようやく悟る。

 

「どうしましょう、かすみさんっ。なんだか、すっごくモヤモヤしますっ……!」

「モヤモヤ、ですか。……ふっふっふ、そんな調子だと、ほんとにかすみんが彩歌先輩盗っちゃうかもですよー?」

「そっ、それはダメですっ!!」

 

 あまりにも咄嗟の反応であった。およそ思慮などは立ち入る余地の無い、反射的な応答であった。そのせいか音量の抑制も忘れてしまって、一拍を置いて思わず自身の口を手で押さえる。

 

 まさしく動揺の極みである。しかし自身の行動にさえ理解が及んでいないせつ菜とは反対にかすみは今度こそ我が意を得たりといった面持ちであり、それを見れば嵌められた事だけは明らかであった。

 

 思わず彩歌の方を見遣れば、憂惧を滲ませた表情の彼と目が合った。あまり事情を分かっていない様子だが、道理である。せつ菜達は彩歌からは聊か離れた位置で、それも耳打ちで会話をしていたのだから。彼から分かるのは、せつ菜の駄々のみだ。どうしてかひどく恥ずかしくて、顔が赤くなってしまうのをせつ菜は自覚する。

 

「にっしっし、かすみんってば、またひとつせつ菜先輩について詳しくなっちゃいましたねぇ。特ダネですっ!」

「なぁっ……! 謀りましたね、かすみさん!」

「優木さん? どうしたの? 大丈夫かい?」

「──!」

 

 未だ自身の動揺の原因について、せつ菜は理解できた訳ではない。むしろ全く以て不明と言って良く、それ故かかすみへの抗議も動揺を隠しきれていない。そんな中で話しかけられたものだから振り返るのもまた反射で、しかしその先で静止してしまう。

 

 それは何も、目前にあったものが奇天烈だったとか、そういう事ではない。せつ菜の目の前にいるのは心底から心配そうな表情をしているだけの、ただの彩歌だ。何処にも変哲は無い。だが今のせつ菜にとって、それは最も覿面な存在でもある。

 

 分からない。本当に盗ってしまうと言われた時に咄嗟に言い返してしまった理由も、今こうして彩歌を前にして明確に心拍が速くなっている理由も。それを振り払うように、勢い良く彩歌の手を掴んで踵を返す。

 

「こっ、こんな事をしている場合ではありません! 急がないと活動に遅れてしまいますよ! ホラ、彩歌くんも!」

「えっ、ちょっ、待ってよ! 遅れるって、俺もかい!?」

「え?」

 

 先程とは打って変わっての、静寂。心穏やかならざるドギマギは一瞬にして何処かへと吹き飛んでしまい、せつ菜と彩歌が顔を見合わせる。たったそれだけで、ふたりは相手との間に認識の齟齬がある事を了解する。

 

 そして、その原因足り得るのはただひとつだけ。彼らがかすみへと視線を移したのは殆ど同時であり、それを受けてかすみはぎくっ、と呟きながら身体を強張らせる。

 

「まさか、かすみさん……言ってなかったんですか? 本人に?」

「えぇと、今ので殆ど分かったも同然だけど……一応、教えてもらえるかな?」

 

 ふたりの詰問を一身に浴び、居心地が悪そうに身動ぎするかすみ。しかし幾許かの間を置いてそこから復帰すると、ふたりに向けてその薄い胸を張ってみせる。両手は自身の腰へ。冷や汗は流れたままだけれど、可能な限り自信ありげに。そうして完璧なポージングをアドリブでやってのけ、遂にかすみが口を開く。

 

「ふふふ……バレてしまっては仕方ありません。

 ──いかにも。これぞかすみんのかすみんによるかすみんのための”絶対にかすみんって呼ばせてみせるぞ計画(プロジェクト)“の要……その名も、”彩歌先輩の体験入部その2(パートツー)”なのですっ」

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