【完結】彩る世界に響く音   作:かってぃー

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間話IV ココがカレのスタートライン

 真野陽彩にとって、仕事帰りの自宅というのは夜闇の中に在るものであった。寄り付きたがらなかった訳ではない。むしろ彼は寄り道をしない性質で、それでも帰りが遅くなるのはそもそも仕事が多忙故のこと。スクールアイドルの台頭も激しいこの時代、アイドルプロデューサーの仕事量というのは彼が現役であった頃の比ではない。

 

 仕事自体に不満があるというのではない。これは陽彩が叶えた夢の先に続く道で、それを歩むことに彼は誇りすら持っている。何よりその歩みを家族から応援されているのなら、そこに迷いがあろうはずも無い。

 

 だがその道程に覚悟はあれど、寂寞がない訳ではない。覚悟とは他全てを排除するのではなく、内包するものであるが為に。仕事が充実しているとはいえ、彼とてひとりの人間だ。家族とすれ違えば寂しくもなるし、明かりが消えた我が家に思う所がない筈も無い。愛歌が存命であった頃は彼女が待っていた事もあったけれど、それも昔の事。とはいえ、待たない彩歌が薄情というのではない。自分を待っている必要はないと、愛息に言ったのは彼自身だ。

 

 ──故に。陽彩にとって深夜の我が家、それもリビングに明かりが灯っているというのは、実に数年ぶりの事であった。或いは照明の消し忘れかと首を傾げ、しかし玄関を開けてみれば、扉越しに音が漏れ聞こえた。恐らく、テレビの音。それも彼にとっては訊きなれた、そしてひどく懐かしいそれ。即ち、彼が現役アイドルであった頃のライブ音源だ。

 

 なればリビングに誰が残っているのかも、何故それが陽彩の帰宅に気づかないのかも自ずと明らかになるというもの。起床し、真っ当な親心と少しの悪戯心を以てドアノブに手を掛けた。

 

「ただいま、彩歌。……夏休みだからってこんな時間まで起きてるなんて、感心しないな?」

「父さん!? おかえり。でも、こんな時間って──」

 

 本来ならばそれには如何なる言葉が続く筈であったのか。疑問とも反駁ともつかない物言いの中で彩歌は時計に視線を遣り、刹那、驚愕に思わず声を漏らした。あまりにも間抜けな表情に陽彩が笑声を零し、同時に納得する。彩歌が深夜まで起きていたのは、きっとあまりにも集中していたから。時間を忘れる程に夢中になっていたのだろう。

 

 テレビを見てみれば、やはりそれに移っていたのは若かりし頃の陽彩とその仲間達。映像自体が古いものであるため画質は相応に悪いが、一時停止した画面の裡、彼らは輝かしい舞台の上で華美な衣装を纏い、心底からの笑顔を客席に振り撒いている。30年程前に行われた、陽彩達のラストライブの映像だ。嘗ての彩歌はそれを気に入っていたことを、陽彩は覚えていた。

 

 だが、彩歌が家でそれを見ているのは陽彩が知る限りでは実に4年ぶり、事故以来初めての事だ。それも、時間の経過も忘れる程に夢中になって。

 

 とうに見慣れた、しかし久方ぶりの愛息の姿。それを目の前にして、陽彩が笑みを零した。

 

「おまえ、これ本当に好きだな……昔の自分を目の前で観られるってのも、なかなか恥ずかしいんだぞ?」

「ふふ、ごめんね。でも仕方ないだろう? これは俺にとって、原点みたいなものだからさ」

 

 揶揄うような陽彩の問いに、しかし彩歌の答えはあくまでも真っ直ぐだ。或いは嘗ての彩歌であれば顔を赤くしながら照れ隠しを口にしていたのかも知れないが、今の彩歌にとってそれが本音なのであれば、言葉にするに躊躇いはないのだ。

 

 彩歌が両親の在り方に憧れてから今に至るまで、様々な事があった。それらは決して幸せなものだけではなくむしろ順風満帆とは程遠くて、けれど今日、この映像を見て彩歌は改めて確信した。多くの経験を越え、どれほどの時を経ても、この憧憬にはいささかの翳りもないのだと。

 

 そしてそれを確信すればこそ、決意は確固として。どう問うても陽彩の答えが変わる事は無いと彩歌は知っているけれど、本人が目前にいるのだ。ならば直接告げるのが誠実というものだろう。そう信じ、吐息をひとつ。気恥ずかしさを追い遣った。

 

「ね、父さん。ひとつお願いがあるんだけど、いい?」

「ん……何だ?」

 

 返答に一拍を要したのは、或いは陽彩もまた彩歌の考えを察しているためだろうか。何とはなしにそう感じ、彩歌は笑う。血は争えぬと、そう評するが良いか。

 

 時を経ても憧憬は些かも褪せず、だが憧れているだけでは何も始まらない。何しろ星に手を伸ばすようなものだ。その領域に至るには、相応の代償が要る。研鑽の果てに全国の頂点を掴んだ彩歌だからこそ、それを誰よりもよく知っていた。

 

 だからこそ、この帰結は半ば必然。己が憧憬の片割れに真っ向から向き合い、彩歌が告げる。

 

「──また、俺に”アイドル”を教えてよ、父さん」

「良いのか? 本番はもうすぐなんだ、加減はできないぞ」

 

 いかに毎日多忙な生活を送っているとはいえ、陽彩は息子について無関心ではいられない。彩歌が何に向けて陽彩の教導を欲しているかについても、無論彼は把握しているつもりであった。

 

 スクールアイドルフェスティバル。夏休みの末頃に行われるそのイベントでステージに立つと、彩歌はせつ菜に約束した。経緯は知らずともその予定は陽彩も知っていて、だがそれまでには幾許の猶予もない。それまでの数週間の毎日を、付きっ切りでいる事はできないのだ。その短い時間で一定以上に仕上げるのなら、その練習はひどく過酷(ハード)なものとなろう。ともすればプロのアイドルのそれ以上に。

 

 彩歌が不出来というのではない。むしろ幼い頃から両親の背を追い続けた彼だからその潜在能力(ポテンシャル)には目を見張るものがあろうが、しかし彼には4年の空白(ブランク)があるのだ。同好会での練習を合わせても、それを取り戻すには生半では足りるまい。取り戻すだけでは足りないというのなら尚の事。

 

 射貫くような視線であった。今だけは父でなく、元トップアイドルとして。巨大な質量を内包したそれを受け留め、けれど彩歌の表情はあくまでも柔和だ。

 

「ダメ、とは言わないんだね」

「当然だろう。おまえがこういう事で冗談を言わないのは分かってるしな。なら、その頼みを無下にする訳にはいかない。人としても、父親としてもな」

「ふふ、そっか。……あぁ、承知の上だよ。俺だってひとりの表現者(パフォーマー)だからさ。自分の現状くらい分かってる。……って、少し前までから回ってたヤツが言っても説得力が無いかもだけどさ」

 

 自嘲的な響きを伴った彩歌の言葉を、陽彩は否定しない。客観的に見れば彩歌の自己認知に間違いはなく、そしてそれを否定してしまえば息子の苦悩に寄り添いきれなかった陽彩自身の罪業までもを逃避するに等しい。故にこその沈黙。その律儀さを彩歌はよく知っていて、無言の交感に笑声を零した。

 

 瞑目。そして、彩歌がひとつ大きく息を吐いた。ただそれだけの、全く自然な動作。何という事も無い深呼吸。だがそれだけで周囲の空気が決定的に変質したのを、陽彩は感じ取った。──そして晒された変質の正体に、思わず息を呑む。

 

「それでも、俺はやりたい。せつ菜さんとの約束を果たすために。それに……努力は惜しみたくないんだ。夢を叶えるためならね」

 

 全ては、己が掲げる責任と夢のために。あまりにも幼気かつ無軌道な返答だ。いっそ荒唐無稽と切って捨てられてしまいそうな程に。むしろ言葉だけならば一笑に伏されるが道理というものだろう。けれど、それを分かったうえでもなお、信じられる。呼吸を忘れた一拍の間に、陽彩はそれを確信した。根拠がある訳ではない。だが強いて挙げるのなら、それは彩歌の眼を置いて他にない。

 

 母親譲りの大堡礁を思わせる瞳に宿る、微かな燐光。時に冥く。時に眩く。相反する光輝を内包した存在を以て、遍くを惹き付ける。故にこそ、それは”星”。自身の生む引力により、万物を引き付けて離さない巨星だ。幻想を信じさせる存在の説得力だ。陽彩は、彩歌にそれを視た。

 

 真野彩歌に、アイドルの才能は無い。父としての贔屓目を抜きにした、それが嘗ての陽彩の評価だった。実力の話ではない。”努力の天才”である彩歌ならば、それは努力次第でどこまでも伸ばせよう。故に、それはもっと根本的な事。彩歌には、アイドルに足る熱量が無かった。

 

 だが、どうだ。今や彩歌は己が非才を覆し、絶大な質量を獲得してみせた。憧憬と夢を混濁させず、しかし憧憬を抱えたまま夢を謳っている。父母の教えから脱却し、けれど忘れず、自らの在り方を規定している。コンクールの結果が、それが錯覚ではない事の証明だ。

 

 決定的な変質。それは決して彩歌ひとりで為したものではない。せつ菜や侑、スクールアイドル同好会の面々との出会いが、彼を変えたのだ。彼の胸に再び夢の大火を灯し、非才を覆す程の萌芽を生むまでに。

 

 スクールアイドル達との出会いと通して、彩歌は変革した。それを確信し、陽彩は思う。彩歌の父親として、そして元トップアイドルたるプロデューサーとして。──彼の星彩が照らす先を見てみたい、と。

 

 なればこそ、答えは決まっていた。

 

「分かった。そこまで言うなら、おまえに”アイドル”を叩きこんでやる。けど、時間が無いんだ。全力でいくが、付いてこれるな?」

「あぁ、勿論! ありがとう、父さん!」

 

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