【完結】彩る世界に響く音   作:かってぃー

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最終話(エピローグ) オレとワタシの未来図

 ──反響を続けるりんの音。連日に亘って早朝からの夏日を記録する東京都心にあって凛とした空気を湛えるその部屋はまるで辺獄に拓かれた極小の異界のようだ。瞑目を続けるが故に彩歌の視界は未だ暗く、だが鼻腔を突く線香と井草の匂いが彼に自身の在処を意識させる。無明の交感において時間の感覚は無意味にも近しく、だが少しずつ痺れを訴える両脚がどうしようもなく生命の実感であった。

 

 彩歌にとって、それは毎朝の日課である。ある種のルーチンワークと言っても良いだろう。朝日から少し遅れて目覚め、決められたルートを走り、朝食を食べ、仏壇に線香を捧げてから学校へと向かう。少しばかり順番が前後する事はあれど彼はそれを忘れた事は無く、さりとて流れ作業にしたつもりもなかった。それは文字通りに過去との対面であるが故に、彼がそれを御座なりにする筈も無い。

 

 無論、彩歌とて分かっているのだ。それを続けた所で母から応えがある訳でもなければ、遺影が形を変える訳でもない。死者はあくまでも死者のままで、生者は永久の静止と向き合う他ない。分かったうえでもなお続けている。彼が彼である限り、きっとそれは変わらないのだろう。昨日も、今日も。そして、これからも。

 

 だが何もかも不変というのでもなく、今日の瞑目が殊更に長いのもまたそのひとつ。報告したい事が山のようにあるから。話したい事が沢山あるから。そういう時、どうしても彼の黙祷は長くなってしまうのだ。その分、両の脚は強く悲鳴を訴えるけれど、致し方ない事でもあろう。──昨日は待ちに待ったスクールアイドルフェスティバル当日であったのだから。

 

 “死”と向き合い、”生”を()る。断絶した時間との乖離を意識すればこそ、己の歩みを再認する。それは再定義と言える程高尚ではなかろうが、彩歌にとっては大切な時間だ。いつか己が生命の断絶を迎えた時、応えはその後にあればそれで良い。無聊の慰めではなく、それは未来への希望であった。

 

 この変遷を知れば、果たして愛歌は何を思うだろうか。嘗ては希死の再認(メメント・モリ)にも近しかった礼拝は今や生存の欲動(カルペ・ディエム)へと変わり、だが行為それ自体は何も変わらない。いっそ現金と詰られても仕方のない変化だ。以前の彼自身が知れば、きっと責め立てるだろう。けれどそれを自覚してもなお、彼は今の己を肯定する。

 

 今の彩歌が在るのは、愛歌に救われたからだ。その事実のために嘗ての彼は死を求め、今は生を求めている。この命は母に救われた事で存続を許され、そして生存を願われた。ならば、生きなければ。今もなおその身で燃える生命の火こそが両親の”夢”そのものであればこそ、彼はそう決意する。毎朝の対面はその再認のためでもあった。

 

 そうして、暫く。彩歌が目を開くと、和室に満ちていた凛麗が解けるようであった。異界は万象の裡に溶けて、蝉の声が入り込んでくる。長く正座をしていたせいか脚は冷え切っていたが、我慢して立ち上がった。背を伸ばし、吐息をひとつ。あまりにも情けない在り様だ。苦笑し、けれど彼はそれを晒し続ける。開き直りでも、それが彼の生き方であるから。傍らの鞄を手に取り、仏壇を一瞥する。

 

「行ってきます、母さん」

 

 その言葉を最後に、彩歌は和室を出る。後ろ手に襖を閉めて、足は玄関の方へ。夏真っ盛りの東京は今朝もうだるような暑さを呈しているが、普段よりも早いせいか幾分か気温は上がりきっていないようだ。尤もそれも一時の事で、すぐに熱帯もかくやといった具合に変わってしまうだろうけれど。

 

 諦めのような溜息を吐いて、彩歌がスニーカーに足を掛ける。だがそれと同時に、階段の方から木材の軋みが聞こえた。陽彩は既に仕事に出ているし、彩歌はここにいる。ならばその足音の主は自ずと知れよう。未だ眠気を引き摺っているような足音は、やはり詩音のものであった。

 

「おはよう、先生」

「さっちゃん、おはよ……今朝は随分早いのね……」

「まぁ、スクフェスの片付けがあるからね。これでも一応実行委員だからさ、早めに行かないと示しがつかない」

 

 真面目ねぇ、と詩音。彩歌はそれ以上に何も言ってはいないが、それが彼の自主的な行動である事を詩音は確信しているようだ。そしてそれは事実であるのだから、彩歌は何も反駁できない。真面目という評には思う所はあれど、そこは今論ずるべき所ではないだろう。

 

 そもそも、詩音は彩歌の事を幼い頃から見ている。その人となりについてはともすれば彼自身以上に知っていて、ならば今更真面目と臆病を取り違える筈も無い。お為ごかしのような回答も、その実何から何までが本音だ。彼の晴れやかな顔こそがその証左。そんな愛弟子の様子に、詩音が微笑する。

 

「ホント、イイ表情(カオ)するようになったわね」

「ん、そうかい? まぁ……()()()()()()()()、俺は」

 

 詩音の言葉をどのように受け取ったのだろうか、彩歌はそう答えて得意げに笑んで見せる。数か月前までは決して見せる事のなかったその顔は、だが真実彼の内心そのものであった。真野彩歌は生きている。身体が稼働し続けるだけの半死人ではなく、人間として。

 

 詩音は嘗て、菜々の前で彩歌を間違え続けていると評した。彼が他者の願いにも己の本心にも目を向けず、自らを”死”に定義したが故に。だが、彼女にはそれを是正できなかった。4年前の一連には彼女自身も関わっている以上、彼女の言葉を彩歌は聞こうとしなかっただろうから。ともすれば同情ともなり得る思いなど、既に頑張り続けている者には毒でしかない。

 

 だから、詩音は菜々に賭けた。事故を発端とする一連に関わりを持たない彼女ならば或いは、と。目論見と形容するにはあまりに杜撰なそれは、いっそ期待の暴投と評するが相応しかろうか。

 

 けれど果たして、望みは成った。今も詩音の脳裏には全国大会やスクフェスで彩歌が見せたステージが焼き付いている。まるで恒星のような質量を錯覚させるそれは、彼が己の総てを受け容れたが故のもの。矛盾する己を受け容れ、自分が自分である事を楽しむ。ならばそれを形容する言葉とは“生きている”以外にあるまい。

 

 既に靴を履き揃えた彩歌に歩み寄り、その髪に手を乗せる。普段ならば背伸びをする所だけれど、今は彼の方が詩音より一段下にいるからそれも容易だ。そのまま乱暴に撫でると彩歌は悲鳴めいた声をあげたが、しかしそれとは裏腹にその顔は笑顔だ。師弟の信頼か、或いは家族の親愛か。どちらともつかずとも心地よい感慨が、そこにはあった。

 

「随分ナマイキ言うようになったじゃないの、さっちゃんも! ……うん、それもヨシ! 行ってらっしゃいな! 精々、楽しんできなさい!」

「髪型メチャクチャにしてから言うコトじゃないよ、もう……まぁいいや。行ってきます、先生!」

 

 何処か投げやりに言葉を交わし、けれど仕草は親密なそれ。手を振りながら、彩歌が出ていく。快活な笑顔を浮かべ、足取りは軽く。少年は“今日”へと踏み出して、先達はそれを見送った。気配は次第に遠くなっていき、遂には感じられなくなるまでそう時間はかからなかった。それを最後まで見届て、吐息を零す。

 

 音は既に遠く、屋敷の中には既に詩音ひとり。静寂が虚空を包んでいて、けれどそれは虚無ではない。空白に残る色彩は暖かくて、それだけでも満たされるような気分であった。襖を開けて和室に入り、詩音は遺影に視線を遣る。額縁の裡で笑む愛しい親友はやはり姿を変えてはいなくて、けれど詩音は笑みを投げ掛けた。苦笑のような、或いは呆れのような、それでいて喜悦の滲む、そんな笑顔を。

 

「大きくなったわね、さっちゃんも。そう思わない? ……愛歌」

 


 

 嘗て、自宅から踏み出す初めの1歩というのは彩歌にとって空中に身を投げ出すようなものだった。命綱もないまま、ただ重力のみに囚われた自由落下。自由などは名ばかりで、その実態は不可抗力に縛られている。行き着く先に地面などはなく、眼前に広がるのは奈落ばかり。他人を恐れていた彼に、世界は無彩だった。

 

 現在も、その行為自体は何ら変わりない。家人がいれば出立を告げて、扉を開ける。そうすれば朝の匂いが鼻腔を擽って、目の前には門までの一本道が続いている。今日もまた、1日が始まる。その事実を前に、けれど彩歌の感慨だけが異なっていた。足取りは軽やかで、そして確と。落下の錯覚は、いつの間にか消えていた。

 

 朝日に濡れて色彩に満ちる世界を、彩歌は往く。その脳裏で1日の予定を反芻するのは自縛のためでなく、希望を以て。今日はどんな日になるだろうか、と。そんな曖昧な期待をする事すら楽しくて、だが不意にその足取りが止まった。彼の表情は驚愕のそれだ。けれど、それも致し方ない事だろう。開け放った門の先、そこで予想もしていなかった相手と目が合ったとなれば。

 

「──菜々!? おはよう。どうしたのさ、こんな時間に?」

「おはようございます、彩歌くん。……えへへ、何だか早く会いたくなっちゃって。それにスクフェスについてもまだ話し足りないんです! だから、来ちゃいました」

「っ──」

 

 あぁ、可愛いなぁ、もう。思わず口に出してしまいそうになった言葉を押し留め、情けなくにやけてしまう口元を隠す。けれど鼓動が高鳴ってしまうのはどうしようもなく、頬の赤みは隠せない。掌の隙間からそれを見て取って、会話が続かなかったのはそのせいだ。しかしその静寂すら何処か心地よく思えるのは、あまりに浮かれすぎであろうか。

 

 自嘲混じりの感慨に、彩歌は改めて現在(いま)を反芻する。菜々と彩歌の関係がその名を変えたのは、つい昨晩の事だ。互いの想いを確認し合い、気持ちを通じ合わせた。それは彼にとって数年来──事故以後は封じていたとはいえ──の想いの成就であり、ならば全く浮足立たないという方が無理があろう。

 

 しかしそれを悟られまいとしてしまうのは、ある種の虚栄(プライド)によるものか。尤も、無意味な行動だ。ときめきも、虚栄も、最早菜々には全てお見通しである。児戯めいた彼の仕草さえも可愛く思えるのは、或いは彼女の贔屓目であろうか。彼の出発前に家まで押し掛ける目論見は叶わなかったけれど、この表情が見れただけでも彼女は満足であった。

 

 逸る心拍を鎮めるため、平静を装いながらも密かに大きく息を吸う彩歌。けれどそれが呼気となる直前、不意の熱に彼の身体が停止した。右手は顔を隠すために動員されていたが、がら空きになっていた左手に菜々の右手が滑り込んだのだ。

 

「ホラ、行きましょう! 早くしないと、皆に先を越されちゃいますよっ!」

 

 目指すは一番乗りです! と。彩歌の手を執って歩く菜々の表情は満面の笑顔で、けれどその頬が常のそれより紅潮している事に彼は気付いた。一見すると平気であるような菜々だけれど、何も感じていない訳ではないのだ。ただそうして齎される感情さえ、幸福に包括されるというだけの事。

 

 そんな菜々の様子を見ていると自身の羞恥が馬鹿馬鹿しくなってくるようで、彩歌もまた微笑して彼女の隣に追いつく。繋いだ手は離さないまま、彼からもまたそれに応えて。ときめきも、驚愕も、そして羞恥さえも、それが大切な人と共に在る証明ならば幸福だ。その気持ちに嘘はない。

 

 とはいえ少し前まで他者を過度なまでに恐れていた彩歌であるから、その性質は全く彼の裡から無くなった訳ではない。幸福ではあれど恥ずかしいのは確かで、そんな姿が何処かいじらしい。正面から菜々への想いを告げた昨夜の姿とはかけ離れたそれに、しかし菜々は笑声を漏らした。

 

「可愛いですねっ、彩歌くん」

「ぐっ……」

 

 揶揄うような、或いは労わるような菜々の声音を前に、彩歌は歯噛みするのみ。反駁の意思はあるけれど、何を言っても徒労である事は今の彼にも自ずと知れるというものだ。いかにときめきと含恥、そして掌から伝わる菜々の感触に心臓が早鐘を打っているといえど、それで冷静を全く失う程彼は脆弱ではないつもりであった。

 

 学校中に真面目で通っている生徒会長に人前でこのような振る舞いをさせて良いのか、だとか。菜々の姿ではあっても”優木せつ菜(スクールアイドル)“なのだから、だとか。そんなものは全て言い訳、お為ごかしだ。故に棚上げし、彩歌は吐息と共に弱気の虫を追い出した。決心し、握り合った拳の裡で掌を滑らせる。

 

 ただ握り合っただけの手を、五指同士で絡め合うように。サブカルチャーにも明るい菜々であるからそれが何であるかを知らぬ筈も無く、ようやくその表情に動揺が見られた。してやったり、とばかりに彩歌が笑む。

 

「ふふ。菜々、キミの方が可愛いじゃないか」

「むぅ……イジワルですよ、彩歌くん……」

 

 不意打ちめいた仕返しであった。彩歌が初心であったから通じた揶揄は、しかし同等に初心である菜々にもまた通用する。そして先手が菜々であったのだから、彩歌には次手を打つだけの猶予があった。それ故の意趣返しである。

 

 だが不意打ちと意趣返しの応酬といえど、それらは決して不快を目的としたものに非ず。奇妙な意地の張り合いにふたりが思わず吹き出したのは全く同時で、それから再び歩き出した。言葉を以て確かめるでもなく、けれど意図を了解し合いながら。競合の地続きであるそれは、しかし彼らの本意でもあった。

 

 彼らは共に真面目な性分で、そして初心でもある。それこそただ手を繋いでいるというそれだけで、心臓が逸ってしまう程に。だが今すぐに慣れる必要はないのだ。これからを共にすると誓ったのだから、これから慣れていけばいい。たとえ牛歩のようでも、きっと遅くはないだろう。

 

 互いの熱を感じて、存在を確かめて、彼らは歩く。歩調は完全に同期している訳ではないけれど、それがむしろ彼ららしい。無理に合わせる必要はないのだ。自分なりの速さで進み続けて、それで隣に在り続ける事ができれば。

 

 菜々の咳払い。或いはそれは、この甘く弛緩した空気を立ち戻らせるためのものであったか。

 

「それで……彩歌くんも見ましたか? スクフェスの反響!」

「勿論だよ。SNSでもスゴい話題になってるよね。俺、普段はあんまりエゴサとかしないんだけど……それでも、皆の感想はいっぱい流れてきた。

 嬉しかったよ。皆のライブが、こんなに多くの人に届いたんだって。皆のステージが、人々の心を動かしたんだって。そう思って、少し泣いちゃったんだから、俺」

 

 三校合同の企画であるとはいえ生徒らのみによる運営であるため祭典の規模としては決して大きいとは言えないスクールアイドルフェスティバルであったが、その反響は彼らが予想していたよりも大きいものであった。今朝までスクフェス関連の単語がSNSのトレンドを席捲していた程と言えば、その勢いは自ずと知れよう。日夜情報の荒波渦巻くネットの世界において、人々が長い間夢中になっていたのだ。その事実こそ、人々がスクールアイドルの輝きに魅せられていた証左であろう。

 

 無論、その全員が初めからスクフェスを観ていた訳ではないだろう。スクフェスはステージの様子を配信もしていたけれど、その規模は決して大きいものではなかった。けれど訪れた人々の感想や動画が拡散して、流れて、時間をかけて人々の目に触れていったのだ。輝きは有限であろうとも、それに魅せられた人々がそれを繋いでいく。有限の光輝は、けれど人の営みにあっては無限ともなり得るのだ。

 

 まるで星の輝きのようだ、と彩歌は思う。時に星の輝きは一瞬で、けれどその輝きに魅せられた者たちが人から人へとそれを繋いでいく。この連続性の中において光輝は無限で、そして感情もまた同様だ。矮小で壮大なその物語が彩歌には素晴らしいものに思えて、感動はそれ故の事であった。

 

「私もです! 私たちの”大好き”がこんなに多くの人に届いたんだって、そう思ったらすごく嬉しくて、居ても立っても居られなくて……やってよかったって、心の底から思えた」

「あぁ。準備も練習も、すごく大変だったけど……でもそんなコト気にならないくらい、嬉しい。報われたっていうのかな、こういうの。またやりたいって、昨日からずっと心が叫んでるんだ。……新しく、やりたいコトもできたしね」

「やりたいコト?」

 

 昨日はそんな事を言っていなかったのに。そんな疑問を込めた菜々の疑問に彩歌は無言のまま首肯して、ぽつりと言葉を零す。

 

「───〝色彩の星(カラフル・スター)〟」

 

 或いはそれは、ともすれば要領を得ない答えであるのかも知れない。少なくとも余人からすればあまりに不可解で、だが菜々にはそれだけでも十分であった。思わず、息を呑んでしまう。そこに込められたのは歓喜とは対局の戦慄めいて、だがそれも当然だろう。

 

 色彩の星(カラフル・スター)。それは昨日のスクフェスを経て、彩歌に付けられたある種の二つ名のようなものだった。曇天に覆われ無彩と化した地上をその輝きで以て照らし、そして遂には雨雲さえ払い色彩を取り戻した星のようなアイドル。故にこその、色彩の星。

 

 だが、それは”カラフルスター“なのだ。彩歌自身を示すものではなく、彼の父である陽彩を指した異名を由来とする呼称。それは詰まる所、彩歌がステージに立つにあたって彼の親友である大雅が憂いた事態の具現だ。菜々の応えが戦慄めいていたのは、そのためであった。

 

 菜々/せつ菜らのステージが人々を魅せたように、彩歌もまたひとりのスクールアイドルとしてその光輝を以て観客を魅せた事は紛れもない事実だ。だが彼の場合、その賞賛は決して彼ひとりに向けられたものではない。父の異名を由来とする二つ名は最も明解なその顕れであろう。これでは彼が辿ってきた過去の再演だ。

 

 冷や水を浴びせられたかのような心持であった。何をはしゃいでばかりいるのか、と。それはいっそ罪悪感のようで、だが彩歌はそんな菜々の内心を見て取ったのか空いた手で彼女の髪を撫でた。

 

「そんなに気にしないでいいんだよ、菜々。これは何も悪い事ばかりじゃないんだから。俺の音楽が皆に届いたのは事実だし……それに俺、今すごくワクワクしてるんだ」

「ワクワク、ですか……?」

 

 疑問の声を零す菜々に、頷きを返す彩歌。彼女の疑念は尤もだ。スクールアイドルフェスティバルは、皆の夢を叶える場所。そう銘打たれた祭典で、菜々らは確かにそれぞれの夢の結実を見た。彩歌もそれは同様であるのに、彼ばかりが過去の因果がそれを掠めている。それなのにワクワクしていると、彼は云う。

 

 きっと以前の彩歌ならばこの反響を見て己の力不足を痛感し、自らを殺してまで更なる力を求めていただろう。無論、現在が全く異なる訳ではない。力量不足を痛感しているのは変わらない。実力で黙らせるなどと大口を叩いておきながら全くできていない、と。けれどその事実の先に、彼は嘗てとは異なる意味を見る。

 

「だって、俺の夢はまだ叶っていない。俺の人生には、まだ続きがあるんだ。なら、こんなに嬉しい事は無いよ。俺の命には、確かに意味があったんだから!」

 

 『いつかきっと、自分の音楽で皆を笑顔にする』。それが彩歌の夢で、()()()()()()()()()()()。彼の歌は確かに人々を笑顔にしたけれど、真の意味で届いたと言うには未だ遠い。

 

 あまりに未熟。あまりに青い。だからこそ、その夢にはまだ余白がある。彼の夢にはまだ続きがあって、ならばそれこそが彼の命が抱える意味そのものだ。嘗てその身に降りかかった悲劇のために己が生命を無価値と断じた少年は今になって、ようやく自らの存在を定義したのだ。

 

 〝色彩の星(カラフル・スター)〟。彼自身が魅せた光輝を由来としながら、彼でない者すら包括する名。

 

 〝出涸らしの子〟。高名な両親の間に生まれながら、才に恵まれなかった子を嘲る名。

 

 ともすれば嘲弄めいたそれらを前にして、だが彩歌は笑う。嘲笑、七光り、そんな扱いは何するものぞ。前を見据えたまま、彼は己が決意を口にする。

 

「俺はもう、ただ両親に憧れるだけじゃない。俺はいつかあの人たちを超えたい。いや、超えてみせる! 超えて、皆を”俺の音楽”で笑顔にする! だから、今は”色彩の星(カラフル・スター)“でいいんだ」

 

 宣誓は、まるで野心のように。虚飾でなく、傲慢でもなく、一切の曇りない眼で前を見据えたまま少年は新たな夢を口にする。そんな彼の隣、見上げる菜々がその瞳に星彩を見たのはきっと錯覚ではない。昨日のステージで見せたそれと同じか、ともすればより強い光。その煌めきは理屈を飛び越え、見る者に彼の心根を直感させるには充分に過ぎた。

 

 彩歌はずっと、両親に憧れて進んできた。幼い頃に見た彼らの舞台、それが放つ光輝に魅せられたが故に彼もまた音楽の道を志したのだ。憧憬を源泉に、それが生み出す活力を糧にして。けれど今はそれを超えて、一歩先へ。憧れは憧れのまま、それを超える。それは、揺るがぬ決意であった。

 

 故に、彩歌は”色彩の星(カラフル・スター)”なのだ。今は両親の影が見え隠れするその名を、いつかは真に己が異名とするために。

 

 熱の籠った声音。彩歌がそれを自覚したのは、微笑む菜々の視線に気づいた時の事であった。

 

「──って、ごめんね。俺ばっかり話しちゃって。つい熱くなって……」

「謝らないでください。夢の話をする彩歌くんの顔、私は好きですよ? それに、つい熱くなっちゃう事は、私もありますから」

 

 それに、と菜々。繋いだ手を潜り抜けて一歩先に踏み出すと、その場で踵を返した。周囲には彼ら自身以外に誰の目もなく、それを確認するや否や菜々は眼鏡を外した。三つ編みも解いてその夜空のような美しい長髪が風に靡き、鞄から取り出した髪留めでサイドテールに束ねる。

 

 そうして、吐息をひとつ。時間にしておよそ数秒。たったそれだけの時間で、そこに立つ少女はその姿をスクールアイドルとしてのそれに変えた。ならばその漆黒の瞳に彩歌が彼自身と似て非なる光輝を見て取ったのは、きっと幻などではない。

 

「あなたの話を聴いてると、私も負けてられないって思うんです! 私だって、まだまだ夢を叶え足りない! もっともっと、私の”大好き”を叫びたい! だから──」

 

 拳を握り、手を伸ばす。先のように横に並ぶためではなく、ともすれば挑戦か、或いは誘うように。

 

「──叶え続けましょう! 私たちの夢を!」

「あぁ、勿論! これからも、ずっと!」

 

 人間はその命において、常にひとつの夢しか保障できない。自らの夢を追うのなら、他者の夢を保障するのは不可能だ。それを望めば、きっと何もかもが破綻してしまうだろう。だから、彼らは共に同じ夢を見る事はできない。

 

 だが同じ夢を見る事はできずとも、共に叶える事ならば。その生涯で目の前に続く無数の道において、彼らは帯同する事を選んだのだから。それぞれの夢を、共に叶える。矛盾しているようではあるけれど、それが彼らの選択だ。

 

 きっと容易な道ではない。時には挫けそうになる事もあるだろう。万事が上手くいく選択などある筈も無く、挫折の度に後悔する事は目に見えている。だが、そんな事は全く今更だ。その現実を知らぬまま、夢は語れない。彼らは既にその現実を知り、そして乗り越えている。

 

 だから、後は歩き続けるだけだ。瞬間瞬間を必死に生きて、大切な”今”を重ね続けながら。たとえその道程がでこぼこだらけなものであったとしても、彼らは既に選んだ。ならば、あとはただ辿るだけだ。

 

 菜々──否、せつ菜の拳に、彩歌は己がそれをぶつける。

 

 新たな誓いを此処に。意思も、覚悟も、想いも、総てとうに決めている。

 

 

「──一緒に、生きていこう」

 

 

 色彩満ちるこの世界を、彼らは生きる。共に、夢を叶え続けるために。




 これにて本作『彩る世界に響く音』は完結となります。
 後書きでつらつらと語るのもアレなので、ちょっとしたものを活動報告にて……
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