明けて翌日。
ミオたちはシーザーに先導されヴェネツィアの街を歩いていた。
さすが観光都市というだけあって景色は風光明媚で美しい。煉瓦造りの家や橋、至る所で見かけるゴンドラや時折聞こえるカンツォーネ、そして広がる蒼い海は、観光目的ならばさぞ楽しめただろう。
港に着くと、様々な船が並んでいる。ここからその先生がいるというエア・サプレーナ島を目指すそうだ。
「そこの船頭、ゴンドラを頼む。エア・サプレーナ島まで行きたい」
シーザーがそう声をかけるが船頭は見向きもしない。焦れたシーザーが再び呼びかけると、船頭がようやくくるりと振り向いた。
「え?」
船頭は仮面をつけていた。装飾の多い、さっきからたまに店屋で売っていた仮面である。
その奇妙な船頭はすくっと立ち上がると、なんと海に浮かべた櫂に柔らかく飛び乗ると──問答無用でジョセフの顔面に櫂を叩き付けた。
「うぉおッ!?」
突然の行動に抵抗もできずジョセフは吹っ飛ばされ海に落下するも、なんとか波紋で海の上に立ち上がった。
「こ、の野郎! いきなり殴られたからにはブッ飛ばしてくれる!」
喧嘩上等、とばかりに凄むジョセフに船頭はどこ吹く風、というかむしろ感心したように。
「波紋で水を弾き、水面に立つことくらいはできるのか……」
そう、若い女性の声で呟いた。
するりと仮面を脱いだ船頭は、驚くほど綺麗な女性だった。蒼い瞳に漆黒の髪、しなやかな豹のように引き締まった肢体は男が放っておかないだろう色香を醸し出している。
「せ、先生!」
シーザーの驚愕の声でこちらも驚く。話に聞いていた先生がこんなに美人さんとは思わなかった。
「あなたの才能が素晴らしいということは試してみて分かったわ──しかし!」
先生は足先で櫂を跳ね上げ、水流までもが上へと迸る!
「ひと月で一人前の実力になるには、『死の覚悟』が必要なり!」
そして跳ね上がった水流は中空でぴたりと止まり、先生は櫂を鉄棒のように利用して跳躍する。
真上からの攻撃に当然、ジョセフの反応は遅れ──結果、彼の口には奇妙なマスクが装着された。なんだあれ。
「ぬ、ぬぁんだぁッ!?」
突然のマスクに驚き外そうと躍起になっているジョセフへ向けて先生がびし、と指をさす。
「ジョセフ・ジョースター。あなたは一ヶ月間その『呼吸法矯正マスク』をつけて生活しなければならない」
どうやらあのマスクは波紋の呼吸を身体に教え込むための装置らしい。大リーガー矯正ギプスみたいなもんかな、と曖昧に納得する。
100㎞走っても平気の平左になるまで頑張らないといけないそうです。とにかく頑張れ。
「それと、ひとつ言っておくことがあります」
す、と先生が指先を一本立てる。
「私はあなたの命を助けるために『波紋法』を教えるのではない。奴らを倒す戦士を作るために教える、ということを」
波紋法を扱える者でなければ、例の男たちと同じ土俵に立つことすらできない。
それを思えばこそ、敢えてこういう言い方をしなければならないのだろう。
「改めてシーザー、ジョジョ。そして、あなたがミオですね?」
「は、ひゃい!」
名前を呼ばれてびっくりして噛んだ(さすがに今日は失礼にならないよう人化している)。
そんなミオの様子に僅かに口の端を上げると、先生は緩やかに挨拶をした。
「ようこそ、ヴェネツィアへ」
波紋の先生はリサリサと名乗った。
彼らはクルーザーに乗り換え、到着したエア・サプレーナ島はまるで島という名の城だった。
瀟洒な庭や建物はおそらく居住空間なのだろう。それ以外はあちこちが堅牢な壁などで補強されており、確かに修行場といった赴きである。
「試練のプロローグは、名付けて『
最初からものすごく不穏な予感のするネーミングである。
「せ、先生! いきなり『地獄昇柱』へ挑まねばならないのですか!?」
堂々と宣言したリサリサに、なぜか狼狽の声を上げたのはシーザーだった。
この島のことを何も知らないミオとジョセフの困惑も気にならないのか、シーザーはかなり慌てている。
「俺もこれには一度も挑んだ事がない……多くの修行者が死んでいったという『地獄昇柱』に!」
どうやら二人の修行は最初からベリーハードなものらしい、ということは理解した。
「この試練を乗り越えなくては、この島に留まる資格なし」
「おい、おめーらふたりだけ知っててずるいぞ! 一体、そのヘルなんとかって柱はなんなのか説明しろ!」
ジョセフの当然の疑問に、けれどリサリサは冷厳な表情で告げた。
「この塔の中に落ちればよく分かる」
そして、扉を開くや否や、俊敏な動きでシーザーとジョセフに足払いをしかけ、二人はもんどりうってそのまま内部へと落下した。
「えっ!?」
慌てて中を覗き込むと、目の前には巨大な柱が鎮座しており、その表面がぬらぬらとしたてかりを放っている。
つややか、というよりは陰湿に流れ続ける液体の正体はおそらく油だ。
「えーと、これを波紋で昇ってくるってことかな……」
「そうです。条件は素手で柱の頂上まで登ってくること。出口はそこしか存在しないから、登れぬ場合は飢えて死ぬしかない。これはそういう試練です」
「おおう、なるほどです」
上から覗き込んでいると、ミオを発見したジョセフが真下から怒鳴った。
「ミオもやれよ!」
「無茶言うな! 波紋知らないし、半日しか持たないから普通に死ぬわ!」
仮に登れても半日で落下なんて永遠に登頂できないので死にます。
でも波紋って面白いな。ああやってくっついたり離れたりできるのも特性なんだ。
シーザーが指先をぴったりと柱にくっつけている様子をつぶさに観察していると、視界の端でジョセフが何やらごそごそやっているのに気付いた。
よく見ると、自分の服を裂いてロープを作り、柱に巻き付けて昇ろうとしている。
「あ、ずっこい」
さすが抜け目ない男。
思わず呟くと、隣のリサリサがいつの間にか手にスティールナイフを手に持って──即座にそれを投擲した。
それは狙い違わずジョセフの作ったロープに直撃、ぶっつりとちょん切ってしまった。
「波紋以外の方法で登ることは『柱』に対する冒涜!」
そりゃ波紋の修行のためなのだから、当たり前といえばそうだろう。
「この『地獄昇柱』は波紋だけを好み、波紋以外は跳ね返す! それを忘れてはならぬ!」
下でジョセフがもがもがしているが、これは自業自得というものだ。
制裁を加えたリサリサは暫くは様子見ということでミオに向き直り、視線で促す。
「さて、ミオといいましたね。シーザーから話は聞いています。あなたはこちらへ来なさい」
「はい!」
緊張しいしい、ミオはリサリサの後をついていったのだった。
☓☓☓☓☓
リサリサにミオが案内されたのはそれなりに広さのあるテラスだった。
メイドらしき可愛らしい女性がてきぱきと茶器とお菓子を用意して、一礼してくるりと踵を返す。
「おかけなさい」
「ありがとう、ございます」
二人との扱いの差に若干困惑したが、雑に扱われたかったわけでもなかったので大人しく座ることにする。
席につくと、リサリサはミオをじっくりと眺めた。シーザーから聞いていたから、というよりは何かを確かめるような目の動きだった。
一通り眺めて満足したのか、リサリサは薄い陶磁器のお茶に手を伸ばす。
「さて、ミオ。あなたには特異な体質があるとシーザーから聞きました」
「はい」
「それを、ここで見せてもらうことは可能ですか?」
「分かりました」
ひとつ頷き、ミオは身体を変化させる。自分でも理屈は分からない。
ぱふりと淡く煙が立ち、四肢が縮んで動物のそれへと変わっていく。尻尾の感覚がいつでも奇妙だが、もう慣れたものだ。
「まぁ……」
リサリサが瞠目し、まだ背後にいたらしいメイドさんが「きゃーん☆ 超可愛いですぅ♪」とか言って身体をくねらせている。
「触れても?」
ミオは小さく頷き、椅子から飛び降りてリサリサの足元に向かった。軽く手(肉球)を出すと、そのまま全身を持ち上げられ観察するようにしげしげと見つめられた。
「正直半信半疑でしたが……体重も見た目と変わりませんね。ふむ」
肉球を揉んだり、しっぽをむにむにしたりするリサリサである。
確かめるためとは分かっているけど、なんだかリサリサの撫で方にはコツでもあるのかやたらと気持ちがいい。ぽかぽかして、目がとろんと細くなる。
「リサリサ様ぁ! つぎ! 次私に抱っこさせて下さい!」
「スージーQ、気持ちは分かりますがあとになさい。分かりましたね?」
「はぁい……」
あからさまにしょんぼりして、スージーQというらしいメイドさんが退散した。
「理性は残っているのですね?」
夢心地になりつつこくりと頷いてみせる。
獣になった当初、ミオは自分の理性がけだものとしての本能に凌駕されてしまう可能性に怯えた。
けれど事実はそうでもなく、狸になっていると時々ネズミ食べたいとか思っちゃったりするくらいでおおむね人間としての思考回路は残っているし、記憶が消えたりはしない。
「半日ほどしか人の姿を保てず、けれどあなたは人間がベースである。と」
もう一度、頷く。
「……原理は私にも分かりかねますが、あなたに害意や敵意がないことは理解しました」
そっとミオを下ろし、リサリサは続ける。
「シーザーからの話を聞いた時、私はあなたを柱の男たちが放った刺客であるという可能性を考えました。その場合、今ここで私が手を下すこともやぶさかではないと思っていたのですが……」
「ッ!?」
ものすごい冤罪で自分の生殺与奪が握られていたという事実に、ミオはそれこそ携帯のようにぶるぶる震えた。
慌てて尻尾を丸めてテーブルの下に入り込み、小動物顔負けのビビリを見せるミオにリサリサは穏やかに微笑む。
「こうして太陽の下で、私の微弱な波紋に反応もしない。あなたを殺す理由は何もありません」
どうやら抱っこしてもにもにしていたのは、ミオが気付かない内にごく弱い波紋を流すためだったらしい。あのぽかぽかはそれか。
曖昧に納得していると、リサリサが視線で促してきたのでテーブルの下から出て人型に戻る。
「さて、そうなるとあなたが波紋を扱えるかどうかが重要な問題になります」
「で、ですよね」
それはそうだろう。
対抗手段がないのに、あのおっかない人たちに立ち向かえと言われても無理である。ミオはそれなりに自分の腕に自負を持っているが、危ない橋を望んで渡りたいわけではない。
「ただ、先程からあなたを見る限り……」
リサリサはなぜか言い淀むように唇に指先を当て、唐突に立ち上がるとつかつかとミオの背後に回ると、
「失礼」
むぎゅっと後ろからミオを抱きすくめた。
「!?」
いきなり背中から後頭部に感じる柔らかいあれこれや温かさに驚きすぎて「ひょえあうええええぇ」とか意味不明な声を出しているミオに構わずリサリサはミオのおなかの辺りや肋骨、横隔膜の辺りを指先で探り、やっぱり唐突に離れた。
「な、な、なッなんでごじゃいますか!?」
相手に敵意がなければミオとて反応ができず、しどろもどろになりすぎて噛んだ。まだ心臓がばくばくしている。
「よもやと思っていましたが、やはり」
しかしそんなミオにもリサリサはどこ吹く風でひとり納得している。意外とマイペースなのかもしれない。
リサリサはまっすぐにミオを見つめ、口を開く。
「ミオ、あなたには波紋を覚える必要がないかもしれません」
「へ?」
「あなたが今行っている呼吸法は、波紋のそれとほぼ変わりがありませんから」
「……え?」
理解に頭が追いつかない。リサリサは今なんと言った。
自分の呼吸法が波紋と同じ? そんな馬鹿な。
「えっと、でもリサリサ先生。僕はジョセフやシーザーみたいにくっついたり、波紋のビート刻んだりできません」
そもそもあんな不思議パワーが使えた試しはない。
「ええ。私も不思議でした。波紋の呼吸を使っているのに、あなたにはその気配がない……つまり」
す、とリサリサはミオに手入れの行き届いた指先をつきつける。
「あなたは本来使用されるはずのエネルギーを、何か別のものに使っているのではありませんか? おそらくは、無意識の内に」
そう言われてしまうと、ミオは押し黙るしかない。
同時に納得もした。
こちらの世界で波紋と呼ばれる呼吸法が、ミオのそれでは全く別のものとして作用している。
船頭に分したリサリサの水を用いた波紋を見てから、自分の能力に関してはある程度の確信を得ていたが、さすが波紋の師匠と言うべきか。
誰にも話していないミオの能力を看破してしまった。
戦闘潮流編まではできれば今日中に全部アップを目指しています