「親分、今は絶対『愚者』当てないで! 絶対だぞ!?」
ここで狸になったら死亡フラグどころの話ではない。かなり必死で訴えた。
自分の命がかかっていれば、さすがにイギーも自重するだろう。して下さいお願いします。
しかし、ほんの数秒の出来事とはいえ、ハヤブサが手を出してこないのはおかしい。
不審に思い、澪がハヤブサを伺うと、
「──?、?」
ハヤブサは澪の顔面を注視したままキリ、と首を傾げるような動作をしている。
攻撃すべきか否か、迷っているようにも見えた。
番犬ならぬ番鳥のスタンド使いの役目は敵の排除、ないしはDIOの館を探る者を始末することらしい、というのは先程起こった一連の事故()で理解している。
DIOが配下なのかペットにしているのかは知らないが、この館を根城にしているであろう彼とその仲間すら問答無用に攻撃してくるようならば、番鳥としての機能は果たせまい。
誰彼構わず攻撃してくるワケではない、ということだ。
となると、仲間たちの顔を覚えさせて躾けている、と考えるのが妥当なところだろう。
──仲間?
DIOは配下のスタンド使い全員に『澪の連行』を命令している。
このハヤブサもスタンド使いである。頭もたぶんいい(DIOは馬鹿と犬が嫌いだから)。
ならば、自分の顔も覚えさせているのでは?
試しに、と澪は数歩横へと歩いてみた。
ハヤブサは自分の動きをじっと見つめてはいるが、背後の氷柱は微動だにしない。
「よし」
ならば三十六計逃げるにしかず。
こんな敵陣まっただ中のアウェーにいる理由はない。小狐丸を納刀して走って逃げた。
イギーもそれには賛成らしく、特に抵抗なく自分の手足を舐めて氷を溶かすことに集中している。
脱兎の如く駆け出した澪はそう間もかけずに門扉の前へと近付き、再び跳躍しようと膝に力を込め──
「キィイ──!」
ハヤブサが怪鳥の如きいななきを上げ、氷柱が方向を変え、射出された!?
氷柱の槍が虚空から降り注ぎ、次々と着弾するそれは門扉の僅か手前にずらりと剣山のように突き刺さった。
「うぉわッ!?」
寸前でブレーキをかけた澪は、幸い怪我はなかったものの、これでは氷のバリケードだ。斬って脱出するのもできなくはないが、時間がかかりすぎる。
──ところで、ここまでで澪のスタンド()が発動しなかったのはいくつか理由が考えられる。
ひとつは、ハヤブサの思考があくまで『澪の足止め』であり敵意ではない場合。
そしてもうひとつは、ハヤブサのスタンドはあくまで『空気中の水分を凍らせ、操る』というものだった場合だ。
ひとたびスタンドを離れ射出されてしまった氷の塊は、ただの『氷塊』であり、こうなると澪も物理で排除するしかない。
スタンドの能力を推測する限り、効果を出さなかった理由はおそらくは後者である。非常に相性の悪い相手といえた。
そして、ハヤブサの行動を見る限り──とてもイヤな想像が成り立ってしまった。
DIOが澪を手元に呼びたがっているのは、周知の事実である。ハヤブサに出されている命令も例外ではあるまい。
そうなると、このハヤブサの目的は『澪を館に入れること』、ないしは『澪を館の敷地内から出さない』こと、かもしれないのだ。あるいはその両方かもしれない。
現に、ハヤブサはこちらを攻撃してこない。ただひたすらに無機質な瞳でこちらを睨め付けている。
「うわ……」
飛んで火に入る夏の虫、とはこういうことなのだろうか。
これでは自分はともかく、イギーを脱出させるのが無理ゲーになってしまった。
先程から走り回っているが、塀に近付くたびに牽制の如く氷柱が降ってくる。いいから早く館に入れや、とでも言いたげな感じだ。
DIOは果たして現状を理解しているだろうか。否、していたとしてもこんな日中では身動きが取れまい。あ、寝てるか。
だがこれ以上の騒動を起こせば、DIOの館に常駐している(で、あろう)スタンド使いが気付いてしまうかもしれない。そちらの方が危惧すべき問題である。
「イギッ!」
どうやら解凍したらしい脚で、イギーが澪のほっぺたをぺしぺしと叩く。どうすんだよ、とでも言いたげだ。それは僕がいちばん知りたい。
だが、それが天啓となった。
そうだイギーがいるならば──なんとかなる、かもしれない。
「親分」
小さく呼び、澪はイギーにできるだけ手短に作戦を伝える。
最初は渋面を作っていたイギーだったが、試してみる価値はあると判断したのだろう。仕方が無いとばかりに頷いた。
では、ここからはスピードが勝負だ。
とん、とん、と足踏みするようなステップを踏み、頃合いよしと見た澪は転瞬、反転してDIOの館へと一直線。
「!」
獲物を狩る豹の如き動きで疾駆し、大きく地面に足を叩きつけ、高らかに跳躍。
勢いのついたそれは館の扉へかかるひさしの上へと澪を運び、そこから更に館の出っ張りを見つけて、そのまま跳躍。
時に両足で、時に片足で、飾りのような不安定な足場を縦横無尽に跳ね上がり、気付けば屋根もほど近く、カイロ市内が見えるほどの高所へと到着していた。
「この辺、かな」
ひとりごち、同時に大きな羽音。そう、ヤツには羽根がある。
きろりと視線を動かせば、すぐ近くでハヤブサがこちらを見張っている。無機質な、限界まで訓練を施された軍用犬のような目つきだった。
だが、舞台は整った。
ハヤブサは敵を排除することはできるが、館を傷つけることはできない。それでは番鳥の役目を果たせないからだ。
だからこそ──
「承太郎直伝!」
澪はガッ! とイギーを鷲掴み、ぐるんと身体を回転。遠心力を味方につけて手の中のイギーを、
「でりゃあああああッ!!」
持てる全力の限りで投擲した。
『イギ!(『愚者』)』
宙を舞ったイギーは変幻自在の砂のスタンド──『愚者』をハンググライダー型へと変化させて自分を抱え込ませて、飛翔する。
目指すはカイロ市内。できれば承太郎たちのところ、は虫が良すぎるだろうか。
「よっしゃ!」
「!」
澪の行動の意味を理解したハヤブサは即座に羽根を広げて、屋根を蹴ったが、誰がそれを許すか!
咄嗟に壁を足場に蹴り上がった澪は全身でハヤブサを取り押さえ、拘束する。
「悪いけど、親分の後は追わせないから!」
「グ、グケッ!?」
落下しながらもがくハヤブサのくちばしが澪の身体にいくつか傷をつけたが、そんなのに構ってはいられない。
とにかく、一秒でも長くハヤブサを逃がさないことが肝要だった。
ハヤブサと揉み合いながら落ち続け、いよいよ地面も僅かに迫ったとき──ひとつの誤算が生まれた。
イギーのせめてもの置き土産なのだろう、いつの間にか砂でできた小山が澪を柔らかく受け止めた。
受け止めて──しまったのだ。
ぼふんッ☆
『キャウッ(うげ!?)』
軽い音を立てて、澪の姿は狸へと変化してしまう。
そして、間髪入れずに砂が舞い上がり、その姿を隠すように覆い被さってきた。
『(ひっ!?)』
おそらくは射程範囲ギリギリだったのだろう、それきり砂は微動だにしなくなった。暑い。苦しい。
本来なら、そのままハヤブサを足止めし続ける腹積もりだったのだが、この姿ではヤバい。あのハヤブサが記憶しているのは当然『澪』の姿であり『得体のしれない謎の白い狸』ではないのだ。
もし、今の瞬間をハヤブサに見られていたら澪の死亡フラグ待ったなしである。緊張で、ただでさえ早いどうぶつの鼓動が破裂せんばかりのビートを刻む。
『……』
しかし、どうやら運命とやらは澪の味方をしてくれたらしい。
──バサッ
この短時間の間に何度も聞いた羽音が、にぶく伝わってくる。
どうやら姿が見えなくなった自分を探すよりも、イギーを始末する方が先決と判断したのだろう。
助かった、と思ったが同時に心配になる。あのスタンドは強力だ。追いつかれてしまってはどうなるか分からない。
完全に気配を感じなくなり、やれやれそろそろ出るか、と澪が思ったところで……。
「おやおや、これはまた……派手にやったものです」
慇懃無礼な男の声がした。
「派手な音が聞こえたのでもしやと思って来てみれば。片付けるにしても、これはクリームに消してもらう他ありませんね。……やれやれ」
嘆息が聞こえ、しばらくののち、狸の鋭敏な耳がパタンと扉が閉まる音を捉えた。
今の内に、と澪は砂の中でもごもごと蠢きぽこっと顔を出し、なんとか砂山から抜け出す。全身をぶるりと震わせて砂を飛ばすと、一目散に逃げ出した。
門扉前の氷柱の隙間に頭を突っ込んで、地面をカリカリ引っ掻いてなんとか匍匐前進。そのまま門の下をくぐって無事に脱出。
『キュゥ(親分どこかな……)』
投げた方向は覚えているから、とにかく急がねば。
人間には出来ない四肢の筋肉を思い切り使った全身運動。
跳ねるように両脚を動かし、イギーのもとへといっさんに駆けていた澪は──随分と低くなってしまった目線に慣れず、そしてイギーのもとへ行くという目的のみに集中していたため、周囲に注意を払うのを怠っていた。
結果、建物の角を曲がった瞬間──
『ギャインッ!?』
出会い頭に突っ込んできた救急車にぶつかり、思い切り吹っ飛んだ。
凄まじい衝撃でごろごろ転がり、壁に全身を叩きつけられ──やっと停止。当然意識は喪失していた。
これはあとで知った事実だが、澪を跳ねた救急車は例の少年が呼んでくれたもので、瀕死だったオッサンを病院へ搬送している最中だった。
バチが当たった(物理)というヤツだ。