紙吹雪のような白に混ざる、元は文字だった黒い線。
誰にも見られないようにちぎって流して捨てたアドバイス。
きっと、自分以外では読み取れないメッセージ。
義父たちに託された、想いのかけらたち。
なにか制約でもあったのだろうか、様々な言葉遊びを駆使して連ねられた、敵スタンド使いたちの特徴。
確かに鳥のこともあった。『フローズンケンタッキー』だった。今ならその意味がよく分かる。
そして残った項目も、あと僅か。
『ドールフリークゲーマー(弟)』
『黒い○ックマン』
『ざこのくせになまいきだ』
『なんかドラゴン○ールの敵で出てくる下っ端っぽいの』
前半はともかく、後半は綴る意味があったのだろうか。
ともあれ、最後は──
『ラスボス:無駄無駄ほむほむ』
これがきっと、DIOのことなのだろう。
ディオ・ブランドー
澪の義弟。だいじなかぞく
でも吸血鬼になっちゃって、ジョナサンの身体をぶん盗って、百年生き延びて──
みんなはDIOを倒しにきたけど、澪はDIOに会いに来た。
メロン、赤い鳥、犬のはんこ。
不吉な×印。
これから先に何が起こるのだろうか。
想像はできるけど、あくまでそれは想像で、推測で、おぼつかない。
だから、ここからが、この場こそが、正念場なのだと思う。
守りたい人がいて、失いたくない人がいる。
どうすればいいのか、どうするのが最善なのかはわからない。
DIOに関しては、尚更だ。
だって、まだ澪は
そんな彼に会えるまで、もうちょっと。
もうちょっと、だから……
☓☓☓☓☓
「そろそろ起きやがれ!」
そんな声とともにぴしゃ、と顔に何かがかかった。冷たい。
「わ!?」
ひんやりとした水の感触に驚いて反射的に飛び起き──ようとして、自分の身体ががっしりと固定されていることに気付いた。
胸からお腹にかけての温かくて硬い感触。頬にかかるのはふわふわとした金の髪と、柔らかなシャボンの香り。
「うぉッ、暴れんなよ! 落としちまうぞ?」
馴染みのある声に顔を覗き込もうとすれば、察したようにこちらを振り向く見知った青年の顔。
ぽた、と髪から雫が落ちた。ちょっとだけ水をかけて起こしたらしい。
「……シーザー?」
「おう」
むっつりと唇を尖らせながらも頷いてくれたのは、確かにシーザーだった。
けれど、その顔に違和感がある。
それまでの旅路で見てきた顔より随分と、若い。
頬には皺ひとつなく、まるで数十年前に出逢った時と同じだ。よくよく考えれば身体を支えてくれている腕も張りがあって逞しい。
あの頃のままだ、何も変わっていない。それが不思議でしょうがない。
なんでおんぶしてくれているのか、とか、どうやって発見してくれたのか、とか。
聞くことは沢山あるはずなのだが、それより先にいちばんの疑問が口から出る。
「なんか、めっちゃ若いね?」
ぼんやりした物言いにシーザーは一瞬呆れたように眉を八の字にしたが、それから気を取り直したらしく、にぃと口の端を上げた。
「男前だろ?」
「うん。なんか、思い出すね、いろいろと」
彼の服装は多少変化はあるものの、エア・サプレーナ島で修行していたあの頃とほぼ同じだ。
それだけで余計に記憶が錯綜する。下手するとリサリサ先生は? とか言ってしまいそうだ。
「今朝、お前経由でSPW財団が確保した『セト神』のスタンド使いと合流したんだ」
「な、なるほど!」
合点がいった。
澪が先だって金をちらつかせてこちら側に引っ張り込んだ、アレッシーという『セト神』のスタンド使い。
彼はDIOへの忠誠もあるにはあったのかもしれないが、それよりも金への執着の方が圧倒的に強かった。
その辺を利用して丸め込み、いざという時のためにSPW財団で保護(拘束に近いのかもしれない)してもらっていたのだ。
あのオッサンの能力はターゲットの下へ自分の影を忍ばせ、任意の年齢まで若返らせること。
ただ、『セト神』によって若返ると記憶も年齢に合わせて逆行してしまうという難点があったのだが、それはシーザーの波紋が幸いした。
「その分だと、記憶はなんとかできたんだ?」
「もちろん。リサリサ先生が修めていた催眠技術は俺も継いでいるからな」
ジョセフたちとの修業時代、リサリサが所持している『エイジャの赤石』という宝石を狙って、エシディシという男が襲撃してきたことがある。
彼は波紋戦士の宿敵たる柱の男たちのひとりで、相対したジョセフもかなりの激戦を繰り広げた末、なんとか辛勝をもぎ取ることには成功した。
だが、エシディシのエイジャの赤石への執念は常人のそれを遙かに超えており、彼はあろうことは己の肉体を捨てて脳だけの存在となり、スージーQの身体を乗っ取って赤石の奪取を目論んだのだ。
結局、エシディシは柱の男たち最大の弱点である陽光によって砂となって死亡したのだが、その前に身体を乗っ取られたスージーQはエイジャの赤石をどこかに郵送してしまっており、その郵送先を突き止めるためにリサリサはスージーQに波紋を用いた催眠を施し、見事赤石の行方を特定した。
その催眠法はシーザーも受け継いでいるらしく、その応用で自分の記憶を自己催眠で呼び起こすことができる。
だからこそ、アレッシーは野に放たれることなく金にモノを言わせて協力させたのだ。
どんな敵が待ち構えているか分からない現状、吸血鬼の上位互換といえる柱の男と戦えた全盛期で相手をできるなら、それに越したことはない。
「じゃあジョセフも?」
それはそれで楽しみだ、と思ったのだがシーザーは首を横に振った。
「アイツは若返って、もしスタンドが発動しなかったら困るっつって拒否したぜ」
「あー……」
スタンドは魂に依るものだから心配はいらない気もするが、万が一があっては困る。彼の判断ももっともである。
そこまでもろもろと思考して、ようやく現状を尋ねるだけの余裕が出てきた。
「ところで、僕はなんでシーザーにおんぶされてんの?」
ぶっちゃけ、狸モードでイギーのあとを追って以降の記憶がない。なんかすごい衝撃で吹っ飛ばされた気がするのだが。
「──それに関しては、ぼくが説明するよ」
唐突に割って入った声は、とても聞き覚えがあった。
「典明くん!」
思わず身体ごと振り向こうとすると、「動くなっつってんだろ!」とシーザーに叱られたので大人しくすることにした。
改めて顔を向けると、長身の身体に学生服の青年の姿。特徴的な赤毛の前髪。
まぶたに負った傷を隠すためだろうか、サングラス越しでも分かる、優しい瞳がこちらを見つめている。
対『ゲブ神』戦において痛手を負い、入院生活を余儀なくされていた花京院典明が、そこにいた。
「澪」
花京院は名前を呼べるのがたまらなく嬉しいと言わんばかりに柔らかく笑んで、ハンカチで顔を拭ってくれた。
どうやら水をかけたのは彼らしい。
「やっと、追いついたよ」
その言葉に嬉しくなった。彼は追いつくと言って、ここでその約束は果たされた。
自然と頬が緩んだ、が。
「ギャアウッ!」
彼の腕の中で大人しくしていたイギーが身体を乗り出して吠えた瞬間、澪の顔から血の気が引いた。
イギーの足の数が、一本、足りなかったのだ。
片方の前脚が半ばから喪失しており、厳重に包帯が巻かれている。おそらくは外科的な処置を施したのだろう。
本人は小さな傷こそ目立つもののそこそこ元気そう──と、いうよりは怒っているようだった。
「親分……! あの鳥にやられたの!?」
「ア゛ゥッ!」
犬歯を剥き出しにしてそうだ、と言わんばかりの返事。ムカ着火ファイヤーである。
「波紋で大分傷や疲労は癒やせたが、さすがに足は無理だからな……」
「いえ、あの状態からこれだけ動けるようになったのは幸いですよ」
シーザーがぼやくと、花京院がすかさずフォローに回る。どうも自分の知らない間で仲良くなったようだ。
そして、花京院は再びこちらを向いて口を開いた。
「澪、キミはぼくが最後に検診を受けていた病院に担ぎ込まれてきたんだ」
「マジか」
知らない内に病院送りとかなにそれ笑えない。
ぎゅ、とシーザーの腕の力がつよくなる。どうも彼のトラウマをぶち抜いてしまったらしい。なんかすまん。
「どうも……怪我人を緊急搬送していた救急車が何かを跳ねてしまって、慌てて戻ったところキミが倒れていたそうだよ」
その救急車はおそらく、あの外車を乗り回していたアヴドゥルの知人を搬送していたのだろう。
救急車が人を跳ねて事故を起こす、なんて外聞が悪いにもほどがある。そりゃ確認するだろう。
そして、自分は運良く救急車が到着する頃までに狸から人型へ戻り、発見され一緒に搬送された、といったところか。
ということは、あの少年は無事に救急車を呼んでくれたということだ。
それが回り回って自分を助けてくれた。あそこで倒れっぱなしでいたら置き引きか誘拐かはたまた日干しか……ろくな展開にならなかったであろうことは想像に難くない。
情けは人のためならず、とはこういうことを言うのだろうか。
いや、そもそもあの人を撥ねたのは澪なので該当しないのかもしれない。
「そして、ほぼ同時刻にイギーも見知らぬ少年に担ぎ込まれてきた。ぼくに随行してたSPW財団の医療チームがキミとイギーの治療を請け負って……」
先の言葉をシーザーが引き継いだ。
「俺が波紋で二人の回復力を強めた。イギーの方が重かったからな、お前はまさに実行中ってワケだ」
言われてみれば、なるほど。身体がじんわりとあたたかくて、シーザーに波紋を流してもらったときと同じ感覚だ。
それから、澪は問われるままにイギーと自分が出会ったスタンド使いの顛末を語った。
途中で一度だけ狸にしてもらってイギーからも話を聞くと、あの後ターゲットをイギーに特定した鳥(義父曰く『フローズンケンタッキー』)と死闘を繰り広げ、片脚を失ったもののなんとか撃破には成功したらしい。
「そうか、DIOの館を……」
花京院はあらましを聞き終えると、何やら黙考し始めた。
そのとき、イギーの耳がぴんと立ち、花京院の腕からぴょんと抜け出して唐突に駆け出してしまった。
「あッ」
「親分!」
彼の単独行動はいつものことだが、さすがに今はまずい。
慌てて声をかけると路地の向こう側──ちょうどジョースター一行がイギーを発見したところだった。
そして、イギーを咄嗟に追いかけて少しばかり先行していた花京院が、ようやくの再会を果たしている。
「ああ、澪も無事です。イギーと一緒に治療しました」
なぜチクる。
『なに!?』
登場するタイミングを失っていたが、全員の目が自分に注目して居心地が悪い。
シーザーの若返りに関しては、澪が合流する前に実行されたためか誰も疑問を挟まなかった。
ともあれ、すべきは謝罪である。
「すみませんアヴドゥルさん! あなたの知人を撥ねたのは僕です!」
「は?」
「知人ってあの物乞いか?」
アヴドゥルはぽかんとして、ポルナレフは首をひねった。
そりゃ、いきなり身内が知人を撥ねましたと戦犯発言されても困るだろう。
澪がアヴドゥルの知人が車で拾ってくれて、咄嗟の判断でぶっ飛ばした件についてを話すと、アヴドゥルは小さく嘆息してからひとつ頷いた。
「いや、澪の判断は最良だっただろう。手出しをしなければ、その鳥のスタンド使いに殺されていただろうからな」
アジトを知られて無事で返す悪の親玉はいない。本人の罪悪感諸々は抜きにして考えれば、澪の判断は間違っていなかったのだ。
そんな中、イギーが軽く飛び上がってシーザーの腕を足場にして更に跳躍。
澪の身体をよじ登ると肩を足場にして頭にしがみついて、
「イギッ!」
がぶっ
「いたぁッ!?」
ぶちっと音がして髪が何本かむしられた。
いつもならポルナレフがされている所行なため、一瞬皆の反応が遅れてしまった。
「おいイギー!?」
ジョセフが慌てて待ったをかけるが、イギーは急かすように澪の頭をがぶがぶしてくる。痛い。
「人間やスタンドにまったく無関心だったイギーが、我々を案内したいようです」
花京院がなんとかイギーをはがそうとしてくれるが、ガチガチと犬歯を鳴らして威嚇された。
反応から考えるに、お前が案内しろということだろう。
「かなり痛めつけられていましたからね、怒っているのでしょう」
「おやぶーん。確かに僕もDIOん家行ったけど、この辺じゃあんまり道わかんないんだけどー」
なんせ車で移動していたため、道筋といえる道筋を覚えていないのだ。
その事実を話すとイギーはあからさまに「使えねぇな」といった雰囲気で鼻を鳴らして、ようやく降りてくれた。
澪もシーザーにお礼を言ってから下ろしてもらう。さすがにひとりおんぶされている状態というのは恥ずかしかった。
「てかさ、ジョセフ、ジョセフ」
「うん?」
ととと、とジョセフの傍に移動してまるで学校のように挙手の姿勢。
「提案がありまーす」
「お前さんの提案は毎回ろくなもんじゃないからのう……なんじゃ?」
澪はその時ばかりはギラギラした瞳で親指をくい、とイギーの進行方向へ向ける。
「その辺で車調達して、DIOん家に突っ込もうぜ☆」
「テメェ、まだその物騒思考治ってなかったのかよ!」
間髪入れずにシーザーに頭をひっぱたかれた。
承太郎たちも一様に呆れ顔である。
「だっ! だって不公平じゃん!」
しかしこちらにだって言い分がある。頭を押さえながらも猛抗議の体勢だ。
「僕ん家、DIOのせいで解体されたんだぞ!? ほんとは発破解体したっておつりが来るわ!」
そう、澪の家はホリィが発病したまさにその日、DIOの差し向けたスタンド使いによって瓦礫の山にされてしまったのである。
そのへん、澪はまだ根に持っていた。
「なんでそうお前は敵のアジトを爆破したがるんじゃ! スイスでも同じ事言ったじゃろ!」
「いーじゃん! 不動産王でうなるほど金があるくせにー! 今更トラックひとつ特攻させたって破産しないでしょ!?」
「べつに破産はせんが却下じゃ!却下!」
「えええー」
ばっさり切り捨てられ、澪はかなり不満である。やられたら倍返ししたいのが人間というものであるからして。
ふつふつとたぎる怒りでぶーぶーしている澪の頭を、今度は承太郎がぐわし、と掴んだ。
「おい、花京院みたいに肉の芽で操られてるヤツがいたら、巻き添えになるんじゃあねぇのか?」
その可能性は念頭にありませんでした。
「あ、やめます。すいません」
正論でぶん殴られ、急速にしょぼくれる澪だった。
駄目押しでイギーが足を噛んできたので、さすがに諦めてそのまま徒歩でDIOの館へ向かう運びとなった。
そうして歩くこと、しばらく。
灼熱の陽光が作り出す陰影が、その館を映し出す。
古ぼけた館は年経た建物の持つ威容だけではない、まるで来るもの全てを呑み込むような悪意がとめどなく垂れ流されていた。
「おい、なんだ……急に冷や汗が出てきたぞ」
ポルナレフが額の汗をぬぐい、表情を引きつらせる。
反対に澪はその圧迫感と悪意には覚えがあった。懐かしい、とさえ思えた。
この人間の内臓に指先を突き込んで掻き回すような、おぞましいまでにドス黒い、いうなれば悪の気配。
「この感覚は間違いなくヤツだ!」
血統のなせる技か、ジョセフが確信を持って呟き、
「我々の旅は……」
「遂に終点を迎えたわけだ」
アヴドゥルとポルナレフが感慨深く声を漏らした。
長い、長い、旅の終わり。その終着点が、ここだ。
そう思うと、澪の全身から急に気持ちがあふれた。
熱に浮かされるように口の端をゆるく上げて、ひっそりと。
「あいにきたよ、ディオ」