星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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24.亜空と悪意と喪失と

 

 

 澪はこれまでの鬱憤を晴らすかのように、手近にある全ての高そうな調度品や壁や窓なんかを破壊しまくりながら脳をフル回転させていた。

 

 義父たちのメッセージの『黒い○ックマン』に記されていた矢印。あかいひよこと犬のハンコ、その二つを塗りつぶすような×印。

 

 導き出される結論は、気分のいいものではない。

 

 戦闘不能になったことならばこれまでの旅路で何度もあった。それでもそんな記載は一切なかった。

 けれど、それがある、ということは──おそらくは死亡、もしくはそれに類する事態に陥る危険性があるということだ。

 

 だから、これまでの破壊は布石だ。

 

 もしもに備えての下準備。沢山の可能性の中で自分が取れる次善策。迷宮化が解かれた今、澪は即座に彼らの位置を把握することができる。

 地面を踏みしめ、脱兎の如く駆け抜ける。背後でシーザーが何か言っているが、とにかくついて来いという意思だけを伝えてひた走る。

 

 敵スタンドの正体はなんだろう?

 

 黒い○ックマン。字面だけなら可愛らしいが、それを現実に当てはめて考えるとかなりえげつない。

 

 ゲームの○ックマンは、その名の通り目の前のものをひたすらに食う。口が上下しているということは、食いながらでなければ進めないということだ。

 無尽蔵にものを喰らう、喰らわずには進むことすらできない貪食の化身。もし、そんなスタンドが存在するのならば恐ろしい。

 

 そして、全ての思索を終える前に澪は彼らを見つけた。

 

 アヴドゥルが柱に手を置き、背を向けて立っている。

 

 その先にはポルナレフとイギーの姿。そして──アヴドゥルの背後に現れた化け物の姿。

 

 何もない空間から、それこそ○ックマンさながらの漆黒の球体が突如として出現し、ビデオの早回しのように化け物へと姿を変える異形の怪物。

 それを視認した瞬間、背筋に怖気が走った。頭皮の毛穴が開き、いやな汗が吹き出す。

 これが『黒い○ックマン』というのは即座に理解した。その尽きることのない貪食が──アヴドゥルたちへ向かっているということも。

 

 奇しくも、それは同時だった。

 

「シーザーッ! アヴドゥルさんたちにシャボンランチャーぁぁあああッ!」

「ポルナレフ! イギー! 危ないッ!」

 

 アヴドゥルが駆け出し、澪の叫びに即応したシーザーのシャボンが弾丸めいた速度で彼らの背中へと炸裂する。

 さすがに手加減してはいるだろうが、柱の男すら吹っ飛ばすシーザーのシャボンだ。それは彼らを後押しする爆風となってあらぬ方向へ吹っ飛ばす。

 

 刹那──ガオンッ! としか形容できない異様な音が響いた。

 

「ッぐあ!?」

「テメ、なにすん──」

 

 床をごろごろと転がり、がばりと顔を上げたポルナレフの表情が凍り付いた。イギーも同様だ。

 ポルナレフの視線の先、脇腹にシャボンを喰らって吹き飛んだアヴドゥルの両腕が──喪失していた。

 両肘のあたりからごっそりと切断され、しかしその腕の存在はどこにもない。

 

「う、あ……ッ!?」

 

 一拍の間を置いて、中途から途切れた腕から大量の血液が噴き出した。身体の喪失にアヴドゥルは均衡を崩し、立ち上がることすらままならない。

 

「あっ、アヴドゥル! アヴドゥルぅぅうううッ!!」

 

 混乱に陥ったポルナレフは魂を削るような絶叫を上げた。

 当然だ、これまで苦楽をともにしてきた仲間の腕がなくなったのだから。

 

「──運のいい奴らだ」

 

 不意に、声がした。

 それは外国映画に出てくるようなモンスターのようなスタンドの口の中から顔を覗かせている、男の口から発せられていた。

 顔立ちだけは端整だが、瞳にたぎるのは憎悪と悪意。孕んだ殺意にはおぞましさすら感じ取れる。

 

「本来なら、アヴドゥルは今頃私の暗黒空間で細切れにしていたはずだったのに……腕だけとはな」

 

 その声には、無数の虫が身体中を這い回るような嫌悪感があった。

 

「私の口の中は、どこに通じているのか自分でも知らぬが暗黒の空間になっている」

 

 ご丁寧にスタンドを説明してくれるのは、余裕の表れだろうか。

 暗黒空間──要するに、ブラックホールのようなものと解釈すればいいのだろうか。もしくは某猫型ロボットの四次元ポケット。

 

「アヴドゥルの腕は、吹っ飛ばしてやったのだ」

 

 物言いから察するに、おそらくは前者だろう。

 取り出すことはできなさそうだ──もっとも、できたところでやってくれるワケはないけれど。

 倒れ伏したアヴドゥルの腕に止血を施しながら、猛烈に思考を走らせる。

 

「次こそは、お前ら自身を呑み込んでやる。DIO様を倒そうなどと思い上がった考えは……正さねばならんからな」

 

 聞いているだけで臓腑が凍り付いてしまいそうな、暗闇から染み出してくるような悪意と、鮮烈なまでの殺意の塊。

 

「ひとり、ひとり……順番に順番に……このヴァニラ・アイスの暗黒空間にバラまいてやる」

 

 まるでそれこそが至上の義務だというように告げると、ヴァニラ・アイスは再びスタンドの中に潜り込んでしまった。

 ヴァニラ・アイスのスタンドは先程までのモンスターとは違い、アヴドゥルたちを強襲した時と同じ、漆黒の球体へ戻ろうとしている。これが彼の攻撃スタイルなのだろう。

 

 身も心もDIOに捧げ尽くし、命令とあらば一切の呵責なく人を殺す狂信の徒。

 殺人は彼にとってなんの痛痒にもならない。むしろ喜びですらあるだろう。しかもそのスタンドは凶悪無比。

 アヴドゥルの腕を呑み込んだ暗黒空間とやらをめくりあげ、身に纏っているというのならば、そもそも攻撃すること自体が困難である。

 空間を削り取るやすりを着ているようなものなのだから、痛手を負うのはこちらのほうだ。

 

 これまでにない、難敵──難敵である。

 

「よくも、よくもアヴドゥルの腕を……」

 

 けれどそんな状況は関係ないとばかりに低い、押し殺したような声が響いた。

 瞳には限界まで圧搾された怒気と、絶対零度の殺意。

 それはかつてないほどの衝撃と困惑、そして怒りの全てを秘めたポルナレフの魂から猛る咆吼だった。

 

「このドグサレがぁあああ──ッ!!」

 

 転瞬、爆発。

 室内をびりびりと震撼させる怒号とともに閃いた『銀の戦車』のレイピアを視認するのは澪にすら困難だった。

 ポルナレフの意思を汲み取った魂の半身は銀の甲冑を煌めかせ、ヴァニラ・アイスのスタンドに肉薄すると雄壮な突きの連撃を見舞った。

 

「な……!?」

 

 激情が底力を与えたのか『銀の戦車』は常の射程範囲を軽々と越して、超高速で放たれた突きは周囲の壁や柱を粉々に粉砕し、それだけに飽きたらずヴァニラ・アイスが自らのスタンドに収納される前に、その肩口へとレイピアを突き刺した。

 

「イギッ!?」

 

 『銀の戦車』による斬激で入った床の亀裂に気付いたイギーが慌てて飛び退いて難を逃れる。

 だが、イギーの顔にはこれまでには見られなかった恐怖がありありと浮かび、汗がしたたっている。

 犬にとっては自慢の嗅覚に反応すらしないヴァニラ・アイスは脅威以外の何物でもないだろう。

 

「チッ」

 

 ヴァニラ・アイスはポルナレフの爆発力を危険と見なしたのか、苦悶を喉で押し潰すような渋面を作り、そのままスタンドを収縮させ中空でかき消えた。

 

「チクショオォーッ! 手応えはあったが……や、殺ってねぇ! あっという間に小さくなって空間に消えやがった! 本体もスタンドも、空間に消えやがった!」

 

 ポルナレフが悔しさに任せて吠えたが、彼の行動は上等だ。

 一瞬でも怯ませることができたのだから、僅かながらに時間を稼げる。脅威は去っていないが、それでも。

 

「ポルナレフさん!」

 

 澪が鋭く声を張ると、ポルナレフは我に返ったようだった。

 アヴドゥルの腕に止血は施せたものの、本来あった両腕はもう存在しない。

 存在を消去されてしまった以上は、ジョセフと同じように義手にするしかないだろう。

 

「アヴドゥル! なに、真っ先に約束破ってんだよ……!」

 

 ひどく悔しそうな、危険を察知できなかった自分をなじるような、みじめな自分を恥じるような声だった。

 

「言い出しっぺのくせによぉ、お前は、いつもそうだ……クソッタレ」

 

 思えば、アヴドゥルの約束に賛同した人間はポルナレフだけだった。

 そこには二人しか共有できない感情があり、互いを尊重するに足る信頼があった。そしてそれを破らせてしまったのだ、誰でもないポルナレフ自身の油断のせいで。

 

 しかし、そんな約束をさせたのがアヴドゥルなら、責任を取るのも彼の役目だった。

 

「後悔、など似合わんぞ、ポルナレフ」

 

 混乱が残っているのか無意識で腕を止血するように彷徨わせながら、アヴドゥルが呻いた。

 

「アヴドゥル!」

「ツェペリさんの言う通りでしたね……身体は勝手に動いてしまう」

 

 水を向けられたシーザーが苦笑する。

 そしてアヴドゥルはポルナレフへ首を向け、眉をひそめた。

 

「ぐずぐずしないでとっとと、行かないか。あの分では……またすぐ攻撃が来るだろう」

 

 厳しく、けれど優しい、教え子をたしなめる教師のそれで。

 

「私の腕を無駄にするんじゃあないぞ、ポルナレフ、イギー」

 

 両腕をなくした痛みなど感じていないかのように、仲間たちへと檄を飛ばすのだ。

 

 ポルナレフは薄く涙の膜が張った瞳を一度強く閉じて、開けた。

 

 瞳にもはや焦燥も悔恨もない、そこ宿っているのは──化け物を打ち倒す白銀の如き意思だ。

 

「ああ、おめぇの腕の落とし前はきっちりつけさせてやるぜ! 待ってろよッ!」

「アウッ!」

 

 言うなりポルナレフとイギーが駆け出し、澪は咄嗟にシーザーへ視線を向ける。

 

「シーザー、ポルナレフさんの援護お願い! 部屋中にシャボンばらまいて!」

「ばらまく?」

「スイスでやったでしょ、ワムウさんの時と一緒! 軌道を読むの!」

 

 交わした言葉は短いが、それだけでシーザーは委細承知したとばかりに頷き、二人の後を追った。

 

「澪、お前は……」

「アヴドゥルさん、館の外まで送ります」

 

 言うなり澪は戸惑っているアヴドゥルの背中を起こし、なんとか立ち上がらせると、その前に回ってさぁこいとばかりにしゃがみこんだ。

 どこからどう見ても、おんぶである。さすがにアヴドゥルも仰天した。

 

「ばっ、約束を忘れたのか!?」

「僕は約束してませんもん。心配しなくとも対『皇帝』戦の時にアヴドゥルさん背負ったことありますから、館の外に放り出すくらいまでは余裕です、よゆー」

「それはそれで衝撃だが、そうではない!」

 

 しれっとしている澪に、アヴドゥルは激昂を隠しもせずに怒鳴った。

 

「両腕のない私では足手まといにしかならない! それが分からないのか!?」

 

 だが、それに対する澪の態度は冷め切っていた。

 

「分かってます。分かってるから言ってるんです。あのヴァニラ・アイスってひと、絶対始末しに戻ってきます」

 

 それは経験からの確信だった。

 ああいった手合いの輩はたまにいるが、その中でもヴァニラ・アイスはとびきりヤバい。

 殉教すら意に介さない狂気に仲間が付き合わされるなんて御免である。

 

「下手すりゃアヴドゥルさんむっしゃーして中身バラまいてこっちの戦意削ぐとかしてきますよ」

「な、」

 

 そんなことをされたら、仲間意識のカンストしているこっちは、動揺している間に片っ端から食われて全滅してしまう。

 それを避けるためにも、アヴドゥルを避難させるのはこちらが勝利するための必須条件といえた。

 

「だ、か、ら! ここで転がってる方が迷惑です! 僕らを殺したくなければ大人しく! おんぶ! されろッ!」

 

 ここまでくると半ば脅迫である。

 しかしこれまでのヴァニラ・アイスの言動を鑑みればあながち間違った推測とは言えない。

 つまり、アヴドゥルは観念するしかないのだ。

 

「わ、わかった」

「よっしゃ! なるべくびったりくっついて下さいね!」

 

 言質をもぎ取った澪はさっさとアヴドゥルを背負い、勢いよく走り出した。

 

「うぉッ!?」

 

 アヴドゥルは予想外の早さにぐん、と身体を引っ張られて仰け反りそうになるが、両腕の残っている部分をしっかりと澪が掴んでいたため難を逃れた。

 

 なんと懐かしい感覚だろうか、と思う。

 

 これではまるでエア・サプレーナ島での再来だ。あの時はロギンズ先生だった。意識がなかったので余計重かった。

 階段を駆け上がり、さっきまで暴虐の限りを尽くして開けまくっていた穴のひとつを適当に選んでアヴドゥルを外に運び出した。

 玄関とか待ち伏せされてたら困るので、真っ先に除外である。

 

 

「破壊音が聞こえたが、ここまでしていたのか……」

「人ん家壊すDIOが悪いんです」

 

 じゃっかん呆れているアヴドゥルににやりと笑い、そっと壁を背にして彼を下ろす。

 

「あとで迎えに来ますから、待っててください」

 

 まぁ、自分が迎えに来れないくらいの切羽詰まった状況になったとしても、誰かがSPW財団に連絡して回収してくれるだろう。

 

「すまん……」

 

 壁を背にしたアヴドゥルは座り込み、ふ、と澪の顔を見上げた。

 顔色は悪いし、額から流れ落ちる脂汗は痛みの証左だろうに、彼は微笑んでいた。

 

「ありがとう、澪」

 

 そして自分の両腕を改めて見直して、つくづくとため息を吐いた。

 

「これで、ジョースターさんとお揃いになるな」

「イギーともですよ」

「違いない」

 

 雑談はそれきり、澪は背筋を伸ばして再び館へと踵を返した。

 

「いってきます」

「ああ、私はここで、ジョースターさんときみの武運を祈ろう」

 

 アヴドゥルの言葉に嬉しくなって振り向き、澪はにっこりと笑った。力強い笑みだ。

 

「千人力です!」

 

 巨体の男性を運んだとは思えないほど颯爽と館へ戻る澪の背中を見送り、アヴドゥルはひっそりと吐息を落とした。

 

 シーザーの言葉が今になって実感として理解できた。

 

 館の前であの約束を切り出した時、アヴドゥルは彼らが負傷しても危機に陥っても助けたりしないと、ひとりでも多く生き残るためにはそれが最善であると考え、芯から決意していた。

 また、自分が同じ事態に直面したとて、彼らを絶対に恨まないと決めていた。

 それが彼らの仲間としてできる最良の判断であると、信じた。

 

 だが、現実はこのありさまだ。

 

 敵スタンド使いの存在に気付き、ポルナレフとイギーが危ないと感じた途端に身体は勝手に動いていた。声を張り上げていた。約束のことなど頭から抜けてしまっていた。

 

 彼らを助けなければと思い、それしか考えられなかった。

 

「できない約束は、するものではないな……」

 

 あの場にシーザーと澪がいなければ、おそらく自分は腕ではなく身体を喪っていただろう。そんな確信がある。

 

 命冥加に生き延びて、こうして生き恥をさらすことを──今では感謝すらしている。

 死んだフリをして、再会した時のポルナレフを思い出す。

 

 また、あんな顔をさせてしまうところだった。

 

 それをアヴドゥルは望まない。ポルナレフだって御免だろう、なんせ彼は大層情に厚くて涙もろいのだ。

 

 

──生きる理由は、それだけで十分だった。

 

 

 

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