アヴドゥルと別れ、澪は再び侵入口まで戻ってきていた。
ぱん、と両頬を手で叩いて気合いを入れ直す。
「よし」
アヴドゥルの安全は確保できた、と思う。
怪我の動揺から抜け出し、落ち着けば彼とて百戦錬磨のスタンド使い。
もし取りこぼしのスタンド使いがいたとしても、負けはしないだろう。そう、信じる。
戦況はどうなっているのだろうか、把握できてないのが痛い。なんせ相手は見えないのだ。
「……」
柱の男──風を操るワムウという戦士と対峙した時のことを考える。
彼は自らの身体に風を纏わせ、光の屈折を利用して周囲と同化して襲ってきた。
あの時、澪はシーザーたちにその存在の位置を教えるために、雪と煙を用いた。見えない相手を見えるように工夫するのは当たり前のことである。
だからきっと、シーザーもそれを覚えていると期待して、言葉を重ねた。彼の瞳には理解があった。ならば大丈夫だ。
壊れた窓枠に足をかけて館へと戻る。
自分がぶっ壊して回ったせいだろう、空気に滞留している土埃で喉がひっつくような感じがあった。
調度品やガラス片や石くれなんかがしっちゃかめっちゃかに散らばった部屋は薄暗く、まるで廃屋だ。
やりすぎたかな、と反省しかけたものの自宅の木っ端微塵具合を思い出してやめた。自業自得である。
さてポルナレフさんたちはどこだろう、と意識を索敵に向けようとした──が。
澪の背後に黒い影がさした。
澪は氷の板を背中に突っ込まれたような錯覚を覚える。突然、目の前に漆黒の緞帳が引かれたようだ。
そこには星の恩恵はなく、月もない。ひたひたと這い回るような敵意が足元から絡みついてくる。
「DIO様が、お待ちかねです」
おそらくはポルナレフたちを追っている間に澪を発見したから、先に用件を済ませる腹積もりなのだろう。
腰に差した柄の感触を確かめながら、そっと身体ごと振り向いた。
見上げるほどの長身で、鍛え上げた体躯を包むレオタードのような衣装。顔立ちだけならば端整な部類に入るのだろうが、こちらを見据える瞳はまっすぐだが淀んでいた。
「……それで、僕にどうしろと?」
「まずはDIO様に謝罪なさってください」
ヴァニラ・アイスの口調は淡々としていた。
限界まで調教を施された猟犬の気配と、主の命ならば何をも厭わない狂犬のそれ。
スタンドも脅威だが、ヴァニラ・アイスこそが一番の癌であると澪は考えている。
こういう主至上主義の狂信者は、周囲を巻き込んで爆発することも平気の平左でやってのけるからだ。
それと、とヴァニラ・アイスは付け足した。
「この館はDIO様の所有物であられますので、相応の灸を据えよとの命も賜っております」
おそらくはDIOの言葉をまんま伝達しているのだろうが、なんだろう、無性にイラッときた。
どっちが先に手を出したと思っているのだ。
「知るか、僕ん家壊すのが悪いってDIOに言っといて下さい」
ちゃんちゃらおかしいので鼻で笑って吐き捨てる。
目には目を、歯には歯を、破壊には破壊で報いるのが因果応報ってもんだ。
自分としては至極まっとうなことを言ったと思ったのだが、それを聞いた途端ヴァニラ・アイスは俯き、何やらぶつぶつと呟き始めた。
「……やはり、やはりな。私の考えは正しかったのだ」
「……?」
ひとしきり呟き、バネ仕掛けの人形のように顔を上げたヴァニラ・アイスの瞳には、もはや狂気と確信のみが存在していた。
「きッ、貴様のようなチビガキがDIO様の義姉であるはずがないッ! 否ッ、あってはならないのだ!」
どろどろとした汚泥のような悪意が形をなし、漆黒のスタンドが背後へ出現する。
こちらへと指を差し、まるで不倶戴天の敵に会ったとでも言うように。
「よりにもよって──DIO様の義姉君を騙り、そのお心をかき乱す魔女め!」
澪にとっては別にうそでもなんでもないのだが、こうして確信を得てしまった狂信者に、言葉はもはや通じないだろう。
おでこにいやな汗が浮かぶ。ヴァニラ・アイスの思考回路は、全てDIOを元にして構築されている。
ゆえに、何が着火剤になるか読めない。火薬庫で火遊びをしているようなものだ。
「貴様のような不埒者でDIO様の
ただ、わかるのはヴァニラ・アイスは心底から澪を排除したいと思っているということくらい。
「──―否、私がさせない! させてたまるものかッ!」
ヴァニラ・アイスは髪を振り乱し、狂騒に憑かれたようにわめき散らす。
滾る殺意がスタンドの顎を開き、口腔にぞろりと並ぶ牙がギチギチと不協和音をかき鳴らす。
千切れそうなほど血管を浮き上がらせ、瞳孔が開ききった凶相でヴァニラ・アイスは吠えた。
「今! ここで! このヴァニラ・アイスが誅を下してくれるッ!」
脳の髄までDIOという病原菌に侵されて
空間を削り取り、存在すら否定する貪食の殺意が澪を食らいつくそうと、小さな体躯めがけて突貫する。
が、澪はそのスタンドを避けようともしなかった。
ぱぁんッ、と拳を自分の手の平に打ち付け、両足を踏ん張って真正面から向き合い、賭けに出た。
刹那──―激突!
ぱぁんッ!
「なッ!?」
効果は劇的だった。
澪という存在を削り尽くすはずだった漆黒の球体は、限界まで膨らんだ風船に針でも刺したかのように、突如として弾けた。
残っているのは、発動の余波で黒い薔薇の花弁を無数に散らし、スタンド内部というある意味究極のシェルターに収まっていた生身のヴァニラ・アイスである。
──これまでろくろく役に立ってこなかった澪のスタンド(?)が、仕事をした瞬間だった。
相手が殺意や敵意を抱いて攻撃してきたスタンドを悉く霧散、ないし無力化させるのがその真骨頂。
まして、相手がヴァニラ・アイスのような狂信者ならば尚更だ。
おそらく、この世の誰より澪のスタンドが功を奏す相手だろう。
ただ、スタンド由来とはいえ亜空間などという意味不明のものを用いているのだから、効かないという可能性も当然あった。
その点にのみ、澪は賭けに勝利したのだ。
そして、
「せいッ!」
澪はスタンドを破壊され、たたらを踏んだヴァニラ・アイスの胸ぐらを掴み、思い切り頭突きをかました。
「ぐぁッ! き、さま……!」
例によって例の如く澪の体重は紙切れ同然に軽くなってしまっているが、ここまで近付き、勢いをつければそれなりの衝撃になる。
痛みで多少は冷静になったのか、射殺さんばかりにこちらを睨め付けるヴァニラ・アイスをまっすぐに見据え、澪は口を開く。
「ヴァニラ・アイスさん、あなたの忠心は見事ですが暴走は看過できません。僕を殺すことは、DIOに許可されてないでしょ?」
「それ、は……」
DIOの名前を出せば、明らかにヴァニラ・アイスの様子が変わった。
「僕はDIOに会いにきたんです。だから、会って、DIOが僕を殺せって命じてから殺しにかかってきてください」
狂信者はとかく突っ走りがちだが、それではこちらが困る。
澪にはDIOへの敵対意思がないのだ。会いに行く前に四肢を持っていかれたりするのも勘弁だ。
「DIOにすべてを捧げているなら、それくらいは守ってくださいよ」
「……」
その言葉がどこまで届いたのだろうか、ヴァニラ・アイスの瞳はただ平坦だった。
殺意や敵意は薄れたが、なくなってはいない。それが彼の答えなのだろう。
ヴァニラ・アイスはひたりと澪を見据え、
「──そうか、わかった」
無防備な腹へと思いっきり膝蹴りを見舞った。
「げうッ!?」
突き刺さるような蹴りで澪はぶっとび、その軽さも相まって砕けたガラスの向こう側──館の外まで放り出される。
ごろごろと地面を転がり、植え込みでぶつかってようやく停止した。
「う、ぐぅッ──!」
内臓が破裂したような激痛に身体をくの字に折り曲げ、口の端からだらだらと胃液と血液まじりの涎が落ちる。
額からぷつぷつと脂汗が吹き出し、背中をじったりと濡らした。胸がふいごのように上下するが、呼吸は浅く、ろくに酸素を取り込めない。
壁の向こうから声がする。
「館を壊した不届きものに灸を据えよ、とDIO様は仰った」
ごく当たり前の事実を述べるような口調。
「いいだろう。私は私の仕事を完遂し、貴様をDIO様に会わせてやる。そして、真実貴様がDIO様の求めていた人物であったなら……」
その時だけ、声には陶酔のそれが混じっていた。
「この狼藉は、私の死を以て償うとしよう」
それきり声は途絶え、気配すら消え去った。
おそらくはスタンドを再び発動させたのだろう。
「ッ……!」
澪は全身を支配する激痛を身悶えしてなんとかやり過ごし、ようやく落ち着くと膝に手を当てて立ち上がった。この間にも誰かが戦っているのに、動けない身体がもどかしかった。
内臓に傷でもついたのか、響く鈍痛は重たい。けれど戻らなければならない。
壁に手をついて館を見上げ、ため息をひとつ。
「僕はいったい何回振り出しに戻らねばならんのか……」
しかし、これはチャンスでもある。
館の内部ではないから、見えなかったものが見える。それは炸裂音や時折聞こえる怒声、壁にひびが入っていく様子。
これならば、誰がどこで戦っているのかが分かる。
ぜい、と鉄錆の臭いのする吐息を吐き出し、リュックサックを下ろした。
少しでも身軽にならなければならない。これまでの旅路でずっとずっと一緒だった、愛顧の強い一品だが仕方がない。
「ありがとう、義父さん」
そして、リュックの中から『仕事着』を取り出して手早く着替える。
赤黒くなっている腹にサラシを強く巻いて、腰に小狐丸を差し、これでよし。
今まで着ていた服はさっきの嘔吐で汚してしまった。さすがにゲロ臭い服でDIOに会うのは良心が咎めたし自分もイヤだ。
身体は痛むが致命的な傷はない。ならば動いて、できることをしよう。
澪は以前イギーと共闘した時を思い出しながら壁の装飾を伝い、外壁から館を登坂し始めた。あちこちに綺麗な円形の穴があり、ヴァニラ・アイスの攻撃だというのがよくわかる。
その中の穴のひとつを適当に選び、気配がないことを確認してから内部へ潜入した。
そこには誰もいなかった。
室内はいたるところが破壊され、壁もボロボロ。
激戦があったと予想できるだけの惨憺たる有様だったが、誰の死体もなかった。それが救いだった。
「……?」
ふと、何かに呼ばれたような気がして視線を向ける。
そこには階上へ続く階段があった。まだここまでは破壊できていないから、薄暗く、どこか怖気をもよおすような冷気が漂ってくる。
澪は少しだけ考え、足を踏み出した。
☓☓☓☓☓
闇がぐるぐととぐろを巻いた、夜闇よりなお重苦しい気配がしたたっている。
階段を上がるたびにその威圧感は増していき、まるで高山にでもいるようだ。
──その階上に、玉座のような椅子に腰掛けているひとりの男がいた。
少し先にポルナレフがいたのは分かったのに、そちらへ目を引かれて動けなくなった。
豪奢な金髪、高い鼻梁、紅玉の瞳、かつて今際の際で見た顔とそう変わらない。少し逞しくなった、くらいだろうか。
──―しかし、
ずっと、ずっとずっと、会いたくて、あいたくて。
だから、こんなところまで来たのに。
「く、くどいぜDIO! 俺はもともと死んだ身! てめーのスタンドの正体を見極めてから死んでやるぜッ!」
ポルナレフが吠える。
その額にはびっしりと汗が浮かび、呼吸も浅く、何らかの攻撃を受けたことは明白だった。
しかし、彼はそれでもDIOに屈服することなく攻撃を仕掛けようとしている。それは紛れもない闘志で、決意で、覚悟だった。
彼の背後から、白銀の甲冑を纏った守護神が姿を現す。
「ふん、ならばしょうがない……」
そして闇を纏った館の主は玉座から立ち上がる。
その背後から姿を現すのは、金を基調とした人の形を模した屈強そうなスタンドだ。
金のスタンドが拳を構え、『銀の戦車』がレイピアをかざす。
「死ぬしかないなッ! ポルナレフッ!」
「それが『
殺意と裂帛の気合いが激突する──―瞬間だった。
「──じょ、」
遂に耐えきれなくなった澪が口を開いた。
そこで始めて澪の存在に気付いたのか、DIOの視線がこちらへ向けられる。
その瞳は、ポルナレフへ向けていたそれとは全く違う、甘い、毒薬めいた艶を帯びている。
「澪、ようやくか。どれだけ私を待たせ──」
だが、そんな空気を一切読まず、否、読む余裕すらなかった澪は両手の拳を握ってぶるぶる震えると、大きく息を吸って。
怒鳴った。
「ジョナサンの身体でそんな奇天烈なファッションすんなあああッ!!」
館中に響いたのではないかと錯覚するような、ものすごい大声だった。
「……は?」
「おい、澪?」
虚を突かれたDIOが一瞬目を瞠り、ポルナレフはどこか心配げに澪を見やる。
澪は悔しさなのかなんなのか、とりあえず全力で怒っていた。感情が強すぎてじゃっかん半泣きになりながら矢継ぎ早に捲し立てた。
「なんで股間ばっくり開いてるの!? なんでハート!? 自分の美貌分かってるからって顔とスタイルさえ良ければなんでもいいと思うなよぉおッ!! ふく、えらべ! 台無し! なんか色々台無し! ばーか! バカDIO! へんなふく! へんたい!」
色々台無しにしたのは澪である。そして最後のセリフはただの罵倒だ。
感動の再会など望むべくもなかったが、それにしたってこれはない。澪は脳内で全力でジョナサンとエリナに謝罪した。
「ていうか普段からこんな恰好なの!? DIO美的センスどこ置いて来ちゃったの!? それじゃただのへんたいじゃんんん!!」
「……おい」
「あっ、もしかしてそんな薔薇族みたいな恰好で典明くんいじめたんだな!? えろ同人みたいに! えろ同人みたいに!! そらトラウマになるわ!」
「おい」
「うわああジョナサンごめんなさいいい! エリナちゃんも! ちょっと会わない内にDIOが変なファッションに目覚めちゃったーぁああ!!」
「だまれ」
「むぎゅっ」
いつの間に移動させられたのか、暴走しまくっていた澪はDIOの片手で両頬をむんずと掴んで黙らせた。じゃっかんの呆れが見えたのは気のせいか。
ポルナレフは突然始まってしまった澪の罵倒祭りに気を取られて反応が遅れてしまったらしい。驚いている。
「澪!?」
「久々の再会から罵倒とは、やってくれるじゃあないか」
DIOの口調は多少怒っているようだったが、殺意は混じっていない。
ねずみをいたぶる猫のような上機嫌さすら窺えた。
「相も変わらず、義姉さんはこのDIOの期待をことごとく裏切ってくれるな」
だが、とDIOは微笑んだ。
頬から手を離すと柔らかく澪を抱き上げ、目線を合わせる。
「それでこそ澪だ。このDIOを倒すためでもなく、まして殺すためでもない。会う、たったそれだけの目的を胸に私へと辿り着いた、ミオ・ジョースター」
その時だけは、人間らしい喜びと、なにかどろどろとした感情を乗せて。
「いや、夕凪澪と呼ぶべきだな。この時を待っていたぞ」
はじめて人間らしい微笑みを唇に乗せ、かつてディオ・ブランドーと呼ばれた男は。
「ともに夜を統べる、このDIOの決めた、たったひとりのつがい──魂の花嫁よ」
人間を越えた吸血鬼として、悪の救世主として、百年越しに再会した少女へ──―そう、宣言した。