花嫁?
DIOの甘さすら含んだ声音で綴られた言葉に、当惑した。
そもそも論で、澪は血縁こそないが今でもDIOの義姉のつもりである。
近親相姦に当たるかは微妙だが、身体はジョナサンのものだ。精神的にアウトだ。
百年寝こけている間に倫理観もどこかへすっ飛ばしてしまったのだろうか、と場違いな考えが脳裏をかすめつつ、とりあえずポケットに手を突っ込んでくしゃくしゃになった紙を広げ、拳を握ってDIOの顔面に問答無用で叩き付けた。
流れるような動きだったためDIOも反応できなかったのか、それとも避ける気がなかったのか、めごっ、と痛そうな音がした。
「なんの真似だ」
案の定DIOが小揺るぎもしないのが腹立たしかったが、不機嫌にはなったのでざまぁみろ、である。
「うるせー。嫁とかトンチキ抜かす前に僕ん家壊した慰謝料払え。建築費も込み込みでな!」
ついでだからと耐震構造まで入れたから凄い金額だぞ覚悟しろ。
一発入れることと請求書を叩き付けることを同時に達成できたので、澪は無意味に胸を張り、ついでにDIOの腕からすり抜けて距離を取った。
DIOは記載されている金額をちらりと横目で見て、ふんと鼻を鳴らした。
「貴様は……こんなはした金のためにカイロまでやってきたのか?」
「か、金を馬鹿にすんなぁッ!」
これをはした金と抜かすかこの野郎。金銭感覚どうなってやがるんだ。
噛みつくように反論すると、DIOはうるさそうに瞳を眇めた。
「ぎゃあぎゃあわめくんじゃあない、百年経っても変わらぬマヌケめ。このDIOが、伊達や酔狂で花嫁などと抜かすと思っているのか?」
そんなことは思っていない。
ただ、DIOのような吸血鬼がなんの含みもなく口にするには妙な言葉だ。
日常から遙かに乖離したこんな場所で、誰憚ることなく言い出す突拍子のなさが不気味だった。
DIOが笑う。支配者のそれで。
「言ったはずだ、わたしはお前を求めている。百年前からずっとだ」
確かに、以前DIOは鏡越しに自分のものにすると言っていた。
それだけが確定された未来なのだと宣言していた。永遠の隷属と支配、澪にとっての絶対の安心。
全てを与えてやるから、わたしのものになれ、と甘美な誘いをくれた。
でも、澪はそれをつっぱねた。
昔ならばいざ知らず、大事なものが沢山あるから頷けなかった。
本当は、DIOに会ったら。
言いたいことがいっぱいあった。
伝えたいこともたくさんあった。
でも、ディオは百年経っても小憎らしくて、ジョナサンの身体をぶんどった罪悪感なんか欠片もないのか変態的なファッションに目覚めて、こっちの話なんかぜんぜん聞いてくれる気がしなかった。
今だって、そうだ。
最初からこっちに期待なんかしてないみたいにからかって、勝手に花嫁とか呼んで、勝手にふんぞり返っている。
こんなに近くにいるのに、なんでこんなに遠いんだろう。
「……あは」
どうしようもない寂しさと悔しさとよく分からない感情があって、なんだか澪は笑ってしまった。
笑うしかなかった。
「お嫁さんにはなれないよ」
しようのない子供のわがままを聞いた姉のそれで、ごちゃごちゃした感情は横に置いて、ただの事実を。
「だって、僕はディオのおねーちゃんだから」
だって、ねぇ、DIO。
それすらなくなったら。
ここにいる意味すら、なくなっちゃうよ。
「……」
できすぎた彫像めいたDIOの顔をぼんやりと眺めていたら、轟音。
あまりにできすぎたタイミングで確信する。彼らが登場するなら、この時だろう。
壁が音を立てて崩落し、うっすらと橙色の日差しが差し込んだ。夕日が周囲を明るく照らす。
「じょ、ジョースターさんッ!」
現れたヒーローたちの登場にポルナレフが快哉を上げた。
味方が勢揃いしている中、ジョセフはくい、と帽子の鍔を上げてにやりと笑う。
「安心するんじゃ、ふたりとも」
一方、DIOは夕日の眩しさに目を細め、最大の弱点から逃れるべくふわりと廊下の奥へ姿を消した。
余裕そうだったわりに澪は放置されていたが、どうぜ後で回収すればいいとか考えているのだろう、たぶん。
『DIOッ!』
全員が親玉の名前を叫び、咄嗟に追いかけようとしたところを何故かポルナレフが引き留めた。
「ヤツを追う前に言っておくッ! 俺は今、ヤツのスタンドをほんのちょっぴりだが体験した……」
どうやら澪が到着する前にポルナレフはDIOと邂逅し、一悶着あったらしい。
「いや、体験したと言うよりは、全く理解を超えていたのだが……」
確かに、語るポルナレフの顔にはびっしりと冷や汗が浮かび、表情は意味不明のものに直面した人間の困惑そのものだった。
「あ、ありのまま、今起こった事を話すぜ! 俺は、
語っている本人がよく分かっていないのだから、周囲が理解できるワケもない。
沈黙が場を支配するなか、更にポルナレフは続けた。
「な、何を言ってるか分からねーと思うが、俺も何をされたのか分からなかった。頭がどうにかなりそうだった……。催眠術だとか、超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ」
超スピードはチャチなんだろうか、とどうでもいい考えが頭をかすめる。
「もっと恐ろしいモノの片鱗を味わったぜ……」
息を呑むジョースター一行の中、ただひとり、承太郎だけが口を開いた。
「アヴドゥルとイギー、それにツェペリのジジイは」
言われてみれば、アヴドゥルはともかくイギーとシーザーがこの場にいないのはおかしい。
聞かれたくはなかった、と言わんばかりにポルナレフはまぶたを伏せ、苦虫を噛み潰したような渋面を作る。
「こ、ここまでは、来れなかった……」
ぎゅ、と握った拳がかすかに震えている。
「アヴドゥルはスタンド使いのクソ野郎に両腕を持っていかれた。イギーは、あの野郎、俺を助けるために無茶しやがって……ツェペリさんがいなかったら殺られてただろうよ」
どうやら対ヴァニラ・アイス戦でイギーは大怪我を負い、間一髪シーザーがシャボンでイギーを覆って致命傷を避けることができたらしい。
「生きては……いるんじゃな?」
ジョセフの言葉にポルナレフは小さくああ、と頷いた。
「だが、あの身体じゃ……もう、戦うのは無理だ。その気があっても、動けねぇ。ツェペリさんは二人の応急処置が終わったら、駆けつける」
「そうか」
階段を上がりかけている花京院が安堵の息を吐くのが聞こえた。薄い暗がりにひとときの静寂。
そして、澪はポルナレフの言葉から確信を得て、水を打ったような沈黙を破った。
「──エンヤお婆ちゃんとの約束が、破綻したことを確認しました」
DIOはポルナレフにスタンドを使った。即ち、敵対行動を取った。
それは、エンヤ婆に澪が突きつけた条件が破られたことを意味している。
「あの婆さんとの約束、だと?」
唐突な物言いに承太郎が渋面を作った。当時の凄惨な最後を思い出したのだろう。
「ああ、したと言っていたなそういえば。じゃが、破綻?」
「そもそも、澪はあの婆さんとどんな約束をしてたんだ?」
ジョセフと花京院が矢継ぎ早に問いかける。
澪はごくごくあっさりと答えた。
「僕がお婆ちゃんとした約束は、
『ッ!?』
全員に動揺が走るが、澪は言葉を止めない。
「あの霧の街で、お婆ちゃんはポルナレフさん以外のみんなも、スタンド能力で攻撃しようとした。だから僕はそれを止めさせるために、DIOの能力を引き合いに出した」
仇討ちは正当だが、それ以外は論外だと──端的に言えば脅したのだ。
スタンド能力は当て推量で告げたが、それは見事にビンゴだった。
「俺は攻撃されたぜ?」
「それは承太郎が先にケンカ売ったからでーす。やられたらやり返すまでは、範疇内」
そして、エンヤ婆はDIOのためにその条件を呑み、命を賭けて約束を守った。
だから澪はその命にかけて、ここまで喋らなかった。
だが、それももうお終いだ。
「お婆ちゃんが命掛けで守った約束だから、僕もここまで話せなかった。ごめんなさい」
ぺこ、と素直に澪は頭を下げた。
不倶戴天の敵のトップシークレットをここまで話さなかったことは、客観的に見れば確かに罪だ。
だが、ジョセフのみならず全員が、あの時の澪を知っている。
肉の芽の暴走で自分も傷つき、それを気にすることもなくエンヤ婆の最後を看取り、納得がいかないなら自分を殺していいとすら告げた、あの瞬間を。
「……」
だから、責める言葉が見つからなかった。
代わりにジョセフが尋ねた。
「話してくれ、澪。DIOの能力を」
澪は頷き、全員が固唾を呑んで待つなか──静かに答えた。
「DIOのスタンド能力は、時を止めること」
「!?」
「止まった時の中を自由に動き回れるスタンド、ということなのか!?」
ポルナレフが絶句し、花京院の声に澪はまた頷いた。
義父たちのメッセージは『無駄無駄ほむほむ』。
前半はDIOの口癖なので除外するが、残りのほむほむというのは──某マスコットキャラが諸悪の根源な魔法少女アニメのアレだろう。
それに照らし合わせて考えるならば、彼自身は時の中を自由に動けなくてはスジが通らない。
「たぶん。それが何秒くらいかは、僕もわからない。五秒か、それとももっとか……射程距離もね」
ただ、時を巻き戻すことはできないらしいことが救いだ。
もしそこまでできてしまえば、とっくにこちらは全滅していただろうから。
「じゃ、じゃあ俺が階段を降りていたのは、ヤツが時を止めて俺を動かしたってことなのか!?」
「ということは、あの階段の踊り場から階段までは少なくとも射程範囲内、ということか……検証が必要だな」
花京院が少ない情報からぶつぶつと推測を呟き、承太郎は澪を睨め付けた。
「おい、なんでテメェはそれを知ってやがる」
「義父さんたちが教えてくれた」
簡潔で、明瞭な返答である。
承太郎が眉をしかめた。追求したい気持ちもあるにはあったが、聞いても無駄だと自分の勘が告げている。
「相変わらず、お前の親父共は底が知れねぇな」
「僕もそう思う」
真顔で頷く様子にため息が漏れた。
思い返せば、澪はまるで相手スタンドが分かっているような行動をしている時があった。
それは念のため、という布石のような時もあれば積極的に動いていたことも。『恋人』の時がいい例だ。
おそらくは、彼女の義父たちが授けた知識というのは精度のさほど高くない、『おそらくはこんな能力だろう』程度の情報なのだろう。彼らとて万能ではないのだ。
「時を止めるスタンド能力をDIOが持っているとすれば、間違いなく脅威じゃ。それを打ち砕くとなると……おい、澪、まさか出し惜しみしてないじゃろうな」
やぶにらみのジョセフに、さすがにかちんと来たのか澪が大げさに肩を竦める。
「この状況でそこまでするほど人間味がないとお思いか」
「ジョースターさん、日が沈みかけています。急がないと……」
とろけるような飴色の夕日へ首を向けると、空が徐々に薔薇色に染まっていく。
もうすぐ、吸血鬼が自由に動ける時間になってしまう。
「そうだな」
ジョセフが頷くと同時に、花京院は転がっていた麻袋を放り出した。