よく考えたら、律儀に足返さないで明後日の方向にでも投げればよかった。失敗したわー。
この前のジョセフより重いロギンス先生の身体を担いで走りつつ僕は悔やむ。
先生は打撃の衝撃が強すぎたせいか意識が朦朧としているらしく、時折うめき声を上げるが身動きが取れない。そうこうしている間に、ちょうどシーザーとメッシーナ先生がいる塔の真下に来たので大声を張り上げた。
「シーザー! メッシーナ先生! エシディシさんが来ました! 今ジョセフが交戦中です! ロギンズ先生は負傷しました!」
夜闇の中だからか、声はよく通る。すぐに上からシーザーの答えが聞こえた。
「ああ、把握してる! ミオはそのままロギンズ師範代をリサリサ先生のもとへ!」
「はい!」
「あと客でもねぇのにエシディシに『さん』とかつけるな! 敵なんだぞ!」
「すいません!」
年上には敬語が染みついているのでつい。物凄い年上なわけでしてゴニョゴニョ。
ロギンズ先生を担ぎ直して、僕はとにかく足を動かした。冷たい汗が噴き出して、胸がふいごのように上下する。ここ広いな、くそ。
ぜい、と肺が動いて少し苦しい。鼻の奥がきな臭い。ひとりならすぐにでも行ける。でも早く治療して貰わないと先生が。自分に波紋の才能がないことが悔やまれる。ジョセフの手助けすらできない。
「くそッ……!」
無力感が沸くが、背中の重みに背中を押されるように足を伸ばす。とにかく、早く。急いで。
そうこうしている間に訪れる夜明けの気配に、思わず顔を上げた。
目も眩むような赤光が、暗闇を薙ぎ払う。
世界の目覚めを告げる陽光の恩恵が島全体を覆い尽くし、ひととき窓や柱の一部が爆ぜるように輝く。潮の波頭が煌めいて、清澄な空気が肺腑の奥を洗い流す。
朝を待ちわびていた鳥たちが鳴き交わしながら羽ばたいていく様は幻想的ですらあった。
こんな時でも、世界は美しい。それはいっそ無残なほどに。
「……」
この景色を、ただ忌まわしいとしか思えないなら。厭うことしかできないなら。
それは本当に気の毒なことだなぁ、と感じた。
☓☓☓☓☓
途中で脳内物質でも出てきたのか半ばランナーズハイ状態で階段を駆け上がり、なんとかリサリサ先生のもとに辿り着いた。
「先生!」
「ミオ、ロギンズ!?」
先生はすぐに異常事態を察したのだろう、椅子から立ち上がる。
僕はなんとか呼吸を整え、状況報告。
「エシディシが来ました。ジョセフが交戦中です。シーザーとメッシーナ先生には伝達済み、ロギンス先生は負傷しました」
「……状況は把握しました。ミオ、ご苦労でしたね」
先生は猛烈に思考しているのか、短く言って僕の背中のロギンス先生を受け止めた。僕はほ、と息を吐いて目に入りそうだった汗を拭う。
へたり込みそうになる膝を叱咤してなんとか背筋を伸ばした。
「ロギンズの治療に取りかかります」
「僕は、ジョセフの救援に向かいますか?」
既に夜が明けているということはジョセフにとって有利な状況になったということだ。シーザーたちもいるし、行く意味があるかは分からない。
けれど、ジョセフが交戦で負傷したならば救援の必要があるかもしれない。もしくは最悪の状況も考えられる。
「いいえ、あなたは私とともに赤石を守るのです」
予想の範疇といえばそうだったので、特に反論もなく頷いた。
リサリサ先生の優先順位は常に赤石の守護にある。その場の情にほだされて判断を誤るようでは指揮に向かないし、むしろ頼もしいくらいだ。
「了解です。ただ、もう少ししたら体力の限界なのでその……申し訳ありません」
仮眠くらいは取ったが体力消費も著しいし、結構ギリギリだ。こんなことになると分かっていたらもっと調整していたのに。
「構いません」
そう言って、リサリサ先生はロギンズ先生と別室へと移動した。治療に当たるのだろう。
ロギンズ先生の身体を細かくチェックして、リサリサ先生は顔をしかめた。
「波紋で痛みを和らげることはできますが……骨盤と背骨に損傷が見られます」
内臓に致命的な損傷がないのは幸いだったが、頸骨が砕け肋骨も折れており、戦力復帰は難しそうだ。
エシディシの脚部の衝撃でこれだったのだから、あのまま突き刺さっていたらと思うとぞっとする。どうせなら斬ったついでに足も吹っ飛ばしておけばよかった。今更ながらに韜晦の念が沸く。
「すみません」
緊急措置として他に手段が思いつかなかったのだが、もっといい手段があったのではないだろうか。
「あなたが気に病む必要はありません」
自責の念に囚われていると、リサリサ先生がきっぱりと告げた。
「ロギンズは生きているのですから」
あのまま肺に穴ぼこ開けられて死んでいたら、と考えるならば確かにマシと言えるかもしれない。
ただ、自分の判断ミスが戦力の低下を招いてしまったと考えると気鬱になる。
「柱の男と対決して、命脈を断ち切られていないのは僥倖です」
おそらくは、慰めてくれているのだろう。
リサリサ先生は重ねるように言って、それからは無言で治療を始めた。僕も何か口にすることは憚られ、ただ握った拳に力をこめて頭を下げた。
頑張ろう、と心に誓って。
「……ミオ」
「はい?」
痛覚を和らげているのか、ロギンズ先生の表情が穏やかになっていく。そんな中でリサリサ先生が顔を上げる。
「気のせいか、手慣れていませんか」
そう言われると返答に困る。
ジョセフとシーザーが比較対象ならば、自分の戦闘経験はおそらく上だ。そんなの褒められたものでもないし、誇れるわけでもない。
単に自分の方が血錆に塗れていると、そういう意味でしかないのだ。
でも、そういう経験が身近にいる大切な人を守る為の糧にできるなら──全力でそれをしたい。
この期間で僕にとってみんなは大事な存在になった。彼らを助けて戦えるというのは、誇らしい。ジョセフたちが担えない分は、自分が賄いたいと願う。
……無辜に散らしてきた命を贖うには爪の垢にも足りないが、他にできることが思いつかないのだ。
だからちょっぴり笑って、いたずらっぽく敬礼のポーズ。
「人事不省に陥った部下を捨て駒と断じない先生に出逢えたことは、無上の幸福と思いますよ」
僕の言葉に、リサリサ先生は虚を突かれたようにきょとんとしていた。可愛い。
だからつい、口が滑った。
「優先順位を間違えず、仲間に信頼を置いて、自身にも覚悟を持って臨んでいるリサリサ先生は素晴らしいです」
世の中色んな指揮官がいますから、リサリサ先生はよい先生で統率者であると思います。いえどこの誰とは言いませんよ。そんなそんな。
「……そうですか」
リサリサ先生がじゃっかん呆気に取られたような表情になったのは、なんかの見間違いですよね。さては疲れが出たか。
☓☓☓☓☓
最低限の治療を施し、ロギンズは連絡船でそのまま病院へと搬送されることになった。
ミオは罪悪感もあって出航まで見送ろうと運び込まれるロギンズを見つめていた。かなり無理をしたし、見送りが終わる頃には狸になってしまうだろう。
「あれ、スージーQ?」
すると、いつの間にか現れたスージーQがどこかぎこちない動きで水夫に小包を渡していた。
「……」
いつもなら輝くような笑顔で返事をしてくれるスージーQは、なぜか不気味なほどに無表情だ。常が溌剌としている分、それは異様に映る。
彼女も疲れたのだろうか、と疲労で曖昧になった思考で考えていると、不意に。
「ッ」
スージーQが、まるで親の仇でも見るような瞳でこちらを一瞥した。
ミオは一瞬、射抜かれたようにその場を動けず、城へと戻っていく背中が影になってからようやく硬直が解ける。おかしい、変だ。
彼女に嫌われるようなことは特にしていない(狸で逃げ回ったりはしたけど)し、あんな憎々しげな表情を向けられる謂われなんてないはずだ。
ミオは半ば本能的にスージーQを追いかけ、リサリサの部屋へと辿り着いた、その時。
「ミオ、来るんじゃねぇ!」
「ッ!?」
全身に、致命的な衝撃が走った。
血の色をした血管のようなものが蛇の如く身体を這い回り、縛り上げていく。
「ぐ、くのッ」
それは首にまで絡みついて強固に緊縛してきて、ミオは咄嗟に首の隙間に手を差し込んで喉の圧迫を避けた。
そのコードめいた血管はスージーQから伸びており、彼女自身も血に塗れている。あらゆる箇所から滂沱と血液を流し、その瞳は明らかに正気ではない。
ジョセフが吼える。
「エシディシの野郎が脳味噌だけでスージーQに取り憑いてやがるんだ!」
さすが柱の男の恐るべき生命力、と言うべきか。脳だけの存在と成り果てても生き延びようとする執念は凄まじい。
スージーQ──否、エシディシが彼女の口を借りて憎々しげに吐き捨てる。
『おれの足をぶった斬ったクソガキがぁあ! まずは貴様を沸騰血で始末してくれるわ!』
「いけない!」
リサリサ先生の悲鳴と同時、ミオの全身を這い回っていたエシディシの血管(だと思われる)が沸騰したような熱さを帯びる。
血管を通る血液が猛烈な温度で循環しているのだ。焼け付く痛みと火傷特有の痛痒、そして染みるような感覚が全身に伝播して、唇を噛みしめる。
「あ、ぐぅ……ッ!」
全身の至る所に根性焼きをされているようなものだ。
痛苦に悶え、口の中に血の味がした。呼吸が乱れて生理的に浮いた涙で目の奥が潤む。
──だが、それがなんだと言うのか。
『はははは! 貴様の波紋は微弱! このままローストポークにしてくれる!』
哄笑を響かせるエシディシに構わず、ミオはその血管を渾身の力で掴んだ。手の平が焦げ付く音がした。肉が焼ける嫌な臭いが部屋に漂い始める。
「ミオ!」
「ジョセフ、シーザー」
それに構わず、ミオは平坦に言葉を述べる。
「スージーQを助ける方法は?」
「あるぜ、一か八かだがな! だが、先にお前を……」
「ならいい」
ジョセフの言葉を切って捨て、ミオはスージーQの中にいるエシディシを睨み付けた。
「エシディシ」
臓腑の奥に刃を差し込み、捻り回すような憎悪の視線だった。
「僕の波紋は弱いよ。でも、別に構わない」
身体中が痛む。焦げ臭い。吐きそうだ。それがなんだ。灼熱の縛めがなんだというのか。
「それでもあなたを倒すことはできる」
スージーQはもっと痛いだろう。身体を内部から好き勝手に蹂躙されるなど苦しいに決まっている。嫁入り前の女の子なのに。許せるわけがなかった。
だから、
「僕のたいせつなともだちを──
その声を聞いた全員が一瞬、誰の声だか分からなかった。
声音に宿る侮蔑と殺気。たとえ首だけになっても相手の喉笛を噛み千切る、そんな覚悟と必殺の気配。
『はっはぁよく吼えたものよ! やってみるがいい!』
周囲に沸騰血をまき散らそうというのか、伸び上がろうとした触手の如き血管をあろうことか全力で掴んで抱え込み、ミオは口を開く。
ミオはこの力を使う時、大抵はあらゆるものにお願いする。
心から呼びかけ、繋がり、願い、応えてもらう。
あまねくものへと助力を乞い、どうか力を貸して下さい、一緒に戦って欲しい、と。
だが、今だけは全てをかなぐり捨てて、首筋に絡みつく灼熱すら退けるような獅子吼を放つ。
『──
変化は劇的だった。
言霊という令に従い、全ての縛め、放出されんとしていた沸騰血、その全てが硬化し、血錆色の飾りと化す。
『な、ぁああ!?』
そしてエシディシの狼狽を、ジョセフとシーザーが見逃すはずがない。
「ジョジョ、俺の呼吸に合わせろ!」
「おう!」
勝負はほんの一瞬だった。
ジョセフとシーザーがスージーQへと同時に波紋を送り込み、その衝撃にたまらずエシディシは脳髄だけの状態で逃げ出しジョセフへと絡みつく。
「ジョジョ!」
咄嗟にシーザーが駆け寄ろうとするのをジョセフが制する。
「このままでいい。太陽の光で消えて行くんだ」
陽光に晒されたエシディシの脳髄は瞬くまにほろほろと崩れ、消えていった。あっけないといえば、あまりにもあっけない最後だ。
「胸がムカつく奴だぜ。女の体に取り付くなど醜いったらありゃしねえ!」
シーザーはそっとスージーQを抱き留め、忌々しげに吐き捨てる。
「シーザー、そいつは逆だぜ」
けれど、ジョセフは首を振った。
「俺はこいつと戦ったからよくわかる。こいつは誇りを捨ててまで、何がなんでも仲間のため生きようとした……赤石を手に入れようとした」
ぱきぱきと拘束を割り砕きながら、ミオも考える。
赤石をひたすらに求めるエシディシ。邂逅は僅かだったが、その使命感だけは理解できる。
「何千年生きたか知らねえが、こいつはこいつなりに必死に生きたんだな」
ともあれ、ミオにとってはスージーQを傷物にした憎たらしい奴である。おそらくその評価が覆ることはない。
ジョセフは対決したからこそ、彼の本質が見えたのだろう。
「善悪抜きにして。こいつの生命にだけは敬意を払うぜ!」
全ての拘束を取り払い、ミオはぱんぱんと服をはたいてからスージーQに駆け寄る。
「スージーQは大丈夫?」
「ああ、波紋で治療をすれば……ミオ、お前もひどい火傷じゃないか!」
ミオは自分の腕や足、首などのあちこちにできた火ぶくれを確認してから困ったように眉根を下げた。
「死にはしないけど、めっちゃ痛いよ。てか、炭化してる手の平のとこが痛くないのが逆に怖い」
正直誰もいないなら泣き喚いてうずくまりたいが、やせ我慢だ。
「当たり前だろうが! 早く治療してもらえ! リサリサ先生!」
半分悲鳴になりつつある救援要請に、リサリサは手早く衣服を身につけてミオの方に向き直る。
「あ、スージーQのあとでいいです。重傷のはずですし」
「あなたも重傷なのですがね」
淡々とした指摘にミオは微苦笑めいたものを浮かべる。顔色は悪く、目元が引き攣って誰が見ても我慢しているのは丸分かりだったが。
「生きて、動ける間は、大丈夫です」
その言葉と態度にほんの一瞬、全員の背筋に悪寒めいたものが走った。
なぜか、ミオがあまりに遠くにいるような気がしたのだ。目の前にいるにも関わらず、だ。
異界の生き物が発した言葉のような、そんな違和感と齟齬があった。
「な、ならば、ミオの治療はこのメッシーナが務めよう」
「じゃあ、よろしくお願いします」
へろりと頭を下げて、ミオはメッシーナのあとに続く。
そこへ、ジョセフがぽつりと呟いた。
「つーか、お前ならあの血管見切って全部斬るくらいできたんじゃねェーの?」
その疑問に、ミオはけろりと答えた。
「ああ、あの時は血管? がスージーQのかエシディシのかわかんなくてさ」
もし、スージーQの血管すら運用していたのならば、また別の手段を考えなくてはならなかった。
だから、どちらなのかを見極めるために自分の身体を使っただけのことだ。痛いもんは痛いし、しんどいがスージーQに何かあるよりマシである。
「結局エシディシのだったけど、ま、結果オーライだね」
「お前って危なっかしい橋渡るよな。俺も人のこと言えねーけd……うッ!?」
ジョセフが突然ミオの背後を見て変な声を出した。
「?」
くるりとミオは後ろを向いて、即座に後悔した。
額に青筋を浮かべたシーザーが腕を組んで仁王立ちしていたからだ。これから怒られる人間が必ず感じる緊張感に思わず肩をそびやかす。
すぅ、と自慢の肺腑に大量の空気が流入していく。
「──この、大馬鹿野郎がぁああ!」
砲撃のような怒号だった。ビビクン! とミオの身体が跳ねる。
シーザーはそのまま無事だったミオの頬を両手で摘まんでぐいぐい引っ張る。
「むえー!」
「もっと自分の身体を大事にしろスカタン! 女だろうが!」
「お、おんにゃだけど」
引っ張られたままなので不明瞭な発音で、それでもミオは反論の言葉を口にした。
「ふージーQのともらち、らもん! ふージーがより安全な方がいーに決まっへる!」
その訴えに一瞬シーザーは瞠目し、やがてミオの頬から両手を離して深くふかーくため息を吐いた。
「ったく、お前のそれは死んでも直らなそうだな。ほれ、早く治療してこい」
「はーい。行ってきます~」
ぺしりと背中を叩かれ、ミオはメッシーナのあとを追いかけた。
リサリサはスージーQに治療を施しながら、独り言のように。
「ミオは、どうも自己を守るという観念に欠けているところがあります」
「確かになぁ」
ジョセフも頷いた。
「さっきも言ったけどよ、妙に危なっかしーんだよな」
「ああ、こっちはハラハラさせられっぱなしだぜ……」
あの躊躇いのなさは、一体なんなのだろうか。