星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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13.♯後方支援 とは?

 

 

 いくら朽ちても高級志向のホテルはその堅牢さを保っていた。

 

 古びてなお瀟洒な雰囲気の漂う門扉を開け、シーザーとミオは敵地へと侵入した。べつに馬鹿正直に正門から入らなくてもよかったのだが、あまりうろうろして潜入を悟られるのも御免である。

 煉瓦造りのホテルはまるで要塞じみて見え、一応、気配を消して移動する努力はしているが相手方から丸見えなので望み薄だ。

 

「昨夜降った雪に建物の中へ向かう足跡がひとつ……」

 

 シーザーの言うとおり、新雪の上には足跡が点々とホテルの入口へと続いている。

 

 敵の本拠地という前提を差し引いても、周辺には奇妙な圧迫感があった。突然標高の高い山にでも移動してしまったような、圧倒的な威圧の気配。ミオの第六感は鋭敏にそれを感じ取り、瞬間的に思考を巡らせる。

 

 希望的観測ならば、ここにはカーズしかいないはずだ。だが、それはこちらの理想であり単なる望みである。相手が戦力増強していないなどという保証はどこにもない。ワムウがいないという決定打すら、ない。

 

「足跡なんて、なんの保証にもならないよ」

 

 注意深く同じ足跡を辿れば、何人通ってもひとりに見える。

 

 そうつぶやいた、瞬間だった。

 

 極限まで研ぎ澄まされた剃刀を当てられるような感覚がミオの首筋を撫でつけ、同時に中からホテルの入口が勝手に観音開きになった。風が『ミオたち』の方へと流入する。

 そうして、まるで蜃気楼のように揺らめくひとつの影。

 

「ッ!」

「こ、こいつはッ!?」

 

 シーザーが即座に身構えるが、それはほんの瞬きの間に消失してしまう。

 

「今、何か見えたようだったが……目の錯覚か?」

 

 突然の事象に驚き、戸惑うシーザーだが、隣にいたミオは驚いたのは同じだったものの反射的に全力で叫んでいた。

 

()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 シーザーがぎょっと目を剥く。

 

「な、ミオ、ワムウがいるのか!?」

「いるもなにも……あっ見えないのか!」

「見えねぇよ! 俺にはなにも……」

 

 あちこちと忙しなく視線を走らせるシーザーと違い、ミオは本当に相手の位置をある程度把握しているのか、視点が一定している。

 彼女は自身の異能もあって自然──特に大気の動きに非常に敏感である。それまで重ねられてきた経験も相まって、肌に触れる風の微細な振動が自分たち以外の存在を殊更強く訴えていた。

 加えて、柱の男たちは総じて己の殺気や気配というものを隠す気が全くないので、聴覚を阻害されているわけでもない現状、相手の大体の位置と方向は分かる。

 

 惜しむらくは、相手の気配が膨大すぎて周囲に飽和しており、正確な位置を掴めないことか。

 

「くそっ、既にスイスに着いていたのか! ミオ、なんでワムウと分かる!?」

「空気使えるのあの人しかいないから!」

 

 即答する。

 

 自分の知る限りでは、という注釈はつくが半ば確信していた。

 ワムウは風を操ることができるとジョセフたちから聞いた。それは平たく言えば空気操作である。空気を操り光の屈折を歪めれば、太陽光線を遮り、ついでにワムウの姿もこちらには見えなくなる。

 

 ミオたちにとって幸いだったのは、太陽光線を避け続けるために相手が常に空気を流動させなければならないことと──立地である。

 

 開けた場所では相手は空気を操作できても、こちらの空気を遮断することまではできない。

 嗅覚も味覚も聴覚も皮膚感覚も、空気を遮断すれば働かなくなってしまう。空気振動が届かなければ、耳には何も聞こえず肌にも伝わらず、気配の感知は困難を極めただろう。

 

「まさか、光の屈折現象……そうか、風がワムウの……ありうる!」

 

 その言葉で、察しのいいシーザーはワムウの取っている遮光法をある程度推理することができたらしい。

 ミオの視線の先、扉の前に人影が現れる。今度はシーザーにも視認できたようだ。

 

「シーザーか、それにあの時の妙な小娘……」

 

 低い、囁くような声はあの時聞いたワムウのものと同じだった。前回の一件で女というのは看破されたらしい。

 ワムウがこちらへと強く足を踏み込み、太陽光線のもとにその姿をさらそうとした瞬間──再び風を操作して煙のように消えてしまう。

 

「ま、また消えた! ミオ、やつはどの辺にいる!?」

 

 必死に視線を走らせ、ゆらりとシーザーの身体が自然に動く。

 全身の力を抜き、足先だけでしっかりと地面を踏みしめ、まるで猫の足めいたそれは中国拳法でたまに見る立ち姿だった。全方位に注意を向け、どこからでも対応できる構えである。

 

 しかし聞かれたはいいが、感覚的に察知しているものをどう説明すればいいのやら。

 とにかく方向だけでも定めておこうとミオはあらぬ方向を必死で指差した。

 

「あそこ! あのへん!」

「あの辺じゃわかんねぇよ! 具体的に言え!」

 

 いつにない焦燥からか思い切り怒鳴り散らされて身が竦みそうだったが、それどころではない。

 ミオは全感覚を研ぎ澄ませて感じ取る方向にひたすら視線を合わせ、とにかく指先で追い続ける。

 足止めのひとつでもしたいところだが、波紋の弱いミオではどこまで通用するか不明だ。迂闊なことはできない。

 

「ずっと移動してるの! 凄い速さで! クレー射撃の的を追いかけるみたいなもんで……げっ!」

 

 新しい気配を感じて、思わず変な声が出た。味方でも敵でも状況は悪くなる。

 

「シーザー! ミオ!」

 

 おそらくは、ホテルに入ろうとするシーザーの留め役としてリサリサに言われたのだろう、メッシーナが姿を現した。

 

「メッシーナ師範代!」

「今来ちゃ駄目です先生!」

 

 気配が増えればそれだけワムウの探知が難しくなるし、相手の的も増える。下手をすると守りきれない。

 

「……どういう意味だ?」

 

 不思議そうな表情をするところを見ると、彼にも感知できていないのだ。これは困った。

 そして、あろうことかこちらへと歩み寄ってくるメッシーナにシーザーが大声を出した。

 

「近付くな師範代! 危険だ……扉入口の周辺のどこかにワムウがいる!」

「なんだと!?」

 

 焦ったように慌てて周囲を見回しているが、メッシーナも補足できないようだ。

 

「儂にはなんにも見え……」

「あっ!」

 

 メッシーナの呟きはミオの声によってかき消され、雪原に大きな振動が走れば片方だけの足跡ができる。

 

「あ、足跡がひとつだけ!」

「跳躍したんだ!」

 

 誰より早く状況を理解していたミオの動きは迅速だった。

 

 何故か構えを解き、シーザーを振り返って、

 

「ごめんシーザー! 先生!」

 

 言って、思いっきりシーザーの胸元を蹴りつけた。

 

「がッ!?」

 

 よもや味方から攻撃されるなど夢にも思っていなかったのだろう、その華奢な作りが詐欺のような脚力をまともに喰らってシーザーは吹っ飛ばされ、途中でぶつかったメッシーナも巻き添えに雪原をごろごろ転がった。

 

「な、なにしやがッ」

「そのまま伏せて! でもちゃんと見てて!」

 

 ミオはぶっ転がった二人を一顧だにせずどこに隠し持っていたのか、いつの間にか握られていた手榴弾の安全ピンを──ぴーん、と引っこ抜いて力一杯ぶん投げた。

 

()()()()()()()()から!」

 

 中空にいる、ワムウに向かって。

 

「むぅ!?」

 

 勘付いたようだが、相手は空中。紅蓮の炎が弾ける方が早かった。

 爆炎が吹き荒れ、雪がとろけて水と化し、土くれの破片や土埃と相まって強烈な爆風が猛烈に視界を茶色く染め上げる。

 

 熱波の中で目を凝らせば、爆圧にも負けず暗褐色の煙が強靱な肉体を形作る──見えた!

 

 透明人間を見るにはどうすればいいのか。簡単だ、ペンキでもぶっかければいい。自前ならともかく、周囲の空気を使って操作するなら必ず空気の流れがあると踏んだ。土色の煙ならば申し分ない。

 シーザーたちの動体視力ならば、攻撃の軌道を読んで回避行動くらい取れるはずだ。

 

 ただ、誤算があるとすれば。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

「ッぅぎ」

「やめろワムウッ!」

「ミオッ!」

 

 遠くでシーザーとメッシーナの悲鳴じみた声が聞こえ、景色が真横へと滑り、視界が一瞬闇に閉ざされる。ドアの閉まる音が遅れて聞こえた。足と背中がじゃっかん痛い。

 途中で高く放り投げられ、無防備にならないよう壁を蹴って距離を稼ぎつつ着地。暗闇の中でもその気配の強さ、恐竜の如き圧倒的な存在感で自分を見据えている相手がよく分かる。

 

「あ、たた……しくった」

 

 思ったより爆発の規模が大きく防御態勢が崩れ、そのせいで反応が遅れて足を掴んで引きずりこまれてしまったのだ。

 ただ、気合いを入れる意味で仕事着の方で来ていたのが功を奏した。いつも羽織っている打ち掛けを盾代わりに使って被害を最小限で留めることができたから。

 

「忍法・矢止めならず、か」

 

 茶化すように呟いてみる。

 もちろん距離は取ったが限度がある。ずたぼろになった打ち掛けを放り捨て、口の中に溜まっていた土混じりの黒い唾を吐き捨てる。服はあちこち焦げて、擦り傷と軽い火傷がいくつか。これくらいで済んだなら上等である。

 

「判断力はもとより……小癪なモノを使うではないか小娘。名はなんという」

 

 ワムウはこちらを観察するように腕を組み、ただ睥睨していた。それは強者の余裕である。手榴弾がほぼ直撃したにも関わらず多少の焦げや火傷があるものの、それもみるみる回復していく。

 やはり波紋でなければ大したダメージにはならなかったらしい。本当に規格外な化け物である。

 

「ミオといいます。けほっ」

 

 煙をモロに被ったせいでまだ喉がいがらっぽく、咳が出てしまった。しまらない話だ。

 

「ほう、してミオ。お前は波紋戦士なのか?」

「違います」

 

 即答すると、ワムウは怪訝な表情をする。

 

「ならば、なぜこのようなところに来たのだ。弱きものが」

 

 心底謎だという口調だった。例えるなら布の服と木の棒でいきなりラスボスに挑んでるようなものだ。理屈が合わないと考えて当然だろう。

 

 そんなことはさて置いて、ミオはここに誰もいないことに心底()()していた。遠慮がいらない。守るべきものがないということは、気を払う必要がないということだ。

 好き勝手にやらかしても誰も咎めないということ。なんとラッキー。好意を持っている人たちだからこそ見せたくないものだって、あるので。

 

 そういえばこの言葉を発するのは、ここへ迷い込んでから始めてだ。

 

 思って、深く息を吸い込み、ミオは着流しを軽く整えてから楚々とした佇まいで礼をした。

 

「改めて、夕凪澪と申します」

 

 やはりこうやって口にすると心が引き締まる。芯が通る。そう、自分は誇り高き波紋戦士になど及びもつかない、それでいい。それがいい。

 

「此度の戦では後方支援を仰せつかりました」

 

 今の状況で言うなら逆に前方支援とでも言うのだろうか。どちらでもいい。

 ミオは静かにワムウを睨め付け、人という枠の埒外にいる超人に向かってあまりにも不遜な言葉を紡ぐ。

 

「あなたが僕と戦うことを嫌がっても、こちらには貴方を討ち果たす理由がある」

 

 喋っている間に戦闘態勢が調っていく。

 身体中に戦意が循環し、静かな高揚感が爪の先まで行き渡る。感覚がみるみる明瞭になり、だが心は湖面の如き静謐さを保っていた。

 

 そうだ、こうでなくてはならない。

 

 ここからの自分は、課された役目のために最適解を出し続け実行するための歯車になる。

 

「なので、隙があれば攻撃しますし、後方支援も同時進行です」

 

 にこり、と笑う。

 

「その辺をご理解の上、よろしくお願いします」

 

 それは先程までの気配とは異なり、笑みの形をしていてもどこか無機質な、人形が無理に笑顔を作っているような違和感があった。

 

「ほう、そのような台詞をおれに放つものがいるとはな」

 

 組んでいたワムウの腕がゆっくりと下がっていく。瞳にはどこか好奇の色を含んでいた。

 

「波紋戦士以外と戦うなど興が乗らぬと思っていたが、面白い。やってみるがいい」

 

 挑発するように片手をくい、と上げるワムウ。

 ミオはそれを見て、柔らかな動作で指先を刀の柄へとそっと押し当てて。

 

「──では」

 

 その足元に。

 

 瞬間移動のように。

 

「このように」

 

 吹き抜ける風にも似た声がワムウを素通りする。

 侮ってはいたが、彼は決して油断していたわけではない。それでも補足しきれなかった。

 咄嗟に振り向いたワムウの瞳に飛び込んできたのは、この暗闇でなお漆黒の刀身。ワムウには見覚えのない、けれどひどく麗しくも禍々しい刃だった。

 ワムウの後方で、くるりと踵を返したミオは振り抜いた愛刀をごく自然な動きで納刀する。

 

──かちん、と硬く薄い刃が鞘へと納まる小さな音。

 

 ワムウが訝しげに首を僅かに傾けようとした途端──ずるり、とそのまま頭が真横へと滑った。

 

「ぐぅ!?」

 

 咄嗟にワムウは両手で己の頭を押さえる。瞬く間に超人的な回復力で首の隙間に肉が生まれ、ぴったりと密着する。

 

「な、貴様……」

 

 目の前の少女がこの刹那に距離を吹っ飛ばすように移動し、持っている剣で己の首を寸断したということは、ワムウにとって即座に理解し難いほどの事象だった。

 

「ちぇぇえ……」

 

 観察するように一連の動きをとっくりと見届けたミオは、彼女に似合わない長く下品な舌打ちを漏らした。呆れた、とでも言わんばかりに愚痴っぽく零す。

 

「そっ首落としてもダメですか。ありえん、ホント規格外ですなぁ」

 

 肩を竦めてやれやれ、とでも言いたげな様子だった。

 

「……貴様に波紋の才能がさしてなかったことは、おれにとって幸いだったな」

 

 軽く首周りをさすりながら呟かれた言葉は実に正鵠を射ている。

 ワムウの指摘通り、ミオの波紋は弱い。多少のダメージは与えられても致死には至らないのだ。だからこその後方支援役だったのだけど。

 相手が首を切られても余裕を保っていられるのは、今の攻撃で波紋の強さを看破した故だ。

 

「どうするつもりだ、小娘! 貴様に勝機はないぞ!」

「さ、それはどうでしょうねぇ」

 

 小鳥のようにこてんと首を傾げ、ミオは口の端を吊り上げる。ほの昏い笑みが表情を彩り、挑発するように剥き出しの闘志が噴出した。

 

「なら、とりあえずは」

 

 声音にもじわりと殺気が滲む。獲物を前にした猟犬が前肢に力を込めるように身を低くしたミオは──当たり前のように脱兎の如く身を翻した。

 それは構えていたワムウが戸惑いを覚えるほどに明確な遁走だった。

 

「な、逃げるか!?」

「まさか」

 

 ワムウの声を背中で聞きながら、ミオは滑空する燕の如き速度で床を走り抜け、靴音高く跳躍する。

 

「後方、もとい前方支援の本懐を果たすことにしますよっ、と」

 

 鈴の如き鞘鳴り。

 紡がれる黒刃の文目。

 

「がんばろ、小狐丸」

 

 ぽつりとひとりごち、着地と同時にがらん、と落下音。

 ワムウの視線の先──ミオの傍にあった壁が、まるで怪獣の顎に食われたようにごっそりと抉れていた。

 

「……は」

 

 行動の意図が読めないのか、虚を突かれたような表情をするワムウにミオは悪戯っぽくにこ、と笑んでみせると──再び行動を開始した。

 

 

 

 

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