星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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20.たったひとりの超生物

 

 

 今から考えるならば、疑問に思うべきだったのだ。

 

 カーズが水晶の針山に突き刺され、あまつさえ超重量のバイクに押し潰されてもその場を動かなかったことの、意味を。

 カーズの実力ならば動体視力でガソリンがばらまかれる前にバイクを切り裂くくらいなら造作もなくできたはずだ。けれど彼は憤激のままに唸ってはいたが、吸血鬼たちに救助されるまで動かなかったのだ。まるで──何かを守るように。

 

 気付いたのは当然、リサリサだった。

 

 止血を終え、襲い来る吸血鬼たちを蹴散らしていたリサリサはふと違和感を覚えた。無意識に手で胸元をまさぐると──しまっていたはずの赤石が消失していた。

 

「エイジャの赤石が……ない! もしや最初の攻撃で……」

 

 リサリサが咄嗟にジョセフの方へ視線を向ける。遠目に映るジョセフはカーズに一撃を入れ、カーズがよろめきながら倒れ伏していた。どこか芝居がかったような仕草で。

 

「このカーズは我がドイツの紫外線照射装置がとどめを刺すゥウウウッ!」

 

 それを好機と見たシュトロハイム率いるドイツ軍人たちがカーズを取り囲み、増幅装置まで使用して紫外線でとどめを刺そうとしていた。

 

「くらぇえええい! カーズ! 貴様にとどめを刺せるなんてスカッとするぜぇええッ!!」

 

 先程の倍以上はあろうかという光量が凄まじい速度で収斂していき、遂に──

 

 カーズの目的を悟り、反射的にリサリサは叫んでいた。

 

「いけませんジョジョ! 赤石はカーズが持っています!」

「な、なんだとぅ!? よせシュトロハイム!」

 

 慌てるジョセフの元で倒れるカーズの横顔──そこには赤石の嵌まった石仮面が装着されていた。

 

「石仮面だッ! 赤石が石仮面に嵌まっているぞ! 紫外線はまずい!」

「や、やめい! ストップだ! 紫外線を照射するなァーッ!」

 

 だが、スピードワゴンの制止もシュトロハイムの中止宣言も遅かった。

 突然の命令でスイッチを切るのも間に合わず強烈な紫外線は、まるで吸い込まれるように石仮面へと照射されてしまったのだ。

 

「し、しまったぁあああッ!」

 

 シュトロハイムの悲痛な後悔の叫びが響く中、その変化は劇的だった。

 照射された紫外線は石仮面を作動させ、不気味な虹色を放ちながら幾本もの管がカーズの脳を貫き、やがてその輝きはカーズ全体を覆っていく。

 ようやく追いついたミオとシーザーもその瞬間を目に焼き付けた。輝彩滑刀のような金剛石の輝きがカーズの身体全体を覆い尽くし、光彩という蛹の中でカーズの骨が、血管が、体毛から皮膚に至るまでが再構築されているように見えた。

 

 変態を終えたならば、あとは羽化するのみ。

 

 全ての光が収束し、水を打ったような静寂の中でカーズは殊更緩慢に起き上がった。

 

「あ……あああ、た、立ち上がったァッ!!」

「う、うろたえるんじゃあないッ! ドイツ軍人は狼狽えないッ!」

 

 シュトロハイムが無茶のある檄を飛ばす中、ミオはカーズを注視している。その身体は変わらないものの、内部からあふれ出るような違和感にミオの魂は底から震えた。

 

「なんだ、あれ……」

 

 究極の生き物。新人類。言葉には聞いていたが、まざまざと目の前で屹立しているカーズは正真正銘の怪物だった。

 この世でたったひとりの、超生物。

 人間という形をしたそれは、もはや上位互換という表現ですら遠い、新種の化け物だ。ミオにはそれがいやでも理解できてしまう。

 

 限りなく濾過された純水のような恐怖感が血管へと注入される。頭皮が締まるような感覚を覚え、手にはいやな汗が出ていた。

 

 まだジョセフの波紋の効果で腕からは煙が立ち上っているが、それも時間の問題だろう。

 

 ドイツ軍人たちの再攻撃の指示すら聞こえていないのか、カーズは茫洋とした瞳でふと木の傍にいたリスに視線を流し、おもむろに自分の片腕を見つめる。

 すると、突然、カーズの手首の先が蕩けるように崩れ、泥状になったかと思えば再構築された。さっきまでカーズが見つめていた、リスに。

 

「な、なんだぁありゃあッ!?」

 

 ジョセフの言う通り、奇怪過ぎる出来事だった。

 

「やばいッ! なんかやばいぞ、そのリスに気を付けろッ!」

 

 そのリスは最初こそ可愛らしい動作でカーズになつき、木の下にいた別のリスへと向かい──そこで豹変した。

 リスはその可愛らしい姿をかなぐり捨て、まるで肉食獣の如き獰猛さと生え揃う牙でリスへと襲いかかった。

 哀れにも腸を食い尽くされて絶命したリスには目もくれず、更なる標的を定めたか、リス(と形容していいのかもう分からない)は弾丸の如くシュトロハイムの腹部目掛けて疾走。

 

「リスがぁあああッ!」

 

 そのまま鋼の腹に牙を立てて食いちぎり、まるで掘削機のような勢いで這い進んで突き抜けると、次なる獲物へと襲いかかっていく。

 あちこちで軍人たちの悲鳴が連鎖していった。

 

「逃げろぉッ! 早く!」

 

 追い立てるようにジョセフが叫べば、我先にと軍人やSPW財団のものたちが距離を取るべく走り出した。

 やがて、リスは惨殺に飽きたのかカーズの手元へと戻り、そのまま姿を変じて花となり、蝶となる。生命を生み出す?自分の意思で?それはもはや神の所行だ。人知の及ばない現象に他ならない。

 そして、カーズの手が元の形を取り戻した頃、山脈の稜線に光の筋が走り、目も眩むばかりの赤光が一面の夜を薙ぎ払った。

 清澄な朝陽は残っていた全ての吸血鬼を見る間に灰と化す。

 

 だが、

 

「や、やった! 夜明けだッ! カーズは太陽の光に弱い!」

 

 ガッツポーズを作るスピードワゴンの期待もむなしく、カーズはむしろ心地よさそうにその光に身を委ねた。

 

「究極の生命とは、あらゆる生物の、全ての能力を身に付け、全ての生命を兼ねる……」

 

 どうやら彼が達成した超生物はそこまでチートな生き物らしい。

 カーズは朝陽の中で両手を上げて喜悦に満ち満ちた感嘆の吐息を漏らした。

 

「そしてあの! 美しい! なんという輝き! 今まで見た何よりも素晴らしい……」

 

 カーズの中にも人並みの感情は残っているらしい。

 万人の心を揺らせてやまない、日の出の瞬間を、彼は生まれて初めて美しいと感じることができたのだ。

 

「あの太陽をついに、ついに……克服したぞ!」

 

 たったひとりのそれは確かに勝ち鬨の声で、勝利宣言だった。

 

 孤独な哄笑は高々と響き渡り、それは人間にとっては絶望の響きに他ならない。

 太陽以外の弱点などろくにない相手が、もはや太陽すら効かない化けものに成り果ててしまったのだ。

 悲嘆に暮れるスピードワゴンや、もう自分たちはあいつらの餌になるしかないのかと嘆くスモーキーの声を聞きながら、ミオは猛烈に思考していた。

 

 絶望とは、望みが絶たれること。けれど、自分はまだここで生きている。

 

 

──ならば、自分にできることは?

 

 

 希望は絶無だろうか。ここには絶望しかないのだろうか。否、と心の奥底で本能が雄叫びを上げる。

 

「いや、策はあるぜ」

 

 力強い声音で我に返る。ジョセフの瞳には未だ闘志が煮えていた。諦めてなどいない、それが伝わった。

 

「そう、たったひとつだけ策はある!」

 

 不敵な笑みを浮かべたジョセフはシュトロハイムたちの質問を軽くいなし、唐突に身体を反転させて足元の赤石を拾って駆け出した!

 

「逃げるんだよォォォ―ッ!」

「うわーッ、やっぱりそうだったァァッ!」

 

 遁走するジョセフに突っ込みながら条件反射なのかスモーキーが追従する。

 シーザーがミオにだけ聞こえる声で囁いた。

 

「ジョジョのやつ、何を企んでいやがると思う?」

「さすがに分かんないなぁ……」

 

 勝ち目のなさそうな強い相手を前にしてまず遁走するのはジョセフの常套手段だ。またぞろカーズを引き付けつつ、走りながら倒すための策を練っているのだろう。

 それは絶対的な信頼で、確信だった。

 

「フン、逃げたか……」

 

 鼻を鳴らしたカーズは、唐突にミオへと顔を向けた。

 深紅の瞳には恩讐の念が籠もっている。

 

「ヤツはあとからじっくりと殺してやる。それよりも貴様だ、よくもこのカーズに二度も恥をかかせてくれたなぁッ!」

 

 憤激と共にカーズの身体がぼこり、と変形した。

 両腕にはみるみる剛毛めいた羽毛が生え揃い、額からも触覚じみた羽根。翼の先からは蹴爪が生えたその姿は、神話の怪物めいて異形だった。

 

「それにシーザー! 貴様にはワムウに傷を負わせてくれた恨みもある。ここで諸共に始末してやろう!」

 

 バサァ、と異形の羽根が羽ばたき、カーズは上空へと舞い上がる。上空から狙い撃つつもりだろうか。

 

 だが、ミオの肚はそれで決まった。

 

 相手は異形の化け物。ならば、通用するかはさておいて、こちらが異能を行使したところで問題はない。

 

「皆さんは逃げて下さい! できるだけ遠くに!」

 

 咄嗟に周囲へ退避勧告を促し、ミオは構える。横には当然のようにシーザーも並び立っていた。

 後ろにはリサリサとメッシーナの姿もある。

 

「みんなも逃げ、」

「おっと、言わせねぇよ」

 

 恐怖はあるのだろう、けれど武者震いとでも言わんばかりにシーザーは力強く両手を合わせる。

 

「狙われてるのは俺たちだ。なら、一蓮托生! どこまでもついてってやるよ!」

「柱の男を倒すのが、私に課された使命です」

「波紋戦士が、ここではいそーですかと退けるもんかよ」

 

 みんなからせいせいと、当たり前のように発された言葉はミオの芯まで届き、こんな状況なのに笑みがこぼれた。

 

「じゃあ、ひとつお願い」

「ん?」

「これから、僕がなにやらかしても──」

 

 その言葉を口に出すには勇気が必要だった。

 小さく喉を鳴らして唾を飲み込み、言った。

 

「きらいにならないで、ほしいな」

 

 哀願のような呟きを漏らし、シーザーが問いを投げるより早く顔を上げれば、ミオの表情は既に戦闘態勢へと切り替わっていた。

 

「はははッ! 人間にとって上空は死角! どこまで耐え抜けるのか、見物だなぁ?」

 

 舌なめずりをするカーズを見上げ、ミオはまっすぐに相手を見つめながら口を開く。

 

 芝居を演じるように胸を張り、演者のように堂々と。

 

「柱の男最後の一柱──否、最強の超生物と成り果てたカーズとお見受け仕る」

 

 まるで時代劇のように朗々と。

 

「はばかりながら、これは波紋戦士及び補佐役一行」

 

 そして、ミオは鞘から手を離し、まるで弓矢を穿つような姿勢で『何か』を引き絞る。

 

 ミオは自分の異能を厭っている。大嫌いだ。できれば使わずにすめばよかった。でもそうも言っていられない。

 もう波紋は効かないと言っていた。

 なら、波紋『以外』が多分に含まれている自分の異能ならば──どうだろう。

 

 できることがある。自分はともかく仲間の命がかかっている。ならば、しなければならない。

 

 そして、それが叶わないのならばせめてジョセフのための時間稼ぎを。

 

「弓矢にかけて、この先の御通行をお止め申す!」

 

 堂々と見得を切り、きりきりきり、と限界まで()()が引き絞られる。

 

 上げた肩の向こう、訝しげにこちらを見据えるカーズを灼けるような瞳で睨み据えながら、ミオはその言葉を口にした。

 

 

「──切りて放てよ、梓弓」

 

 

 瞬間、引き絞られた弦が弾けるような音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

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