星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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星と緋色の狂想曲─幕ノ三─

 

 

 なんて話をしてから、パパさんの調子が急に悪くなりました。なんでだ!?

 そうなると書類仕事にパパさんの看護、伝達の手配などなどやること山積みで目が回りそうな忙しさである。

 

 パパさんの代理でタイプライターをぱちぱちやっていると、ちょっと背筋がぞわぞわした。心なしか頭痛いし、うーん、今日はなるべく早く片付けてしまおう。

 

「姉さん」

「ディオ? どしたの?」

 

 あの日以来僕を姉さんと呼んでくれるようになったディオは、自室に音もなく滑り込んできた。でもそっちの方に顔を向けることもせずにパチパチパチ。あともう少しで一段落なんです。

 

 と、思ったら大きな手の平が僕の視界を塞ぐ。ぎゃあ打ち間違えた!

 

「ディオ、おま、あとちょっとだったのにひどくない!?」

 

 この時代だと一個打ち間違えると最初からやり直しである。ひでぇ。

 

「……少し熱いな」

「話聞いてる!?」

「ああ、聞いてるさ。姉さん、その書類はぼくがやっておくから少し寝ろ。ひどい顔色だ」

 

 手が離れると、珍しくディオが憂い顔でこちらを見つめていた。家に来たばかりの頃はあんなに避けられまくっていたけど、いつの間にか警戒を解いてくれたらしく今では普通に接することができる。

 ディオは鼻先がつきそうなほどの至近距離まで近づき、そっと呟いた。

 

「姉さんが倒れたら元も子もないだろう?」

 

 こん、とおでこが当たる。ディオのおでこは心なしかひんやりしてるような気がした。

 

「そりゃそうかもだけど、もう三日完徹してるからさー、今寝たら明日まで目覚めないと思うんだよね」

 

 そうすると今日中にパパさんに見せられない。比較的今日は調子がいいから今の内に確認して貰いたいのだ。

 

「ッ!?」

 

 だらだら言うと、ディオが突然瞠目した。あ、余計なこと言ったかも。やべぇ。

 

「――貴様は馬鹿か!」

「ぴ!?」

 

 近距離の怒号は卑怯だと思います! 竦み上がって変な声出たわ。

 

「いや考えるまでもなく馬鹿だった! 寝ろ! いいから寝ろ!」

 

 案の定というかなんというか、悪鬼の形相で怒鳴りつけるや否や、ディオは僕をひょいと椅子から抱き上げそのまま自室へ連行。

 

「書類あとちょっとなんですけども~」

「黙れこの阿呆が!」

 

 未練がましく呟いたら一刀両断された。これは分が悪い。

 

「まったくお前は……自分の限界というものを知らないのか」

「いや、限界になったら意識飛ぶから。それまでは」

「やかましい!」

 

 プンスコしながらベッドに放り出され布団まで掛けられた。なんという至れり尽くせり。うあああこの天国感やばい寝ちゃうよおおお。

 三日ぶりのベッドは柔らかく身体を受け止め、甘美な睡魔を一瞬で運んできた。

 

「うううでもパパさん……」

「父さんの看病なら姉さん以外でもできるんだ」

 

 ぶすぶすと人差し指でおでこを攻撃される。地味にいたい。

 ひとしきり攻撃して気が済んだのかディオはそれまでの雰囲気を消して一転、とても静かに唇を開いた。

 

「それとも、過労死したいのか」

 

 今まで聞いたことがないくらい小さくて、ささやかで、苛立ちと不安の混じった声音だった。

 ディオのこんな声は長年付き合ってきたのに始めてで、反射的に湧き上がったのは申し訳なさと途方もない情けなさ。そうして気付く。

 

 そっか、ディオにも心配をかけてしまったのか。こんな顔をさせて、こんな声を出させてしまうくらいに。だめなお姉ちゃんでごめん。

 

 僕は静かに首を振り、茶化すように呟いた。

 

「くそう、この傲岸不遜な暴君王者様め~」

「……それは、褒め言葉だな」

 

 それで調子を取り戻したのかにやりと悪辣な笑みを浮かべ、ディオは最後に僕の頭をぽんと叩いてから踵を返す。

 

「せいぜい養生していろ」

「……ありがと」

 

 ぽそりと呟いた声はディオに届いただろうか。届いているといい。

 そして、靴音が完全に聞こえなくなったところで、僕は隠し戸棚からティッシュを出した。よかった気付かれなくて。

 

「――けほッ」

 

 喉に溜まった血痰を吐き出し、そのまま用意しておいた袋に突っ込んだ。

 

 パパさんが早く元気になってくれるといい。

 

 ジョナサンとディオとエリナちゃんが幸せであるといい。

 

 そのためだったらなんでもするから。

 

 いつも通りに袋も隠して、ぽふりと枕に頭をうずめながらぼんやりと呟いた。

 

「にほん、行けないかなぁ……」

 

 ごめん、と小さく言葉が漏れた。

 

 誰に届けたいのかも、わからないまま。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

 ディオに寝室に強制連行されてからこっち、日頃の疲れが蓄積していたのかどうにも寝付きがちになってしまった僕です。体力には自信があったんだけどね。

 ジョナサンとディオは揃って今まで頑張りすぎていたんだからゆっくり休んでて、と言ってくれたけどすまない気持ちでいっぱいです。ごめん役立たずで。

 

 お世話してくれるメイドさんにパパさんの病状を尋ねるとやっぱり思わしくないらしい。

 なんでも心臓が痛み、指が腫れて咳が止まらないそうだ。え、それもはや風邪というより厄介な風土病レベルにジョグレス進化しているんですけど!? この前はまだ風邪の範疇だったのに何が起こったんだ。これはいやな予感しかしない。

 

 ジョナサンはパパさんの病気の特効薬を探すために、食屍鬼街(オウガーストリート)という聞くからに物騒な感じがバシバシする場所へと向かったとのこと。

 そういえば、この前廊下で二人が言い争ってる声が聞こえたけど、もしかしてまたディオがなんかやらかしたのだろうか。止めるだけの体力ないから今は勘弁して欲しい。

 

 ジョナサンは自分が留守の間用に数人の医師を呼び、パパさんの治療に当たらせている。ついでにジョナサンが言い置いてくれたらしく僕の診療まで。弟の成長ぶりに感動します。

 

 たとえそれが、絶望へのとば口になっていたとしても。

 

「お嬢様、あなたのご病気は……」

「あ、分かってますから。いいんです」

 

 診療を終えた内科専門の先生の痛ましいものを見るような表情に笑って、人差し指を一本立ててみせる。

 そのまま唇に当て、内緒のポーズ。

 

「私の病状は口外無用でお願いします」

「しかし」

 

 先生が言い淀むのも無理はない。彼には医師としての義務がある。治療と報告がその職務で然るべきだろう。

 けれど、それならこちらには姉としての責務と意地があるのだ。

 

「これ以上、家族に負担をかける必要なんてありませんから」

 

 念を押すように先生をじっと見つめると、やがて先生は根負けしたように視線を伏せた。

 

「……分かりました。くれぐれもご自愛下さい」

「ありがとうございます。そして、すみません」

 

 本来ならば抱える必要のないものを抱えさせてしまう罪悪感に謝罪の言葉を零し、改めて頼む。

 

「父を、どうかよろしくお願いしますね」

 

 ぺこりと頭を下げると、先生もためらいがちに会釈を返し、そのまま席を辞した。

 僕はそのまま後ろ向きに倒れ込み、大きく深呼吸。とある内臓が軋みを上げ、小さな痛みが走る。

 

「やっぱりなぁ」

 

 予想してたけど、いざ病名を告げられると意外とショックだ。現代なら簡単に治る病気だって死病と化すのがこの時代。

 これまで病気らしい病気なんてしたことないのに、こんな時にこんな隠し球を出してくるなんて神様は随分底意地が悪くていらっしゃる。

 

 小さく嘆息すると、タイミング良く控えめなノックの音が聞こえた。叩き方で分かる。

 

「お帰りジョナサン! パパさんの薬見つかった?」

 

 ドアを開け、旅姿のまま室内に入ってきたジョナサンはしっかりと頷いてくれた。

 

「うん、ただいま姉さん。大丈夫、ちゃんと見つけてきたよ」

 

 見つけた、と言っているのにジョナサンの表情も声音も重苦しいものだった。

 何があったのだろう。すごく物騒な場所のようだし怪我でもしたのだろうか。

 

「ジョナ、」

「姉さん」

 

 僕の声を遮り、ジョナサンはベッドに駆け寄ると決然とした表情で僕の手を握った。

 大きく無骨な手の平で、まるで宝物を扱うように優しく。

 

「姉さん、お願いがあるんだ」

 

 その瞳には覚悟が宿り、それを上回る悲哀に彩られていた。

 長年培われてきた経験で、直感で、ジョナサンが苦しんでいるのが分かった。深い懊悩に押し潰されそうになりながら、決意を固めている。それが理解できてしまった。

 

 だから、本当は聞きたくなかった。でも聞かなきゃいけなかった。

 

「なにかな?」

 

 だって、僕はお姉ちゃんだから。

 

「ぼくがもう一度ここに戻ってくるまで、この部屋から出ないでくれ。決して、決してだ!」

「え、なんでまた」

 

 鬼気迫る表情のジョナサンに不躾な気がしたが、反射的に問うてしまう。強盗でも入ってきたのだろうか。

 ジョナサンは僕の問いに一層表情を険しくさせながら、目蓋を伏せる。

 

「……どうしても、だよ」

「どうしても?」

 

 悲愴なまでの雰囲気と勢いに気圧されて、僕の背中にじわじわといやな予感が這い上がってくる。

 否、本当は分かっているのかもしれない。ただ自分が認めたくないだけで。

 

「そう。大丈夫だよ、姉さんが心配することなんてない」

 

 くしゃりと不器用な笑顔を作ってジョナサンは僕を一度抱き締め、名残惜しそうに離れる。

 

「じゃあ、ちょっとだけ待ってて。すぐだから」

 

 それだけ告げて、ジョナサンは思いを断ち切るように踵を返し、扉を開けた。

 横からジョナサンを迎えた青年は、僕の見覚えのない人だった。その帽子恰好良いと思います。

 

 帽子お兄さんは小さく会釈だけして、ジョナサンは僕の部屋の扉を閉めた。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

「よかったんですかい?」

 

 スピードワゴンの言葉にジョナサンは深く頷いた。

 

「ああ、姉さんにはこれからのことは見せたくない」

 

 いつでも自分を慈しみ、大事にしてくれた姉。

 

 ディオがジョースター家に来てからずっとジョナサンはディオに執拗なまでの嫌がらせを受けていた。

 自分の才能を見せつけることで、不埒な噂を流すことで、彼の最愛の少女を傷つけることで、ジョナサンをジョナサンたらしめる全てを簒奪しようとするディオは紛れもない侵略者だった。

 

 けれど、それらの記憶は同時に姉の優しさに支えられる思い出でもあった。

 

 ミオ・ジョースター。ひとつ上のジョナサンの姉。

 

 ディオにどれだけ打ちのめされそうになっても心が折れ曲がったりしなかったのは、エリナはもちろんのこと姉のおかげでもあるとジョナサンは胸を張って言える。

 

 ご飯を抜かれた時はこっそり夜食を持ってきてくれて、問題につまづいたら一緒に考えてくれた。決して馬鹿にしたり、ディオと比べたりはしなかった。それが当時のジョナサンをどれだけ救ったのか分からない。

 年齢よりずっと大人びているところがあるのに小柄なことを気にしていて、指摘されるとむくれてしまう。笑顔が小さな花みたいで、あんまり激昂しないけど怒る時はかなり怖い。

 

 排斥されそうになる恐怖と鬱屈からどす黒い感情に支配されそうになった時も、そっと灯りの見える方を指し示してくれた。強引に矯正するのではなく、頬をつついて悪戯するみたいに、こっちの方が明るいよと導いてくれた。

 

 ダニーを、自分を、父を、メイドを、執事を、そしてディオを、家族を何より大事にしていることをジョナサンは知っている。

 ディオも家督が継げないせいか、それとも他に理由があるのかは分からないが姉を害することはなく、その事にジョナサンは安堵していた。

 

 だからこそ、これから起こることを知ったらきっと悲しむだろう。そんな顔は見たくなかった。

 

 父が寝込む前から仕事の手伝いをしていたけれど、病を得てしまってから姉の負担は増える一方だった。

 資料の整理、補助、清書、補佐、伝達の算段から父の看護に明け暮れて、それでも疲れた様子なんて見せず、あるとき自分だけに夢を語ってくれた。父が快癒したら極東の国に行きたいのだと。

 

 ジョナサンにとっては想像の埒外にある希望だったが、素敵な夢だと思った。危険かもしれないし、自分はすごく寂しいだろうけど、それでも応援したいと思った。

 

 だから、

 

「──ぼくは姉さんと父さんを守る」

 

 たとえこの先、全てを知った姉に糾弾されようと、どれだけ憎まれようと構わなかった。全てを受け止めようと思った。

 頑張り屋で頑固で家族思いの姉は、頑張りすぎて倒れてしまった。ならば姉の頑張った分を肩代わりするのは自分であるとジョナサンは疑いなく思う。

 

 小さな姉の大きな夢を、父の命を、この家を。

 

「守ってみせる」

 

 そのために帰ってきたのだから。

 

 もう一度口の中で覚悟を呟き、ジョナサンは訪れる時を待った。

 

 

 

 

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