星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

32 / 117
スターダストクルセイダース編
☓☓.水底でみるゆめ


 

 

 夜かな、と思った。

 

 その次は夢だな、と思った。

 

 暗くて、何もなくて、足元は真っ白な砂。頭上から耳鳴りのような音が轟いている。

 

 ふわふわ、と足元がおぼつかない。素足を踏み出すと砂がゆらりと踊って、パジャマが揺れる。

 

 小さく息を吐くと、こぽり、あぶくがひとつ。

 

 深海だ。月明かりも届かないこの世界の、無人の荒野。

 

 足元は海底で、石ころひとつ見当たらない。漆黒の暗闇では何も見えないはずなのに、なぜかちょっとだけ周りが見える。夢だからだろう。

 目のない魚が行き交って、時々すれ違う。異形の白い甲殻類が見えた。

 

──さびしいところだ。

 

 漠然とそう思って、爪先で柔らかく砂を蹴ってみる。ほんのひととき砂が舞って、沈んで落ちる。

 

 いつの間にか音も聞こえなくなった。無音。何も聞こえない。頭の奥がしん、とした。

 

 なんだか、たまらない孤独感が足元からじわじわと這い上がってくる。冷たい海水が肺腑の奥まで浸透して、心を内側から凍らせていくみたいだ。

 

 追い立てられるように進んで、泳いで、ふと──

 

 

 誰かがいた。

 

 

 忽然と、最初からそこにいたのかもしれない。よく分からない。

 

 砂を寝床に、海水を褥に、ひとりの男性が眠っているようだった。

 

 真っ暗の、虚無めいた永遠の夜の中でまどろむひと。

 

 非人間的なまでの石膏めいた白い肌に、緩やかにたなびく豪奢な金髪。

 

 鍛え上げられた体躯はまるで彫刻みたいで、体温を感じられない。それこそ屍蝋のようだ。

 

 でも、人だと思った。

 

 だって、うなされているから。

 

 うなされている、と言うと正確じゃないかもしれない。端整な顔立ちなのに眉を思い切りしかめて、おむずがりの子供みたい。

 そんな拗ねたような表情には、不思議と懐かしさがあったのだけど。頭の中も闇にとろけてしまったみたいにおぼつかなくて、はっきりとは分からなかった。

 

 でも、悪夢にうなされているような男の人をほうってはおけなくて。どうにかしなければと、義務感が湧いてきて。

 

 せめて少しでも伝わればいいなと、そっとつめたい頬に触れて、頭を持ち上げて間に両膝を滑り込ませた。

 青年に起きる様子はちっともなくて、どれだけ頭を揺さぶっても起きてはくれない気がした。

 

 どうしよう。

 

 迷って、辺りを見回しても役に立つようなものなんて当然見つからない。あるのは自分の身体と、男の人だけ。

 

 それなら、と。

 

「──」

 

 またあぶくがひとつ、ふたつ。こぽり。こぽこぽ。

 

 喉の奥が震えて、音が紡がれる。残念だけど自分には聞こえなかった。

 

 それでも精一杯、うたった。それしかできることが思いつかなかった。

 

 小さな子共をあやすように、どうかこの人に柔らかな眠りが訪れますように、悪い夢なら食べてあげるから、と。

 

 

 だってこの人はぼくの__だから。

 

 

 歌が届いたのか、それとも単に深く眠ったのか。

 

 やがて、青年の眉がゆるゆるとほどけていくのが分かった。しかめっつらが緩んで、冷艶な美貌が露わになる。

 

 綺麗な人だ。こわいくらいに。

 

 だけどなんだかすごくほっとして、思わず金糸の髪に指を滑らせてしまう。

 

 さらさらと流れる指通りは気持ちがよくて、笑ってしまった。

 

 と──

 

 茫漠とした闇の中に、ほんわりと。

 

 小さな光が浮かんだ。

 

 儚い、蛍のような淡い輝きが花弁めいて重なって、深淵のなかでたったひとつ煌めいて。

 ふわふわ、きらきらと星屑が散るように燐光が弾けて、それは、一輪の花になった。

 

 まるで、星の光のひとしずく。

 

 そんなあたたかで優しい花灯りが、いつの間にか、暗闇の中から差し出されていた。

 

 差し出しているのは知らないはずの、ごつごつした男の人の手だった。逞しい指先が不器用に、でもとても丁寧に花を摘まんでこちらへ向けていた。どうぞ、というように。

 

 つられて顔を上げると、深い蒼色の髪の青年が微笑んでいた。

 泣きそうな、嬉しそうな、慈しむような、どれともつかない複雑な顔で。

 

 感じたのは、胸苦しくなるような慕わしさ。

 

 だから花じゃなくて、彼の頭にうんと手を伸ばして、ごく自然に髪に触れて。

 よしよし、という感じで。

 

「     」

 

 なかないで、と口にしたのに意地悪な気泡が漏れるだけだった。

 

 青年はびっくりしたように目を見開いて、魚みたいに口を何度か開閉して、それからくしゃりと笑った。

 

 見ているこちらが切なくなるほど、清廉で、あったかくて、うつくしい顔だった。

 

 懐かしく、愛しいものを見る瞳だった。

 

 彼は僕の髪を掬うように指先を滑らせて、手にした花を飾ってくれて。

 

「わらって、ねぇさん」

 

 そう、言ってくれた。

 

 

「ぼくがまもるから」

 

 

 それで、僕は全部分かって。

 

 膝で眠っていたお寝坊さんがうっすら目蓋を持ち上げて──

 

 

──ぷつんと、途切れた。

 

 

 

 




今回より三部開始となります
引き続き、楽しんで頂ければ幸いです
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。