腕を組んだまま沈痛な面持ちのジョセフに語られたのは、澪が『ミオ・ジョースター』としての生涯を閉じたその後──100年にわたるディオとジョースター家との因縁、及び彼の色々問題ありすぎてツッコミも放棄したくなる所行であった。
「……」
最初の方こそ冷静に聞いていた澪だがその惨憺たる有様にみるみる顔色をなくし、額から小さな汗が浮かび、最終的に肉の芽のくだりに入ったところでは舌を噛んで事切れてしまいそうな雰囲気すら出てきたので周囲はすごくはらはらした。
「……と、いうわけじゃ」
そうしてジョセフが一通りのことを語り終えた時、澪はもはや死人のような顔色で
「~~~~ちょっとごめん!」
そのまま脱兎の如く部屋から駆け出してしまった。
「おい!」
咄嗟に承太郎が止めようとするが、ジョセフが手で制す。
「そっとしておいてやれ、澪にも整理する時間が必要じゃろう」
「……ちっ」
澪のあとを視線で追っていた承太郎だが、考え直したのか眉間に皺を寄せながら座り直した。
「……あの様子じゃ、ホントみたいだな。正直、ジョジョから聞いた時は半信半疑だったんだが」
シーザーの声は気遣わしくも苦いものだった。
柱の男たちを倒すために共闘した、小さくも頼もしい戦友。
彼女が背負っているものはその矮躯では潰れそうなほどに重く、辛いものだ。
ジョースター家としての生涯を閉じた後も因縁とも呼ぶべき忌まわしいものに囚われたまま、忘却することも許されない。
祖父が託し、父が受け継ぎ、自分が引き継いだ全てを、彼女はひとりで抱えているのだ。
人生ぐるぐる、繰り返し、繰り越して──逃げ出すことも、できずに。
「儂だって、エリナおばぁちゃんやスピードワゴンに語られた時にはたまげたもんじゃ」
その時の記憶を反芻するように、ジョセフの表情も渋いものだ。
ジョセフがカーズとの死闘を生き延び、退院して、全てが終わったその後に──ミオは忽然と姿を消した。あまりに唐突で、まるで舞台役者が勝手に役目を放棄したかのように理不尽な消失だった。
ジョセフとシーザーはもとより、スピードワゴンやリサリサまでもが方々に手を尽くして彼女の行方を探ってくれたが終ぞ見つかることはなかった。
そして、万策尽きた頃にエリナとスピードワゴンによって語られた『ミオ・ジョースター』の物語。
家族を守り、友人を愛し、病を得ても、最後の最後まで姉弟を大切にしたひとりの少女。
その少女は、ミオと何もかもが同じだった。
姿形はもとより、その心根までもが同一だった。奇妙な縁故を感じ取らざるを得ないほどに。
──だから、ジョセフはホリィから澪の話を聞いた時、まさかと思っていた。
承太郎の幼馴染みだという女の子。
お向かいに住んでいて、義父ふたりと子ひとりという奇妙な家庭で育っている友達。
真偽のほどを確かめようにもこの年になるまで、ジョセフたちが澪に会うことはできなかった。それこそ運命の悪戯とも言うべきタイミングの連鎖で、遭遇すること自体がなかったのだ。
だからこそ、いざ直面して驚いた。
びっくりするほど澪は変わっていなかった。
姿も、声も、相変わらずちょっと阿呆で抜けているのに、いちばん大事なことや譲れないことは口に出して言えるところも。
若い時分に青春と闘争を共に駆け抜けた戦友が自分の大叔母というのも変な感じだが、精神はともかく身体的には血縁ではないのが安心材料のようなそうでもないような。
「……苛酷、ですね」
アヴドゥルは素直な感想を呟いた。
まだ出会って数分だが、彼女の根が淳良だということは理解することができた。アヴドゥルと澪は縁故が薄いからこそ、俯瞰で内容を噛み砕くことができたのだ。
若くして命を落とし、本人の望むと望まざるとに関わらず時代に囚われ、翻弄され続けている少女。
魂が擦り切れることも精神が壊れることもなく、会話が成立するだけでも奇跡のように思えた。
「……ッ」
花京院は唇を引き結び、拳を硬く握ってただ俯いた。
幼い頃から一緒に育ってきた、親友とも恩人とも言える存在。
澪は小さな時から早熟で、まるで大人のように振る舞う時もあった。けれど時々子供特有の詰めの甘さが顔を出す、ひどく不均衡で、だからこそ花京院と話が合った。
今ならその理由が分かる。
DIOに肉の芽を植え付けられ、承太郎打倒の他にもうひとつ──出されていた命令にも。
そうして誰もが黙考し、重く暗い沈黙が和室を満たす中、どたばたと足音が響いてきた。
「──お待たせしました!」
穴だらけの障子をスパンッと開けながら息せき切って、珍しくほっぺたも赤くした話題の渦中のはずの澪は、なぜか紙袋を持っていた。
「なんじゃ?」
思わずジョセフが聞くが、澪はそれどころではないのかてきぱきと紙袋から箱を取り出し、とある人物の前にうやうやしく置いた。
花京院と──アヴドゥルに。
折り目正しく包装されたそれは、どうやら某有名店の菓子折らしかった。誰も澪の行動の意味が分からない。
「えっと……?」
「これは……?」
混乱とも困惑ともつかない花京院とアヴドゥルがそれぞれ怪訝な顔をする中、ものすごく真面目な顔をした澪は紙袋を綺麗にたたんでふたりのちょうど真ん中当たりに座ると、
「この度は、うちの愚弟が大変なご迷惑をおかけして──」
ごっしゃあ、と思い切り畳に頭をぶっつけた。
「本ッ当に申し訳ありませんんんッッ!!」
全員がある意味度肝を抜かれた。
アヴドゥルだけが「Oh、ジャパニーズDOGEZA……」と妙にアメリカンな口調で呟いていた。エジプトの人なのに。
確かに土下座だった。誰がどう見ても土下座1000%だった。ていうか、弟を心配する姉を通り越してクソガキの面倒を謝罪するそれはもはやカーチャンだった。
よく見たら熨斗には『陳謝』と書いてあった。芸が細かい。
傍から見るといかついおっさん連中と不良の前で土下座する少女という、どう控えめに見てもリンチかカツアゲか借金取りにしか見えない光景だった。室内じゃなかったら通報されていただろう。
「昔っから天の邪鬼で底意地悪くて人を人とも思わず目的のためなら手段も選ばない鬼畜ゲス野郎でしたが、よもやここまで人様にご迷惑かけまくるジョグレス進化していたとは……!」
血を吐くような勢いだったが内容も結構ひどかった。欠片も擁護していない。
「深くお詫び申し上げます! ごめんなさい! ごめんなさい! 本当にすいません! 特に典明くんごめん! せっかくの家族旅行が! だいなし!」
「あ、いや、べつに澪に責任はないから……」
ここまで謝罪を乱打されてなお抵抗できるほど花京院は強くない。
そもそも澪は悪くないので責める気にもなれない。むしろいちばん被害を被っているのは澪のはずである。
「アヴドゥルさんもごめんなさい! ディオのあほったれが店にまで押しかけて襲いかかるなんて……ッ!」
「いや、私は咄嗟に逃げたので……」
アヴドゥルも中途半端に手を伸ばしたまま、微妙にどうしたらいいのか分からなくなった。オロオロする。それこそ逃げたから無事だったし。むしろいちばん被害を被っているのは(略
その後も半ば半狂乱の状態での土下座と謝罪の嵐はひたすら続き、澪を宥めて落ち着かせるのにしばらく時間がかかった。
最終的に「こうなったらしょうがない! これ以上人様に迷惑掛ける前にディオを三回殺して僕もしぬ!」とかやばい目つきでシャレにならんことを叫び始めたので、おいばかやめろ考え直せとさながら自殺志願者を説得する警察みたいな構図になった。
「……この先DIOの被害者全員に菓子折配って歩く気かよ」
「できることならそうしたい!」
澪の即答に、承太郎は珍しく言葉を失った。
☓☓☓☓☓
畳に擦りつけすぎて真っ赤になったおでこに、なぜかシーザーが甲斐甲斐しく差し出してくれた濡れタオルを当てながら澪は完全にしょぼくれていた。単に体力が切れたのかもしれない。
「うう、身内の恥を晒して申し訳ない。穴があったら埋まりたい。ていうか掘るよもう」
澪のショックの受け方は正直周りの予想の斜め上だったが、気に病んでいるのはよく分かった。
普通に考えて、自分の弟みたいな存在が知らない間に大量殺人犯になってたり細胞で友達を操ったり、あまつさえ本当の弟の首から下強奪して百年生き延びたとか言われたら混乱するだろう。
みんなから諭されて大分落ち着きを取り戻しつつあったが、俯いたまま顔色は悪い。
こういう時にかけられる言葉を、基本的に雑な男衆は持っていなかった。
唯一声をかけられそうなのは女扱いに長けているシーザーくらいだが、彼としても澪の数奇というより奇矯な人生になんと言えばいいのか分からない様子だ。下手なことを言って傷を抉りたくないということもあるのだろう。一様に表情は暗い。
「……あんなこと、言わなきゃよかった」
そんな重苦しい空気の中に呟かれた言葉は、水滴のようにぽつりと広がった。
「あんなこと?」
反射的に出た花京院の問いかけに、澪はのろのろと顔を上げた。
ほんのりとした笑みには自嘲とも苦笑ともつかない、不思議な色が浮いている。
「うん、あー、僕さ、ディオが人間やめちゃったのにキれて叱り飛ばしたのね、物理で」
「ぶつり」
花京院が固まった。
構うことはなく、というよりも自分の思考に埋没しているのか澪の言葉は続く。
「そんで、なんでだっけかディオに石仮面喰らって、血ぃ吐いたら石仮面が作動しちゃったの」
百年以上前のことをつい昨日のように語られるのは奇妙だったが、混乱も恐慌も越えた姿にはどこか幻想的な凄みがあった。
正座したまま中空を見据えて瞳を眇め、遠い日を思う澪の気配は常とは僅かに異なっていた。
その様子に、ジョセフの心臓が我知らず跳ねる。
「ディオは成功したけど、僕はそれこそ死期が近かったからか、それとも別の理由か……とにかく失敗した。人間やめられなかった」
背筋をぴんと伸ばし、柔らかな空気に確かに漂う気品のようなもの。
おそらくは、ジョースター家で淑女として教育を受けていた当時の、ミオ・ジョースターの姿。
「あ、だめだ。って直感的に思った。だから、最後に言った。ちゃんと伝わってたかは、分からないけど」
悲嘆とも、悔恨とも取れる口調だった。
今はもうそれこそディオくらいしか生き証人がいない、自らが殺した姉が今際の際に口にした言葉。
「僕はジョナサンにも、パパさんにも、ディオにも、エリナちゃんにも、残せるものが何もなかったから。だから」
明日も、明後日も、その先も、好きな人たちが元気でありますように。
どうか幸せであって欲しい、と。
「──『ながいきしてね』って」
ミオが最後に遺したのは、とても儚い、素朴な希望で、ひたむきな祈りだった。
きっと世界中の人が一度は家族や友達に願う、ごくありふれた、当たり前の言葉だった。
ジョセフの脳裏に、不意に祖母の姿が浮かぶ。まだジョセフが小さな子共の頃に、一度だけエリナが見せてくれた宝物。
もう他にはひとつもないのだと言っていた。秘密の宝物で、形見なのだと。
──あのこはね、写真が苦手だったの
その時だけ、祖母はまるで幼い少女のような顔ではにかんだ。
底知れない憂いを秘めた瞳で、それでも。
──私のいちばんのおともだち。私の、義姉さんになってくれるはずだったのに
古く色あせた、モノクロの写真。
近所だったという川縁で、まるで本当の姉妹のようにお揃いの花冠をかぶって満面の笑顔を浮かべたふたりの女の子。
喪われてしまった、約束としあわせの欠片。
「まさか、ジョナサンの身体ぶんどって百年生きるとまでは思わなかったから、ね。お姉ちゃんは悲しいです」
微苦笑し、沈む声にはどこか、擦り切れた老爺にも似た韜晦の念が垣間見えた。
彼女が口にしたことは、罪でなければ呪いでもない。
だから、
「ミオ」
ジョセフは澪をまっすぐに見つめた。
透明で、無垢な桜色の瞳へ向けて、精一杯の言葉を紡ぐ。
「エリナばぁちゃんは、長生きしたよ」
ミオの弟たちは死闘の末、片方は命を落とし、片方は石棺で眠りについた。
エリナは現場にいなかった。
でも、
「ちゃんと幸せに、長生きしたんだよ」
彼女の願いごとは、少なくともひとりには確かに届いたのだと、伝えたかった。
澪は少しだけ目をきょとんとさせて、それから笑った。
「うん、知ってる」
小さな、白い、花のように。
「会ったもんね」