星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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星と緋色の狂想曲─幕ノ四─

 

 

 まぁ、出るなと言われたら出るのが人間の本能ってもんです。ジョナサンごめん。

 そもそも家族以外の気配がさっきからバンバンするし、家の中が不穏すぎておちおち寝ていられない。

 

 そっとベッドから出て下から靴を引っ張り出して履くと昔取った杵柄、気配を消してドアを少しだけ開けて廊下に出る。なぜだか廊下はおろか家中真っ暗でまんまホラーゲームの屋敷みたいだ。

 もしかしてこれは本当に強盗でも入ったんじゃないかと急激に心配になったので、僕は厨房に寄っててきとうに武器になりそうなものを調達しつつ廊下を進む。なんか本当にゲームっぽいな。追跡者がいませんように。

 

 暗いとはいえ長年慣れ親しんできた家だ。潜みやすい場所、こっそり通りやすい通路などは既に熟知している。

 足音も立てず猫のように移動して、玄関の前でぴたりと止まる。人の声、それも複数だ。思わず扉に寄り添ってしまえば、優秀な聴覚は内部の様子や状況を的確に拾い上げてしまう。

 

 僕が寝込んでいる間にディオは父に薬と偽って毒を盛り、毒殺を目論んでいたらしい。おいおいおい、なんでそう早まるかなもう! やたらと看病手伝いたがってたのは毒を盛るタイミング窺ってたのかよ! ディオもパパさん心配なんだなーとほっこりしてたのにお姉ちゃん悲しいわ!

 

 そして、ジョナサンは例の怖い名前街から証拠の毒薬と解毒剤を調達し、それを証拠にディオを逮捕するのだと。

 

「……」

 

 なるほど、ジョナサンはこれを僕に見せたくなかったんだね。納得です。

 ディオは逮捕されるに値するだけの罪を犯したから逮捕されて、然るべき罰を受けるのが当然の流れだ。でもいざ見ると確かにちょっと辛い。大事な家族が逮捕、という事実は僕が想像していた以上に気持ちが重たくなる。

 

 ただ、ディオは観念したような様子で懺悔しているけど、あれ絶対なんか企んでる顔なんだよなぁ。それが引っかかってしまう。本当に逮捕される気あるんだろうか。

 

 そんな僕の思考を代弁するようにさっきの帽子のひと、もといお節介やきらしいスピードワゴンさんがディオめがけて燭台を思い切り蹴っ飛ばしながら怒鳴りつけた。

 

「こいつはくせえッー! ゲロ以下の臭いがプンプンするぜーッ!!」

 

 曰く、スピードワゴンさんでも見たことがないほどの悪人で、生まれついての悪だそうです。

 あのう、多少世間ずれしてて根性ひん曲がってジョナサンを目の敵にして父に毒を盛るゲス野郎でも……ヤバイ、擁護できないかもしれない。でも僕にとっちゃ家族で可愛い弟なのでゲロ以下とか評価されるとじゃっかん傷つきます。

 

 そんな事を考えている間にも状況は進み、ジョナサンがディオに手錠をかけようとする。

 見た目だけはしおらしく両腕を差し出した姿勢のまま、ディオは独白するようにぽつりと呟いた。

 

「ジョジョ……人間ってのは能力に限界があるなぁ」

 

 頷けないでもないけど、人間だからいいこともあると思うよ。

 

「俺が短い人生で学んだことは、人間は策を弄すれば弄するほど予期せぬ事態で策がくずれさるってことだ!」

 

 ディオの言葉は段々と熱を帯び、やがては狂的な色を瞳に帯び始める。

 

「人間を越えるものにならねばな……」

「なんのことだ? なにを言っているッ!」

 

 取り憑かれたようにぶつぶつと並べられた言葉の羅列に耐えかねたようにジョナサンが糾弾すれば、ディオは懐からあの石仮面を取り出し勝利宣言をするように高々と吼えた。

 

「俺は人間をやめるぞ! ジョジョぉお!」

 

 人間やめる!?

 

 え、それ人間やめたら法に縛られないから逮捕されないってこと? 単純思考すぎやしませんかね!?

 

「俺は人間を超越する!」

 

 混乱は一瞬、石仮面でどう人間をやめるのかは分からないけど、ディオのもう片方の手に隠されたナイフは明らかにジョナサンを狙っている。それが分かった。

 スイッチが切り替わる。これまでの安穏とした生活では決して入ることのなかった闘争の気配に喚起され、身体は半ば自動的に動いていた。

 

「ジョジョ、お前の血でだァああ!!」

 

 景色が止まる、極度の集中で場面がコマ送りのようになる。

 警官、スピードワゴンさん、ジョナサン、パパさん、ディオとナイフの位置。

 空間を把握し、位置を特定。僕は渾身の力で厨房から持ってきたモノを振りかぶり、思いっきり投擲した。やべぇ足滑った。

 

 

──がっしゃァンンッ!!

 

 

『!?』

 

 ワインの空瓶が狙い違わずディオの持つナイフにぶち当たり、凄まじい破砕音を響かせる。たまらずディオはナイフを取り落とし、凶刃がふたりを襲うことはなかった。

 

 けれど、飛び散った欠片が僅かに父とジョナサンに傷をつけ、その血はディオがいつの間にか被っていた石仮面に付着したのと──

 

 警官隊がディオへ向けて一方的に発砲し、彼が蜂の巣になりながら窓から落ちていくのは全くの同時だった。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

 その場にいた誰もが驚いた。

 

 突如として凄まじい速度で飛来したワインの空瓶がディオの白刃を叩き落とし、ジョースター親子を救ったのだ。

 そして瓶の飛んできた方向に視線を向ければ、色の脱けた雪色の髪をした少女が寝間着姿でなぜかぶっ倒れていた。

 

「はなうった……もうネグリジェ着るのやめる」

 

 どうやらワイン瓶を投げた拍子に寝間着のすそを踏んで転んだらしい。

 すぐに起き上がり、きょろきょろと周囲を見渡している。

 

「姉さん!」

「ミオ!」

 

 棒立ちのまま状況把握ができず動けない警官やスピードワゴンを余所にいち早く少女の名前を呼んだのは、当然ジョナサンとジョージだった。

 

「ジョナサン、パパさん」

 

 警官隊が自然と道を開け、ふわふわとした足取りでミオは二人のもとに歩み寄り、そのままぺたんと座り込んだ。

 おそるおそる二人の服やら腕に触って、安堵したように吐息をこぼす。

 

「無事、だね。ちょっと切れちゃってごめん。今度はフライパンにする」

「出てきちゃダメって、言ったじゃないか……」

 

 とんちんかんな謝罪をする姉にジョナサンは悲愴な表情で声を漏らし、ミオは困ったように眉を下げた。

 

「ごめん、てっきり強盗だと思ったから……強盗よりタチが悪いものだったけど」

 

 びくりとジョナサンの肩が跳ねる。

 

「これを、見せたくなかったんだね」

 

 彼女は全てを了解しているようだった。

 年不相応な微苦笑を浮かべ、責める様子もないミオにジョナサンの顔が引き攣る。

 

「姉さん、ぼくは」

 

 ミオはジョナサンが何か言うより早く、その頭に手を置いてそっと撫でた。

 

「うん、わかってる。全部分かってるよ。優しいジョナサン」

 

 ただ、ただ優しく紡がれる言葉は雨のように染み込んで、ジョナサンの涙腺はたちまち決壊した。

 ぼろぼろと涙が嘘のように零れ落ちて、止まらない。

 

「う、あ」

「パパさんと僕を守ろうとしてくれたんだよね。ありがとう。いっぱい頑張ってくれてありがとう」

「ねえさん、ねえさん……ッ!」

 

 ジョナサンを庇おうと彼に覆い被さったジョージと、そんな二人に寄り添うミオの姿はまるで一幅の絵画のようだった。

 

「あの嬢ちゃんも立派なジョースター家のひとりってことか」

 

 その光景に感極まったのかスピードワゴンはひとりごち、帽子を下げた。

 息子を庇うために無茶をしたジョージは、医師たちに支えられながら病院へと搬送の準備が始められた。

 

 砕け散った窓を見つめて、もう転びたくないのか寝間着の裾をまとめて縛りながらミオがぽつりと呟く。

 

「ディオは、死んじゃったのかな……」

 

 もし、大人しく手錠をかけられ連行されていれば、ディオが撃たれることはなかっただろう。

 ディオの凶行はミオによって止められ、幸いジョージの病状もそう悪くはない。まっとうに法の裁きを受けたとしても死刑は免れただろうと推測できる。

 

「僕は、ジョナサンにも、パパさんにも、ディオにも、死んで欲しくなんてなかったのに」

 

 たとえ本人の招いた自業自得でも、家族の死を見たくなかった。それはわがままなのだろうか。

 

「姉さん……」

 

 ジョージの様子を見ていたジョナサンが振り向くと、ミオはゆっくりと窓の傍まで歩み寄るところだった。窓の前に立ち、不意に身体がくずおれた。

 隣の警察官も、硝子の破片も気に留めることなく膝を丸めてうずくまり、その間に頭を埋める。窓の外を覗く勇気が出ない。

 

「みんなには、ちゃんと生きて、しあわせに……」

 

 ごく素朴で、もはや遠くなってしまった願いは言葉にならず、途切れて。

 

「う、うう」

 

 ただ、唸った。

 

「うう~」

 

 小さく(はな)を啜る音が聞こえて、ジョナサンが戸惑いがちにミオへと足を踏み出した。

 

 瞬間、だった。

 

「警察の旦那、嬢ちゃん、窓から離れろぉッ!!」

 

 スピードワゴンの絶叫が響き渡り、ミオの近くに佇んでいた警察官の頭が半分吹き飛んだ。

 血潮と脳漿が飛び散り、後頭部の残骸が室内に転がる。

 

「姉さん、顔を上げちゃ駄目だ!」

 

 咄嗟にジョナサンが叫び、ミオは今生では久しく嗅いだ試しのない鉄錆の臭いと、新たな気配に混乱して動けなくなった。

 

 突然──深海の底に放り込まれてしまったような、絶対的な威圧感が背後にある。

 

「──そこにいたのか。ちょうどいい、ミオは暫くそこを動くな」

 

 低く、聞こえ馴染んだ、もう二度と聞けないはずの声が聞こえた。

 

「なに、すぐに終わる」

 

 ぽすり、と頭に感触。ぐしゃりとかき混ぜて、それはこちらの髪型とか斟酌しない、可愛くない方の弟のいつもの。

 

「UUURRRRYYY!!」

 

 歓喜に満ちた咆吼が響き渡る。

 

 世界を統べる王者、否、支配者然とした暴君のそれで。それでミオには分かってしまった。

 

 

──ディオは、本当に人間をやめてしまったのだと。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

 感傷に浸るのが馬鹿馬鹿しくなるほどディオは元気いっぱいだった。いっぱいすぎた。

 

 全身を貫いたはずの弾痕も既になく、怪我らしいものは窓から入る際に傷つけたらしい頬から一筋の血が流れているのみだ。

 ディオの放つ濃密で莫大な殺気は濁流のように室内を這い回り、全員が蛇に睨まれた蛙の如く硬直する。それが解ければ待っているのは混乱と狂騒だ。

 

 どうやらディオは僕に何かするつもりはないらしく、まるで散歩でも楽しむようにジョナサンへ歩み寄っていく。

 

「ディオ、止まれ!」

 

 ジョナサンは警察官から借りたらしい拳銃を構え、ディオを迎え撃つ。

 それでも彼の指が震えているのが分かった。当たり前だ、一応は家族なのだ。

 ジョナサンとディオの殺し合いなんて見たくなかった。でも、今のディオが射撃程度で死ぬようには到底思えなかった。

 

 ふと脳裏によぎったのは生前の友人。人類を超越して、自分の死が分からないから、想像できないから、本当に死ねなくなってしまったひと。黒衣の死神。

 

 もし、ディオがそんなひとになってしまったとしたら。

 

「早く撃てぇええ!!」

 

 スピードワゴンさんの悲鳴で反射的に我に返る。

 ほんのちょっと俯いている間に状況は瞬く間に変化し続ける。整理する暇ももらえない。

 

 銃声が轟き、亜音速の弾丸がディオの頭部を直撃する。貫通した弾丸は背後の花瓶を粉砕した。

 

 でも、ディオは倒れなかった。平気だった。流れた血を楽しむみたいに指で遊ばせて、口の端を歪ませる。痛みなんて感じてないみたいだった。

 

「ジョジョ」

 

 名前を呼ばれ、ジョナサンの表情が驚愕に凍る。

 そしてディオはとんでもない脚力で中空へ飛び上がり、喜悦の表情で快哉を叫ぶ。

 

「おれはこんなに素晴らしい力を手に入れたぞ! 石仮面からッ!」

 

 やはりあの石仮面の力で、ディオは生き返ったらしい。ついでに人外の力を手に入れて、人でないものになってしまった。

 恐怖と殺気を振りまきながら闊歩する化け物を相手に起こるのは当然、恐慌だ。

 

「ぎゃああああ!!」

 

 警察官の悲鳴をいっそ心地よさそうに聞きながらディオが動く。

 暴虐と破壊の化身めいた姿で、手近にいた警察官の頭部を鷲掴みにすると再び跳躍し――あろうことか、もう片方の握力だけで天井に張りついた。

 警官の皮膚に指先がめり込み、みるみる顔面がひからびていく。見る間に干物のようになってしまった警官をこともなげに放り捨て、その遺骸はディオの腕力のみで凶器へと変わった。付近にいた警察官へとそれは表面積の広い大斧のように襲いかかり、腕を、足を、命を一刀両断した。どちゃどちゃと濡れた肉の音がする。

 

 そして、折れた誰かの足先がスピードワゴンさんにぶち当たり、苦鳴の呻きが漏れた。もしかしたら骨が折れたかも知れない。

 

 室内に蟠る狂乱を眺め、満足げにディオはぺろりと舌なめずりした。

 

 まるで、そうだ、吸血鬼みたいだ。

 

「ディオ……」

 

 無意識に零れた言葉を、彼は拾い上げたらしい。ゆっくりと振り向き、弄ぶ喜びを覚えた猛獣のような笑みを見せた。

 

「心配しなくとも殺しはしない」

 

 こちらを誘うように柔らかな手招きをして。

 

「ミオもすぐに連れて行ってやろう、夜の世界へ」

 

 陶然とした呟きには聞いたこともないくらいの甘さがあった。糖蜜どころか毒薬めいていた。

 僕が言葉の意味を理解するよりも早く叫んだのは、ジョナサンだった。

 

「姉さん! 逃げろ! 逃げてくれ!」

 

 声は震えて、もはや嘆願のようだった。僕だけでも逃がしたいという願いが伝わってきた。家族思いのジョナサンは、自責の念に駆られているのかもしれない。

 自分が研究していた石仮面のせいでディオが変貌してしまったと。その責任は自分が取るべきだ、と。

 

 場違いなほどぼんやりとジョナサンを見つめ、ディオを見る。

 

 もう殺しても死なない。弱点もよく分からない。超人めいた力で人を殺すことにこれっぽちも罪悪感なんてなさそうな、化け物だ。

 

 口元に牙。深紅の瞳。獰猛な気配。暴虐への陶酔。力への歓喜。理性あるけもの。

 

 でも、それがなんだというのか。

 

 そんな理解の及ばないことなんて関係なく、確固たる関係が僕らにはある。あるはずだ。それだけは譲れない、たとえ誰がどれだけ否定しても。

 

 

──だいじな、かぞく。

 

 

「──ッ」

 

 

 それなら、僕がすることなんて始めから決まっていた。

 

 

 

 

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