SPW財団の諸々を駆使してもぎ取った航空券を片手に、澪たちは飛行機へ搭乗した。
手続きは滞りなく進み、席番号の関係で澪はアヴドゥルの隣だった。
「よろしくお願いしますね」
「ああ、こちらこそ」
ぺこ、と小さく頭を下げてから席につく。
澪以外の面子は総じてガタイがいいので、ベルトひとつつけるのも窮屈そうだった。
渡航距離の関係上、飛行機は深夜を明かしても飛び続ける。
占いに関する雑学や、スタンドについての基本的な知識。
必要な情報をいくつかやり取りしている間に時刻は深夜となり、やがて周囲からは寝息が聞こえてきた。
そんな中で、澪は薄暗くなった機内で諸々と思考する。敵の立場に立って考え、危機管理するのは基本中の基本だ。
今の時代、飛行機で移動できるならエジプトだって二日もかからず着いてしまう。もし自分がDIOだったら、そんな機体に敵を乗せたくない。
乗せてしまったとしたら、飛行機自体をなんとかしたい、そう考えるのではないだろうか。
「……気を付けた方がいいかな」
ぽそりと呟いて、カップのお茶を飲み干してから澪は立ち上がった。
「あの、お手洗い行ってきます」
「ああ、気を付けてな。もう揺れないとは思うが」
「はい、どうもです」
この時間で、アヴドゥルとはかなり親交を持てたような気がする。
澪は廊下を危なげなく歩き、トイレのドアをノックして中に人がいないことを確認してから中に入り、鍵を閉めた。
便座も上げずに座り、ポケットから封筒を取り出す。誰にも見せるなと言われたのだから、ここぐらいしか一人になれる場所がない。
中に入っていた手紙は二枚綴りだった。とりあえず確認してみる。
「えーと、なんだろ……」
【宵丸&空也ぷろでゅーす、(生命的な意味で)どきどきっ! 生存戦略フローチャート】
しょっぱなからタイトルが不吉すぎるんだよなぁ……。
【この手紙は、俺と空也による愛と努力と徹夜の結晶です】
昨日の夜何かやってると思ってたけど、こんなもの書いてたのか。
【ここから先のフローチャートの意味は分からないかもしれないけど、とにかく覚えて! 一文字あまさず丸暗記! しなさい!】
えらい強調している。
【で、丸暗記したら破くなり食べるなり……とにかく、絶対に人目につかないよう処分してね。何があるか分からないから】
食べるのはイヤだなぁ。
【これから起こりうるであろう悲劇を乗り切るためにも、そして何より、澪が生きて帰ってきてくれるように。これが俺たちのできる精一杯の手助けです。気を付けて、頑張っておいで】
片方はそんな結びの言葉で終わっていた。
悲劇という言葉に引っかかりを覚えながらぺらりとめくり、二枚目を確認する。
「……?」
それは、なんとも奇妙な図式だった。
形自体は、確かに記述されていたようにゲームとかによくあるフローチャートが近い。四角と線とが結ばれて、さながら攻略本だ。
しかし、その四角に書いてある単語が奇妙極まりない。
「最初は、……『甲虫老者ムシキング』?」
意味が分からない。
しかし、そんなよく分からない羅列が線で結ばれ、ひたすらに綴られているのだ。
「『泳げるフィッシュ竹中』、いやあれ泳げるじゃん……えーと、『電柱』? 電柱ってなんだ……? で、次が『ウホウホ海賊時代』……」
他にも『イリュージョン溶き虫』、『パペットマスターブレイド』、『エルム街の糞餓鬼』『すごく、トランスフォーマーです』などなど。
謎の単語が飛び交い、正直さっぱり意味が分からない。
けれど義父たちが託してくれた手紙である。とにかく必死で読み込み、脳髄に刻み込んでいく。
そうして頭に叩き込んで数分、最後の方で背筋が震えた。
沢山の四角の間に矢印で挿入される、赤いペンで書かれた小鳥と、緑のペンで描かれたメロン。いつかスーパーのおまけで貰ったわんこのはんこ。
全ての上には、×マーク。
犬は別にしてもそんな絵柄に該当する人物が、仲間にいる。
×印の意味は戦闘不能に陥るような事態の暗示なのか、それとも。
「……!」
最後に綴られた欄の中には、『ラスボス:無駄無駄ほむほむ』とあった。
手紙にあった通り、全てを丸暗記して手紙を粉々に千切ってトイレに流した。
そうして、つぶやく。
「父さんは……何を知ってたの?」
残念なことに、返事をくれる存在はここにいてはくれないのだった。
☓☓☓☓☓
「うげっ」
トイレから出たら、いきなりカオスなことになっていた。
仲間が全員立ち上がっていて、あちこちに血痕が残り、鉄錆の臭いが鼻につく。
思わず顔をしかめて辺りを見回すと、壁に血文字で『
耳に煩わしい、羽虫の唸るような音に視線が引き寄せられ、中空をホバリングする虫が目に留まった。
異様な虫だった。携帯電話くらいの大きさの、クワガタムシに見えた。濡れた複眼がこちらを睥睨し、顔面から伸びた口吻はぎざぎざの刃のように尖っている。
謎の粘液をしたたらせる様子はひたすらに生理的嫌悪を煽った。
「気を付けろ! 敵のスタンドだ!」
アヴドゥルが注意を促し、花京院も構える。承太郎は手の平から血を流しているので既に攻撃を受けていたらしい。夢中で読み込んでて気付かなかった。ごめん。
しかし澪にはそれより重大な問題があった。ちょっと待ってくれ。
「ムシキング……」
唖然とつぶやき、さっきの手紙の内容が蘇りながら符号と合致を繰り返す。
ただの偶然で片付けられるような問題ではない。
そう細かい知識があるわけではないのか、もしくは詳細を書けない理由でもあったのか、ふざけた単語に織り交ぜられていた暗喩が、実感を伴って澪の脳髄を震撼させる。
自分の義父たちは、何故か敵方のことを知っていたのだ。
どこで身につけた知識なのかは知りようがないが、そんなことは些末である。重要なのは、あの単語に含まれた意味を正確に読み解くこと。
真実、あの単語がここから先に現れる敵スタンドを示しているとすれば、予想と対策を考えられる。
これは澪にのみ与えられたアドバンテージだった。誰にも見せるなとはこういう意味か。
生存戦略とは、つまりそういうことだ。
目まぐるしく思考が回る。
ムシキングは分かった。まんまだ。では、『老』の字は?
ふと、足元で見知らぬ爺様が倒れていることに気付いた。危うく踏むところだった。かなりの老齢で、頭は禿げているのに端の方だけふさふさだった。
「このお爺ちゃん、どうしたの?」
通路でひっくり返っているのだから、何かあったのだろう。
答えたのは虫を油断なく見据えていた花京院。
「ああ、起きてしまって騒ぎになる前に気絶させたんだ」
「ふむ」
当て身を入れて失神させたそうだが、老人というところがとてつもなく気になる。なんせ『老者』だ。
なので、老人に鞭打つつもりはないが澪は緊張感なくその場にしゃがみ込んで、老人の目蓋を指先でべろっとめくってみた。
「ばぁ」
すると、僅かに眼球が動き──明確に目を逸らされた気がした。
「なにしてるんだ、お前」
承太郎の言葉通り、澪はしゃがみ込んだまま老人の頭を持ち上げ、普通に両腕で首筋の頸動脈を締め上げ出した。
「いや、明日まで寝てて欲しいなって」
すごく適当に言いながら腕には確かな力が籠もり、訓練に裏打ちされた正確さが老人の脈の動きを一時的に止める。
「うぐぇ」
構造上、一緒に気道も圧迫された老人は、蛙が潰れるみたいな声を上げて白目を剥いた。
獲物を見定めるように悠々と漂っていたクワガタムシが煙のように消失したのは、全くの同時だった。
「ん?」
ジョセフと承太郎が目を凝らし、アヴドゥルが周囲を見回し、いつの間にか出現させたらしい花京院の『法皇の緑』が「おろ、おろ」と所在なさげににょろにょろしていた。
変な沈黙が落ちた。
「……すまないが、その老人を起こせるか」
おそる、と発言したのはアヴドゥルである。
「了解です」
片手を上げて首から手を離し、今度は背後に回ってぐったりしてる老人の両脇に腕を入れてちょっと持ち上げると、ごすんと膝喝を入れた。
「──むッ!?」
老人が意識を取り戻した瞬間、無意識なのか中空に再びクワガタが出現し、羽音が響いた。確定である。
ここが外なら攪乱させるなり遁走するなり方策が取れたのだろうが、気の毒なことに機内だ。
こちらに逃げ場がないのだから、あちらにだってない。
「澪、よくやった。下がってろ」
ごき、と承太郎が指先を鳴らして背後霊もとい、つい最近命名された『
言われた通り澪はすぐに通路をすり抜けてアヴドゥルの背後に回り、老人らしく血の巡りが悪いのか、ようやく状況を理解したらしい敵スタンドの主は顔を引き攣らせて絶叫した。
「ひ、ひぃいいいい!!」
かくして、承太郎一行の初戦はとてつもなくあっけない幕切れを迎えたのだった。
『オラァッ!』
「エメラルド・スプラッシュ!」
老人とスタンドは、承太郎と花京院のツートップによる過剰攻撃でぼっこぼこにされた。オーバーキルである。
とりあえず、スタンド使いそのものは物理で叩けることを澪は学習した。これからも役に立てる時があるだろう。
「澪、よく奴がスタンド使いだと気付いたのう」
同情の余地のないリンチを眺めながら、ジョセフがしみじみと呟いた。
「トイレ行ってたんだからそもそも状況すらよく分かってないよ。ただ当て身って難しいから、確かめてみただけ」
『老』が気になったのも本当だが、自分の知る限り花京院は戦闘訓練らしいものを受けていないはずだ。それなら、相手が完全に意識を失っていない可能性だって大いにあり得る。
確かめてみたら見事に当たりだったワケだが、運がよかったと言うべきか相手が間抜けだったと評すべきかは迷うところだ。
「ああいう技はどこで身につけたんだ?」
アヴドゥルに尋ねられ、澪は少し考えてから答えた。
「女の子の嗜みだって師匠に言われました」
女子力(物理)。
「……そうか」と真顔で頷いたアヴドゥルに「こいつ昔からこんな感じだから、気にすると負けじゃぞ」とか言っていた。失敬な。
クワガタのことを聞いてみると、スタンド名は
極悪爺がボロ雑巾になった頃、唐突に飛行機が揺れた。
がくんと平衡感覚が歪み、明確に傾いている。
「ま、まさか!」
何かに気付いたようにジョセフがコックピットへと走り、スチュワーデスに止められたが構わず進んだ。
スチュワーデスは後ろに続いていた承太郎に見惚れていたが「どけアマ」と一蹴され、花京院に受け止められてやっぱり頬を染めていた。それにしても承太郎はよくモテる。変なフェロモンでも出ているのだろうか。
後ろでその様子を見ていたアヴドゥルがなんとも言えない表情をしていたが、澪は見なかったことにした。ドンマイ。それどころじゃありませんしね。
コックピットを覗き込むと、血の海だった。
舌を根元から切り裂かれ、夥しい血が部屋全体に飛び散っている。あのくそじじい、先にパイロットたちを始末していたらしい。
「自動操縦機も破壊されている……この機は墜落するぞ」
お客様にパイロットでもいれば良かったのだろうが、さすがにそんな奇跡はなく、ジョセフが操縦席に座ることになった。
承太郎はスチュワーデスに機内の客に救命胴衣を着けさせることを頼み、もう片方の席に座る。
「うーむ、プロペラ機なら経験あるんじゃがのう……」
「プロペラ……」
渋面を作るジョセフに、花京院は不安げな表情になった。
澪は澪で亡くなっている操縦者たちを丁寧に脇に寄せてから手を合わせ、とあることを思い出す。
「しかし、承太郎……」
そういえば、ジョセフって……。
「これで儂ゃ三度目だぞ。人生で三回も飛行機で墜落するなんて、そんなやつあるかなぁ」
若い時に一回、カーズの時に一回、そして今回。
「二度とテメーとは一緒に乗らねぇ」
承太郎が吐き捨てた。気持ちは分かる。
「まぁ、毎回生き延びてるんだから悪運だけは信頼できるかも……」
むなしい気休めは、降下によって生じる凄まじいGの変化と音にかき消されたのだった。
前回が短かったので一話多めに更新します