星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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20.グラジオラスの出奔

 

 

 一悶着はあったが無事にチケットの手配も終わり、ジョースター一行は列車と船を乗り継いでインドはカルカッタへと向かう運びとなった。

 全員で駅に着く頃にはアンの姿もなくなり澪は随分さびしいと感じたが、これ以上危険に巻き込むよりはずっといいと自分を納得させた。非力な少女を守り続けていられるほど、気楽な旅路ではない。

 

 食後の一段落も過ぎて、特有のがたんごとん、という定期的な揺れと午後の穏やかな日差しはまどろみをもたらすに十分だ。

 

 相手の襲撃も小休憩なのか列車に不穏な気配は感じられない。

 いつまでも緊張し続けていても神経が疲弊してしまうし、のんびりできるのは純粋にありがたかった。

 

「……と、ざっと説明するならこんな感じです」

 

 たまたま眠気が訪れなかった澪は、これまであまり説明していなかったポルナレフに自分のいきさつを語った。

 花京院は文庫本を開いたまま船を漕いでいるし、アヴドゥルとジョセフは寝入っていて、承太郎はモクの補給に行っている。

 

「はぁー……」

 

 一通りの話を聞いたポルナレフは分かったようなそうでもないような、くちびるの隙間から抜けたような息を漏らした。

 まぁ、目の前にいる小柄な少女が百年前にディオの義姉で、彼に殺されたと思ったら記憶はそのままにジョセフたちと共闘し、なんやかんやで現在に至ると言われても飲み込めないだろう。

 

「なんつーか、突拍子がなくてうまいこと言えねぇわ。悪い」

「いいんですよ。無理に考えなくて」

 

 申し訳なさそうに頭をかくポルナレフに、澪は軽く手を振って苦笑した。

 

「突き詰めてしまえば、うちの義弟がご迷惑をかけて申し訳ありません。と、言いたかっただけです」

 

 ポルナレフもDIOに肉の芽を植え付けられ、利用された人間である。

 なればこそ、自分には説明責任があると判断したまでのことだ。詫びのひとつも入れるのが誠意というものだろう。

 けれど、ポルナレフはどうも納得がいかなかったらしい。

 

「だがよぉ、しょっぱなで迷惑被ってんのはアンタじゃねぇか」

 

 彼らしい直裁な物言いで腕を組んだまま、顎をしゃくって澪を示す。

 

「ぶっ殺されたってのに、もう家族でもねぇのに、こうして俺に頭下げてよ、顔が見てぇってこんな旅についてきて……」

 

 どうもポルナレフの中でもまとまっていないのか、口をもごつかせ。

 

「それって、なんかおかしくねぇか?」

 

 眉根を寄せて、首をひねった。

 

「……?」

 

 澪には、彼の疑問の意図が掴めなかった。

 だから、言葉が足りなかったのかと思って説明を足した。

 

「血の繋がりがなくても、大事な家族に変わりはありませんよ」

 

 気が抜けたように、笑って。

 

「何年経っても義弟です。家族の不徳を詫びて、おいたを叱るのは義姉の義務であると……僕は思います」

「……フツーなら、な」

 

 どこか苛立ったように眇められた碧眼に、澪はなぜだろう、心臓がひとつ跳ねたような気がした。

 ポルナレフは聞き分けのない子供に言い聞かせるような表情でずいっと身体を乗り出す。

 

「あのな、俺が言いてぇのはそこじゃなくて」

「おい」

 

 言いさしたところで、煙草を吸い終えたらしい承太郎が戻ってきた。

 その手には、どこから入手してきたのかみっつのサイコロ。それを手の平に握り込んで、承太郎はにやりと笑った。

 

「やるか? ヒマしてんだろ」

 

 澪は目を輝かせ、飲み終わっていたグラスを拭いて真ん中に置いた。

 

「やる!」

「やる? 何をだよ」

 

 ひとりワケの分からないポルナレフは目を瞬かせた。

 澪は元気よく答えた。

 

「ちんちろりん!」

 

 ちんちろりんとは、サイコロみっつと茶碗があればできる博打である。

 この場合は底の浅いグラスでもあればじゅうぶんだ。

 

「チン……なんだって?」

「ちんちろりん、日本のゲームですよ。あ、胴元どうする?」

「最初は固定で、ルール分かってきたら廻り胴でいいだろ」

「そうだね」

 

 内容のさっぱり分からないポルナレフは、二人の会話を聞いているしかない。

 

「あ、みんな起こそっと!」

 

 いそいそと座席を立って花京院の方へ向かおうとした澪が、ふと振り向く。

 

「すみませんポルナレフさん。話の途中でしたね」

「あー、いや、いいや。シケた話より、そっちのゲームの方が面白そうだ」

 

 ひらひら、とポルナレフが手を振った。

 

「面白いですよ~、よっしゃ今日は負けないぞ! 来いアラシ!」

「毎回ワカレばっかり出しやがるくせに何言ってやがる」

 

 上機嫌で花京院を揺さぶる澪に、ぼそりと呟く承太郎。

 結局、そのまま全員叩き起こされなし崩しにゲームは始まってしまい、澪はポルナレフの言いかけた言葉の続きを聞くことはなかった。

 

 

 聞いていれば、これから訪れるものが──ほんの少しでも変わったかもしれないのに。

 

 

「おお、クズ三連発したひと始めて見た。ジョセフ意外~」

「う、うるさいのう! 日本のゲームなんかやったことないんじゃ!」

「でもこれで目なしだから、次はアヴドゥルさーん」

「む、日本のダイスの形は変わっているな……では」

 

 ちんちろりーん

 

「!」

「これは……」

 

 ころりと出た目は四、五、六。

 

「シゴロですよ! すごい! アヴドゥルさん二倍総取り! さすが占い師!」

 

 ちなみに、内輪での博打なので本当に現金を賭けていた。

 シゴロ、というのはサイコロの出目につく役のことで、これを胴元と呼ばれる親が出した場合、全員が賭けた金額の倍額を胴元に献上しなければならない。

 

「げっ、足りねぇ……!」

「よかったら貸そうかポルナレフ」

「いいのか花京院!」

「利子は頂くけどね」

「嘘だろ花京院!」

 

 ちなみに承太郎は集中しすぎてうっかり『星の白金』を出してしまったため(動体視力↑)、イカサマとみなされ全員に罰金を払った。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

 いよいよカルカッタに到着しようという時、ジョセフは気まずそうに切り出した。

 

「アヴドゥル。いよいよインドを横断する訳じゃが、その……ちょいと心配なんじゃ」

 

 彼の表情はいつになく不安げである。

 

「いや、『敵スタンド使い』のことは勿論だが、儂は実はインドという国は初めてなんだ」

 

 それを言うなら、ここにいる面子はほとんどそうだろう。

 澪とて国内旅行の経験こそあるが異国への旅はこれが始めてである。

 

「インドという国は乞食とか泥棒ばかりいて、カレーばかり食べていて、熱病か何かにすぐにでもかかりそうなイメージがある」

 

 それにしたって、ジョセフのイメージはちょっとひどい気がするが。

 

「俺、カルチャーギャップで体調崩さねぇか心配だな」

 

 ポルナレフも不安なのか胃の辺りを押さえている。

 澪の乏しい知識ではやっぱりカレーとか香辛料が盛り沢山とか、生水は飲まない方がいいとか、その辺がいいところだ。

 

「フフフ、それは歪んだ情報です」

 

 全員の視線を受け、アヴドゥルはなぜか自信たっぷりだ。

 

「心配ないです、みんな素朴な国民のいい国です。私が保証しますよ」

 

 自信満々に請け負われてしまっては、こちらも期待してしまう。

 まぁ、インドに旅行へ行くと人生観が変わった、という人もいれば二度と行かない、と言う人もいる。

 

 自分がどちらに転ぶかは分からない。

 

「さあ!  カルカッタです。出発しましょう!」

 

 アヴドゥルは皆を先導するように揚々と先陣を切って歩き出した。

 

 船から下りた途端、『待ってました!』とばかりに物売りや何やらにあっという間に取り囲まれ、澪は自分は後者であると確信を抱いた。

 

 小さな子共から老人までが区別なく満面の笑みで小物を押し売ろうとしてきたり、入れ墨を勧めてきたり手を差し出して「バクシーシ」「バクシーシ」と群がる子供の群れに押され、殆ど身動きもままならない。

 澪は本能的に気配を消して承太郎の背後に回って大体をやり過ごし、見覚えのある財布を持った少年が横をすり抜けようとしたので鮮やかな手並みでギッておいた。

 

「カオスだ……」

 

 ぼそっとつぶやく。

 

 どこもかしこも、エネルギーと活気が爆発しているような熱気があふれている。

 そうと思えば道端では人がごろ寝していたり、牛が車の前に居座っていたりと目まぐるしいほどの騒がしさ。

 

「ア、アヴドゥル、これがインドか?」

 

 なんとか押し売りを退けたジョセフが大声で糾す。

 

「ね、いい国でしょう。これだからいいんですよ、これが!」

 

 手慣れたように人をあしらいながらも満面の笑みのアヴドゥルは、本当にこの国が好きなのだろう。

 

 馴染めそうにないかも、と澪は思う。文化と人種の違いはかくも重い。

 

 それでも、なんとか車でレストランへと一行は到着することができた。

 

 落ち着くために、と供されたのはチャイだった。

 香辛料の入った香りの強いお茶で、牛や山羊の乳で煮るのが一般的である。大抵の場合は砂糖がたっぷり入っていて甘い。

 ふう、と湯気を飛ばして試しにと一口啜る。少し辛いような香りと強い甘味と牛乳の風味。くせはあるが、飲み慣れれば美味しいのかもしれない。

 

 でも、

 

「甘ぁーい、ですね……」

 

 甘さがくどいくらいで、澪にはちょっと辛い。

 かえって喉が渇きそうな気がするし、これだけでお腹が膨れてしまいそうだ。

 

「要は慣れです。慣れればこの国の懐の深さがわかります」

 

 アヴドゥルはそう断言するが、慣れる前に潰れてしまいそうだ。

 しかし早くも辟易し始めている澪と違い、承太郎はどこか上機嫌である。

 

「なかなか気に入った、いい所だぜ」

「マジか承太郎! マジに言ってんの? お前」

 

 ジョセフが仰天している。あの人混みと押し売りを前にしていい所と言い切れる承太郎は素直にすごいと思った。

 

「……慣れれば好きになる、か」

 

 ポルナレフはそう呟き、自分の荷物を持って立ち上がった。

 

「ま、人間は環境に慣れるって言うからな」

 

 確かに、住めば都の言葉もあるし、住んでいれば適応せざるを得ないだろう。進んで住みたいかどうかは別にして。

 そのままポルナレフはトイレへと向かった。「フランス人の俺に合う、ゴージャスな料理を頼むぜ」とこちらに注文を任せて。

 

「……まぁ、なんでもいいってことですよ。彼の口に合うってことは」

 

 メニューを見ていた花京院が顔を上げ、おもむろに注文を始めてしまった。

 

「典明くん、ポルナレフさんの扱いちょっと悪くないか」

「ぼくだって、敬意を抱く人物は選ぶということさ」

 

 なかなか辛辣である。

 

「……」

 

 注文を待つ間、澪はゆっくりとチャイを啜りながら暫し黙考に耽った。義父たちのチャート通りならば、次はふたつの欄が同列に並んでいたはずだ。

 

 記憶が間違っていなければ『フ○ッツする程度の能力』『ガンマンのガンマン潰したい系ガンマン』。

 

 前者はともかく、後者はもはやガンマンがゲシュタルト崩壊起こしている説明である。とりあえずガンマンだということは分かった。

 そして、承太郎が『黄色の節制』から聞き出したスタンド使いは『死神』『女帝』『吊られた男』『皇帝』の四人。

 中でも『吊られた男』こそがポルナレフの妹の仇で、DIOにスタンドを教えた魔女の息子であるJ・ガイル。『鏡』を使うスタンド能力らしい。

 その辺を加味して推理すると、おそらくは『吊られた男』=『フ○ッツする程度の能力』だろう。ガンマンは残念ながらどのカードかは見当がつかない。

 

 とすると、

 

「かがみ」

 

 鏡を使うという意味はなんだろう。鏡は目の前の光景を映す。要は反射だ。

 そして、フ○ッツという言葉から連想されるものは、ネット環境とかパソコンとかモデムとか、あるいは。

 

「光回線……、ひかり?」

 

 つまり、光速。

 

 澪の脳裏で情報と連想がパズルのように噛み合い、ひとつの推測へと収束した。

 

 ひょっとしたら、『吊られた男』のスタンド能力は──

 

 

 ガッシャーンンンッッ!!

 

 

 ガラスが砕け散るような壮烈な音によって、澪の思考は中断された。

 

「ッ!」

 

 振り向くと、そこには荷物を持ったままのポルナレフが周囲を見回している。否、確認していた。

 焦燥に満ちた表情で、誰しもの……おそらくは両手を。

 

「クソッ!」

 

 全員の確認を終えたポルナレフは、そのまま玄関へと駆け出してしまう。

 そのただならぬ様子に、ジョセフたちが席を立った。

 

「今のが……」

 

 ポルナレフは雑踏へと厳しく視線を走らせながら、背筋を震わせる。

 

「今のがスタンドとしたなら……!」

 

 それは恐怖による震えではなく、明らかに武者震いのそれだ。

 

「ついに、ついに! 奴が来たぜッ! 承太郎! お前が聞いたという鏡を使うという『スタンド使い』が来たッ!」

 

 彼は獲物を見つけ出した焦慮を滲ませ拳を握り、吼えた。

 

「俺の妹を殺したドブ野郎ぉおッ! 妹の魂を、尊厳を、全てを踏み躙ったド腐れ野郎ッ!」

 

 妹のことを思い出したのか、その声音は怒気と悔恨に浸っている。

 

「ついにッ、ついに会えるぜ!」

 

 それは紛れもない、仇を討つ者が仇敵を見定めた時の喜びだった。

 

「お前の仇がここに……」

 

 ようやく状況を理解したジョセフが呟けば、ポルナレフはこちらを振り向いた。

 

「ジョースターさん。俺はここであんた達とは別行動を取らせてもらうぜ」

 

 その宣言に、全員が目を瞠った。

 だが、彼の瞳には鋭い覚悟と決意が見て取れ、引き留めるのは難しいであろうことは容易に知れる。

 

「妹の仇がこの近くにいるとわかった以上、もうあの野郎が襲ってくるのを待ちはしねえぜ」

 

 ポルナレフは焦燥に憑かれたように捲し立てた。

 

「敵の攻撃を受けるのは不利だし俺の性に合わねえ。こっちから探し出して、ぶっ殺す!!」

 

 それは自分を囮にして相手をあぶり出す、ということだろうか。

 敵の攻撃を受けるのは確かに不利だろうが、自分から探し出したところで強襲されてしまえば同じことである。

 

「相手の顔もスタンドの正体もよくわからないのにか?」

 

 花京院の水を差すような冷静な言葉にも、今のポルナレフにはあまり届いていないようだった。

 

「『両腕とも右手』とわかってれば十分!」

 

 彼はそう言い切るが、片手くらいならどうとでも隠しようがある。

 

「それに奴の方も俺が追っているのを知っている。奴も俺に寝首をかかれねえか心配のはずだぜ」

 

 それにはお互いがお互いの位置情報を正確に握っている、という前提が必要だ。

 なんというか、自分のいいように物事を解釈しているような強引さを感じた。

 まして相手のスタンドがポルナレフの前に現れたという時点で、ポルナレフの位置は相手に知れている。不利なのは明らかにポルナレフの方だ。

 

「じゃあな」

 

 そう言って、彼はくるりと背を向けてしまう。

 血気に逸っているポルナレフには分からないかもしれないが、澪からすれば、それはただの鉄砲玉である。当たるかどうかすら分からない。

 ただ、一度暴走し始めた人間を止めるのは至難である。澪はそれを経験で知っていた。

 

 止めるのは無理でも、注進くらいはした方がいいかもしれない。

 

「……こいつは、ミイラ取りがミイラになるな」

 

 澪が口を開くより早く、一通りの言葉を聞いたアヴドゥルが、厳かに口を開いた。

 

 ぴたり、と彼の足が止まる。

 

「どういう意味だ」

「今言った通りだ」

 

 二人の間に緊張が走る

 

「おめぇ、俺が負けるとでも?」

 

 ポルナレフは一歩こちらへと近づき、射竦めるように肩を上げる。

 

「ああ!」

 

 アヴドゥルは力強く首肯し、たたみ掛けた。

 

「敵は今! お前を一人にするために、わざと攻撃をしてきたのがわからんのか!」」

 

 指先でポルナレフを示し、彼にしては珍しい命令口調で。

 

「別行動は許さんぞッ! ポルナレフ!」

 

 その言葉を聞くや否や、ポルナレフは太い指先でアヴドゥルの胸を強く突いた。

 

「いいか、ここではっきりさせておく」

 

 碧眼には憤激と憎悪、取り巻いているのは殺意と覚悟だ。

 

「俺は元々DIOなんてどうでもいいのさ」

 

 それは彼にとって真実だろう。

 ポルナレフにとっては妹の仇を討つことが何より優先されることであって、他のことは全て成り行きにすぎない。

 

「香港で俺は復讐のために行動を共にすると断ったはずだぜ。ジョースターさんだって承太郎だって承知のはずだぜ」

 

 ジョセフと承太郎も、何も言えない。

 確かに、その言葉はあの港で聞いていたからだ。

 花京院も今のポルナレフを止めることができないと悟っているのか、様子を窺ったまま口を挟もうとはしない。

 

「俺は最初から一人さ。一人で戦っていたのさ」

 

 そう言い切るポルナレフに煽られたのは、アヴドゥルだった。

 

「勝手な男だ! DIOに洗脳されたのを忘れたのか!」

 

 お互いに額を突き合わせ、一歩も引かぬとばかりにアヴドゥルは続ける。

 

「DIOが全ての元凶だと言うことを忘れたのかッ!」

 

 こんな時だが澪の胃がキリキリと痛んだ。

 しかし、DIOは別段ポルナレフの妹を例のスタンド使いに襲わせようと嚮導したワケではないだろう。全ての元凶というのはちょっと違うと思いたい。

 

「てめーに妹を殺された俺の気持ちがわかってたまるかッッ!!」

 

 アヴドゥルの胸ぐらを掴んでいるポルナレフの叫びには更なる気迫と、哀切が籠もっていた。

 彼にとって討ち果たすべき敵はあくまでJ・ガイルであってDIOではない。

 その憎んでも憎みきれない怨敵が間近にいると分かって、冷静でいられるはずはないだろう。

 

 理解はする。共感もできる。

 

 だが、

 

「以前、DIOに出会った時恐ろしくて逃げ出したそうだな! そんな腰抜けに俺の気持ちはわからねーだろーからよォ!」

「なんだと?」

 

 あまりの物言いにアヴドゥルが瞠目し、その手をポルナレフが振り払う。

 

「俺に触るな!」

 

 荷物を背負い直し、吐き捨てるように。

 

「香港で運よく俺に勝ったってだけで、俺に説教はやめな」

 

 運というより、あれはお互いの相性差で勝ったと思うのだが今言ったところで通用しないだろう。

 

「き、さま……ッ!」

 

 しかし、そんな物言いをされてはアヴドゥルとて激昂するのは必定。

 

「ほぉ、プッツン来るかい?」

 

 怒りで肩を震わせるアヴドゥルを、ポルナレフはまるで挑発するように睨め付ける。

 

「だがな、俺は今のてめー以上にもっと怒ってることを忘れるな」

 

 仇敵への復讐がかかっているこの時に、自分を引き留める人間は彼にとって敵以外の何者でもないのだろう。

 

「あんたはいつものように大人ぶって、ドンと構えとれや! アヴドゥル」

 

 全てを突っぱねるように指先でアヴドゥルの胸元を押し込むポルナレフに、さすがに彼も限界を迎えたらしい。

 

「こいつッ!」

 

 咄嗟に振りかぶった拳を、横からジョセフが握り込んで制止した。

 

「ジョースターさん!」

「もういい、行かせてやろう」

 

 静かなジョセフの言葉には重みがあった。

 

「こうなってはもう、誰も彼を止めることはできん」

 

 おそらくは、シーザーとのやり取りを思い出したのだろう。

 ああいった激憤に駆られた人間を止めるのは、本当に難しいのだ。

 アヴドゥルはジョセフに水を差され、多少の冷静さは取り戻したのか拳を下ろして首を振った。

 

「……いえ、彼に対して幻滅しただけです。こんな男とは思わなかった」

 

 アヴドゥルの沈痛な面持ちにも関わらず、ポルナレフは唾を吐き捨てるだけだ。

 

「確かに私は恐怖して逃げた。しかし、だからこそ私は勝てると信じるし、お前は負けると断言できる!」

 

 それは彼の懺悔ではなく、後悔を踏み越えた人間の持つ確信だった。

 

「はぁ?」

 

 だが、今のポルナレフにはその言葉すら届かない。

 

「じゃあ俺も断言するぜ。テメーのその占いは、外れるってな」

 

 最後にぱちん、とアヴドゥルのアクセサリを弾き、ポルナレフは踵を返した。

 

 そこへ、

 

「ポルナレフさん」

 

 澪はとても気楽に声をかけた。

 

「ああ?」

 

 苛立ちのままに振り向くポルナレフに怯むことなく、ごく素朴に問うた。

 

()()()()()()?」

 

 率直と言えば率直だが、澪が何を言いたいのか彼には理解が追いつかなかったらしい。

 

「……どういう、意味だ」

 

 しかし、その口調で愚弄されていると感じたのか、糾す声は厳しい。

 

 澪は一歩前に出て、ポルナレフをまっすぐに見上げた。

 

「仇を討つ。いいと思います。仇敵がいるから追いかける。そうでしょう」

 

 でも、と続ける。

 

「今、ポルナレフさんは圧倒的不利です」

「んだとぉ!?」

 

 今にも殴りかかろうとするポルナレフの前でも、ただ澪は事実を紡ぐ。

 

「敵に居場所を知られ、こちらは知らない。闇雲に探し回るのは徒労であって、狙い撃たれるのはポルナレフさんだけ」

 

 淡々と、現状を確認するように。

 

「相打つ覚悟でいるのでしょうが、血気に逸って返り討ちに遭っては目も当てられない」

 

 感情すら込もっていない、それはただの説明だった。

 

「そのままでは、早晩骸です」

 

 止められるとは最初から思っていない。考え直させようと努める気もない。そんな権利を自分は有していないからだ。

 これは澪なりの忠告であり、ある意味同情だった。

 何を賭しても叶えたいポルナレフの仇討ちの成功率をほんの少しでも底上げする、思考のきっかけ。

 

 それは言葉が意地悪なほどに、相手の心に残る。

 

 だから、あえて自分はこう尋ねよう。

 

「妹さんの仇も討てず、無駄死にするのが──貴方の覚悟ですか?」

 

 瞬間、澪の頬で熱が弾けた。

 

「ッ!」

 

 周囲が緊張するのが肌から伝わる。じん、とした痺れに澪は自分が打たれたことを自覚した。

 咄嗟に動こうとした花京院を承太郎が制しているのが、視界の端で見て取れた。

 

「……お前に」

 

 低い、地鳴りにも似た声だった。

 

「お前に、何が分かる! 家族を殺された俺の気持ちを、理解できるかッ!? できねぇよな! できたらそんなこと言えるはずがねぇッ!」

 

 混乱と焦燥の入り交じった血を吐くような怒号に、澪は頬を赤く腫らしたまま少し沈黙し、

 

「ええ、僕は()()()()()()()()()ですから」

 

 困ったように、眉を下げた。

 

「理解は難しいです」

 

 その一言にポルナレフは怯んだようだったが、鋭く睨み付ける瞳は変わらないままだ。

 

「……ああ、澪はそうだったな。けどよ、俺が引っかかってたのはそこなんだよッ!」

「……え?」

 

 一瞬、澪は何のことを言われているのか分からなかった。

 

 けれど、次の言葉であの列車での続きだと理解する。

 

「昔、DIOに殺されたんだろ? なのに澪、お前は欠片も恨んでねぇ、怒ってねぇ、憎んでねぇ。どころかまだ家族だっつって、義姉だと言って憚らねぇ」

 

 それは、怒りと報仇に沸騰したが故の衝動的な言葉だったのだろうけど、

 

「自分を殺した野郎に、自分からノコノコ会いに行こうとするなんてマトモじゃねぇよ、頭おかしーんじゃあねぇのかッ!?」

 

 澪の心の奥底にある、柔らかくいびつなところをかき回すには十分な一言だった。

 

「──ッ!」

 

 その瞬間、澪の表情から一切の色が消え失せた。

 能面よりも能面らしい、魂なき人形の如きそれはできのいいマネキンのようだった。

 

「ポルナレフッ!」

 

 さすがにその暴言は看過できなかったのだろう、花京院が顔色を変えた。

 

「これ以上の押し問答に付き合う気はねぇ。とにかく俺は行くぜ」

 

 だが、そんな花京院にも目もくれず、今度こそポルナレフはジョセフたちから背を向け、雑踏の中へと消えて行った。

 

「もう、止めてくれるなよ」

 

 止めるならば腕尽くでも通るという意思表示にか、その背後に彼自身のスタンドを侍らせて。

 ポルナレフの退場に野次馬たちはいなくなり、街は元の雑踏と喧噪を取り戻す。

 

「……澪」

 

 凍り付いたように動かない澪に、ジョセフはそっと声をかけた。

 けれど、澪はそれすら聞こえていないように呆然としたまま、やがてぽつりとこぼした。

 

「そうか」

 

 納得とも、肯定とも取れない、あえて言うならば目から鱗が落ちたような、そんな。

 

「僕は、ディオを恨んでもよかったのか」

 

 ころりと落ちた言葉は、まるで始めて聞いた異国の言語をなぞるように無垢で、何の情動も籠もっていなかった。

 感情が抜け落ちてしまったように中空を見据えていた澪は、ようやく自分を心配そうに見つめている仲間へと視線を移し、困ったように笑った。いつものように。

 

 ポルナレフに対する怒りや反駁を覚えた様子ひとつなく、自分の胸元に手を当てて。

 

「普通とか、まともって……誰も教えてくれないから」

 

 困惑と申し訳なさが混じったような、迷子になって途方に暮れた子供のように。

 

「いつでもいちばん、むずかしい」

 

 とてもさびしそうに、呟いた。

 

「難しい、ね」

 

 

 

 

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