負傷したアヴドゥルの傷は楽観視できるほど浅くはないが、命を落とすほどのものではなかった。
ただ、抉れた頭部は緊急手術が必要だし失血量も多い。しばらくは入院と療養が必要であるというのが医師の判断だった。
「はぁー……よかったー」
命あっての物種である。
胸を撫で下ろし、澪は全身から力が抜けてへなへなと病院の廊下に座り込んでしまう。本当に気が気じゃなかったのだ。
「ふーむ、そうなると……」
ジョセフは暫く考え込み、やがて顔を上げた。
「よし、アヴドゥルはここで命を落とした」
「へ?」
「と、いうことにしておこう」
唐突な物言いに一瞬理解が追いつかなかったが、遅れて納得した。
敵に負傷して病院に搬送されて無防備です、と喧伝するくらいならいっそ死んだことにして秘密裏に処理した方がいい。
死人にわざわざ手を下す輩はいないし、安全確保のためには最善と言える。
「なるほどな。賛成だ」
承太郎も澪を起こしながら頷いた。
「それはいいけど、嘘吐けるかなぁ……」
花京院は賢明なので後で教えても大丈夫そうだが、ポルナレフは表情に出そうだ。
あれだけアヴドゥルが負傷した時に嘆いていたのだから、教えてあげたいのは山々ではあるが状況が状況である。
澪は澪で、嘘が下手なことを抜いてもアヴドゥルに何かあったら原因のガンマン野郎をぶち殺すと宣言しているので、この先鉢合わせでもしたらとても困る。
言わなきゃよかったが、あの時は頭に血が上っていたのでしょうがない。
不安でおたついていると、なぜかジョセフと承太郎が顔を見合わせて頷き合っていた。おっと、なんだかとってもいやな予感がする。
「二人とも、なんか企んでない?」
「いんや? 最善の方法を模索しておっただけじゃよ」
「ああ。一番早いからな」
「早い?」
首を傾げた瞬間、澪の首筋に軽い衝撃が走り、ジョセフに顔面を掴まれ微弱な波紋が流れ込んできて──わけが分からないまま昏倒した。
「ま、下手に嘘を吐くより気が楽じゃろうて」
承太郎の手刀とジョセフの波紋による催眠というダブルコンボで失神した澪を手際よく背負ってジョセフは飄々と言う。
「こいつ、意外と顔に出るからな」
承太郎も相槌を打ち、二人はそのまま歩き出してしまう。
変なところで味方に攻撃される澪だった。
☓☓☓☓☓
「はっ」
ガタゴト揺れる感覚で目が覚めた。なんだ、何がどうなった。
よく見たらどうやらバスの車内らしく、振動はバスが舗装の悪い道を走っているからだ。
後ろの座席ではポルナレフさんが見知らぬ女性に男を見る目がどーたら、と説教している。
アラビア系の美人さんだけど、ポルナレフさんの話を聞いてるかどうかは微妙だ。よそ向いてますよ。
いや、というか僕はアヴドゥルさんをジョセフたちと運んで、重傷だから治療を邪魔されても困るし死んだことにしようって話まとまって、そんで……あ。
「目が覚めたかい?」
隣に座った典明くんが心配そうにこちらを窺っている。なんでそんなに気遣うような感じなんだろう。
「え、うん。てか、このバスはどこに向かって……?」
曖昧に頷き、なんとなくズキズキする首筋を押さえて目を白黒させていると、典明くんが開いていた文庫本をぱたんと閉じて苦笑する。
「落ち着いて、順を追って説明するから」
典明くんの話を総括すると、こんな感じである。
あの後無事に『吊られた男』J・ガイルを倒し、ポルナレフさんは妹さんの仇討ちに成功した。
だけど、アヴドゥルさんを攻撃しくさったガンマンこと『皇帝』のホル・ホースをやっつけるのには失敗してしまった。
それというのも、現在背後で説教を喰らっている娘さん(ネーナさんというらしい)がポルナレフさんにタックルをかましてホル・ホースを逃がすための文字通り足止めをしたのだそうな。
ああ、義父さんたちのガンマン潰したい系ってそういう……把握しました。女誑しですね分かります。
で、ホル・ホースは逃げちゃったしポルナレフも仲間に戻ってきたなら先に進みましょう、というワケでバスに乗って移動中とのこと。なるほど。
ちなみに、アヴドゥルさんは予定通りお亡くなりになった設定で話は進んでいる模様。
僕は『今にも仇討ちに走りそうだったので危険だったからジョセフが眠らせた』という設定らしい。だからこんなに気ぃ遣ってる感じなんだ。うわ気まずい。
寝たふりでもよかったんじゃないか、と思うけど典明くんとか見破りそうだしな。しょうがないからファインプレイと思っとこう。あーくそまだ首痛い。ほんとジョースター家は僕の扱い悪いと思う。
「そんなことになってたんだ……」
「おっ、目ぇ覚めたか!」
すると、お説教を中断したポルナレフさんが後ろからずいっと身体を乗り出してきた。
「J・ガイルの野郎のスタンド能力は、確かにほぼお前が言ったとおりだったよ。助かったぜ」
僕の知識は義父たちのチート的なヒントと閃きと連想で成り立っているので、当たったならよかったです。
「それと……昨日は悪かったな」
消沈したようなポルナレフさんに、僕は昨日のあれそれを思い出して苦笑する。勢いに任せて言ったことを悔いているらしい。本当に良い人だよなぁ。
「いえ、僕も煽るようなこと言っちゃったし、軽率でした」
忠告代わりに喧嘩吹っかけたようなものだから、自業自得という部分もある。あとポルナレフさんべつに間違ったこと言ってないし。
「確かに、ちょっと僕はまともじゃないと思いますよ」
「えっ!? い、いや、そんなことは……」
自分の指先をこめかみに当ててくるくると回してみせると、ポルナレフさんは元より隣の典明くんもギョッとした。
いやこれはマジな話、自慢じゃないけどこれまでの人生で積み重なってきた経験のせいで僕の精神というか、感覚はたぶん他の人とはちょっと差異があると思う。ほんとに自慢にならんけど。どこかと言われると困る。自分じゃわからん。
そもそも義父さんたちもアレだし、環境も友達だって大抵アレだったし……思い返すと常識なにそれおいしいの? みたいな人ばっかりだな畜生。
ともあれ、自分がディオを恨んだりしていないのはそれなりの理由がある。
「あのですね、僕、ディオがこれっくらいの時から知ってるワケです」
僕は中空で手の平をかざして、これくらい、を表現する。
まだ彼が人間を辞めることもなく、少年だった頃。
「うちに来た時からいけ好かないガキんちょでしたけど、拗ねたり、怒ったり、意地張ったり、時々笑ったりしてたんです」
僕とジョナサンとディオはみんなで大きくなった。
ご飯を一緒に食べて、たまに喧嘩して、ごくごく稀に笑っていた。
「ひねこびた所もあったし、根っからの根性曲がりでしたけど……それでもね、一緒に楽しい時間を過ごした時があった」
そんな風に積み重ねた大切な思い出が沢山ある。
けれど、ディオを憎むということは、そうして紡いできた時間を全て反故にしてしまうような気がするのだ。
もしかしたら、子供に殺される親はみんなこういう風に考えるのかもしれない。抵抗しようとしても、思い出がその手を止めてしまう。そんなことが。
家族だから。義弟だから。
罪と罰とか、仕返しとか、そういうのじゃないと思う。
「それに、本来なら取り返しがつかない事をされたのは本当ですけど──僕はここで生きてます」
そう、たたるのも恨むのも化けて出るのもあとでいい。
ここで自分はバスに乗って揺られている。生きているから。
「たとえ未必の故意だとしても、僕はディオとの思い出の方が大事だから。家族で、義弟だから。憎んだり、避けたりするよりも……」
ぐ、と拳を作って笑ってみせる。
「──本人に会ってボコボコにして、恨み言のひとつでも言う方がいいです」
怒ってないわけではないのでね。それくらいはしますよ、ええ。
ポルナレフさんは黙って僕の話を聞いて、それから小さく吹き出した。
「たぁしかに、まともではねーわな」
そのまま腕が伸びてきて、僕の頭をぐっしゃぐっしゃ。
「でも、嫌いじゃねぇわ」
ニッとポルナレフさんは笑ってくれる。そこには不審さは欠片もなくて、とても安心できた。
僕らのやりとりを眺めていた典明くんがふと外を見て、驚いたように声を上げた。
「おい、こいつは驚いたな……」
典明くんの視線を辿って窓の外を見ると、なんというか……ドMの聖地といった光景が繰り広げられていた。
地面に首を突っ込んでる人や、剣山みたいな土台で倒立する男、生き埋めになって首だけ出したまま、その顔面にや舌に針を刺している人、あと熱々の鉄板の上で座禅を組んでる人エトセトラ。
あの鉄板で土下座してれば本物の焼き土下座なんだけどな、惜しい。
ともあれ、あれは修行者の荒行(カトゥー)というものらしい。
修行の一種だそうだが、あれだと修行を達成する前に何かに目覚めるかそのまま召されてしまいそうだ。
「あそこで、何か燃えてるようだが……?」
承太郎の言う通り、キャンプファイヤーよろしく組み立てられた木材が赤々と燃え、中では死体が焼かれているようだった。
火に葬して弔う、というのはこちらでもあるのだろう。僕は手を合わせて黙祷を捧げた。
そのずっと先に流れる大きな河が、きっと有名なガンジス河だろう。
広くて、静かな流れで、風で波立たなければまるで道のようだ。平安の鴨川みたいに遺骸から排泄物まで垂れ流しなので不衛生なことで有名だが、現地の人にとっては聖なる河として崇敬の対象である。
なんとなくガンジス河を眺めていると、承太郎が不審げに呟いた。
「……どうした? じじい、元気ないな」
「うむ、虫に刺されたと思っていた所にバイ菌が入ったらしい」
「えッ!?」
聞けば、カルカッタを出る前に虫に刺されたらしい。
こんなところで傷に菌が入って腫れたらえらいことである。
「ちょ、大丈夫!?」
慌てて覗き込むと、刺されたらしい箇所がごっついみみず腫れみたいになっていた。
なんじゃこりゃ、絶対虫刺されじゃないよ。
平然と腫れたとか言ってるということは痛みは強くないらしいけど、逆に不気味だ。
普通なら発熱してるか患部が熱を持ってるか、なんかこう、症状がありそうなもんだけど。
「腫れてますね。それ以上悪化しない内に医者に見せた方がいい」
「これなんか人の顔に見えないか? へへへ……」
「おい! 冗談はやめろよポルナレフ」
ポルナレフさんの呟きに典明くんが突っ込み、僕の頭で何かがひっかかった。
人の顔? ……そういえば、義父さんたちのやつ、次は確か『自立駆動型人面痕』とか書いてあったぞ。
そんで、次が『すごく、トランスフォーマーです…』という想像はつくけど信じたくない単語だった。じゃあ、もしかしてジョセフのこれってスタンド攻撃? 寄生タイプもあんのか?
これが成長して自立駆動するとしたら厄介そうだなぁ。でも、うーん、確証がないから言い出せない。どうすっかな。
「……ふむ」
とりあえず僕はリュックの端についていた安全ピンを一つ取って、ぐにーっと曲げてみる。
「承太郎、ライター貸して」
「煙草でも吸うのか」
「吸わねぇよ!」
もうそのネタ引っ張らないでくれたまえ! ジョセフにバレたら怒られるだろ!
ほらよ、と投げられたライターをキャッチして着火。安全ピンの先を炙って熱消毒をする。
「澪、何をするつもり?」
「ちょっとねー」
僕の挙動を見ていた典明くんが不安げに問いかけてきたけど敢えてスルーして、ジョセフの座席の後ろから身体を乗り出して右手を引っ張る。
あ、やっぱり熱も持ってないぞ。不審度アップ。
「うお、なんじゃ?」
「ちょっとよく見せて」
ジョセフの腫れは虫刺され特有の赤ではなく、べったりとした肉色でおまけに変な亀裂がポルナレフさんの言う通り顔面に見える。
これを虫刺されと言い切るジョセフの感性に一抹の不安を覚えた。
なので、
「とりゃー」
物凄く気の抜けた声と共に、僕は安全ピンでジョセフの腫瘍の部分を思い切りぶっ刺した。ぶつん、皮を貫く感覚が指先から伝わる。
「つッ!」と何故か後方からネーナさんの声が聞こえた。どこかにぶつけたのだろうか。
「ぎゃッ! な、なにすんじゃ澪!」
「え、いや、膿が溜まってるのかと思って」
すっとぼけて、そのまま膿を押し出すようにギュギュギュ~とつねくってみる。
安全ピンの穴なんて小さいから出血は少ないけど、指で挟んでぎゅっとやればそれなりに血は出る。細くたらたらと血は流れているけど、付きもののリンパ液とか膿は出ないなぁ。おかしい。
「うぐぅ」とかネーナさんの声がした気がするけどたぶん気のせいだろう。
「ッだー、やめんか! これ以上ひどくなったらどうしてくれる!?」
考えながらぎゅうぎゅうやっていたら、さすがにジョセフが怒って腕を振り払った。そりゃそうか。
「ごめん、でも今ので痛くなかったの?」
「ん? そういえば……そこまで痛くはなかったのう」
僕につねくられた箇所をしげしげと見つめながら首をひねっているジョセフ。
化膿してるなら患部に針とか刺しても痛まないのは普通だけど、今回膿は出なかった。ジョセフは痛みを感じてない。血は出た。でも腫れは引かない。どころか、さっきよりちょびっと大きくなっている……ような?
「……決まりかな」
呟いた途端、バスが停車したので荷物を抱えて慌てて降りた。
最後に降りてきたネーナさんが一瞬、こちらを射殺しそうな目で睨み付けてくる。
肌がぴりっと逆立つような、よくも邪魔しやがってと言わんばかりの……これは、もしかしたらもしかするかもしれない。
イヤな予想にぞわぞわしていると、ジョセフは腫れが引かないので病院に行くことにしたらしい。
「病院行くのは賛成だけどさぁ、承太郎と行きなよ」
「はァ? 儂はそこまで
なんか勘違いしているようなので、僕は首を振った。
「いや、耄碌とかじゃなくて、近親者がいるなら付き添わないと。外国だし」
スタンド攻撃のセンが濃厚だが、謎の病気でも困るので一応病院には行くべきだと思う。
とはいえ、ここは外国なので近親者がいるなら付き添うのが妥当だ。
「もし手術とかになって、近親者の書類とかサインとか必要になったらどうすんのさ。貴重品も承太郎が預かってた方が安心だし……あとで承太郎探して再診療なんて二度手間、イヤじゃない?」
ぶっちゃけ、承太郎は未成年なのでいなくてもなんとかなるだろうけど、ボディガード役として出向してもらえると安心材料が増える。
「……それは、そうかもしれんが」
よしよし揺れてるな、ジョセフ面倒なの嫌いだもんね。もう一押し。
「ましてSPW財団の息がかかってる病院じゃないんだし、もし手術中にスタンド攻撃とかされたらどうする~?」
ジョセフのスタンドはあんまり攻撃に向かないので、対処も大変だろう。アヴドゥルさんの時に危惧していたことが自分の身に降りかかるかもしれない。
それを思い出したのだろう、ジョセフは少し顔色を悪くしながら頷いた。
「そうじゃな。悪いが承太郎、付いてきてくれ」
「いいぜ」
あっさりと了承して、承太郎はジョセフについて歩き出した。なんだかんだ言って承太郎も心配なのかもしれない。
そして残されたのは僕と典明くん。ポルナレフさんはネーナさんを送り届けるという名目でデートに行ってしまった。
忠告のひとつくらいしとこうかと思ったけど、確証がないから止めた。ポルナレフさんのスタンドは油断さえしてなければ強いし、大丈夫だろう、たぶん。