アンと再会の約束をしてから別れ、新しい車を調達してジョースター一行はいよいよパキスタンへと入国した。
オープンスタイルのジープで走る道路は壁側が絶壁で幅も狭く、注意深く走らないと今度は崖下に真っ逆さまという恐ろしいロケーションである。
おまけに、先程からこの辺りの気候のせいなのか霧も立ちこめて視界が悪い。
「うむ、向こうからどんどん霧がくるな……」
ジョセフが目を眇めて霧の向こう側を見据え、時計を確認する。
「まだ三時前じゃが、近くの街で宿をとるか」
その言葉と同時、霧に包まれた街が眼下に広がった。
茶碗の底のような盆地に建てた街らしく、全体にドライアイスよろしく霧がもったりと溜まっており、時々建物の尖塔が見える。
自分達はそのお椀のふちを走っているという形だ。
「……」
澪はその街を凝視して、言いようのない感覚を覚えていた。
運転席でポルナレフがトイレに関して熱弁を振るっているが耳に入ってこない。
風に含まれる霧も、雰囲気も、全てに違和感を感じる。馴染み深いような、遠いような、形容し難い感覚が臓腑の底で澱のように溜まっていくようだ。
自分の記憶が確かなら、手紙の欄にあったのは『ラクーン○ティin倫敦』。某有名ゾンビゲームで登場する代表的な街の名前。それに霧で有名な街。
合わせて考えると、最悪の思考に行き着く。
もしそうなら、この街には入りたくない。足を踏み入れることすら
だって、もし澪の予想が当たっているならこの街は──
「ッ!」
どん、と承太郎の肩がぶつかり我に返った。
見ると少し顔色が悪く、外の景色を凝視したまま微動だにしない。何かに驚いたようだった。
「承太郎、何かあった?」
「いや……」
口ではそう言うが、彼の瞳はそうは言っていない。
しかし詰問しても彼のことだから言ってはくれないだろう。
「そか」
だから、澪は軽く頷くに留めた。
☓☓☓☓☓
荒涼とした灌木ばかりの目立つ荒れ地を進み、辿り着いた街に車で進入すると、夥しいまでの霧が立ちこめる街は静まりかえっていた。
建物そのものはしっかりとしており、人の往来もそこそこある。霧のせいであまり明るい雰囲気ではないが、街としてはじゅうぶんに機能しているようだ。
「なかなか綺麗な街じゃないか。人口は数千人、といったところだな」
ジョセフはそう評したが、すれ違う人間たちにどことなく生気が感じられないことが奇妙と言えば奇妙だった。
本日の宿を探すためにポルナレフは一旦車を停車させ、花京院が看板を指差す。
「あのレストランで、ホテルはどこか聞きましょう」
「しかし、妙に物静かな町だなァ、今までのたいていの町はドワァァァ~ッて感じの雑踏だったのによ」
そうなのだ。
ポルナレフの言葉通り、これまでのインドでの狂騒具合も相まって活気がないという言葉すら生温い、まるで作り物めいた街がどうにも全員の違和感を誘う。
車から降りたジョセフはレストラン前の男に明るく挨拶をかましてホテルへの道を尋ねたが、突然看板をクローズにされるという文字通りの門前払いを喰らった。
大柄な男なのだが奇妙に目がうつろで、話しかけても反応がにぶい。
辛抱強く問い質しても「知らないね」という一言ともに背を向けられ、なしのつぶてである。
「……」
そんな中、皆について行かず車の中で体育座りしている澪の顔色は悪かった。
雰囲気も黒いものを背負っているかのように陰々滅々としていて、何かに脅えるように時折視線を逸らす。
おっかなびっくり、という形容がこれほど似合うこともあるまい、というくらいの挙動不審具合だった。
「おい、どうしたんじゃ?」
「元気ねぇな。どうした」
いち早く澪がついてきていないことに気付いたジョセフと承太郎が声をかけると、澪は常の雰囲気がどこに行ったのかというくらいの顔つきで、視線を伏せたままぼそぼそと呟いた。
「……こ、ここ」
「ん?」
「ここ。こんなところ、いちゃ駄目だよ」
細く、絞り出すような声だった。
澪はがばりと顔を上げ、ジョセフの腕を強く掴んだ。
桜色の瞳はどこまでも真摯で、どことなく悲痛な色が見える。
「早く出よう。なんなら、街の外に出て車で夜明かししてもいいから。とにかく、僕らが
ジョセフと承太郎は澪の言葉の意図が読めず、お互いに顔を見合わせた。
「なんだぁ、何びびってるんだよ澪。確かに霧は邪魔だけどよ、大丈夫だって!」
ポルナレフはそう言って小さな頭をぺしぺしと叩くが、澪は駄々をこねる子供のように首を振る。
「そ、そうじゃなくて……」
「確かに、少し不気味かもしれないけど、この霧じゃ先を急ぐ方が返って危険なことくらい澪にも分かるだろう?」
確かに視界の悪い霧の中を無理矢理走破しようとすれば、いらん事故を起こしかねない。
的を射ている花京院の言葉に、ようやく澪は小さく頷いた。
「……うん」
全員に説得される形でしぶしぶ車から降りた澪は、義父の言葉が響いているのか珍しく承太郎の制服の裾を掴んでおそるおそる足を進めている。
「具合でも悪いのかよ」
「ちょっと、ね」
承太郎の言葉を苦笑で曖昧に濁し、それでも妙な動きである。
あたふたと視線を彷徨わせ、時々何もないところを飛び退いて「ひいい! すみません!」だの「そんなつもりじゃなかったんですごめんなさい!」だのとぺこぺこ頭を下げて謝り倒しながらまた承太郎の裾を掴む。挙動不審も甚だしかった。
「……ひょっとして、旅の疲れが出ているのかな」
「かもな。今日は早く休ませるか」
なぜか街灯に手を合わせて深々と頭を下げている澪を見つめ、学生組はまるで妹を心配する兄のようにその様子を見つめていた。
そんな会話をしている間にポルナレフは新たに道を尋ねるべく壁際の男に声をかけていた。
「おっさん! すまねーがホテルを探してるんだがよ、トイレの綺麗なホテルがいいんだがよぉ……おしえ、て」
しかし、軽快な口調はそこで止まり、慌てたように男を揺さぶる。
「おい! お前ッ! どうした!?」
ポルナレフに叩かれた衝撃で男の身体はぐらりと揺れ、バランスを崩してそのまま道端に倒れたまま身じろぎひとつしない。
その表情は、恐怖とも苦悶ともつかない顔で引きつり、目玉を剥き出しにして口も開きっぱなしだった。その口腔からは数匹のトカゲが這い出してくる。
得体の知れない粘液を滴らせながら蠢くトカゲたちは、その登場の仕方も相まってひらすらに醜悪だった。
「恐怖の顔のまま死んでいるッ!」
「な……なんだこいつッ! なんで道端で死んでいるんだッ!」
「死因はなんだ!? 心臓麻痺か? 脳卒中かッ!」
だが、男の手には拳銃が握られ、その銃口からは僅かに硝煙の臭いが漂っている。
誰を撃ったのかまでは分からないが、どうも自殺ですらないようだ。
「じゃあ、なんでこいつは死んでいるんだ……? こいつの顔見ろよ、すげぇ恐怖で叫びを上げる様なこの歪んだ顔をッ!」
「わからん……この男、いったいこの銃でなにを撃ったのか。なにが起こったんじゃ!?」
ジョースター一行が混乱する中、澪は承太郎の裾を掴んだまま周囲をおそるおそる見回している。
「誰も気づかないのか、町の人は……?」
花京院も遅ればせながら呟いた。
これだけの騒ぎがあれば野次馬のひとりやふたり出てきてもおかしくはない。
だが、この街にはそういった反応すらない。黙々と歩く人々はそれこそプログラミングされた機械のようだ。
「そこの人すまない! 人が死んでいる、警察を呼んできてくれッ!」
花京院が通りすがりの女性に声をかけた。
子供連れで、手には赤子を抱いており、その顔には水疱のようなものが目立つ。
視認した瞬間、澪は「ひぇ」と短い悲鳴を上げて咄嗟に承太郎の裾どころか服の中に潜り込んでしまった。
「おい」
「許して! でも、だめ、その、な、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
震えた声でなぜか念仏を唱え始める澪にこれは重症だな、と承太郎はそのまま放置することにした。
やはり女性の反応も緩慢で、言葉が通じているのかすら怪しい。それでも暫くの問答の末、ようやっと相手に反応があった。
「はいはい、警察を呼ぶんですね……わかりました。にきびが膿んでもうて、かゆーてかゆーてのォ」
女性が見えなくなったところで、承太郎は澪の頭(と思われる)部分をぽん、と叩いた。
「おい、女にビビッて俺の制服に逃げ込んだ澪。もういねぇから出ろ」
「もふ! もふもふッ!」
「出てから話せ。声もよく聞こえねぇ」
承太郎の言葉で背中に抱きついていた澪は制服から顔を出し、憂い顔のまま小さく頭を下げた。
「ごめん、びっくりしちゃって……」
「人が死んでいるっていうのに野次馬どころか誰も見向きもしない、銃が発砲されているというのに……大都会以上に無関心の人々だ」
それはもはや無関心では済まされない。街が正常な機能を有していないことの証左とも言える。
ここまで来ると、警察すらまともに機能しているかどうか怪しい。
警察が来るまでの間、皆でできる限りの現場検証をすることになった。
すると、この死んだ男は自分たちと同じように旅行者であることや、死因は発砲ではなく、全身に穿たれた十円玉くらいの穴が原因であることが分かった。
「穴がボコボコにあけられているぞッ! トムとジェリーのマンガに出てくるチーズみてーに!」
だが、奇妙なことに遺体からは血液が流れておらず、それが益々全員の怖気を煽る。
「気をつけろ……。とにかくこれで、新手のスタンド使いが近くにいるという可能性がでかくなったぜ」
承太郎がそのまま澪に視線を向けた。
「お前がビビッてたのは、こういう意味か?」
新手のスタンド使いの気配を察知して脅えているのかと、そういう意味で問うたのだが、澪は首を振った。横に。
「それも心配だったけど、僕がここにいたくないのはそうじゃない」
「……?」
らしくない物言いに承太郎が更に問いを重ねようとした時、
「みんな、車に乗ってこの街を出るんじゃ!」
ジョセフがあらぬ方向へ走り出し、なぜか鉄柵を跨いでそう怒鳴った。
あわや柵の尖端に突っ込んで大惨事、というところを『隠者の紫』を伸ばしてからくも避けることに成功したが、意味が分からない。
「おいジジイ! ひとりでなになっやってんだ……アホか」
しらけたような承太郎にジョセフは食ってかかる。
「オーッノォーッ! なにやってるんだって、今、ここに車があったじゃろッ!?」
「車ぁ? 車ならさっきあそこに停めただろーが」
本来車のあった方向に視線を向けると、更にその向こうから小柄な人影が見えた。
こつん、こつん、と響くのは杖の音だろうか。
「旅のお方のようじゃな……」
それは小柄な老婆だった。
「この霧ですじゃ、もう町を車で出るのは危険ですじゃよ」
民族的な衣装を着込み、柔和な笑顔を崩すことなくこちらへと語りかけてくる。
「崖が多いよってのォ。わたしゃ民宿をやっておりますが……今夜はよかったらわたしの宿にお泊まりになりませんかのォ。安くしときますよって」
「おお~っ、やっと普通の人間に会えたぜ!」
意思疎通のできる人間に会えた喜びで満面の笑みを作るポルナレフ。
「……」
澪は、先程までとはまるで異なる表情でその老婆を凝視している。
その義憤とも哀切ともつかない、初対面の人間に向けるには不穏すぎる瞳の色が承太郎は気になった。
霧はますます深くなり、一層濃い部分はまるで骸骨がこちらを睥睨するかのような形を作っていた。