星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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29.いのちの施錠

 

 

 悲鳴と高笑い。無数の足音。争乱の気配。

 

 階下で行われているであろうスタンド戦を肌で感じながら、澪はふと思い立って窓を開け、そのまま桟へと足を掛けて外に飛び出した。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

 『正義』とのスタンド戦を終えたジョースター一行は、承太郎に促されてホテルを出て仰天した。

 

 見渡す限りの荒涼とした大地のあちこちには墓標が突き立ち、時折見える建物も無残な瓦礫と化している。

 『正義』に操られていたのだろう、人骨もあちこちに散らばり、無残だった。

 

 石塊と乾いた土ばかりの、ここは墓場だ。

 

 あの街はエンヤ婆の『正義』によって構築された偽物の街だったのだ。

 敗北を喫したエンヤ婆はジョセフたちによって縄で拘束され、ホテル近くに転がっていた。この老婆には喋ってもらわねばならない事が山ほどある。ジョースター一行の情報不足は深刻だ。

 

 ただし、エンヤ婆の思考を読み取るためにはジョセフの『隠者の紫』が不可欠で、発動するには思考を投影できるものがあることが必須条件である。

 一刻も早くテレビを入手するために次の街へ急ごう、という意見で一致したのだが、そこで思わぬ邪魔が入ってしまった。

 

「おれはやっぱりDIOの方につくぜッ! また会おうぜ、もっともおたくら死んでなけりゃあな!」

 

 ジョースター一行が使っていた車をホル・ホースがギッてそのまま逃走してしまったのだ。

 

「ひとつ忠告しておく、そのバアさんはすぐに殺した方がいいッ! さもないと、そのババアを通じてDIOの恐ろしさを改めて思い知るぜきっと!」

 

 排気音に混ざったホル・ホースの言葉が風に煽られ墓標に響く。

 

「ああ、それとあの嬢ちゃんにもせいぜい気を付けるんだな!」

「なんだと?」

 

 承太郎がギッとホルホースを睨み付けた。

 

「さすが姉君ってところか? ありゃおっかねぇよ、DIOには遠く及ばねぇが腹に一物も二物も持ってやがるぜ!」

「おい待て! どういう意味だ!」

 

 そんな奇妙な捨て台詞を残し、花京院の制止も無視して砂埃を舞わせながらホル・ホースの姿は完全に見えなくなってしまった。

 

「もしかして、澪にはこれが見えていたのか……?」

 

 花京院が呆然と呟く。

 

 そう考えると、街に入ってからの澪の挙動不審具合や、先程の階段での会話が合致する。

 恐怖というよりは罪悪感に駆られているような表情で、あちこちに謝って歩いていた。疲労で錯乱していたわけではなかったのだ。

 

 きっと、ずっと悼んでいたのだろう。

 

「そういえば、さっきから姿が見えねぇな」

 

 今回の『正義』戦で最もひどい目(婉曲表現)に遭ったポルナレフは居心地悪く辺りを見回した。

 

「さてのう、部屋に戻ってからは見ておらんが……お」

 

 周囲に視線を彷徨わせていたジョセフの瞳が一点で止まる。

 

「澪!」

 

 花京院が声をかけると、澪は小さく頷いてそのまま皆のもとに早足で寄ってくる。

 

「どこに行っておったんじゃ」

 

 ジョセフの言葉は当然で、澪の服の袖や頬などのあちこちに土がついていた。

 

「遅くなってごめん、なかなか見つからなくて……」

 

 その両手も泥だらけで、慎重な手つきで両手にこんもりと土を盛って、そこには根ごと引き抜いてきたらしい一輪の山百合があった。

 にぶいオレンジ色のラッパのような形をした花で、山岳地帯で時々見かけるものだった。

 

「本当は全員に捧げたかったんだけど、一本しか見つからなかったよ」

 

 そうしょんぼりと呟いて、一番骸の多い場所へと足を向け、しゃがみ込む。

 

「お骨を全部埋め直すのも時間がかかるし、根ごとっていうのも本当はよくないんだけど……長持ちして欲しいから」

 

 澪はそっと地面に山百合を置くと、両手を合わせて深く頭を下げた。

 

「騒がせてしまって、ごめんなさい」

 

 その言葉は沈痛な響きで染み渡り、心からの謝罪だと誰が言わずとも理解できた。

 真摯な黙祷と祈りの仕草はどこまでも厳粛で、まるで一服の絵画のようだ。

 

「テメェ、知ってやがったな」

 

 そんな暫しの沈黙を破った承太郎の声に顔を上げ、澪は眉根を寄せてつんと唇を尖らせる。

 

「言ったよ。僕らが()()()()()()()()()()って」

 

 そのまま手で少しずつ土を掘り、山百合を植えていく。

 献花を植えるというのもあまり良いことではないのだが、長く咲いて欲しかったから他に方法が思いつかなかった。

 あまり説明するつもりはなかったのだが、作業中に無言の詰問の視線が至るところから突き刺さってきたのでしぶしぶ口を開く。

 

「最初、どうしてああなってたのかは分からなかったけど」

 

 無事に山百合を植え終えて、リュックを漁ってペットボトルを取り出すと蓋を開け、少しずつ水を注いでいく。

 水は土へとしみ込んで、注がれた箇所だけが黒く染まった。

 

「とにかく申し訳なくて、早く出たかったよ。でもみんなは分かってないみたいだったし、あの時は勘みたいなもんでさ……確証が持てなかったから」

 

 蓋を締めてリュックにペットボトルを突っ込み、もう一度両手を合わせる。

 安らかな眠りを邪魔してしまったことへの謝罪と、深い哀悼。

 

「色々確信できたのは、あのお婆ちゃんに会ってから」

 

 まぁ、疑惑MAXだったので気合入れて話をしに行ったら老婆がホル・ホースを鋏でめった刺しにして霧で操る、という言い訳無用の状況だったから確信云々の前に状況証拠が揃っていたのだが割愛する。

 

 そうして、スタンドの能力を看破したからこそ、階段での花京院との会話に繋がるのだ。

 

「でも、僕にできることはそう多くないから。それならせめて献花があったらいいと思って、探しに行ってたの」

 

 後者は本当だが、前者はほんの少し嘘だ。

 

 相手が霧なら澪のスタンド(?)はともかくとして、培ってきた能力で吹き散らすことも可能だった。けれどそれをしなかったのは、ひとえにエンヤ婆との約束があったからだ。

 ポルナレフが本当に痛めつけられている場面を目の当たりにして、自分が動かないでいられる自信がなかったから、あの場を離れるしかなかった。

 

 そして、エンヤ婆が約束を守ってくれたかどうかは、これから承太郎たちに聞いてみればいい。

 

 そこまで考えて、立ち上がった澪は単純な疑問を口にした。

 

「そういえば、車は?」

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

「あー澪元気でやってるかなぁ。もう俺自分と空也のためだけに飯作る日々イヤになってきたんだけど」

 

「うまいこといってもまだパキスタン辺りじゃろ。てか、空条さん家が常時お通夜とICUの雰囲気でうかつに近寄れん」

 

「そういえばさぁ、あそこで停めまくってる車が一度も駐禁切られないのってやっぱり財団様の力?」

 

「あの辺一時期ミニパト常駐してたしのう。ま、そうなんと違うか」

 

「……ちょっかい、出す?」

 

「……保留で」

 

「そりゃそうか。あのクルセイダーズの動きどう転ぶかもわかんないし」

 

「頼まれれば話も変わるが、澪がどうひっかき回してるのかも不明だからの。携帯ないのが痛いわい」

 

「俺たちもわりと焦ってヒントもといラブレター渡しちゃったしね。……活用できてるかはともかく」

 

「……儂、途中のところ徹夜テンションで何書いたか覚えておらんのだけど」

 

「奇遇だね、俺もだよ」

 

「抜けはないと思うが……うまい例えが思いつかなくてのう。大体、一晩であの全員のスタンド羅列って無理ゲーすぎる」

 

「はげどー。なんか考えるのめんどくさくなっちゃって。もう隠す必要なくね?って」

 

「こっちは隠喩がいきすぎてもはや原形も留めてないレベル」

 

「……」

 

「……」

 

「頑張れ、澪」

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

 不覚にも車を失ってしまったジョースター一行は一刻も早く代わりのアシを入手する必要に駆られており、近くの町で馬車を購入した。

 速度的にトチ狂ってるとしか思えない選択なのだが、立地的に小さい町で車が売ってなかった上、さすがに全員に乗馬の経験があるはずもないのでやむを得ない措置である。

 

 ちなみにエンヤ婆は縛ったまま、後部座席で失神したまま目を覚まさない。

 

 澪は馬車に揺られている間に承太郎たちから『正義』のスタンド戦についてのあれこれを聞き出し、時々腕を組んで考えたりしていた。

 

 そうこうしている間に馬車はパキスタンの首都はカラチに到着した。

 首都だけあって人通りも多く、あちこちでお店が開いていたりと賑やかで活気に満ちている。

 

「おっ、ドネル・ケバブがあるぞ」

 

 ジョセフの声で顔を上げると、確かに店の先で香ばしい匂いと大きな丸太のような肉がゆっくりと回転しながら炙られている。

 ドネル・ケバブはこうした肉の塊を少しずつナイフで削り取り、野菜やソースと一緒に挟んで食べるいわばファストフード的なものだ。

 澪の記憶だと近所のお祭りの出店でもたまに見かけたりしたが、本場のものは始めてだった。

 

「……」

 

 香りとともに引っ張り出された記憶の中に懐かしい友人たちの面影を見つけてしまい、胸がつきんと痛んだ。

 元気にしているだろうか。あの超次元なテニスコートの中で、今も彼らはしっちゃかめっちゃかな試合を繰り広げているのだろうか。

 

 自分はこんなに遠くへ来てしまった。

 

 それがなんだか急激に切なくて、いっぱいいっぱいで、胸の辺りをぎゅうっと押さえながら少しだけ俯く。

 ジョセフたちだって大事だが、それと郷愁の念は別の問題だ。

 

 あいたい、さびしい、くるしい。

 

 津波のように押し寄せる感情に巻き込まれて、小さく鼻をすすり上げる。

 それは承太郎たちには埋めようのない、心にぽかりと空いた空洞だ。

 

「どうした」

 

 承太郎の問いかけにも首を振るので精一杯だった。

 ジョセフと店主の値段交渉もあまり耳に入ってこない。けれど、感傷に浸る暇すら与えてもらえないのがこの旅路だ。

 射るような視線を感じて振り向くと、いつ目覚めたのかエンヤ婆が両目を見開きこちらを凝視していた。

 

「おいみんな! その婆さん目を覚ましているぞ!」

 

 ジョセフの声で全員もエンヤ婆を注視するが、様子が明らかにおかしい。

 眼球は瞬きひとつせず、焦点もあまり合っていない。全身が震え、脂汗を垂れ流しながら血の気が引いていく。その表情には信じがたいほどの驚愕があった。

 

「わしは、儂は何も喋ってはおらぬぞ……!」

 

 その唇がようやく言葉を絞り出す。

 

「な、なぜお前が儂の前に来る……」

 

 その声と瞳が向けられている先はもはや澪ではなく、先程までジョセフと舌戦を繰り広げていたケバブ売りに向けられていた。

 

「このエンヤがDIO様のスタンドの秘密を喋るとでも思っていたのかぁああ!」

 

 内臓ごと吐き出すような訴求の声で、店先で素知らぬふりをしていた男がようやくフードを脱ぎ、サングラスを外すとほぼ同時にそれは起こった。

 

「あ、あェ……」

 

 エンヤ婆は両手を中途半端な位置で上げたまま苦鳴の呻きを漏らし、直後──眼球の隅、鼻腔、口、ありとあらゆる部位から肉色の触手がその皮膚を突き破り周囲に伸び上がった。

 いかなる力が籠もっているのか、触手は馬車の天井を突き破り、衝撃で車輪はたわんで使い物にならなくなる。

 

「あババババアーッ!?」

 

 その間にもエンヤ婆を苗床にしているように触手は猛烈に成長し、数を増やしていく。

 澪を含めた全員が馬車から飛び退き、危険を察知した馬がいななきと共に綱を振り解いて逃げて行った。

 

「なっなんだァーッこの触手はーッ!?」

 

 ポルナレフの驚愕の声を遮るように、エンヤ婆が喉奥を絞るように言葉を発する。

 

「なぜ、貴様がこのわしを殺しにくるぅうッ!?」

 

 苦鳴の先で、いつの間にか身につけていた貫頭衣も脱ぎ捨てた男が無感動に呟いた。

 

「DIO様は、決して何者にも心を許していないということだ」

 

 跳ねた黒髪の、端整な顔つきをした若者だった。

 その瞳は煮詰めた醸造酒のような色合いで、雰囲気は慇懃無礼というか、どこか取り繕っているような違和感がある。

 

「口を封じさせて……頂きます」

 

 発される声や瞳にどこか濁りのようなものが垣間見えた気がして、我知らず顔をしかめた。

 

「そしてそこの四人」

 

 男は大仰な仕草でこちらを振り向き、胸元に手を当てる。

 相変わらずDIOの殺すリストに澪は含まれていないらしい。

 

「お命頂戴、致します」

 

 新しいDIOの配下らしい男の登場で場は一瞬混乱したが、エンヤ婆を侵す触手は止まらない。

 触手と評するよりはもはや意思を持った錐のような勢いで老婆の皮膚を食い破り、突き抜けては伸びていく様はひたすらに醜怪で、嫌悪感を煽る。

 

「ば、婆さん!」

 

 ポルナレフが手を出そうとするが、血しぶきが舞い、肉片が散り、その触手の危険性も相まって迂闊に近寄れない。

 大の男が目を思わずそむけるほどに、それは陰惨な光景だった。

 

「うぽわぁああッ!!」

 

 老婆の矮躯では耐えられなくなったのか触手の衝撃でエンヤ婆がとうとう馬車から弾き出され、苦しみ悶えて転がる。

 

「私の名はダン。スティーリー(鋼入りの)・ダン」

 

 しかしそんな様子を一顧だにせず、ダンと名乗った青年は朗々と自らについてを歌い上げる。

 

「スタンドは『恋人(ラバーズ)』のカードの暗示……君たちにも、このエンヤ婆のようになっていただきます」

 

 ダンの言っていることは、要するに死人に口なし。DIOの配下で負けたものは口を封じられる。

 瞳を眇めながら、それでも目を反らすことをせずにエンヤ婆をつぶさに観察していた澪はふと既視感を覚えた。

 

 肉色をした触手。どこかで見た。

 

 DIOの命令。旅の最初。

 

「なんてことを! この婆さんはてめーらの仲間だろうッ!」

 

 ポルナレフ、そして。

 

「う、嘘じゃ。DIO様がこの儂にこんなこと、するはずが……ない」

「ッ、婆さんの身体から出ているのはスタンドじゃないぞッ!」

 

 花京院。

 

「!」

 

 澪の中で食い違っていた思考が合致と符号を繰り返し──既に身体は動いていた。

 

「おいッ!?」

 

 承太郎が手を伸ばすが届かず、燕のように疾走を開始した澪はエンヤ婆に駆け寄って触手も気にせずかき抱くと勢いを殺すことなく、そのまま陽光の下に身を晒した。

 

「澪!?」

「ッ!」

 

 花京院の声と、ダンすら慌てるような気配が伝わる。

 日陰から日向へ移動する僅かな時間で触手はエンヤ婆に一番近い手の甲、腕、頬を切り裂いてそのまま肉を抉って潜り込もうとする。

 猛烈な掻痒感と痛み、嫌悪感があったが構わず歩を進めれば──燦燦と照りつける太陽の真下に出た途端、全ての触手が砂のように崩れて散華した。

 

「触手が消えた!? 太陽の光で溶けるとは……まさか!」

「あの方が、この儂にこのようなことをするはずが……」

 

 触手が消えたとしても肉体の損傷はどうしようもない。

 エンヤ婆の身体はぞっとするほど軽く、命が吹き消される寸前だというのは手の平から伝わってきた。

 布一枚を隔てて伝わる零れ落ちた内臓の感触が辛くて、とめどなく広がっていく赤色が苦しくて、ぬめる手の平が悲しくて、返り血を拭うこともできずに澪はただ呟いた。

 

「お婆ちゃん……」

 

 譫言(うわごと)だけがぶつぶつと聞こえてくる。

 

「『肉の芽』を、植えるはず、が」

「やはり、『肉の芽』……DIOのヤツの細胞か!」

「DIO様はわしの生き甲斐……信頼、しあっている」

 

 この老婆も義弟の信奉者で、これから犠牲者になるのだと思うと胸が破れるようだった。

 

「いかにも! さすがはご姉弟といったところでしょうか、よい判断力でしたよ」

 

 パン、と仰々しく叩かれる拍手がとても不快だった。

 

「それはDIO様の細胞『肉の芽』が成長したものだ」

 

 ダンはどこか自慢げに口の端を吊り上げ、仕掛けを語る。

 

「今、この私がエンヤ婆の体内で成長させたのだ」

 

 彼らは、エンヤ婆はどれだけDIOに心を捧げているのだろう。

 

「エンヤ婆、あなたはDIO様にスタンドを教えたそうだが……」

 

 ダンの言葉で、腕の中で小さな痙攣を繰り返すこの老婆がある意味全ての元凶なのだと澪は理解する。言われてみれば、スタンドなんて奇怪なシロモノを誰にも教わらずに認識、習得するなど至難の業だ。

 DIOは棺桶の中で百年眠っていたのだから、その精神年齢は自分とそう変わらないのかもしれない。

 誰も信じられないのかもしれない。

 

 でも、だからって。

 

「DIO様があなたのようなちっぽけな存在の女に心を許すわけがないのだ、それに気づいていなかったな」

 

 奇跡が尽きた瞬間にこの老婆の命は消える。にも関わらず、それに追い打ちをかけるようにダンは言葉を投げていった。

 

 そこへ、

 

「婆さんッ! DIOのスタンドの正体を教えてくれッ!」

 

 ジョセフが澪が抱きしめたままのエンヤ婆に走り寄って膝を折ると、耳に顔を寄せて叫んだ。

 

「DIOという男に期待し、信頼を寄せていたのだろうが、これでヤツがあんたが考えていたような男ではないということがわかったろうッ!」

 

 額には汗が浮かび、帽子を握りしめる手は震えている。

 鬼気迫った表情には悲痛なほどの願いがあった。

 

「儂はDIOを倒さねばならんッ!」

 

 そうだ、そうでなければジョセフの娘が死んでしまう。なによりも大切な人が。

 

 澪にとってはホリィもDIOも大切な人で、そこに貴賤は存在しない。けれどそれは自分だけの話で、ジョセフたちはもちろん違う。

 承太郎の母でジョセフの娘。唯一無二の存在の生死が、かかっている。

 

「たのむ! 言ってくれッ!」

 

 死ぬ間際の人間に間違っても口にしてはいけない文言だったが、それはもはや懇願に近かった。

 今しも消えるはずだったエンヤ婆の瞳にほんの束の間、生気が宿る。

 

「DIO、さま、は」

 

 はく、と口が震える。

 

 途切れ途切れの、絞り出すような声は、

 

「このわしを信頼してくれている、いえるか」

 

 最後の最後まで、DIOへの忠誠にあふれていた。

 

 そして、宙を彷徨っていた枯れ枝のような指先が物凄い力で澪の腕を掴んだ。

 

「ッ!」

 

 その細腕にどれだけの力を入れたのか、めきりと骨が軋みを上げる。

 

「……ッ!」

 

 口は動くがもはやそこに音はなかった。ひゅうひゅうと高い笛のような音だけがする。

 

 けれど、澪には分かった。

 

 縋るような皺にまみれた指先と、糾すような視線と、口の動きで。

 

 そうだ、承太郎に顛末は聞いた。

 

 エンヤ婆はポルナレフをスタンドで攻撃したが、承太郎には手を出さなかった。否、生身では攻撃しようとしたが避けられて、先に手を出した──もとい喧嘩を売ったのは承太郎だ。

 澪はスタンド攻撃に関しては条件をつけたが、老婆本人の攻撃如何は問わなかった。スタンド戦を売られたから買った。

 

 ポルナレフ以外には、スタンドをけしかけていない。

 

「……うん」

 

 だから頷いて、その手に自分の手を重ねて握りしめた。

 冷たくて、細くて、折れないのが不思議なほどだ。

 

「うん、そうだね」

 

 エンヤ婆はDIOに裏切られ、骨の髄まで『肉の芽』に浸食された。

 それでも恨まず、今際の際までDIOに忠誠を尽くし、命すら捧げた。

 

「お婆ちゃんは約束を守った」

 

 ならば、応えなければならない。

 

 義姉として、条件を突きつけた夕凪澪として。

 

「だから、僕も約束を守るよ」

 

 その言葉にどれだけの安堵があったのだろう。

 

 エンヤ婆が小さな、本当に小さな吐息を漏らし──そのまま全身から力が抜け落ちていった。

 

 

 命の失せる瞬間を、感じた。

 

 

 ジョセフが短く嘆きの声を上げて空を仰ぎ、澪は唇を引き結んでエンヤ婆の瞳に片手を添えて両の目蓋を下ろした。

 

「……澪、この婆さんと約束したのか」

「した」

 

 俯いたまま、澪はジョセフの問いに短く答えた。

 

「どんな約束じゃ」

 

 死後硬直が始まる前にと、エンヤ婆の両手を重ね合わせながら小さく首を横に振る。

 

「言えない。お婆ちゃんが命懸けで守った約束だから」

 

 もし、承太郎が敗北を喫していたらエンヤ婆は死なずに済んだだろう。

 

 短かった老い先かもしれないが、無慈悲に簒奪したのはDIOで、原因を作ったのは自分たちだ。

 

「僕は命を裏切れない。だから約束を遵守する」

 

 そしてエンヤ婆の約束を等価で守るとするならば、それは。

 

「それが我慢ならないなら──ジョセフたちは僕を殺していいよ」

 

 そのどこか仄暗い笑みに何を見たのか、ジョセフは沈痛な表情のまま顔を伏せた。

 

「……いや、いい」

「……ありがとう」

 

 

 

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