さて、そんな会話をしている間にダンは腰が抜けたのか、地べたを擦って後ろへとずり下がっている。
「どうした? なにを後ずさりしている?」
これまでの鬱憤を少しずつ晴らそうとしているのか、承太郎はかなり楽しそうだ。
追い詰めた獲物の横腹に食らいつく嗜虐の瞬間がすぐそこにまで迫っている。機嫌がよくなるのも道理である。
「俺のじいさんの方では何が起こっているのか、話してくれないのか」
「ひぃッ!?」
そのまま四足歩行で逃げようとしたところを、承太郎が意趣返しとばかりにダンの背中を踏んづける。
「おいおいおい、何を慌てている。どこへ行こうってんだ」
冷笑混じりの嘲りの言葉には、大の男を竦ませるだけの迫力があった。
「まさかオメェ、逃げようとしたんじゃねぇだろうな。今更よ」
這いつくばるようにしてなんとか承太郎の足蹴から抜け出したダンは、もはや逃げられないことを悟ったのか──それはそれは見事な土下座をかました。
「ゆるしてくださあぁーいッ! 承太郎様、澪様ーッ!!」
敗者と理解した途端この体たらくだ。
矜持も何もかもを捨て去り、卑屈なまでに許しを乞う様子はどこまでも小悪党である。
「私の負けですッ! 改心します! ひれ伏します! 靴もなめます! 悪い事しました! いくら殴ってもいいッ! ぶって下さい! 蹴ってください!」
承太郎の足にすがりつき、顔面をくしゃくしゃにして悲鳴混じりにひたすらに捲し立てる。
これだけを抜粋するとまるで女王様プレイで躾をねだる奴隷のようだ。
「でも!」
ダンの腕の力が一層強くなったことは傍目からでもよく分かった。
「命だけは助けてくださいイイイイいいぃい!!」
魂からの絶叫だった。
そして、あろうことかダンは宣言通り本当に承太郎の靴を舐め始めた。なんというか、すげぇなこの人。
『オラァッ!』
別の意味で感心を覚えていると、突然承太郎の隣に『星の白金』が現れた。
指先で何か、小バエか何かを摘まむような動作をしている。
「あ、それが『恋人』?」
「だろうな」
おそらくジョセフから逃げ出し、宣言通り承太郎に取り憑く算段だったのだろう。
まじまじと見つめてみるが、全然見えない。『星の白金』には顕微鏡アイまで備わっているのだろうか、すごい。
「ぎにゃああああああッッ!!」
ダンの絶叫が響き渡り、全身のあらゆる部位が軋みを上げ、腕や足が本来の可動域を越えた不自然な方向にめきめきと折り曲がっていく。
どうやら『星の白金』が『恋人』をぷちっとしたらしい。ぷちっと。
「宣言通りっちゃ宣言通りだね」
「こんなこと企んでんだろーと思ったぜ」
予想通りすぎてもはや呆れているようだった。
「俺のスタンド『星の白金』の正確さと目の良さを知らねーのか? オメェ、俺たちのことをよく予習してきたのか?」
侮蔑混じりの言葉にダンは子供のように地面へ転がり、恐懼の表情で両手を震えさせる。
「なっなっ、何も企んでなんかいないよォ~! お前のスタンドの強さは……」
そう言いさしたところで、承太郎は手を耳に当てて首を傾げた。
「お前のスタンド……お前?」
あ、そこからですか。
ちょっといじめっ子みたいだけど、あれだけ散々遊ばれたのだからこれくらいの意趣返しは権利の内だろう。
「い、いえ! あ……あなた様のスタンドの力と正義は何者よりも優れていますですッ! 適わないから戻ってきただけですよぅ!」
「自分のスタンドなのに承太郎に戻るんだ……」
澪の呟きも耳に入らないらしく、ダンは自分の身体を見せつけるように弱々しく慄く。
「み、見てくださいッ! 今ので腕と脚の骨が折れましたッ! もう再起不能ですッ、動けません!!」
決死の訴えの最中で『星の白金』は更に指に力を込めたらしく、ダンの悲鳴のトーンが一段上がった。
「そうだな、てめーから受けた今までのツケは……その腕と脚で償い、支払ったことにしてやるか」
「承太郎やっさしー」
「澪はどうする。自分のツケは自分で払うか?」
水を向けられ、ちょっと考える。
「まぁ最初はね、リアルガチでやばかったら落語じゃないけど即座に首提灯か……それこそ三丁斬りの目にでも合わせてジョセフが死にそうになったらAEDかまして蘇生するつもりだったんだけど」
三丁斬りというのは会津にある逸話のひとつだ。
縄を打たれた盗人の首を縄と一緒にとある銘刀で斬ったところ、盗人はそのまま脱走。
自分が斬られたことに気付かぬまま三丁先まで走り抜け、そこでようやく絶命した、というもの。
要するにダンの素っ首落としてジョセフが精神的衝撃で仮死状態に陥ったとしても、それを蘇生で上書きするつもりだったのだ。
想像したのか、ダンの顔からどんどん血の気が引いていく。
「ひ、ひぃいいい!! か、勘弁して下さい澪様! 私の身体はもうボキボキのメキメキで……」
「でもほら、死よりなお悲惨で屈辱的な生だってあるしさ、迷うよね」
「あ? あ、あぁああ……!!」
『悪のカリスマの義姉』が無邪気に口にする、承太郎よりなお悪辣な言葉で遂にダンは半ば自失しているようだった。その脅えっぷりは失禁しないのが不思議なくらいである。
「江戸時代の拷問で爪の間に畳み針刺して間から蝋を垂らすのとか、それとも耳から針金入れてどっちの鼻の穴から出てくるか賭けてみます~?」
「ッお、お許しを、お許しをぉおお!!」
「……やれやれ」
遠慮がなくなったせいか、イキイキとわくわく拷問講座を語り始める澪に承太郎は小さくため息を吐き、その頭を宥めるように軽く叩きながら口を開く。
「もう、決して俺たちの前に現れたりしないと誓うな」
「誓います!!」
即答である。
「誓います!! 獄門島へでも行きます! 地の果てへ行ってもう二度と戻って来ません……!」
なんで外人が横溝正史を知っているのだろうか、と澪はどうでもいい疑問を抱いた。
「嘘は言わねーな。今度出会ったら千発そのツラへ叩き込むぜ」
「言いません! 決して嘘は言いません!」
懇願するようなダンの態度で、ようやっと承太郎は『恋人』を解放した、らしい。
肉眼ではさすがに見えないが、『星の白金』の指に隙間ができていた。
「消えな」
一言告げると、承太郎はくるりと踵を返した。
そこへ、
「じょぉたろぉおお!!」
ダンが再び声を張り上げ、見ればその手にはナイフが握られていた。
「あーあ」
この後の顛末がはっきり分かってしまったので、澪は思わず合掌した。
「そこの女の子を見な!」
ダンが会心の一撃とばかりに笑い、路地からまろびでてくる子供たちの中には確かに可愛らしい少女がいた。
「今、その女の子の耳の中に私のスタンド『恋人』が入った! 脳へ向かっている! 動くんじゃねー! 承太郎ッ!」
あそこで引き下がれば、まだ生き伸びる可能性もあっただろうに。
「今からナイフでテメーの背中をブツリとつき刺す! テメーも再起不能になってもらうぜ」
予想以上にしぶとい、というかチンピラ思考の人だった。ご愁傷様です。
「『星の白金』で俺を襲ってみろ! あの女の子は確実に死ぬ。お前はあんな幼い子を殺すわけはねーよなあ~」
これでダンは承太郎の最後の地雷を踏み抜いた。
例えて言うならデフコン1といったところか。核ミサイルのサイロが開いてしまい、準備は万端。
「やれやれだ」
承太郎が振り向き、視線がダンへと向けられる。
暴威を振るう外洋の色がダンを見据えていた。
「テメェは本当に勉強不足だな。いいだろう、突いてみろ」
「おい! わからねーのかッ! 動くなといったはず、は、はず……」
しかし、なけなしの虚勢も消えて失せ、まるで全身を絡め取られてしまったようにダンが硬直する。
「どうした、ブツリと突くんじゃあねーのか。こんな風に」
承太郎はこともなげにダンの腕を掴み、そのまま頬へとナイフをめり込ませた。
だらだらと血が流れ、更に苦鳴の呻きが漏れ出てくる、
「ッか、からだが動かない!? なぜ、なぜぇええ」
「気付かなかったようだな」
「あ、ハイエロさんか」
そこでようやく、澪はダンを拘束しているものの正体に気付いた。
「花京院は『法皇』の触手をお前のスタンドの足に結びつけたまま、お前を逃がしたようだな……」
肉眼で捉えることはできなかったが、『星の白金』の目からはきっと、はっきり見えたのだろう。
「凧の糸のようにずーっと向こうから伸びてきているのに気づかねぇとは、よほど無我夢中だったよーだな」
ダンの視線があらぬ方向へ走ったところを見ると、『恋人』が一本釣りよろしく引っ張り出されたのだろう。
「ゆ、ゆゆっ、許して下さぁいいい!」
再び敗者としての貧弱アピールをするダンに対する慈悲は、残念ながらもう品切れだ。
「赦しはテメェが殺したエンヤ婆に乞いな。俺たちは、始めっからテメェを許す気はないのさ」
「っひ、デ……DIOから前金をもらってる! それをやるよ!」
卑怯卑劣もここまで来ると立派である。
金銭程度で許してもらえると思っている、度し難い浅ましさも。
「やれやれ、テメェは正真正銘の史上最低な男だぜ」
人間のクズですね分かります。
「テメェのつけは、金では払えねぇぜッッ!!」
繰り出された『星の白金』は、これまで溜まりに溜まった鬱憤の全てをぶつけるように容赦なくダンの全身を殴りまくった。
一回二回三回四回……数えるのも不可能な速度で繰り出される拳の乱打は、もちろん手加減の欠片もなく長い間続いた。
「よくもまー、耐え切れたなぁ」
やたらめったら乱打している様子で、我慢強くない承太郎がどれだけの辛抱を強いられていたかが偲ばれる。
全身から滂沱と血を流し、顔面からも噴水のように真っ赤なものを噴き上げて文字通りグチャゲロになったダンは、錐揉み回転しながら竜巻のような勢いで近所の家へと頭から突っ込み、なんと勢いと衝撃でその家屋を半壊させた。たまさか命を拾っていてもあれでは再起不能だろう。
殴り終えた承太郎は手帳を取り出し、またさらさらと書き込んでピッとそのページを破いた。
「ツケの領収書だぜ」
指先でダンへ向かってページを弾き、承太郎は歩き出す。
「目論見はいいのに詰めの甘いヤツで助かったね」
「そうだな」
自分のスタンドを知悉しているくせに使い方を誤るからこうなるのだ。
「おい、さっきの続きはどうなったんだ」
「続き?」
もしかして、DIOの赤っ恥エピソードだろうか。
「ああ、勝つには勝ったけどはりきりすぎて風邪引いて、でもそれジョナサンに知られたくないってんで僕らに隠しててさ、結局肺炎一歩手前で病院に担ぎ込まれたの。治りかけの時なんかすごかったよ、くしゃみ鼻水などジョジョの前で死んでも出せるかーつってホントに出さなかったもん。その分、部屋戻るとすごかったけど」
「阿呆か」
即座に切って捨てる承太郎。そう思うのも無理はない。
「僕もそう思うよ」
思い出してくふ、と笑ってしまう。
いじっぱりで、天の邪鬼で、かっこつけたがりで、可愛くない方の──大事なおとうと。
「ところでよ」
顔を上げると、承太郎が不穏な感じで拳を握っている。
「うちのジジイの金玉蹴り上げた覚悟はできてるんだろうな」
そうだ、その問題が残っていた。
「うん、それはごめんなさいでした!」
澪は承太郎にがばっと頭を下げてから両腕を広げてさぁこい、の姿勢。
やったことの責任は取らねばならない。
「どうぞ!」
非常に漢らしいやり取りである。
承太郎は少し考え、ぼそりと呟いた。
「……しっぺ」
「え」
「デコピン」
「う」
「ババチョップ」
それはなんとも古典的な罰ゲームの羅列。
「選ばせてやるよ」
承太郎の膂力でやられると、ただの罰ゲームでも大惨事である。
しばらく考えてみたが、どれを選んでも結局変わらない気がしたので適当に選んだ。
「じゃ、デコピンで」
「よし、デコ出せ」
大人しくぺろりとおでこを出せば、承太郎の手の平がべしんと当たる。
そして、そのまま中指をぐぐぐ……と後ろに反らして、
バッチーン☆
なんて生やさしい擬音で現せる攻撃力ではなかった。
「びゃあッ!」
その衝撃で澪は吹っ飛びそうになったが、背中を『星の白金』が支えてくれたので事なきを得た。
くわんくわんと頭が揺れ、おでこはじんじんしたけど、これくらいで済んだのはよかったと思っていると、軽く頭を撫でられる。
「よくやったな」
「承太郎こそ、お疲れさまでした」
最後にフォローも忘れないというイケメンっぷり。承太郎のお白州裁きは澪にわりと甘いのだ。
そして、他のメンバーと合流してジョセフにしたことの理由諸々を知ったメンバーは、やっぱり澪の予想通り愚痴ったり説教したりやっぱり説教したりした。
そのあと、ジャージ姿があまりに不憫だと思ったのかジョセフは近所の服屋で何着か澪の服を買ってくれたのだった。