星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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35.ねないこだれだ

 

 

 そこは地獄だった。

 

 凄惨で、血腥い、地獄のような光景だった。

 

 あちこちに打ち捨てられたがらくたのように散らばっているのは、かつて人であったもの。

 

 生きて、動いていて、そうして無残に散らされた。薄汚い欲望や誰かの都合で、理不尽に鏖殺された果ての姿。

 

 

 これまで自分が食い散らかしてきた、ちっぽけな命ひとつで贖えない罪の証拠だ。

 

 

 どんな人間だって死ねば単なる血と肉と臓物の袋と化す。

 土色の腕があった。蝋のように白い腿があった。生温い腸を垂らす胴体が、首が、物言わぬ骸が足の踏み場もないほどに転がっている。

 

 死臭に引き寄せられた蠅がわんわんと集い、行き交う中、澪は裸足で歩いている。水よりも重く、おぞましいものが土を濡らしてぬかるんでいた。

 

 ぐちゃ、ぬち、と足を踏み出すたびに粘ついた音が聞こえ、指の間を醜悪な色の糸が引く。

 卵の中身のような脳漿が、鋭く尖った骨片が、緩んだ肉から引いた筋繊維が指に絡まり、足裏を傷つけ、形容し難い感触が心の膿んだ箇所を更に抉っていく。

 

 けれど、もうなんの痛痒も感じない。そんな感覚はとっくに擦り切れてしまった。

 

 どうせ目を覚ました自分は何も覚えちゃいない。

 決まって次の日は眠れなくなる。これはただの悪夢で、それ以上でも以下でもない、単なる確認作業の一環に過ぎない。

 

 ぼたぼたと落ちてきた眼球が肩に落ちて、粘液を垂らしながら転がって、服を汚し、濁った視線が澪を責め立てる。忘れたことなどないのに、念を押すように。

 

 決して軽くないものを、複雑怪奇で重いものをやすやすと奪ってきた。流せる血の絶対量すら足りないくせに。

 

 

 ならば──背負えと。

 

 

 物言わぬ骸のひとつひとつから植物が伸びている。

 楡の木、樫の木、柊、桃に柿、白樺、山桜。季節も種類も無視したそれらの樹木がまだ柔らかい屍肉を蚕食するように、或いは眼窩を貫通して発芽している。

 断じて弔花などではなかった。食虫植物のように血肉を吸い上げ、吸収して、滋養として育っているだけだ。

 

 葉が茂り、伸びて、全てが成長していく。じわじわと、目に見えるほどのおそろしい速度で。

 

 きっと、そう遠くない内にこの辺りは彼、彼女らの樹木が作り出す大きな森になるのだろう。全てが終わったその後の、なれの果てで。

 

 

──いつか、こうなるのだ。

 

 

 感慨もなく、悲嘆もなく、哀哭もなく、感想もなく、空っぽの徒労感だけが砂のように積もっていく。

 大事な何かがやすりのように刮ぎ落とされていく。釣り合わない天秤を落としてしまった自分が請け負わなければいけないこと。

 これはただそれだけのことだと納得して、歩くしかない。前を向いて、ひたすらに。

 

 そうしてあてどなく歩く内、見つけた。見つけてしまった。

 

 極めつきの悪夢。幾度となく繰り返されてきた終着点。

 

 霞のように艶めいていたぬばたまの黒髪は無残にほつれ、泥で汚れている。

 黒曜石にも似た瞳はもはや濁りきって、消えぬ恐慌に彩られている。心臓があった場所は大きく抉られて、まるで獣にでも襲われたようだ。無残に露出した骨と肉の隙間から伸びているのは欅(けやき)の葉だろうか。

 

 まぎれようもない、それは、

 

 澪の

 

 

「××××」

 

 

 かつて自分の絶対であり、中心であり、世界であり、そして全てだった人がまるで無力な、単なるモノとして転がっていた。

 

「……」

 

 そう、分かっている。

 ちゃんと理解している。

 たとえ心が干涸らびても、砕けることすら許されない。そんな卑怯で下らぬ最も愚かな道を選ぶことはできない。

 人骨を踏みしめ慙愧に這いずり、怨嗟を啜り悔恨を喰らい、それでもなお無謬ではいられない。いてはいけない。

 身の裡に孕み、足掻き、苦しみ、倒れることすら良しとせずただひたすらに、愚直なまでに歩を進めるしかないのだ。

 

 生きて、生きて、生き延びて──そして、その時がきたら。

 

「……?」

 

 ふと、目玉ではない視線に気がついた。

 

 顔を上げると、黒いマントに色鮮やかな装飾をつけた何かが浮いていた。

 笑みの形で固まった、つるりとした仮面に派手な冠。その手には、大柄な身体と同じくらいの刃を煌めかせた大ぶりの鎌。まるで西洋の伝説にあるような、死神が死者の魂を刈り取る時に用いるという大鎌だ。

 

 そんな異様な存在は、鉄錆と腐臭の中でひどく目立った。

 

 けれど、死神は神に仕える農夫だ。寿命を迎えた命を刈り取り、迷わぬようにしかるべき場所へと魂を送り届けることこそがその役目。

 

 そんな慈悲深い訪いが、安穏とした優しい終幕が──自分に来るはずはない。

 

 なら、

 

「どなた」

 

 言語が通じなかったのか、道化のような死神のような不思議な生き物は大鎌を手に一歩引いたようだった。

 

「ここは僕のおなかの中だよ」

 

 孕んだ蟷螂の内部にいるようなものだ。

 一定の周期で浮き上がる、忌まわしくも避けられない腑分けの時間。

 

「消化できないけど、忘れたいけど、絶対に捨てちゃいけないものの集積所」

 

 茫洋と言葉が紡がれている間に澪の足元や背後から何かがぬう、と鎌首をもたげた。

 

 溶けた飴のように枝分かれした黒いものが、金属質なぬめりを帯びて伸びていく。

 いびつで、醜悪で、蜘蛛の巣のような、植物のような、或いは陰鬱な戯画のようだった。

 

 そして、その尖端からからぼこり、ぼこりと。

 

 虫瘤のような膨らみがわらりと開き、肉色の舌が覗く。

 得体の知れない粘液を垂れ流し、花弁のような、汚物のような、不気味な蠢動を繰り返している。その周りにぞろりと生え揃った剃刀のような白い群れ。

 鰐口のような口腔が唐突に現れた異物を威嚇するようにぎちぎちと牙をかき鳴らしている。

 

「帰り道がわかるなら、かえったほうがいい」

 

 醜怪な顎に囲まれて、ひらひら、と気楽に赤茶けた手を振って。

 

「でないと」

 

 顔の横でぱくぱく、と犬を模した手が開閉する。

 

 地獄の底で狂うこともできない少女が、曖昧に微笑んだ。

 

「たべちゃうぞ?」

 

 びくん、と道化の全身が慄くようにふるえた。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

 暗闇の中で目覚めた。

 

 荒く呼吸をつきながら、澪は跳ね踊る心臓の動きを実感する。

 

 額に浮いている脂汗をぬぐい、寝汗で服が張りついていた。

 

「うわ……」

 

 じっとりとした不快感に眉をしかめ、シャツを引っ張ってため息をひとつ。

 背骨に冷水でも伝っているような悪寒と、頭のはしにこびりついているような恐怖の残滓。たまにあるのだ、こういう日が。

 夢の内容はさっぱり思い出せないが、寝起きはいつも同じだ。だから分かる。

 

「今日は寝れない、か」

 

 月に一度程度の割合で決まって眠れない日がやってくる。

 こうなると睡眠そのものを身体が拒否しているように、眠気の欠片もやってこない。

 そうしてまんじりともせずに夜を明かし、明日を迎えなくてはいけない。合図はこの寝起きの悪さだ。

 

 昔はどうしても眠りたくてホットミルクを飲んだり身体を酷使したり、と努力をしてみたものだが結局眠れなかったから途中で諦めた。

 それにほぼ習慣のようなものなので慣れている。ただ面倒なので朝っぱらだというのに夜のことを考えて憂鬱になってしまう。

 

 もそもそとベッドから降りて、窓のブラインドをずらすと光が差し込んでくる。

 引き上げて窓を開けるとざぁ、と瑞々しく清澄な空気が室内に吹き込んで肺の奥まで洗われるようだ。

 

 鳴き交わす小鳥の囀りも聞こえてきて、段々気分が浮上してくる。

 

「よし、ラジオ体操でもしよう」

 

 手早くジャージに着替えながらそういえば、と思い出す。

 

 義父のチャートによれば次の欄にあったのは『エルム街の糞餓鬼』。

 有名なホラー映画が思い出されるが、はてあれは主人公たちは夢の内容を覚えていたのだろうか。いや、覚えてなければ対抗策を練られないから覚えていたのだろう。たぶん。

 

 柔軟や腹筋、腕立て伏せ等の日課を済ませてから外に出てホテル周りを軽くジョギング。

 てきとうに広いところでラジオ体操をしていたら、突然野太い悲鳴が聞こえてきてびっくりした。

 

「典明くん?」

 

 声から察するに花京院らしいが、何かあったのだろうか。

 彼とポルナレフが泊まっている部屋の窓を見上げてはみたが、さすがに外からでは何も分からない。

 

「おい」

 

 首を捻っていると、背後に承太郎が立っていた。既に学生服を着ている。

 

「おはよー、承太郎」

「また懐かしいことしてやがるな。おはようはいいが、そろそろ出発だ。準備してこい」

「はーい」

 

 さすが日本人。この姿勢でなにをやっているかは一目瞭然だったらしい。

 軽く手を上げて部屋へと取って返して準備を整え、外に出る。

 しばらく待っているとポルナレフと花京院がホテルから出てきたのだが、花京院はなぜかひどく消耗したような顔つきで俯いていた。

 

「おはよーですお二人とも。ところで典明くんさっき悲鳴上げてなかった?」

「おはようさん。ああ、スゲー夢見が悪かったんだとよ。エクソシストみたいだったぜ」

 

 ポルナレフがからりと笑って花京院の背を叩くと、彼は指先で顔の上半分を覆いながら力なく頷く。

 

「内容は覚えてないんだが、それでもひどく、悪い夢だった……」

「そんなにひどいの見ちゃったのか」

 

 記憶に残らない悪い夢を見た身としては共感が湧く。

 更に付け加えるとかなり不穏である。なんせ『悪夢』だ。

 もし、夢のような精神世界に介入できるスタンドがいると仮定すると、とても厄介な気がする。

 しかも花京院の様子を見る限りではその夢の内容──痕跡すら消せるのかもしれない。抵抗できる手段があるのかどうかすら不明だ。

 

 とはいえ、全ては推測の域を出ない。

 

 単純に疲れが出たのかもしれないし、なんでもかんでもスタンド扱いするのもあまりよくない。

 

 適当に思考を切り上げると、セスナの前でジョセフが昨夜そのセスナを売ってくれた人と何やら言い争いをしていた。

 

「どったの?」

「おお、それがな……」

 

 ジョセフの話を聞いてみると、どうやら赤ん坊の急患が出たので急遽セスナが入り用になり売れないとのこと。

 病院がこの村にないため、病院のあるの村までの移動手段がセスナしかないのだ。

 こちらとしても人命がかかっている旅なのだが、かといってさすがに赤子を見殺しにするのも後味が悪い。

 迷いながらも頑として聞き入れない様子のジョセフを見て、赤子が入っているらしい籠を持った女性がならば赤ん坊も連れて行ってくれと頼み始めた。

 

「でも、熱で死ぬ前に墜落死しても申し訳ないんだけど」

「だから落ちる前提で話をするなと言っとろうが!」

 

 渋い顔をしていたらジョセフに頭をひっぱたかれた。前科者のくせに理不尽である。

 頭を押さえながら村の人らしいふくよかな女性の持っている籠を覗き込むと、汗の粒を浮かせている赤ん坊の姿。煉瓦色の肌で彫りも深く、この辺りの子供なのだろう。

 

「赤ん坊……」

 

 花京院が赤ん坊に思うところがあるのか、何やら考え込んでいる。

 結局女性にごり押しされる形で赤ん坊を同乗する運びとなってしまった。

 そうなると、とにかく無事に病院のある村まで連れて行かなくてはならない。

 

「うちにおちちが出るメンバーいないんだけど、大丈夫かな」

 

 逞しい雄っぱいなら山ほどあるのだが、残念ながら自分も含めて母乳は出ません。

 生後どれくらいなのか、と受け取った籠の中の赤ん坊のほっぺたをむにっと動かしてみる。

 

「あ、歯ぁ生えてる。よかったよかった」

 

 やたら鋭い八重歯だが離乳食を食べられるなら問題はない。

 なぜかガチガチに緊張しているらしい赤ん坊の様子が気になったが、花京院はさっきなぜか大泣きされていたし、それよりはマシだろう。

 

「よし、子守は澪に任せたぞ!」

「あいさー」

 

 すごく適当な返事をしつつセスナに乗り込み、ジョセフへ向けて軽く敬礼をしてみせた。

 

 

 




主人公の夢と寝起きのくだりは儀式みたいなものなので極力変えたくなかったため、桃鳥姉でも描写はほぼ変更していません
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