そんな会話から少し。
焚き火を囲うように寝袋を置いて、図ったように全員の寝息が聞こえてくる。
でっかい芋虫がごろごろしているようで、傍目から見るとちょっと面白い。
「そもそも、赤さんいるのに交代で見守らない時点でうちの仲間アウトなんですけどね」
普通なら交代制で周囲を見張り、仮眠を取りつつ赤ん坊の面倒をみるなり不寝番を決めるなりする。
赤ん坊の体調は変わりやすいものだし、スタンド使いにいつ襲われてもおかしくない状況なのに、すこぶる危機感の足りないことだ。
「ごめんね、気の利かない男衆で」
澪は籠の前であぐらをかいて、火の番をしながらそう話しかけた。
赤ん坊はきょとんとした顔でこちらを見ているだけだが、焦っているような気配が伝わってくる。
「ああ、ちなみに今夜は僕寝ないから、何かあったら呼ぶなり泣くなりしていいよ」
「!?」
びく、と赤ん坊の身体が跳ねる。
マジかよ、という感じだ。分かりやすいことである。
あからさまな態度に澪はくすりと笑みを漏らし、そっと手を伸ばして赤ん坊を胸に抱きながらあやすように口を開く。
「ねぇ、赤さん」
優しげな口調なのに、赤ん坊の全身は緊張しきっていた。
それを手の平から感じ取りながら、続ける。
「もし、明日の朝までに誰かが傷ついたり、死んじゃったりしたら」
その瞬間だけ、澪の瞳に炯炯と何かが灯る。火の粉がぱちりと舞い上がり、玄妙な色合いが髪を照らす。
赤ん坊の頬が引きつり、全身の硬直がますます強くなった。
「たぶん、僕はあなたを殺してしまう」
限界まで研がれた刃が心臓に押し当てられるような、それは殺気だった。
無論、誰かが苦しんだり変な魘され方をしていたらすぐに起こすつもりだが、それは口にしない。
「それがスタンドの暴走であっても、あなたの意思であっても、DIOの思惑であっても……一切の関係なくね」
淡々と口にされるからこそ本気であると分かる声音だった。
もはや叫ぶこともできないのか、口を金魚のように開閉させている赤ん坊に困ったように眉を寄せて、澪はなおも追撃の手を緩めない。
「ごめんね、仲間を殺してしまった『かもしれない』原因を放置できるほど、僕は人間ができてないんだ」
「あぅ、あ……」
赤ん坊は細い声を絞り出し、がくがくと震え始める。
本当に言っている内容を理解していると分かる反応だ。
「でも、強制はしないよ。赤さんが選んでいい」
微笑んで、赤ん坊を籠に優しく横たえてゆっくりと揺らしてやる。
「僕らにとっての『敵』か、無力な赤ん坊でいるか」
あくまで相手を赤ん坊として扱いながら、物騒なことを語る。
「赤さんが、赤ん坊としていてくれるなら……僕は全力であなたを守る。抱き締めて、あやして、おしめを替えて、精一杯甘やかしてあげるよ」
ほろほろと、言葉がこぼれる。
溶け落ちる砂糖菓子の甘さを含んだ声。やんわりとしているから、茂みの中から蛇が狙いを定めるような不安を煽る。
言っていることを証明するように、柔らかいタオルで赤ん坊に浮いた汗を丁寧に拭って、ゆっくりと頭を撫でた。
「僕の殺意があなたの首にかからないことを……祈ってる」
「……」
赤ん坊は剣呑な目つきでしばらく澪を見つめ、やがてふい、と顔を逸らした。
「あぶ、……ん、うー」
さすがに言語野は発達していないのか、赤ん坊特有の喃語をもぐもぐと呟き、観念したように舌打ちをした。
「だぁ。あう、む」
それまでの赤ん坊としての虚飾の薄れた、おそらくは素であろう悪い顔で勘弁してくれよ、とでも言うように。
「そっか」
その様子をとっくりと見つめていた澪はほんのりと笑って頷いて、薄く唇を開いた。
「……Golden slumbers kiss your eyes,」
(金のおねむが あなたのまぶたにキスをする)
それは、昔ジョナサンが歌ってくれた子守歌。
寝付いてしまった自分を慰めるためにと歌ってくれた、大事なうた。
彼にもらった、数少ない思い出の欠片。
効果のほどはジョセフで確認済みだ。
澪はきょとんとする赤ん坊のおなかの辺りをぽん、ぽん、と叩きながら、
「Smiles awake you when you rise」
(めざめるときには 笑ってね)
柔らかな音色が夜の静寂を震わせて、ただ柔らかく微笑んだまま歌を紡ぐ。
夜、眠れない赤ん坊のための歌を。
「Sleep, pretty loved ones, do not cry,」
(おやすみなさい 可愛い子よ なかないで)
月光にとろけるように甘やかな旋律が、赤ん坊の耳を優しくくすぐる。
「And I will sing a lullaby,」
(そうしたら 子守歌を歌ってあげますよ)
そして、赤ん坊はそれまでの殻をかなぐり捨てた物凄い仏頂面で──顔をそむけながら澪へと手を伸ばした。
ほんのちょっと目をみはり、それからお望み通りに籠から抱き上げて、ぎゅっと抱き締めて。
「lullaby lullaby lullaby……」
(おねんね おねんね おねんねよ)
ゆるやかに背中を撫でて、精一杯甘やかしながら、赤ん坊が本当に寝付いてしまうまで──ずっと歌い続けた。
赤ん坊は不機嫌そのものの顔で澪の胸に顔を埋め、やれやれとばかりにため息を吐いた。
あたたかなぬくもりと、響いてくる胸の鼓動、ほのぼのと続く子守歌は──そう、悪いものではないらしかった。
☓☓☓☓☓
気の抜けるような音楽が鳴り響き、色とりどりの風船が宙を舞う。
巨大な、大輪の花のような観覧車や毒々しい色合いのコーヒーカップ。可愛らしい玩具めいたお城にジェットコースター。オーソドックスな遊具がところ狭しと並ぶ遊園地だ。
「この『死神13』が他のスタンドに遭うことは決してない」
鉄柱に縦横無尽に伸びた髪が絡みついてしまって身動きのとれないポルナレフと、義手が巨大化してろくに身を動かせないジョセフ。そして制服の鎖飾りに首を縛められいてる承太郎。
「花京院たちが危惧していたのは、このことだったんじゃな!?」
彼らは完全に『死神13』の術中にはまっていた。
スタンドを使えない夢の世界へと人間を誘い込み、無防備な精神を狙い撃つのが『死神13』の能力だった。
そのダメージは精神はおろか肉体へと及び、致命的な傷を負えば現実でも死に至る。
「そして、スタンドはスタンドでしか倒せない……最後に勝つのはおれというワケさ!」
死神めいた
「では最後に……あ?」
びくん、と『死神13』の全身が硬直した。
空中で浮かんだまま微動だにせず、まるで固定されているようだ。
「?」
一瞬全員が身構えたが、『死神13』はキョロキョロと辺りを見回し、やがて怖気をもよおしたようにぶるりと震えた。
それまであった勝者の余裕など欠片もない。どちらかといえば、追い詰められた犯人のようだ。
「マジかよ……選択の余地なんかねぇじゃあねェか」
ブツブツと呟き、片方の手で頭をかきむしり、がっくりと項垂れる。
「らーりーほぉ~……」
気の抜ける声とともに、ポルナレフたちを拘束していたものが元の姿を取り戻し、自由の身となった。
混乱と戸惑いの目線で全員が見つめる中、『死神13』は消沈したようにそのままひょろひょろと力なく床に着地すると──あろうことかべたりと横になってゴロ寝し始めた。
その下からキングサイズのベッドがゴトンとせり上がり、完全に寝る体勢である。
「な、なんじゃ!?」
「テメェ、どういうつもりだ!」
突拍子もない行動の数々に目を白黒させるジョセフたちに、『死神13』は怠そうに手を振った。
「なんもかんもあるか、おれは適当にしてるからお前らも勝手にしてろ!」
「い、意味わかんねぇよ!」
ポルナレフの怒声にも『死神13』は忌々しそうに呻く。
「ケッ、おれだってさすがに生後十一ヶ月で死にたかないんだよ。人生これからだってのに」
「はぁ、死ぬ? 俺らを殺すって息巻いてたのはどこのどいつだよ」
ポルナレフが威嚇するが、ふてくされたように返事もしない『死神13』。
その背後から、ゆらりと現れるひとつの影。
「──ひょっとして、澪に何か言われたのかい? ベイビー」
コーヒーカップに腰掛けたまま、どこか楽しげにそう口にしたのは花京院だった。
「あーそうだよ。あんな事言われちゃあな、さすがにおれだって命が惜しいぜ」
ごろごろ、うだうだ、と完全に戦意を喪失した状態で『死神13』がぼやく。
いつの間にか漫画やらジュースやら絵本まで現れ、もはや変なコスプレをしている自宅警備員の様相である。
「あんなこと、だと?」
「そういや、なんで澪はここにいねーんだ?」
承太郎が鼻に皺を寄せ、ポルナレフが首を傾げる。
その辺にあった絵本を適当に開きながら『死神13』がこともなげに言った。
「お前らを殺したら、おれをいの一番に殺すってよ。かわゆい赤ちゃんに向かってひでぇこと言いやがる」
「お、Oh……」
『死神13』がぶつりと呟いた言葉に、ジョセフはなんとも言えないため息を吐いた。
要するに、澪と花京院は最初から赤ん坊のスタンド使いということに確信を抱いており、こちらが不審を抱かない程度の形で忠告をしてきたのだろう。
そして現実世界では、無力に過ぎない赤ん坊の生殺与奪を完全に握っている、というワケだ。
「澪は今日寝れないらしいから、不寝番を引き受けてくれている」
「眠れねぇ? なんだそりゃ」
首をひねるポルナレフに花京院は頷き、視線をそらしながら少し言い難そうに言葉を足した。
「月に一度程度あるそうだよ、そういう日が」
だから最後の防波堤として、澪は現実世界に残っているとのこと。
起きている人間を、夢の世界には誘えない。
「……そりゃそうだろうな。寝れるワケねーよ」
花京院の言葉に反応したのは、なぜか『死神13』だった。
「どういう……意味だ」
花京院の問いに『死神13』はごろりと寝返りを打って仮面越しにこちらを見据え、くぐもった声が響く。
「どーもこーも、あんな夢見るなら寝る気だって失せるさ。おれだって二度とごめんだね」
「あんな夢、だと?」
今度は承太郎が眉を跳ね上げた。
全員からの問い詰めるような視線を受ける『死神13』はその様子を見て、唐突に仮面の奥でくつくつと笑い始めた。
「お前らも、よくあんなおっかねぇのといられるよ。ま、お仲間は大事にするみたいだから当然か、同情するぜ」
また
確かホル・ホースも同じことを口にしていた。『死神13』は子供らしくない、剽げた仕草で何も知らないこちらを嘲笑うように。
「別に見たかったワケじゃねぇけど、夢は誤魔化せねぇからな。あの姉ちゃんが腹ン中に貯め込んでるもんは、ヒデェよ。おれでもブルっちまった」
小便漏らさなかったのが不思議だぜ、と『死神13』は嘯く。
「何を、何を言っているッ!?」
思わずそう返してしまったのは花京院だった。
澪にはまだ自分たちに明かしていないことがあることくらい、とっくに察しはついている。
だが、本人が言いたくないことを無闇に追求する必要はない。自分の探究心めいたもので悪戯に傷を増やすようなことなどしたくなかった。
なのに、今の『死神13』の言葉にはそんな秘められたものを勝手に抉り出そうとしているような不快感がある。
「……ラリホォ~♪」
そんな感情の機微を敏感に察したのか、『死神13』は楽しそうに指先を持ち上げた。
「そうか。おれはお前らを殺せねぇけど、
むくりとベッドから身体を起こし、マントを翻して死神が嗤う。
「おれの計画を台無しにしやがった、ちんけな復讐で、可愛い悪戯さ。お前らにとびっきりの悪夢を見せてやるよ」
ざぁ、と世界が変わる。悪夢は終わらない。
テレビのノイズのような灰色の砂嵐が遊園地を浸食していく。
「な、なんだ!?」
誰もが戸惑い、周囲を警戒する中で恐怖の気配を感じた『死神13』は快哉を上げた。
「ラリホー! せいぜいビビッて絶望しろよ!」
足元にじわりとタールめいた黒が忍び寄る。
鋼線めいた何かが蜘蛛の巣を張り、あちこちが瘤のようにぶくりぶくりと膨らみ、わらりと肉色の花弁が覗く。
腐臭がする。血臭が鼻をつく。吐き気をもよおすような感触を足裏で感じた。
「お前らが守ろうとしてるヤツは──DIO以下のクズ野郎だってな!」
暗がりの中で宙に浮いた白い仮面の笑みが浮き上がり、そして消えた。
悪趣味を煮詰めて腐敗させたような、得体のしれない粘液と泥濘の混じった屍土の中で、雪色の髪をした少女が──虚のような瞳でこちらを見た。
☓☓☓☓☓
臓腑の裏側にまで染みつくような恐怖で花京院は目が覚めた。
寝袋の中がじっとりと汗に濡れている。朝の鮮烈な空気と日差しの中でも、まだ夜が続いているようだ。
「あ、いっちばーん」
呑気な声で全身が硬直した。
澪がとてもホッとしたような、心底安堵したという風に見つめていたのが分かって、咄嗟に視線を逸らしてしまった。例の赤ん坊は籠の中で眠っているようだ。
「澪……」
「そうですね、僕です。無事みたいで何よりでした」
こくこくと頷き、かまどの準備をしているのか片手に石を持っている。
澪は花京院の様子に疑問を挟むことはなく、またかまどの作成に取り組むために戻っていった。
花京院はぼんやりとその背中を見つめ、それからゆっくりと寝袋から出て膝に手を当てて立ち上がり──近くの木陰に駆け込んで盛大に嘔吐した。
ぎょ、と驚いているような気配がした。
出せるだけ出して、空咳をしたら喉奥がびくびくと震えた。
嫌悪感というより強烈な罪悪感で肺がふさがっているような気がする。内臓に手を突っ込まれて無遠慮にかき回されているようだ。
「そ、そんなに大変だったの!? まだ吐く?」
澪がばたばたとタオルと水筒、アルミのコップを持って慌てて駆けてくる。
水筒からアルミのカップに水を注いで目の前に差し出され、その白い手に夢の残滓を見つけてしまった花京院は、自分でもわけのわからない感情に突き動かされ──反射的にコップを弾いてしまった。
「え」
宙を舞ったコップは砂に落ちて、水は朝陽のプリズムを散らしながら砂礫へと吸い込まれて消える。
「……ッ! す、すまない」
一拍遅れて自分のしたことに気付いて視線を伏せると、澪は困ったように眉を寄せてからコップを拾って、花京院から少しだけ離れた位置に水筒とタオルを置いた。
「ここならいい?」
花京院が手を伸ばせば取れる位置。
けれど澪には触れない、触れられない距離。
「え? あ、その」
問い質されるより、文句を言われるよりも痛烈な行動だった。
瞬時に自分の感情の機微を汲み取らせてしまったことが、心底情けなかった。
純粋な気遣いが滲むからこそ、自分の疚しさを見抜かれているようで胸が痛い。
「……すまない」
さっきと同じ言葉が、異なる温度で絞り出される。
「なんで謝るの。いいよ、こっちこそびっくりさせてごめんね」
澪は苦笑しているだけだ。咎めもしない。
驚いていいのに。怒っていいのに。謝らせてしまったことがなんだか。
けれど、その感情を澪にぶつけるほど花京院は腐っていない。結局、水筒のカップに水を注いで口をゆすいで、タオルで口周りを拭った。
「……」
ぎり、と唇を噛みしめると鉄の味がした。
『死神13』は自分たちを殺さなかった。だが、最悪の置き土産をしてくれた。
そしておそらく、全てを覚えているのは自分だけだ。
網膜に貼り付いてしまった。脳髄に焼きごてを当てられたように刻み込まれた。無意識に赤ん坊を睨み付けるが、籠の中でいつの間にか起きていた赤ん坊は悪辣な笑みを浮かべるだけだ。
あの時間帯、澪は起きていたのだから、自分たちに映し出したのは『死神13』が目にした記憶なのだろう。
──あんな地獄の底をおなかの中だと、彼女は口にしていた。
手の平で顔を覆って息を吐く。
申し訳なくて恥ずかしくて情けなくて、死にそうだった。
泣きそうだったが涙は出ない。代わりに一度はおさまった嘔吐きが沸きそうになったが、必死でこらえた。
「本当に、すまない」
絞り出した謝罪はあまりにも細く、風に吹き散らされて消える。
目覚めた時、心底ほっとしたように澪は微笑んでいた。
なのに、自分はそんな彼女を
そんなことをほんの一瞬でも考えてしまった自分が、心底嫌だった。
お借りした曲は17世紀のイギリスの子守唄『I Will Sing a Lullaby(T・デッカー/作詞)』です。主人公にとって大事な曲