花京院に続いて目を覚ましたジョセフとポルナレフはなぜか、朝食の準備をしていた澪を目にした途端に顔をくしゃくしゃに歪めると、両側からぎゅうぎゅうと抱き締めて滂沱と涙を流した。
「うわおもっ! つめたっ! どうしたの!?」
突然の超重量と二人の様子に澪がぎょっとしていると、やっぱり要領の得ない答えが返ってきた。
「儂にもわからんがなんか不憫でたまらんのじゃああ!」
「俺はなんつーか、とにかくぎゅっとしないと落ち着かねぇえええ!」
大の大人二人が小柄な少女をサンドして恥も外聞もなくおんおん泣いている様子は、傍から見ていると阿呆としか思えなかった。
「ええー……」
この一晩で何があったのだろうか。
朝っぱらから繰り広げられる異常事態に疑問は尽きないがともあれ、と調味料を置いて二人の背中を撫でたりして宥めていると、騒がしさに耐えかねたのか承太郎ものっそりと起きてきた。
ちなみに花京院は赤ん坊にご飯をあげてくるよ、と作った離乳食を持って赤ん坊の入っている籠へと向かった。
承太郎はがりがりと頭をかいてこちらを一瞥すると眉をしかめる。そりゃそうだろう。
「なんだその状況は」
「僕にもよくわかんない。おはよう」
「ああ」
見た目からして暑苦しいが本人が嫌がっている様子もないので特に助けるでなく、マイペースに朝一番の一服を始める承太郎に澪はふと問いかけた。
「よく眠れた?」
ふう、と紫煙が風に巻かれて消える。
「……それなりにな」
素っ気ない返事などいつものことである。
「そっか」と澪がほんのり笑うと、承太郎は少し考えてからジョセフとポルナレフの間を縫って小さな頭に手を置いて、かき混ぜるようにぐしゃぐしゃ、と撫でた。
「どした?」
「いや」
それ自体はわりとよくあることなのだが、なんとなく違和感を感じて問いかけてみたが、返答はいまいち掴みにくいものだった。
そのまま承太郎は花京院の背中へと視線を移し、しばらくの間凝視していた。
澪にはその意味は分からなかった。
それより二人の涙で服がじったりしてきてどうしよう、どうやったら泣き止んでくれるかなぁ、という考えに頭が持って行かれていた。
「そんなに泣かれてもどうしたらいいかわかんないんだけどー、僕なんかした?」
「いや、しとらん。しとらんが……儂だって止められるなら止めとるわい! うっ、ぐす」
「いい加減うっとおしいぜ」
「うるせぇ承太郎! 俺だって戸惑ってんだよ!」
赤ん坊の悲鳴が聞こえた気がした。
☓☓☓☓☓
とりどりの青に輝く海。
色の濃淡は海中の地形の高度の差だ。深いところは濃く、浅いところは明るい。
天気はよくて空はぎらついて青い。雲は白く何層にも分かれていた。
ジョセフのチャーターしたクルーザーはそんな美しい海を切り裂くように進み、時折飛沫が上がる。
この紅海を渡れば、いよいよ自分たちはエジプトへと入国する。
「おい、ジジィ……おかしいな」
計器板を見つめていた承太郎がふと、声を上げる。
「方角が違ってるぜ。まっすぐ西へ──エジプトへ向かってるんじゃあないのか?」
既に目視できる程度まで迫っているのは、小さな無人島のようだ。
クルーザーはまっすぐにそこへ向かっている。
「あの島へ向かっているようだが?」
「ああ、そのとおりだ」
ジョセフはクルーザーを運転しながら重々しく頷いた。
「理由あって今までは黙っていたが……エジプトへ入る前に『ある』人物に会うためにほんの少し寄り道をする。この旅にとって、ものすごく大切な男なんだ」
その言葉でおそらくはアヴドゥルが潜伏しているのがあの島なのだろう、と澪は頭の隅でアタリをつける。
傷を癒して戦線復帰してくれるのは素直に喜ばしい。早く会いたいなぁ、と思った。
それは──いいのだが。
抜けるような蒼穹のもと、沈思黙考している澪はジョセフたちの会話もあまり耳に入っていなかった。
あの対『死神13』(というスタンドだと、花京院に教えて貰った)戦のあとからこっち、どうも花京院の様子がおかしいのだ。
うまく言い表すことが難しいのだが、それまで許されていたパーソナルススペースから弾き出されてしまったというか、見えない薄い膜でもできているような隔絶感があった。
本人は懸命に隠そうとしているので表面上はそう変わってはいないのだが、そういった距離感は時折顔を出して、澪は少しだけ困惑している。
距離を置くのはともかく、その度に花京院がしている表情が気に掛かるのだ。
忌避されているというよりは、こちらに触れることすら申し訳ないような、罪悪感に塗れた悲愴な表情。
自分から声をかけるのも憚られて、中途半端で微妙な隔絶感を打開する術が思いつかない。
仲直りってどうしたらいいんだろう。
自分に明確な非があるならいいのだが、生憎と思い当たるフシが……多すぎてどれだか分からない。
けれど、あんな表情をさせてしまうようなことをしでかしてしまった記憶は、少なくともこの旅の間では思いつかない。
いっそ怒ってくれればいいのに、と考えるのは贅沢なのだろう。そしたら不満も聞けるし、すっきりするだろうに。ケンカもしてくれなかったら謝ることもできやしない。
エジプト旅行からぶっつりと音信不通になった時も寂しかったが、あれにはこちらの胃が痛むほど明確な理由があったし、こんなに近くにいるのに避けられがちというのは、それとはまた違った寂寞感があった。
「おい」
ぼんやりとポルナレフと談笑している花京院を見つめていると、承太郎に声をかけられた。
「元気ねぇな」
相変わらず直球である。
周囲に心配をかけるのもよろしくないので、普通に振る舞っていたつもりなのだが、長年の付き合いがあるので簡単に見抜かれていたようだ。
澪はのろのろと承太郎を見返して少し考えて、眉を八の字にして苦く笑った。
「ちょっとねー、忘れてたというか」
「忘れてた?」
そうだ、安寧な日常に耽溺して、とても重要なことを忘却していた。
「人が好きになってくれるってさ、すごい奇跡なんだよね」
人が自分を好んでくれて、長い間仲良くしてくれる。
それはとても尊くて、貴重で、稀なのだ。そんなごく当たり前のことを、自分は忘れていた。
あったかい日々に酔っ払って、日和って、勘違いして、甘えてしまった。
十二時の鐘が鳴って、奇跡は尽きて、魔法は解けてしまった。硝子の靴は在庫切れ。
だから、
「反省」
理由は分からないが気持ちが離れてしまったなら、それはもう澪にはどうしようもないことだ。
せめて、これ以上離れてしまわないように、邪魔をしないように務めるのがせいぜいだろうか。
何をしたのかも判然としていないが、これまで溜まっていた生理的嫌悪が爆発しましたとか言われたら立ち直れない。
そういう意味で澪は臆病で、悪い方に諦めがよすぎた。
「……」
承太郎はしばらく渋い顔で何か言いたげに沈黙していたが、口を開く前にクルーザーは小島に到着してしまった。
本当に小さな島だ。真水が手に入るかどうかも怪しい。
砂浜にクルーザーを乗り付けて降りれば、背の低い濃い緑の葉が鬱蒼と茂り、突き立ったように生えている椰子の木が目立つ。
「ジョースターさん」
周囲を見回して、花京院が問いかけた。
「本当に人が住んでいるのですか……? なんか小さい島だし、無人島のように思えますが……」
ジョセフは椰子の木に目をやりながら答える。
「『たったひとりで住んでいる』。インドで『彼』は、私にそう教えてくれた」
ところで、澪は近くから感じる気配も相まって吹き出すのを懸命に堪えている。
いわばポルナレフ以外の全員が仕掛け人のドッキリのようなものなのだ。
「え? 誰ですって!? 『彼』って誰ですか?」
「なに? インドでカレー?」
花京院迫真の演技にポルナレフはきょとんとしている。
これからどれだけ驚くのだろうかと考えると、不憫なような楽しみなような。
そうこうしている間に草陰に隠れていた男は唐突に走り出し、ポルナレフを筆頭に全員で追いかける。
追いついた先では、ちんまりとした慎ましい家屋の前で何食わぬ感じで鶏に餌をやっている男の姿。
今回のためだけにこの舞台を整えたのだとしたら頭が下がる。鶏の名前が妙にハイセンスだがこの後どうするのだろう。
「待て! 儂が話をする。みんなここにいてくれ……」
今にも飛び出しそうなポルナレフたちを制し、ジョセフは礼儀正しく帽子を取る。
「私の名はジョセフ・ジョースター。この四人とともに、エジプトへの旅をしているものです」
「帰れッ! 話は聞かんぞッ!」
即答である。
見た目だけなら白髪で壮年のアヴドゥル老年バージョン、という感じだがご本人です。怪我が治ったようで何よりだが、悪ふざけが過ぎませんか。
しかし、澪の思考を余所に話は着々と進んでいく。
アヴドゥル(仮)は頭を掻きむしり、真っ向から全てを否定するように頭を振った。
「わ、儂に話しかけるのはやめろッ! この儂に誰かが会いに来るのは、決まって悪い話だッ!」
しかし、一体ジョセフと彼はどんな打ち合わせをしたのだろうか。
「悪い事が起こった時だけだッ! 聞きたくない!」
そしてこちらを射殺すように睨み据え、
「帰れッ!」
往年の頑固親父よろしく、思い切りドアを閉めた。
「アヴドゥル……」
「アヴドゥルさん……」
「まさか……!」
全員が呆然と呟いているが(※ポルナレフ以外は演技です)、澪はさもびっくりしました、と目を丸くするくらいが精一杯である。
演技下手で申し訳ないが驚きのあまりに声も出ない、という解釈でひとつお願いします。
「アヴドゥルの……父親だ」
ジョセフが重々しく呟く(※演技です)。なんという茶番。
一応、建前としてはアヴドゥルの父親はここで隠居生活を送っており、その平和がDIOに脅かされることを危惧して自分たちには知らせなかったとのこと。そうですか。
「だが、息子のアヴドゥルの死を報告するのは……辛いことだ」
本人に本人の死を伝えるとはなんというシュール。
とうとうポルナレフは自責の念に駆られたのか俯いてしまい、このポルナレフいじめは一体いつまで続くのだろうかとはらはらした。
「アヴドゥルの死は、きみのせいじゃあない」
ジョセフがポルナレフの肩に手を置いて慰める。
もうやめて差し上げて欲しい。ポルナレフのライフはゼロだ。
「いいや、俺の責任。俺はそれを背負ってるんだ……」
力なく首を振り、ポルナレフは元きた道をとぼとぼと歩き始めてしまった。あーあー。
「あの父親もスタンド使いなのですか?」
花京院の問いかけもちょっと嘘くさい。これ以上たたみ掛けるな!
ジョセフたちもそこまで細かく決めてないのかどんなスタンドかは知らない、彼を説得するためにも自分ひとりに任せて欲しいとのこと。
「あ」
そして、ポルナレフの姿が完全に見えなくなった辺りでアヴドゥルが窓のカーテンを開けてこちらを手招きした。
「……ちょい、悪趣味じゃない? ポルナレフさんべこべこじゃん」
「なぁに、いい薬じゃろ」
呵々と笑ってジョセフはずかずかと家の方へ歩き始める。ネタばらしすら後回しとはなかなかに鬼畜である。
何も考えずについて行こうとすると、承太郎が帽子を少し下げた。
「俺はちいと花京院に話がある。澪、ジジイと先に行ってろ」
「? うぃーす」
適当に返事をして、澪もアヴドゥルの借宿へと足を向けた。
玄関のドアを開けると、アヴドゥルが笑顔で迎えてくれる。
「久しぶりですね、ジョースターさん」
「アヴドゥルもな。怪我の具合はどうじゃ?」
肩を竦めてみせるアヴドゥルは壮健そうだった。
さっきも全力疾走していたし、怪我は大分快癒したと思われる。
「まずまず、といったところですね。澪も無事で何よりだ」
「アヴドゥルさーん!」
貴重な大人の戦線復帰に諸手を上げて喜び、そのままどふっと抱きついた。
「おっと」と言いながらもアヴドゥルはあっさりと受け止めてくれる。
「よかったああ、戦線復帰おめでとうございます!」
応急手当をしたのは確かに自分だったし、病院まで付き添った。それでも心配なものは心配だったのだ。
「……随分と心配をかけたようだな」
ぽんぽん、と安心させるように背中を数回叩かれる。ジョセフはちょっと呆れたようだった。
「そうそう、承太郎と花京院は話があるとかで少し時間を置いてから来るそうだ」
「そうですか。ああ、澪」
「はい?」
ようやっと離れると、アヴドゥルは悪戯っぽく指先を自分の髪を指差した。
「すまないが色粉を落とすのを手伝ってくれないか? ポルナレフたちに会う前に元の姿に戻らねば、な」
「はぁい! お任せあれ!」
笑顔で頷いた小さな頭を軽く撫でて、アヴドゥルは洗面所の方へ向かった。
「さてと、儂は珈琲でも淹れるか」
久しぶりに感じる和気藹々とした雰囲気に、ジョセフも頬を緩ませた。