熟れてとろけた果実のような夕日が落ちて、あっという間に夜になった。
典明くんと無事に仲直りができて、承太郎たちと意気揚々とアヴドゥルさんたちのところに戻るとジョセフしかいなかった。
「あれぇ、アヴドゥルさんは?」
「ポルナレフを驚かしたいそうじゃ」
要するに迎えに行ったということだろう。ポルナレフさんの驚愕の表情が目に浮かぶというものだ。
どうせすぐに戻ってくるだろうから待ってようか、ということで四人で談笑を始めたはいいものの、待てど暮らせど帰ってこない。
「今日ってここに泊まるつもり?」
「いいや、アヴドゥルと合流してすぐにでも出立するつもりだったんじゃが……」
ジョセフもすぐに戻ると踏んでいたのだろう。
ポルナレフさんが驚いて怒ってまた喧嘩してる……とか? 割り切りの早い人だし、あれだけ罪悪感を覚えてたのだから素直に喜ぶような気がする。
そうでなかったら、もしかしたらあの二人の身に何か──
「げっ」
そこまで考えて、珈琲を持ったまま固まった。
完全に忘れていたが、そういえば義父ヒントになんかあった。ヤベぇ、こんな小島にまで来ないだろと完全に呑気してたけどもしそうだったら……どうしよう。
大体、今回のチャートなんか『悪徳ジー○ー』だもんなぁ。さすがにワケが分からない。○ーニーってあれか? ランプの精か?
「澪?」
典明くんが気遣わしげにこちらを窺う。
それは赤ん坊とのあれやこれやからこっち、ぜんぜん見られなかった表情で、いつもと全く変わっていなくて、なんだか無性に嬉しかった。
いやいや、そんな場合じゃなくて。
「我ながら短絡的だと思うけど、二人してスタンド攻撃されてたらどうしようって思った」
ごく素直に考えたことを述べると、ジョセフが渋面を作る。
「考える限りの方策を取ったつもりだが……もしそうなら危険じゃな」
「探しに行くか」
「そうだね、警戒はしておくに越したことはないだろう」
承太郎と典明くんが席から立ち上がり、僕とジョセフもそれについていった。
小さい島なので浜辺の方を探索して、ついでにクルーザー周りをうろうろしていたらちょうどポルナレフさんが血達磨なのにご機嫌で戻ってきた。
「アヴドゥルの野郎が生きてやがったんだよぉ! オロロ~ンッ!」
喜色満面のアヴドゥルさんだが、周囲の反応は平坦だった。ええと、その、ドッキリ大成功?
全員でネタバラししたところポルナレフさんは「俺だけ仲間はずれにしやがって!」とプンスコしていました。当たり前ですねすいません。
暗闇で目が慣れていなかったためしばらく気付かなかったけど、ポルナレフさんはあちこち傷だらけでじゃっかん肉が抉れている部分まであったので、僕は慌てて応急処置を始める。
「ひーしみる! いってえええ」
「我慢して下さい! あ、あとスタンド使いの方は……」
「そちらは倒したから問題ない」
傷口に消毒液をぶっかけているとアヴドゥルさんが頷いた。
なんでも『審判』の暗示を持つカードで相手の望みを三つ叶えてくれる(ただし土で)スタンドだったらしい。ああ、ジー○ーってそういう……。
しかし、それがどうなってポルナレフさんの傷に繋がるのだろうか。
「とりあえず、倒せたならよかったです」
「ああ、男の友情でな!」
ぐ、とアヴドゥルさんがドヤ顔で親指を立てた。
「間違っちゃいねぇな。間違っちゃ……」とポルナレフさんがなぜか遠い目をしていた。よく分からないけど勝てたならよかった。少年漫画でよく言う友情パワーというやつですね。
曖昧に納得している間に応急手当も終わり、そろそろ出発する運びとなった。
アヴドゥルさんがこんな離れ小島に移動していたのは、アラブの大金持ちを装って『あるもの』を買うためだったというのも理由のひとつだそうな。
ヘリで乗り付けて買うとか、そういうのだろうか。都市伝説みたいだが一体何で移動するつもりだろう。ヘリ?
なんて考えていた僕の金銭感覚は、まだまともだったと思う。
「さぁみんな! それに乗って出発するぞー!」
揚々とジョセフが言った途端、派手な水飛沫をぶち上げて出現したのは巨大な機影。
黄色とオレンジという、なんとも派手派手しいカラーリングで塗りたくられた潜水艦だった。
「う、嘘だろ!? ここまで買うッ!?」
ポルナレフさんに全くの同感である。
僕はあんぐりと口を開けたまま声も出ない。色とかアームがついてないところを見ると深海用の有人探査船とかではないのだろうが、それにしたって潜水艦て。
値段も考えたくないし、平然と購入しているSPW財団と不動産王のコンボこわい。
いや、それより重大な問題として。
「のっ、乗りたくねぇええええ!!」
思い切り絶叫してしまった。
「ここまで来て何言い出してやがる」
承太郎の剣呑な視線にも負けられない。
「だって潜水艦だよ!? ジョセフだよ!? イコール、沈むってことでしょ!?」
「おい失礼なこと言うな! 大丈夫に決まっとるじゃろ!」
「ほらああ着々とフラグ立ててんじゃん! 僕泳げないもん! 沈むもん! 浮かべないんだぞ!?」
人体の構造として普通じっとしてれば浮かぶはずなのだが、なぜだか僕は沈む。浮かばない。
ビート板か浮き輪でもないと進めない。遅い。しぬ。
「ああ、澪って昔から泳げないよね……」
小学校辺りの時分を思い出しているのか典明くんが苦笑して、猛然と抗議している僕にジョセフが切れた。
「ええい駄々をこねるな! これしかないんじゃ! 行くぞ!」
「うわーやだー! すごいやだああ! ジョセフは波紋で水面歩けるからいいけど、僕なんかリサリサ先生にもメッシーナ先生にもロギンズ先生にも匙投げられたんだぞ!?」
ついでに言うと訓練の最初の方で海に放り投げられた時は、シーザーが助けてくれたりジョセフが助けたり先生方のお世話になっている途中でみんな諦めた。どうあがいても絶望。
「あの時はジョセフも散々からかってきたくせに! いじめだ! 轟沈はイヤだー!」
「轟沈とか言うなこの野郎! しねぇっつってんだろ!」
当時の口調に戻っているジョセフに腕をぐいぐい引っ張られながら諦めきれずにぐずぐずしていると、いつの間にか背後にいた承太郎に抱えられた。
「諦めろ。とっとと行くぞ」
「諦められたらこんなゴネないよ!」
俵よろしく担がれて変な虫みたいにうごうごしてたら、承太郎が淡々と言う。
「ジジイには運転させねぇし、いざとなったら俺が守る。それでいいだろ」
それでいいだろ、と言われても。言葉に詰まる。
承太郎が守ってくれると宣言した以上、本当に守ってくれるだろう。
結局のところ、渡航手段がこれしかない以上何がどうなったとしても誰かに頼るしかないのだ。カナヅチつらい。
「……よろしくお願い申し上げます」
がっくりと項垂れ、脱力するしかない僕だった。こんな危険な賭けをしたジョセフを恨んでやる。
「きっと大丈夫だよ、そんなに心配しないでくれ」と典明くんが慰めてくれたけど、フラグにしか聞こえない僕の耳はおかしくなってしまったのだろう。
「テ○オー灯が欲しい……」
未来のネコ型ロボット謹製のひみつ道具が心底羨ましいと思った瞬間だった。
☓☓☓☓☓
潜水艦の内部には大きな機材もなく広々としており、あまり圧迫感を感じないデザインだった。
元々金持ちが道楽で海底探検をするための、いわば贅沢な遊興用の潜水艦だそうな。
なのでソナーや運転装置、望遠鏡諸々の基本装備以外は冷蔵庫やコーヒーメーカーといった快適さを優先させるための道具が目立つ。
ジョセフはソナーがあれば全方位警戒できる、と豪語しているが実際襲われたら無意味じゃなかろうかと思う。
というか、『審判』のスタンド使いが派遣されていたということはこの潜水艦に関してもモロバレなんじゃないか、というのが目下の懸念だ。
もう乗っちゃったから言ってもしょうがないし、どうせ聞き入れてもらえた試しがないので口にはしない。
なんでジョセフってあんだけ痛い目に遭ってきたくせに楽観視するんだろう。悪運が強すぎて麻痺しているのだろうか。
「だが襲われでもしたら、逃げ場はねぇな」
不吉なことを言う承太郎だが、全く仰る通りなのである。
「ここは何しろ、海底60mだ」
旅の序盤で出会った半魚人みたいなスタンド使いのように、海中を自由に動けるスタンドがあったとすると脅威だ。端的にとても困る。そもそもスタンドってソナーに反映するものなのだろうか。
あ、よく考えたらジョセフなんて十分くらい息止めてられるんじゃないのか(修業時代)? ひとりだけ余裕なワケだぜ、くそう。
機内の隅っこで海中という事実にビビッて体育座りでリュックを抱き締めて鬱々としたら、見かねたらしい典明くんがしゃがみこんで僕の頭にぽん、と手を置いた。
「ここにはジョースターさんも承太郎もぼくもいるんだから、いじけるのはそれくらいにしておきなよ」
ちゃんと守るから、と典明くんにも言ってもらえたようで、僕も大きく息を吸って、吐いて、顔を上げた。
空気を悪くしてもいいことなんかないしね。気を取り直そう。
「……そうする」
「うん」
よくできました、という感じでぽすぽす、と撫でられる。
「そうそう、シケ面しててもしょうがないぜ! 俺と一緒に外覗いてみねぇか? 綺麗だぞ~」
「み、見ます!」
ポルナレフさんのお誘いにありがたく乗って分厚い窓硝子越しに外を覗くと、ライトの当たっている部分だけが浮かび上がり、眠っているのか動きのにぶい魚がゆらゆらと通り過ぎたり、泡が光を弾いて輝いたりと賑やかだった。深海じゃないから魚も極彩色で、これはこれで趣きがある。
幻想的な景色で幾分落ち着きを取り戻したところで、典明くんと潜水艦の内部構造を調べることにした。
「最新の衛星電話まで揃っているぞ」
備え付けられている衛星電話をしげしげと眺めていた典明くんが物珍しそうに呟いた。
そうか、携帯電話はなくても技術はあるのか。そういえば初期の携帯電話ってでっかい機械を肩に引っかけてそこから受話器が伸びてたよな。そこから車に搭載されたり、でっかい子機みたいなのが出たり……今のところ大掛かりになってしまうから備え付けにするしかないのだろう。
それにしても電話、電話かぁ……。
「何か飲み物くれ、花京院! 喉がからからだ」
「俺も貰おう」
「ああ、澪もコーラでいいかい?」
「あ、うん。ありがとー」
コーラの瓶を受け取り、栓を抜いてみんなに配って歩いているとジョセフが衛星電話の前で棒立ちになっていた。
「みな、静かにしててくれ。これからある所に電話をかける」
「電話ぁ? どこに?」
「こんなところからわざわざかけるなんて、よほど大事な電話なのですか」
ポルナレフさんと典明くんが口々に問いかけ、ジョセフは番号をプッシュしながら重々しく頷く。
「ああ、とても重要かつ、デリケートな電話だ」
受話器を耳に当て、念を押すように。
「みんな、静かにしててくれ」
そして暫くの間を置いて、相手が出たようだ。
ほんの少し聞こえる限りでは、女性のようである。
「旅先のホテルでな、まだ仕事でそちらには戻れそうもない」
ジョセフは少しだけ困ったように眉を寄せ、謝罪の言葉を口にしている。
あれ、電話の相手ってもしかして……?
「ところでスージー、お前ホリィとは……」
あ、やっぱりだ。スージーQだ!
どうやらスージーQにはホリィさんのことを話してないらしく、淀んだ受け答えもその辺が絡んでいるのだろう。行動力あるからなぁ、確かに。たまに牽制しないと日本に行っちゃいそう。
でもいいなぁ、いつになるかは分からないけど僕もスージーQに会いたいものだ。きっと可愛いお婆ちゃんになっていることだろう。
「いや、その必要はない。すぐに元気になるさ」
どうやら予想は当たっていたらしく、ジョセフは少しだけ焦ったように話しながら──なぜか僕を手招きした。
「?」
ノコノコ電話の方に行くと、ジョセフは少しだけ明るめのトーンを出す。
「そうだ、スージー! 儂は仕事先でとんでもないヤツと会ったんじゃ、誰だと思う?」
『まぁ、誰かしら? ひょっとしてシーザー?』
「いいや、シーザーよりもっと珍しいヤツじゃよ」
ズイッと受話器を渡される。ええっ、ここで僕に振るの!?
余計なことは言うな、という釘を刺すような視線に頷いてこわごわ受話器を握り、口を開く。
「あの、スージーQ?」
『ッ!?』
バサッと何か布が落ちるような音が聞こえた。
『……その、声。もしかして』
震える声に、僕はなるべく柔らかい声で伝えた。
「久しぶりだね、スージーQ。元気にしてた?」
『ミオ……ミオなのね!? あなた、一体今までどこにいたの!?』
弾けるキャンディみたいな、喜びと驚きの混じった声だった。
記憶に残る声とは少し違うけど、それでもスージーだって直感できる。
「それは話すと長くなっちゃうから……でも、声が聞けて嬉しい。いっぱい心配かけて、ごめんね」
素直に言うと、スージーQの声も喜色だけのものになった。
『いいのよ、ミオ。生きててくれただけで、電話越しでも声が聞けて嬉しいわ。……あら?』
そして、思いついたように。
『それにしてもミオ、随分声が若いわねぇ。まるで変わってないみたい』
「え」
ぎく、と身体が強ばる。
そうか、正面から会ってないから僕がちゃんと年食ってると思ってるのか。どうしよう。
冷や汗を浮かべる僕を見ていたジョセフが、慌てて手から電話をひったくった。
「あー、スージーQ。すまんがローゼスに代わってくれないか?」
『あらっ、まだミオとお喋りしたかったのに……』
それから何やらやり取りしている間に、僕は典明くんたちの座っているテーブルに戻った。
「そうか、スージーおばあちゃんも澪のことを知ってるんだな」
「うん、友達だもん。元気そうで安心した」
承太郎に頷いたところで電話を終えたジョセフが受話器を置いた。その表情は優れない。
「お気持ちはお察しします、ジョースターさん」
「けど、安心しな! 俺たちがついてるぜ! エジプトは目の前だぜ!」
「一刻も早くDIOを倒し、ホリィさんを助けましょう。そのために、私もこうして戻ってきたのです」
みんなが口々にジョセフを元気づけようと激励するけど、僕は口を開けなかった。
DIOを倒す、ということに関してまだ懊悩を抱えている自分が何を言っても、空々しくなってしまうような気がしたから。
「……ありがとう、みんな」
ジョセフは呟いて、ちょっとだけ安堵したような吐息を漏らした。
DIOのこと、ホリィさんのこと、これからのこと。
ぐるぐると頭の中でそれらがかき混ぜられて、僕は胸につけている羽根飾りをきゅっと握った。
みんなに喋ってないこと。いっぱいある。どうでもいいことも、重要なこともごたまぜだ。
話すのがきついから逃げてるってこともあるし、信じてくれないんじゃないかなという恐怖心もある。
でも、そういうことと、ジョセフたちが家族を心底心配していることは別の問題だ。
そこは間違えちゃいけないところだと、思う。
今、自分にできることを、しないと。
「ジョセフ、僕も電話借りていい?」
「そりゃ構わんが……」
「さんきゅー」
なるべく平静を装って電話の使い方を聞いて、慣れた番号を押していく。
「あ、みんな喋ってていいよ」
「は? いいのかよ、家族とかじゃねーのか?」
「へーきです」
全員の視線を背中に感じながらポルナレフさんにそれだけ言って、受話器に集中しているとほどなく答えがあった。
『もしもし?』
「あ、義父さん?」
電話に出てくれたのは宵丸の方だった。片方の僕の義父。
久しぶりの慣れ親しんだ声になんだかじんとする。
『澪? 無事?』
「うん、元気」
端的に伝えると『そう』と声音が少しだけ緩んで柔らかくなった。
『電話できるってことは、どっかのホテル? それとも潜水艦?』
「え゛」
ピンポイントにもほどがある発言に、心臓が口から出るかと思った。チャートもそうだけど、うちの義父は何を知っているのだろうか。
しかし深く考えない方がよさそうだし、みんなに声が聞こえてなくてよかったと思う。
「……後者です」
『えっ、マジで? ちょっと空也! もう12巻までいってるんだけど!?』
遠くで『はぁ!?展開早っ』とか聞こえた。
どうやら空也も診療所から帰ってきているらしい。というか、なんでここでそんな巻数が出てくるんだ。
「じゅうに?」
『ていうか澪なにノコノコ乗ってんの!? 泳げないくせに! ジョースター家きっての撃墜王(意味深)となんてフラグしかないんだよ!?』
なぜそれを知っている。
僕の疑問はスルーされ、ヒートアップにつれて声が大きくなっていく。
耳がキンとして、思わず受話器をちょっと離すと周囲に聞こえるくらいの大音量が響いた。
『ジョセフ・ジョースター! うちの娘溺死させたらお前の生皮剥いで美味しくコトコト煮込んでやるからな!!』
エコーがかかるほどの怒声である。
「儂どんだけ信頼ないんじゃ……」
ジョセフが嘆き、「澪の親父さんって過保護でこええんだな」「昔からだぜ」「ちょっと待て、今溺死って言わなかったか?」とか背後で話しているのが聞こえたけど、ほんとに過保護だったらこんな旅路には出さないと思います。あと典明くん、それ聞かなかったことにしてください。
いや、そんなことより。
『もう乗っちゃったもんはしょうがないけど……あーあ。とりあえず金属品とかコーヒーカップには気を付けてね。あと、どっかの部族の宗教臭あふれる変な仮面が見えたら即逃げろ』
なんだそりゃ。
そういえばチャートには『セラミックガール(物理)』とかあったけど。
「よくわかんないけど分かった。あのさ、空也に代わってくれる?」
『ん、ちょい待ってね、空也ー』
よしなしごとをぐだぐだ語る余裕もないので、まだブツブツ言っている宵丸にそう言うと、あっさり答えが返ってくる。仮面ってなんだ。
謎めいた言葉の意味を考えている間に交代したようで、馴染みの声その二が聞こえた。
『おう澪。どうした?』
義父その二、鍼灸医の空也である。
『儂らの手紙は役にたっとるか?』
立ってるか立ってないかで考えると。
「と、ときどき?」
『さよけ』
相槌だけされると困るなぁ。
大体内緒の手紙だったから大っぴらに聞けないし、これ以上何か聞くのは無理そうである。
ともあれ、今日の用件はこっちが本命だ。僕は少しだけ考えて、意を決して呟いた。
「あのさ、空也……『鍼』使える?」
『鍼ぃ? あのな、儂が何で稼いでると……うん? 鍼って、『鍼』か?』
僕たちの間で『鍼』は一種『トクベツ』な意味を持つ単語だ。
「そっち」
空也はただの鍼灸としての鍼医ではない。
基本的なことはもちろんだけど彼が習得した『鍼』はそういう技術を超越した、曰く『この世で学んだこの世ならぬ技』である。
人を生かし、また殺す。その意味合いは本来の用途よりもずっとずっと広範だ。理不尽なほどに。
ここではフツーの鍼灸医として働いているけど、必要がないから使わないだけで腕を錆び付かせてはいないはず。
問題は、その『鍼』がこの世界においても有用かどうかだ。
空也は暫し沈黙して、ややあってから真面目な口調で答えた。
『問題ない。使える』
「じゃあ」
この言葉を発するのは、とても重い賭けだった。
「──
僕らはいびつだけど家族だ。長年紡ぎ上げてきたものは伊達じゃない。
『……』
多くを語らなくても、お互いの気持ちを汲み取ることができる。それを信じて、ただ真摯に懇願するしかない。
「僕は絶対に喪いたくない。できることは全部したい」
それは自分の家族すら例外ではなく。利用できるものは全て活用する。
しなくてはきっと、後悔が残る。
「だから……」
これは保険で、切り札だ。
みんなにも詳細は話せない。これがギリギリ口にできる言葉だ。
『ええよ』
返事は簡潔で、明瞭だった。
『他ならぬ愛娘の頼みを無碍にする父なんぞ、おらんよ。かもんかもん♪ じゃ。こっちは任しておいで』
からからと、優しい、宥めるような声に膝から力が抜けそうになる。意識的に詰めていた息を長く吐いた。
よかった。本当に──よかった。
受話器を握り直して、心からの感謝を告げる。
「ありがとう、義父さん」
『がんばれな、澪』
声だけで表情が分かる。
きっと、空也は笑ってる。しょうがないなぁって、穏やかに。
「うん」
『あ、ところで』
声の温度がころっと変わった。
「うん?」
『この間、儂らんとこにインテリアデザイナーやっとるっちゅう、年齢不詳っぽい金髪のイケメンでなんつったか……えー、なんか英雄っぽい名前のやつがな』
『シーザーだよ、シーザー・A・ツェペリ。あのくそ金ぴか』
宵丸が後ろから突っ込んだらしい。くそ金ぴかってやめて。
というか、おい、聞き捨てならない。
「ちょい、シーザーがどうかしたの?」
「はぁ? シーザー?」と後ろでジョセフが首を捻って、アヴドゥルさんたちが顔を見合わせている。僕もそうしたい。
それまでと打って変わって妙に乾いた、冷たい声音で空也が言った。
『うちに来るなり頭下げて「娘さんを俺に下さい! しあわせにします!」とか抜かしよってな』
「へぇッ!?」
変な声が出た。
背中に視線が突き刺さったが気にする余裕がない。
『で、話聞いたら昔告白したけど、返事保留にされた挙げ句に逃げられて、今回も旅に送り出したもんだから聞けずじまいでやきもきしてるらしくてのう』
「ちょ、ちょっと待って。それは間違ってないんだけど……シーザーは戦友っていうか親友で」
『わぁうちの娘マジ小悪魔』
「外聞悪いこと言うな!」
突然の斜め上、どころか真上に吹っ飛んだ話に頭がついていかない。
シーザーが、なんだって? いや、告白は覚えてる。シーザーにも自分にも考える時間がいるだろうって保留にさせてもらって、でも結局それは果たせずじまいで。
考えてるうちに温度計みたいに顔が熱くなって、受話器を持つ手がぶるぶる震えた。
え、じゃあ、アレか? 本当にシーザーは考えた末に僕の、こと、その、ずっと……!?
『手の届くところにいるなら、口説き落とすまで諦めるつもりはないそうじゃ』
「マジか」
『マジじゃ。ああいう自分のポジション理解して最大限利用するタイプは厄介と相場が決まっとるもんだが、ありゃとびきりじゃな』
えらい言われようである。
『お前さんがなに言うたか知らんが、嫌われてない確信あるからグイグイきよるぞ。「恋と戦争においてはあらゆる戦術が許されるといいますし、外堀を埋めさせて下さい」ときたもんだ。いっそ清々しいが忌々しい』
だめだそれは言われるわ。弁護の余地がない。
「あのうこの話いつまで続くの」
これ以上聞くと憤死しそう。
そもそも、親にどうこうって普通お付き合いした人が最終段階にすることであって、まだそこにすら到達してないんですけど。シーザーはなに先走っちゃってるんだ。イタリア男こわい。
『まぁ、その辺で宵丸が切れて「ジジイのときめきメモリアルにうちの娘巻き込むんじゃねぇ!」とぶん殴って一旦うやむやになって、お引き取り願ったわけだがな』
「う、うわああ……」
辛辣すぎる。
実年齢はともかく波紋でぴちぴちなのに。
『四十くらいの年の差なんて儂はべつに気にせんが、あの御仁どうも本気っぽいから身の振り方は考えておけと、そういうことよ』
「そ、そういうことと言われても、とても困る」
色々飽和してきて単純な事実を述べると、鷹揚な義父は電話越しにからからと笑った。
『蛇蝎の如く嫌われるよりは、恋の鞘当てをせいぜい楽しむがよかろ。善哉、善哉♪』
完全に楽しんでるな畜生。
ともあれ、言質は取れたしこれ以上話を続けたところで実りもなさそうなので、さっきとは別種の脱力感を感じつつ挨拶もそこそこに電話を切った。
受話器を置いてそのままずるずるずる、とへたり込んで両手で顔面を押さえてうずくまる。なんか無性に恥ずかしい。
「おい澪! シーザーがどうかしたのか!?」
「ど、どーしたもこーしたも」
ジョセフに肩を掴まれてがくがく揺さぶられても、さすがに言いたくない。
どうせ遅かれ早かれ露見するだろうけど、今は勘弁して欲しい。ライフはゼロなのだ。
「断固黙秘します!」
胸の前で指を交差させて×マーク。
「なぬ!? あんだけ気になること言っておいてか!?」
「だからだよ! 察してよ弟弟子!」
「ふむ、ツェペリさんの身に何かあったのか?」
ぎゃんぎゃん言い争っていると、アヴドゥルさんが神妙な顔をして尋ねてきた。
何かあったのかと言われれば。
「元気すぎて困るという方面です」
「……そうか」
波紋使いの高性能おじいちゃんたちは元気すぎて困る。