1.わんわんぱにっく
見渡す限り一面の砂漠である。
小高くなった砂丘があちこちに点在しており、刺し貫くような日差しは重く、自分の落とす影は穴のように濃い。
抜けるような蒼穹に流れる雲は、形は小さいがその分ぎちっと固めてあるようで絵画めいて不思議だ。
黄金色の砂が微風でさざめき、描き出す紋様は神秘的な刹那の美。ほんの小さな空気の流れに反応する砂粒は足元でみるみる崩れ、歩きにくいことこの上ない。
そんな砂漠の中でも比較的地盤のしっかりした場所で、ジョースター一行は空を見上げて『何か』を待っていた。
「まだかな?」
日よけのショールを肩から垂らし、額に手を当てているのは澪である。
雪色の髪に桜色の瞳の小柄な体躯は砂漠とはあまりにミスマッチだ。
肌が炙られるような日光を避けるために着ている深海色のパーカーは袖口が幅広のつくりになっていて、風がよく通る。
「もうすぐ時間じゃ」
ジョセフが時計を見てから呟き、再び空に目を向けた。
『女教皇』を打破し、紅海を無事に乗り越えた彼らは最寄りの町でジープを購入しアブ・シンベル砂漠を突っ切る運びとなった。
ラクダとは比べるべくもない現代技術の粋を凝らしたジープは砂漠で沈むこともなく楽々と砂の上を走破していたのだが、ジョセフが途中で車を止め、わけが分からないまま全員降りろと言われた。
「そろそろやってくるはずじゃからな」
要領は得ないが、来るというなら待つのが道理である。
そうしてしばし時間を潰していて、澪はどうぶつめいた動きで顔を向けた。風が砂を運ぶ僅かな音だけの空間で、その存在はひどく目立った。
小さかった音は時を増すごとに耳を弄する爆音へと変わり、砂の上に黒い機影。
見上げれば一台の白いヘリコプターが空中を旋回している。
「来たな」
ジョセフがにやりと笑い、ポルナレフが唖然と機影を見上げた。
猛烈な勢いで砂塵が舞い上がり、空気がかき混ぜられる。
「ヘリコプターだッ!」
「言わなくても見りゃあわかる」
それはそうなのだが、花京院のポルナレフに対する辛辣さはなんなのだろうかとたまに思う。
気の置けない仲間だから遠慮がないとか、そういうことなのだろうか。
「ああ、SPW財団のヘリだ。降りれる場所を探している」
SPW財団といえば、ジョースター家への支援力53万を誇る世界に名だたる大企業である。
「ああ、あの……」
今回の旅でもどれだけ世話になっているのか考えるだけでも申し訳ない。
当時スピードワゴンは自らをお節介焼きと称していたが、よもや百年先まで適用されているとは本人ですら予期していなかったのではないだろうか。本当に頭が下がる。
「SPW財団? 日本でおふくろを看病、護衛してくれているじじいの昔からの知り合いか?」
澪の背後で巻き上がる風に飛ばされないよう学帽を押さえながら、承太郎が胡乱げな声を出す。
前回うっかり死にかかってから承太郎は思うところがあったらしく、過保護度合いがいや増していて気付くと近くにいることが多い。
べつだん承太郎が悪いワケではないのだが、自分から守ると言い出した手前、同じような思いをしたくないようだ。
「まさか、今度はあのヘリに乗るんじゃあねぇだろうな」
「いや、できることなら乗りたいが、彼らはスタンド使いではない。攻撃にあったら巻き込むことになる」
協力している時点で色々危ないのだから、これ以上の迷惑など言語道断である。
「それじゃあ、なぜあのヘリがやって来たのですか?」
砂や暴風を避けるように花京院は前髪を押さえ、ジョセフも目に砂が入らないよう薄目になりながらとても意外なことを告げた。
「『助っ人』を、連れてきてくれたのだ」
思いもよらない言葉に驚愕が走る。
「なんだって、助っ人!?」
ポルナレフが声を上げるが、もちろん澪も例外なく驚いていた。
仲間が増えるのは喜ばしいと思うが、こんなデッドオアアライブの旅路に付き合ってくれる粋狂な輩がいるのだろうか。冗談ではなく命懸けの旅なのに。
「ちと性格に問題があってな、今まで連れてくるのに時間がかかった」
それは説得に時間がかかったという意味だろうか。
納得して旅に同道してくれるならば喜ばしいけれど、強制だとしたら大問題である。自由意思で参加していない人間を無理強いしても失敗の元だ。
「ちょ、その人って……」
「ジョースターさん!」
澪が問い質そうとするより早く、アヴドゥルが焦ったようにジョセフを咎めた。
「あいつがこの旅行に同行するのは不可能です! とても助っ人なんて無理です!」
どうやらアヴドゥルは助っ人の相手に検討がついているらしい。
「知ってるのか? アヴドゥル」
「ああ……よーくな」
花京院にもかなり嫌そうな顔で答え、ようやっと着陸したヘリコプターを睨み付けている辺り、本当に印象が悪いのだろう。
彼にしてはとても珍しい。そんなに厄介なのだろうか、その助っ人とやらは。
「ちょっと待て、助っ人ってことは当然スタンド使いってことか」
承太郎にジョセフは頷いてみせる。
スタンドもない助っ人では犠牲を増やすだけだ。その確認も当然といえるだろう。
「ああ、『
「へぇ」
『愚者』とはなかなか暗示的である。
某ゲームにおいても賢者に転職できるのは遊び人だけだったし、案外に凄いのかもしれない。
そういえば今回のチャートは同列になっていて『Desert dog』と『座頭市(みずタイプ)』となっていたが、後者はともかく前者はどんな能力なのか想像がつかなかった。
「蕩尽の果てに顕れる通人、なんて言うし……結構すごいのかも」
「そうかぁ? なにか頭の悪そうなカードじゃねぇか、ッぷふ」
腕を組んで考え込む澪を見てポルナレフが吹き出し、それをアヴドゥルが肩越しに睨み付けた。
「そんないいものではないが……敵でなくてよかったって思うぞ。特にポルナレフ、お前には勝てん!」
「なんだとこの野郎! 口に気をつけろ」
きっぱりと断言され、さすがに苛立ったポルナレフはアヴドゥルの胸ぐらに掴みかかった。
「本当のことだ、なんだこの手は。痛いぞ」
こういったいざこざが微笑ましいと感じてしまう自分は、ちょっと色々麻痺してきていると思う。
そこでふと沸いた疑問。
「相性が悪いって意味ですか?」
ポルナレフの能力は刺突と斬撃だ。
能力次第ではそういう問題もあるだろう。スタンドには往々にして長所と短所が存在することを澪は既に学んでいる。
「ある意味では当たっているな。まぁ、会えば分かるだろう」
目の前に相手がいるのだから、当然といえば当然だ。
アヴドゥルの言葉に頷くと、ちょうどヘリコプターのプロペラが回転を止めたところだった。
全員が固唾を呑んで見守る中で運転席のドアが開き、二人の屈強な体つきの男性が姿を現した。どちらもがSPW財団の制服らしきものを着ている。
「Mr.ジョースター。ご無事で」
安堵と誠意のこもった声だった。
味方だから当然かもしれないが、威圧感も感じない。
「わざわざありがとう。感謝する」
ジョセフは男としっかりと握手を交わし、挨拶を述べた。
しかし、同じくお世話になっているはずの孫は挨拶ひとつせず単刀直入に質問を投げた。
「どっちの男だ? スタンド使いは?」
「挨拶くらいしてからにしなよ……」
げんなりしながら澪はぺこりと頭を下げた。
不良のレッテル云々と本人は言っているが、時々こういう失礼千万なことをしでかすのでレッテルじゃなくただの事実だと思う。
それから二人をじいっと見つめてから、ぽつりと。
「あと、スタンド使いはお二人じゃないと……思う」
どちらも体格よく、隙も少ないがあくまで一般人の範疇だ。
スタンド使いによくある闘志というか、これから戦いに赴きます、というような気概は感じられない。
「そうなのか?」
「ええ、我々ではありません。後ろの座席にいます」
男が承太郎に頷き、もう一人が後部座席のドアを開けた。
あまり広くない空間には薄汚れた毛布が無造作にくるんで置いてある。だが、それだけだ。人間の姿はない。
「……ん?」
けれど、澪は小さな気配を感じ取った。
もう少しちゃんと見てみたいと思ってヘリコプターに近付くと、その横を通り抜けてポルナレフが興味津々とばかりに後部座席に頭を突っ込んだ。
「おいおい、いるってどこに!? とてつもなくチビな野郎か!? 出て来いコラァッ!」
ちんぴらみたいに怒鳴りつけ、座席をばんばん叩く。
それに青ざめたのは周囲の方だ。
「あ、危ない!」
「気を付けて下さい! ヘリが揺れたんでご機嫌ななめなんですッ!」
物凄い勢いで狼狽している男性二人。
しかしその慌てようと言っていることは妙にミスマッチだ。ご機嫌ななめ、なんてまるで小さな子供に言うみたい。
「近付くな! 性格に問題があるといったろッ!?」
「ポルナレフ! お前には勝てん!」
ジョセフとアヴドゥルも大慌てで、まるで度胸試しに爆弾をトンカチでぶっ叩いている人を見るような『やめろバカ』『なんて馬鹿なことをするんだ』という表情である。
「いや、だからどこにいるって──」
ポルナレフがジョセフたちに振り向いた隙を狙ったかのように──小さな影が毛布から飛び出してきた!
「ッ、うお、わああああああッ」
獰猛な唸り声を上げてポルナレフの頭に齧り付いたのは──犬だった。
白黒の小型犬なのか、サイズは小ぶりながら犬歯を剥き出しに吠える様子は迫力じゅうぶん。猛烈な勢いでポルナレフの頭に齧り付くとそのまま銀髪をむしりまくっている。
「うわ、いたそ……」
「犬!?」
「まさか、この犬が!?」
花京院と承太郎もさすがに驚きを隠せない。
しかし考えてみれば、動物のスタンド使いに自分たちは過去に遭遇している。その可能性も視野に入れて然るべきだった。
「そう、この犬が『愚者』のカードのスタンド使いだ。名前はイギー!」
ジョセフが説明している間にもポルナレフの銀髪は本数をバリバリ減らしている。可哀想に。
「人間の髪の毛を大量にむしり抜くのが大好きで、どこで生まれたのかは知らないが……ニューヨークの野良犬狩りにも決して捕まらなかったのを、アヴドゥルが見つけてやっとの思いで捕まえたのだ」
今まさに大量に毛をむしり抜かれているポルナレフもなんとか白黒犬──改めイギーを顔面から引っぺがそうとしているのだが、小柄な分ちょこまかと避けて剥がれない。
そして、ジョセフは思い出したように。
「ああ、そうだ。髪の毛をむしるとき、人間の顔の前で屁をするのが趣味の下品な奴だった」
言葉通り、イギーがポルナレフの顔面めがけて大量の放屁をかましたのはその瞬間だった。
「スタンド使いの犬なら、そりゃあ野良犬狩りからも逃げられるわなー」
その辺の犬ならともかく、スタンドまで駆使されたら普通の人では捕獲など夢のまた夢だ。保健所にスタンド使いなんていないだろうし。
犬が仲間になるのは全く問題はないが、澪として気になるのは別の部分だ。
「予防接種とかしてあげた?」
「お前、スタンドよりそっちかよ」
「ああ……本っ当に苦労したがな……!」
承太郎が呆れ、アヴドゥルがこめかみを押さえて呻き、SPW財団職員二人がうんうん頷いている。
「なにせ、獣医が三人やられましたからね……」
「お、お疲れ様です」
疲れ切った声に当時の苦労が偲ばれる。
その間にひとしきりむしって満足したのか、イギーはポルナレフの顔面を蹴って跳躍。機敏な動きで砂地へと着地した。
反動でポルナレフはひっくり返り、だがすぐに起き上がって怒髪天。
「このド畜生! 懲らしめてやるッ! おどりゃああッ!!」
あれだけ好き勝手されたらその怒りも当然である。
脳天から湯気が出そうな勢いで手を突き出し、彼の相棒が現出する。
「チャリオッツ!」
主の意向に応えて姿を現す銀甲冑の騎士。
「ッ!」
それを見て取ったイギーは耳をぴくりと動かし、周囲に変化が生じる。
空気がふるえ、風とは別の、まるで砂そのものが意思をもったように舞い上がり、ぞよめいて──ひとつの形へと形成されていった。
「これが、『愚者』か」
「シンガポール沖で、オランウータンのスタンド使いに出会ったが……」
承太郎と花京院の視線の先、砂が作り上げた『愚者』はイギーが犬のせいか四足歩行の猛獣と機械を合わせたような奇妙なデザインである。
インディアンのような羽根飾りが頭部を飾り、前脚は動物めいているのだが後部はタイヤのような車輪。鋭い牙が生え揃い、血管めいたチューブは青と白だ。
「あらかーっこいい……!」
心のアイドルが全員サイボーグ軍人な澪にとって『愚者』のスタンドはかなり魅力的だった。
思わず、といった感じで胸の前で手を組みながら目をきらきらさせている様子は、やはり特撮映画に見入る子供のそれである。
「てめぇ、本当にぶった切るぞ!」
とはいえ、そんな乙女心(?)とポルナレフの怒りは全く関係がないので、腹立ち紛れに放たれた騎士のレイピアはいともあっさりと『愚者』を頭から股間までまっぷたつに切り裂いた。──否、切り裂かれたというよりは自ら溶けたように見える。
ざば、と音を立てて崩れ落ちた『愚者』は、しかしここからが真骨頂である。
「げッ!?」
手応えの違いを感じ取ったポルナレフが驚愕の声を上げた。
「す、砂のようになって……切れないッ!?」
言葉の通り砂と化した『愚者』はそのままレイピアへと纏わり付き、生物的にうねって押し固めるように凝着する。
「こ、今度は固まって俺の剣を取り込みやがった!」
あれでは砂の重みはもとより、一度スタンドを収めなければ身動きすら取れまい。
「かんたんに言えば、砂のスタンドなのだ」
この場に堆積している砂全てが、いわばイギーの手足で武器だった。
「うむ、シンプルなヤツほど強い。俺でも殴れるかどうか……」
今はまだお遊びで済んでいるが、これが本格的な戦闘になったらと思えば承太郎すら慄然とする。
砂を意のままに操れるのならばその攻撃用途は広範で、砂漠においては脅威ですらある。
『愚者』はまるで『銀の戦車』を小馬鹿にするように固めていた砂を一気に弾き──運悪くヘリの近くから動いていなかった澪は、それを思い切り喰らってしまう。
「わぶ」
ばしゃ、と水のように砂を頭っから被り──肩からかけていたショールだけを残して、澪の姿が消失したのはその瞬間だった。
まるでできのいい手品のようにふっつりと姿が消え、ひとかたまりになったショールの端だけが風になびいている。
「な」
「澪!?」
それを目撃していた承太郎と花京院が同時に声を上げた。
澪のスタンド(?)は自分にとって害意や敵意を持つスタンド攻撃を無効化し、一定時間体重をごく軽くする。分かっているのはそれだけで、それが能力の全てのはずだ。
「おいアヴドゥル!」
「イギーの能力は砂だ! 人間を消すなどありえん!」
承太郎の一喝に遅れて気付いたアヴドゥルは焦りつつも断言するが、澪はどこにもいない。
SPW財団の二人も顔を見合わせ、ジョセフやようやく気付いたポルナレフもイギーをくっつけたまま顔を青ざめさせた。
「も、もしやDIOのスタンド使いの攻撃か!?」
「嘘だろ!? このタイミングで!?」
さすがに意味不明すぎてこの場にいる全員がオロオロする。だが、こういう時こそ冷静さがものを言う。
「何か……動いているぞ!」
それは澪が消えた場所──ショールをつぶさに観察していた花京院で、咄嗟に全員がショールに注目する。言われてみると、風とは別の動きでショールが『もごもご』と動いている。
まるで布に絡まった仔猫のような動作でしばらくぐにゃぐにゃしていたが、ようやくショールの隙間を見つけたのか『何か』がもそりと顔を出した。