星と水底のおとぎばなし   作:小日向ひより

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4.ゲブ神②

 

 

 承太郎の動きに反応して、水はアヴドゥルへの攻撃を中止すると再び砂へと潜り込んだ。承太郎を標的と定めたのだろう。

 ひしひしと追いすがる殺気が澪にまで伝わってくる。まだ体重は戻らない。しがみついているので精一杯だ。

 

 相手の位置もろくに分かっていないだろうに承太郎は迷いひとつなく走り続け、砂の上でまどろんでいたイギーを片手でわし掴んで回収する。

 

「やれやれ貴様……澪に聞いたぜ。敵がどこにいるのか分かってやがるそうだな」

 

 ぎゅうぎゅうと締め上げられるイギーがこちらを睨んできたが、こっちも仲間の安否がかかっているのだ。

 そして承太郎は唐突に立ち止まるとしゃがみこみ、なんとイギーを砂地へと押しつけた。

 

「さあてと、協力してもらうぜ、イギーよ」

「うわぁ、どうぶつ虐待」

 

 場所が場所なら動物愛護団体が槍でも持って突撃してきそうな光景である。

 

「どこから襲ってくる……教えろ! イギー、てめーも死ぬぜ!」

 

 ぐりぐりと顔面を押しつけて凄む承太郎の迫力はすごい。

 さすがにキロ単位で離れていると澪でも気配を感じ取ることはできないので、イギー頼みになるしかないのだ。

 

「ガムはやらねーがな」

 

 じたばたともがいていたイギーが不意にぴたりと動きを止める。

 ぴくりと耳が動いて脂汗を流して目玉を見開き、周囲の砂が噴き上がったのはその直後だった。

 

「げッ!?」

 

 未だ体重の戻っていなかった澪の身体が砂に巻き上げられ、『愚者』の影響でぱんっと煙が立ち上る。まばたきひとつの間に狸へと変化してしまい、気付けば眼下に承太郎が見えた。

 どうやら自分は『愚者』の頭部の羽根飾りのある辺りに乗せられているらしい。

 『愚者』のスタンドは形状を変化させられるのか、ゲイラカイトめいた翼を展開して空中を滑空している。

 

「アゥンッ!(暴れるなよ、落ちても面倒みきれねぇぜ!)」

 

 『愚者』の両手に挟まれる形のイギーが小さく唸る。

 動物の情けもとい、よしみで乗せてくれたらしい。それはありがたいが、下で変わり身の術というかイギー型の砂人形を見つめている承太郎の気配がこわい。

 どうもイギーはこのまま逃げる腹積もりらしいが、相手が相手なのでどう考えても逃げ切れない。

 

「キュ……(たぶん、このままだと親分……)」

「逃がすかッ!」

 

 どん、と空気が鳴動して『愚者』の高度ががくんと落ちる。

 承太郎が『星の白金』で地面を蹴り上がり、『愚者』の腕に掴まったのだ。

 

「かなり重てぇだろうが、自分だけ逃げようとするなよ」

 

 承太郎の重みで『愚者』がふらつき、推進力を維持しきれていない。

 だからといって、ここで離す彼ではない。

 

「俺の『星の白金』は素早い。振り落とそうとしたなら、瞬間首をへし折るぜ」

 

 殺意混じりの脅しにイギーが身体をびくんと硬直させる。

 

「キュー(完全に脅しだ……)」

「悪いが、今のお前の言葉はちいと分からねぇんだ」

 

 狸ですからね。そうでしょうよ。

 

 無力な小動物状態の自分は何の役にも立てない。

 落ちないように『愚者』に前脚を巻き付けて、周囲を見回すのでいっぱいいっぱいだ。

 空中を滑空している現状、振動そのものがないのだから敵スタンドに自分たちの位置は把握できていないだろう。

 

 けれど、見たところ『愚者』には飛行装置としての機能はない。パラグライダーよろしく風に沿ってゆっくりと落下しているだけだ。

 

 イギーと自分だけならまだ高度の維持もできただろうが、承太郎の重みでぐんぐん高度が落ちていく。

 

「く……」

 

 砂漠すれすれにまで高度が落ちて、承太郎が懸命に膝を折って耐えているがもう保たないだろう。このまま着地してしまえば、相手に自分はここにいるんですよと宣言するようなものだ。

 どうするつもりなのか承太郎の様子を窺っていると、じわりとにじみ出てくる『星の白金』。

 

『オラァッ!』

 

 承太郎は砂地を『星の白金』とともに渾身の力で蹴り抜き、空高く舞い上がる。距離は稼げたが、おそらく今の一発で相手に位置は知られてしまっただろう。

 イギーは慣れない高度で焦っているのか屁を連発しており、承太郎が顔をしかめている。

 

「ッ!」

 

 自分の耳がぴくりと動いた。

 勘に従って覗き込むと、砂地をまるでイルカのように跳ね上がりながらこちらを追いかける水の姿。

 このまま追いかけられたらたまらない。少しでも相手の気を反らしたい。

 

 そう考えた澪の行動は、迅速かつ無鉄砲だった。

 

「きゅんッ(親分、承太郎を頼みます)!」

 

 頭から手を離して身体を反転させると『愚者』の後ろに回ってぽろっと落ちる。

 中空で見上げると、イギーと承太郎が同時にぎょっとするのがちょっと面白かった。

 

「!? 何してやがる!」

 

 遠く聞こえる承太郎の焦ったような声。

 澪は砂の上を何回か転がってから立ち上がり、そのまま四肢をばねのように動かして全力で疾走を開始する。

 

 反射なのか、それとも自分をイギーと誤認したのか背後から迫ってくる殺意のそれ。

 

 狸のままだと自分のスタンド(?)がどう作用するのかは分からない。

 でもとにかく追い立てられるように走る。今だけは狸でよかったと思ってもいい。なんとか逃げられている。

 

 毛皮が熱い。日差しが痛い。肉球がひりひりする。追いすがる殺意がおそろしい。

 けれど、逃げ切れれば自分の勝ちだ。思い切り砂を蹴って駆け抜ける。

 

 やがて身体の変化を感じる。無力な小動物から人間の身体へ。煙が舞い上がり、四肢が伸びて視界が広がる。

 

「は、はぁッ……!」

 

 ぽた、と汗が額を伝って目の中に入り込む。

 

「おあ!?」

 

 視界が塞がって突然の変化で身体がついていかず、つんのめって転んだ。

 

 ざぁ、と砂が舞い、目の前に迫る水の鎌──けれど。

 

 布一枚にまで迫っていた水がビデオのように一時停止した。

 僅かに逡巡するように震えた水は、その場で飛び込み選手のように砂地へ落ち、消える。

 澪は膝に手を当てて立ち上がり、残っている気配を頼りに水を追いかけるべく再び足を踏み出した。

 

「やっぱり、ね」

 

 走りながらひとりごちる。

 

 相手は振動でこちらの動きを察知していた。

 スタンド使いは、追いかけていたのがただの動物ではなく体重の変化によって『澪』だと、今認識したのだ。だから攻撃を取りやめて、砂地へと消えた。

 おそらくこれを辿っていけば承太郎、もしくはスタンド使いに辿り着けるだろう。少しは足止めになっていればいい。

 

 気配を頼りに走りに走って──その終着点。

 

「あ」

 

 遠目に見える杖を抱えた黒髪の、あぐらをかいている盲目らしい男に向かって承太郎が『星の白金』でイギーを掴んで第一投のポーズをしているところだった。

 座頭市、なるほどである。

 

『オラアアッ!』

「イギィいいいいいいッッ!?」

 

 思いっきりイギーがぶん投げられ、悲鳴が尾を引き男に向かって一直線。ジョースター家は動物をぶん投げる伝統でもあるのだろうか。

 あれ怖いんだよなぁ、といつかのスイスでの出来事を思い出しながら身震いしつつも再び駆け足。

 

 イギーの直撃を避けるために男は水のスタンドを承太郎から引き戻し、迎撃せざるをえなかった。

 ひとりと一匹がぶつかり合って杖が弾け飛び、その隙に承太郎がその背後へと回る。

 

「な、なんてヤツだ! 犬を投げるなんて……!」

 

 それには心底同意します。

 男の瞳はかたく閉じられており、おそらくは異常発達した聴覚でこちらの動きを読んでいたのだろう。

 杖を探しながら男は癖なのか周囲に首を巡らし、普通に歩いている澪に気付いたのか肩が動く。

 

「軽い、では澪様……承太郎は……」

 

 背後に突き刺さる承太郎の視線にようやく気付いたのか、男が顔を上げる。

 

「そうか……そこまで近付いていたとは」

 

 座っている周囲に広がる水が、主を守るようにゆらゆらと滞留していた。

 

「もし、この水のスタンドを自分の所まで戻して周囲をガードして『いなかったなら』、すでに背後からお前に倒されていたということか」

 

 承太郎は何も答えない。

 沈黙を保ったまま、ただその背中を見下ろしている。

 

「もはや、この杖で音を探知する必要はなくなったようだが……」

 

 男は立てていた杖から手を離す。

 

「この杖は」

 

 ゆらりと傾ぎ、杖がスローモーションのように倒れていく。

 

「帰るときに……必要」

 

 杖が砂漠へと転がる刹那──イギーが全力で吼え、勝負はその一瞬の間に決着した。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

「うっ、ぐ」

 

 男は『星の白金』が繰り出した砲弾の如き拳打をまともに胸に受け、血反吐をぶちまけながら倒れ込む。

 一方、彼のスタンドは承太郎の帽子を彼方へ吹き飛ばしただけに留まった。

 

「海の中でも取らなかった帽子を吹っ飛ばしやがって……だが、安心しな。手加減してある」

 

 承太郎が呟き、男をつぶさに見ていた澪はその口の端に歪んだ笑みを見咎めると──半ば反射的に身体を動かしていた。

 

「致命傷じゃあない……ッ!」

 

 男を守るために存在していたスタンドが、彼自身のために錐状に変化してその頭部へ鞭のように襲いかかった。

 だが、その脳髄を抉り抜くよりも、澪が男の頭を蹴たぐる方が早かった。

 

「がっ!?」

 

 あらぬ方向へ男が転がり、照準を失った水が澪のこめかみを切り裂いて砂漠へと散華する。

 どうやら澪のスタンド(?)は自決には反応しないらしい。

 

「おい!? 馬鹿な、自分のスタンドで自分を……」

 

 予想の範囲を超えていたのか承太郎が上擦った声を上げる。

 

 ぼとぼとと落ちる自分の血にも構わず、澪は自決に失敗して呆然としているらしい男の胸ぐらを掴み上げた。

 褐色の肌に彫りの深い顔立ち。そこにあるのは覚悟と諦念だ。

 

「いま、」

 

 澪の声にはおそろしいほど抑揚がない。

 

 

D()I()O()()()()()()()()()()()()

 

 あまりにも平坦な呟きだが、そこには不思議なほどの確信がこもっていた。

 桜色の瞳には絶対零度の殺意に似た感情が宿り、忌々しいものでも見るように細められている。

 

「な、なぜ、澪様がおれの邪魔を……ッ!?」

 

 しかし男は盲目ゆえか、そんな澪の様子に気付かず捲し立てる。

 自分の決意を汚されたという感情からか、かすかに残っていた敬語も既に消えた。

 

「DIO様に少しでも不利になるのなら、おれはここで果てなければならない! 分かるだろう、お前ならば!」

 

 ぶちぃ、と何かが切れる音を承太郎は聞いた気がした。

 

 度重なるかけっこのせいで赤らんでいたはずの頬は顔色をなくし、わなわなと総身が震え──すは、と息を吸い込む音が聞こえた。

 

「ふ、ッざけんなあああああッ!!」

 

 喉も潰れよと言わんばかりの、砲撃のような怒号だった。

 

「ッ!?」

 

 大気がびりびりと鳴動し、ただでさえ聴覚の鋭敏な男の身体が打撃でも受けたように痙攣する。

 

 そこからは、澪の独壇場だった。

 

「DIOのために死ぬ!? なに寝惚けたこと抜かしてんだ!」

 

 胸ぐらを掴んだまま男の頬を平手でびたびた張り、頭突きをかましてガクガク首を揺さぶって、それだけでは飽き足らないのかマウントで殴る殴る殴る。

 

「が、ぐぉッい、?」

 

 男はワケが分からないのか、鼻血を出しながら右に左に揺さぶられながら困惑しているようだった。

 相手が相手だけに反撃もできないのだろう。承太郎ですら見たことのない澪の様子に手を出すこともできず、こちらもなんとなく静観するしかない。

 

 澪は半眼になり、ぞっとするような冷たい視線のまま、感情に任せて怒鳴りつける。

 

「どうせDIOに殺されるくらいなら自殺の方がマシだとか思ってるんだろッ!!」

「ッ!」

 

 男の白く膜の張った瞳が見開かれ、図星であることを直感する。

 それならば止まる理由などどこにもない。烈火の如き何かに煽られて、澪の口は動き続けた。

 

「全てを捧げてるくせに、DIOのためならなんでもできるくせに、命を差し出してもちっとも惜しくないくせに! いざ窮地に立ったからって自決?」

 

 ぐう、と胸ぐらを握る手に力が入り、逸らすことを許さない灼けるような眼差しが男を射竦めた。

 

「DIOはまだ、あなたに『死ね』と言ってない」

 

 激情と憤激に憑かれたように澪は止まらない。

 男をひとしきり殴打すると、ずるりと胸ぐらから手を離して馬乗りになったまま俯く。

 鼻先が触れそうなほどに首を折り曲げ、褐色の頬にぽたぽたと血の雫が落ちて汚していく。

 

「──ふざけるなよ」

 

 低い、獣の唸りめいた訴追の声音だった。

 

 男の存在は、しでかした行為は、歪みに歪んだ澪の根幹に根ざしている疵を抉り出すに等しかった。

 噴出する激昂を理性で必死に押し隠しているのが空気から伝わってくる。

 

「ふざけんな、本当に、ふざけないで。甘えてんじゃない。あなたの生殺与奪を握ってるのはDIOだ」

 

 ならば、自殺などという選択肢すら彼には許されない。権利は全てDIOにあるのだ。

 そんなことも分かっていないのか、と澪の中で沸々と煮え滾る感情がある。

 

「なら反吐ぶちまいても、四肢をもがれても、矜持全てを引き裂くような屈辱を受けたって、死のうなんて考えないで。DIOを言い訳にして、DIOのためにって逃げ道作って、自分で幕を引こうなんて冗談じゃない!」

 

 渾身の力でばちん! ともう一度男の頬っ面をひっぱたいた。

 内臓を焼き焦がさんばかりに沸騰している感情は、義憤なんて綺麗ごとではない。

 

 これは──

 

「……」

 

 盲目であっても人間としての感覚はある。

 こちらを見据える男へ向かって、澪は心の底から吐き捨てた。

 

 

()()()()()()()()

 

 そう、これは嫉妬だ。

 

 心底くだらない焼きもちで、羨望で、八つ当たりだ。隣の芝生は青いのだ。

 澪が捨てざるを得なかったものを得ている目の前の男が、羨ましくて憎たらしくてしかたがない。

 

 手に入らなかったものを既に手中におさめ、満足の中で逝かせるなど許せなかった。

 

 きっとこの旅の一行で、彼の思考回路をいちばん読み取れるのは澪だ。

 正義とは真逆の、きっと承太郎たちでは届かない、手出しのできないくろぐろと汚濁した泥濘の奥底にある感情。

 

 男のしようとしたことは理解できる。共感する。心の底からだ。

 自ら定め、心酔した『主』から見捨てられるかもしれないというのは、世界を丸ごと引き剥がされるような恐怖だ。

 分かっている。だが、だからこそずるい、ふざけるなと思う。

 

 無いものねだりをする頑是ない子供のような嫉妬と癇癪が、澪の感情の全てだった。

 

「──そうか」

 

 男はこれまでのリンチでぼこぼこに腫れ上がり、口の端から血を流しながら怒るでなく、反撃する様子も見せず、つくづくという感じで呟いた。

 

「おれは、贅沢か」

 

 もごもごと不明瞭な発音だったが、澪は考えもせずに頷く。

 

「そうですよ。『逢えた』なら、せいぜい使い潰されて下さい。大体なんで殺されるのイヤなんですか、いちばんのご褒美じゃないですか」

 

 世間話のような呟きに、男は喉の奥でくつくつと笑みを漏らす。

 

「ふ、ふふ……それは違う。あの人に『見捨てられた』上での死がおそろしいのだ、分かるだろう」

「ああ、あー、そういう……なるほど。じゃあ、こうしましょうか」

 

 おそらく承太郎には理解の及ばない、二人だけにしか相通じることのない会話を交わして、澪はこともなげに指先を男の首へと滑らせる。

 指の腹から伝わる、熱い脈動。抵抗はない。

 

 仄暗い笑みを浮かべ、いっそ非情なほど無邪気な言葉がひとかけらの悪意もなく紡がれる。

 

「もしそうなったらDIOの前に、僕があなたを殺します」

 

 それはお互いにのみ理解できる絶対の希望で、()()だった。

 

 男は澪の真意を探るように暫し沈黙し──それが全く嘘のない、あけっぴろげな言葉だと分かったのだろう。

 全身から力を抜き、仰臥したまま僅かに息を漏らして、頬を緩めた。

 

「……では、そうしてもらおう」

 

 安堵のそれに、よく似ていた。

 

 

 

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