「はい、約束します」
澪は花のような笑顔を浮かべて、男の片手を取って小指を絡めてぶんぶん振った。
「DIO様の義姉……正直半信半疑だったが、確信が得られたよ」
ふ、と男が笑う。
「お前にもDIO様とは異なる魅力がある。我々のような唾棄すべき輩に最も強く作用する、毒薬のような魅力がな」
「あー……まぁ、ろくでなしですんで」
適当にへら、と笑うと男はンドゥールと名乗った。
「スタンドは、タロットカードの起源ともいうべき『エジプト九栄神』のうちのひとつ、『ゲブの神』の暗示……! 大地の神を意味する」
「エジプト九栄神!? なんだそれは!」
ンドゥールに馬乗りになっていた澪を引っぺがしながら、ようやく承太郎が首を突っ込んだ。
「おれが明かすのはここまでだ。承太郎、お前はおれのスタンドを倒した。だから『そこまで』教えるのだ」
ぐらつく頭を押さえ、ンドゥールは杖にもたれるように元の体勢へと身体を起こす。
致命傷こそ負っていないものの、顔面は腫れ上がり目元には青痣。腹の辺りの衝撃が抜けきれていないのか、痛みを堪えるように顔をしかめている。
「テメェ、澪が止めなきゃあ死んでたな。なんだってそんなにしてまでDIOに忠誠を誓う?」
「澪様が近くにいてわからんとは驚きだな。……まぁいい」
嘆息して、ンドゥールはやおら中空へと視線を向ける。
「承太郎、おれは死ぬのなんかこれっぽっちもこわくないね」
まるで目の前にDIOの姿が見えるように、陶酔すら滲む声音で。
「スタンドの能力のせいで、子供のころから死の恐怖なんか全くない性格だったよ。どんなヤツにだって勝てたし、犯罪や殺人も平気だった。警官だってまったく怖くなかったね……澪様もそうだが、あの犬は、きっとおれの気持ちがわかるだろうぜ」
澪はひっそりと苦笑して、まだ頭を押さえているイギーを見る。
生まれついてのスタンド使いは、多かれ少なかれ心のどこか抜け落ちている。
そして、それに気付かぬまま成長するのだ。──かつての自分と、同じように。
それは分かり合える人のいない孤独感だったり、スタンドという力を持つからこそ容易く踏み越えてしまう倫理観だったり、不安だったりと様々だ。
「そんなおれが、はじめて『この人にだけは』殺されたくない、と心から願う気持ちになった」
そのンドゥールの言葉が、語る様子が、澪の心の襞を引っ掻いていく。
無意識に、胸の辺りをぎゅうっと押さえてしまう。
「その人は、あまりにも強く、深く、大きく、美しい……」
義弟としてのディオを知っている分、なにやら得体の知れない気恥ずかしさがあったが、さすがにここで何か言うほど野暮ではない。
「そして、このおれの価値をこの世で初めて認めてくれた……この人に出会うのを、おれはずっと待っていたのだ」
ンドゥールの言葉は歓喜と狂信に満ちている。
それはとても覚えのある感情で、だからこそ澪はンドゥールに八つ当たりしたのだ。
「死ぬのは怖くない。しかし、『あの人に見捨てられ殺されるのだけはいやだ』。つまりはそういうことさ」
ンドゥールは最後にこう締めくくった。
「悪には悪の救世主が必要なんだよ」
「……」
承太郎にはンドゥールの言葉が全く理解できないようだった。それも当然。むしろそれが健常な人間の姿というものだ。
むしろ、シンクロしてしまう澪の方が異常とも言える。
「これ以上のことは明かせない。DIO様の少しでも不利になることは、な」
「……イヤでも喋ってもらうことになるぜ」
ざわりと承太郎から怒気が滲み出し、ンドゥールの周囲に再び水が浮かび上がった。
「無論全力で抵抗はさせてもらうが……仮に、ジョセフ・ジョースターの『
杖にもたれたまま、ンドゥールはさして動じた風もなく淡々と呟く。
「その前に、澪様がおれの命を刈り取ってくれるだろうさ」
「まぁその前に止めますけどね」
めごしッ!
いつの間にか承太郎から離れ、ンドゥールの背後に回っていた澪は取り出していた小狐丸を鞘ごと振りかぶり、彼の側頭部めがけて渾身のフルスィングをかました。
「ぐ、ぁ……!?」
予想だにしない衝撃をまともに食らったンドゥールはそのまま真横にぶっ倒れ、動かない。昏倒しているらしかった。
意識がなければ『隠者の紫』も用をなさない。
「澪、テメェどういうつもりだ」
その行動の意味を悟り、承太郎は澪の胸ぐらを掴み上げた。
顔の半分を血に染めて、桜色の瞳と外洋の瞳とがかち合う。
「ンドゥールさんには、これ以上、手ぇ出さないで」
ンドゥールは確かに貴重な情報源に違いはないが、もしそれを探ろうとすれば今度こそ彼は死ぬまで戦うだろうし、最悪の場合澪は彼を殺さなくてはならない。
そうするのは、どうしてもイヤだった。同病相憐れむの論理である。
かといって、このままホイホイDIOの元に戻って殺されても、こちらの情報を流されてもやっぱり困る。だからこその苦肉の策だった。
「この人を殺すのは、殺していいのは、一番がDIOで二番が僕、三番がンドゥールさん自身で……承太郎はそのあと。だから、やめて」
それは、凡そ正義に連なる人間とは異なる論理で生きる者たちにのみ通じる言葉だった。
だから当然、承太郎には理解が及ばない。
「分かるように言え」
苛立ちの混じった承太郎を見上げ、澪は存外に真摯な瞳で彼を見上げて口を開く。
「じゃあ、分かりやすく言う」
千言を尽くし、万言を弄してもきっとこの心情を理解してもらうことはできない。
それが分かるから、澪はこう言うしかなかった。
「ンドゥールさんを見逃して」
「無理だと言ったら」
譲る気などさらさらない、と言わんばかりの承太郎の切り返しに、少し考えた。
澪の中にある天秤はDIOたちと承太郎たちが分銅となって釣り合いを保っている。どちらも大切で、譲れないからこそこうした行動に出ざるを得ない。
ホリィを助けたい。ジョースターの血統を絶やしたくない。DIOをひとりぼっちにするのはイヤだ。
それらの感情は澪の中で矛盾なく混じり合っている。
そして、どちらも取れないから、澪は世界でいちばん卑怯な手段を口にする。
「……もし、エジプト九栄神についてやDIOに関する情報を、ンドゥールさんから探り出さないと約束してくれるなら」
手持ちの『切り札』。その最後を承太郎へと差し出した。
突きつけた、と言った方が正しいのかもしれない。
これ以上のレイズは不可能だ。
「ホリィさんのいのちを半月延ばす」
おそらく、その発言が本来の流れを分かつ最後の分水嶺だった。
折り重なり、紬ぎ、よじれた運命がカードをでたらめにかき交ぜ、そうして澪は無謀なコールに出た。
澪が承太郎に向かって提示した条件は、いわば彼らにとっての逆鱗に等しい。
ジョセフと承太郎が何を以てしても命脈を繋ぎ、救いたいと願う対象を人質に、仇である部下の助命嘆願をしているのだ。
だからこそ、澪は自分の発言でジョセフと承太郎にそれこそ歯がなくなるまで殴られようが怒鳴られようが──心底侮蔑されても仕方がないと思った。それだけの重みと、力のある言葉だ。
ンドゥールの件にしても、どう言い繕ったところで理解を得るのは難しいだろう。
そう考えたからこそ出さざるをえなかった条件で、交渉だった。
せっかく縁故を繋いできた仲間たちに嫌われるのは、蔑視されるのは、きっと死ぬより辛いけど、譲ることができなかった。
そう、いっそ悲愴なまでの覚悟を決めていた。
「できんのか」
砂漠の灼熱のさなかであってさえ、承太郎の声は液体窒素のようだと澪には感じられた。
灼けるような痛みと、肝胆が凍りつくような殺気。
「正確には、僕じゃなくて義父さんたちができる」
胸ぐらを掴まれたまま俯き、ただ分かっている事実を述べると──その手がぱ、と離される。
ぼすんと尻もちをついて承太郎を見上げても、帽子でその表情は窺い知れなかった。
「わかった」
「……へ」
あまりにも、あまりにも簡素で直截な返事だった。
てっきり烈火の如く怒るか、それを越えてぶん殴られると思っていたので、あっさりと頷いた承太郎にはむしろ拍子抜けである。
「なら今からこいつのことは澪に任せる。好きにしろ」
「え? あ、うん」
こん、と革靴の爪先でンドゥールの後頭部を小突き、承太郎は響いてきたエンジン音に反応して踵を返す。イギーがけたたましく吼えている。
口を半開きにしたまま、まだ状況が飲み込めず砂漠に座り込んだままでいると、途中で承太郎が怪訝そうに振り向いた。
「おい、ジジイたちが来るぞ。そいつをどうするのか考えてんだろうな」
全く変わらない。
承太郎の雰囲気も、口にされる言葉も、これまでとひとつも変わっていない。
想像の埒外にもほどがある応対に、澪はひとり首をひねった。
「……あっれぇ?」