昔ながらの日本家屋には今日も暗鬱な空気が漂っていた。
畳敷きの座敷には大きな布団が敷かれ、病床に伏しているホリィの周囲には、SPW財団屈指の名医と看護婦が二十四時間態勢で彼女の容態を見守っている。
ホリィの顔色は悪く、汗の粒が浮いている。
呼吸も不規則で、身体からは余計な肉が削げ落ち、やつれたような印象すらあった。
ただの病とは根元から異なる『スタンド』という生命エネルギーの暴走。
いかな病のエキスパートたちであっても腫瘍のように切り取ることもできないのだから、彼らにできることもごく限られてしまう。
衰弱した身体への栄養を補うための点滴や心電図チェックの機械が並び、現状維持に腐心しながら待つしかない現状は、ホリィのみならずジョースター家を愛してやまないSPW財団の誰にとっても辛いことだ。
そこへ、
「邪魔をする」
「どーもー、こんちは」
二人の見知らぬ青年がずかずか入ってきた。
片方は長身痩躯。
頭の形に沿うように黒髪は切り揃えられ、蒼氷色の瞳が周囲を見回している。
そしてもう片方の青年は、さらりとした琥珀の髪を揺らし、紫玉と黄金、左右異なる瞳で茫洋とホリィを見下ろして適当に手なぞ振っていた。
澪の要請によって急遽自転車で乗り付けてきた空也と宵丸である。
「!?」
突然の闖入者にぎょ、と医師や看護師たちが揃って肩をそびやかす中、黒服の財団員がひとりの医師に駆け寄り何やら耳打ちして、黒服は空也に向き直ると口を開いた。
「ミスタ・シワブキ?」
「おう。こっちが宵丸、ちいと用ができるかもしれんから連れて来させてもらったぞ。構わんか?」
「ジョースターさんから話は窺っています、どうぞ」
深々と頭を下げる黒服に空也が頷き、宵丸はといえばいきなり布団をまたいでホリィの枕元にしゃがむと、彼女の頬を手の甲でぺたぺたと刺激した。
「ホリィ嬢、聞こえる?」
「おい君!?」
医師が慌てて手を出そうとするが、その小さな刺激でホリィの瞳がうっすらと開く。
おぼつかなかった焦点が宵丸へと引き結ばれ、ゆるゆると頬が緩んだ。
目元には隈が浮かび、髪もあちこちがほつれ、呼吸も辛そうだった。
「……まぁ、澪ちゃんのお義父さんたち。いらしてくださったの?」
その声は、聞き取るのも難しいほどに細く、儚い。
「うん、澪に頼まれたから来たよ」
さっくり頷く宵丸に、ホリィは小さく吐息を漏らした。
「ふふ、なにもお構いできなくて……ごめんなさい」
「べつに悪いのはホリィ嬢じゃないから謝ることないよ。あと、これから空也がホリィ嬢の身体をちょっといじるけどいい?」
唐突に過ぎる問いかけにホリィがゆっくりと瞬きするが、宵丸は平素と全く変わらない。
彼の行動原理は全てが澪を中心として動いていて、他はすべて些事だ。
それは、たとえこの世界においての『重要人物』が相手であったとしても変わらない。
「まー、仮にイヤって言われてもこれは澪からのお願いだから強行するけどね」
質問の意味ねぇだろ、とその場にいた全員が思った。
「いちおう、ホリィ嬢の親父さんには許可取ってあるよ。……いい?」
具体的に何をするかという肝心の部分すら何一つ告げないという、雑にもほどがある問いかけに、けれどホリィは微笑んだまま僅かに頷いた。
「かわいい澪ちゃんのお願いですもの、いいわ」
「よし」
その時だけ、宵丸は僅かに瞳を細めるとホリィの髪を一房だけ取ると指先で撫でて、空也へと視線で合図を送る。
「ま、悪いようにはしないからさ」
「わかってます、澪ちゃんだもの」
かすかな吐息で細く呟くホリィの布団の横へ、いつの間にか移動していた空也がぺろりとその上掛けをめくり上げ、中空に手の平を差し出した。
蒼氷色の瞳はいつになく真剣な様子で眇められ、口調だけは飄々と。
「いじると言っても
見えぬ糸を辿るように淀みなく指先は空を滑る──その、直後。
視認することができたのは、おそらくはホリィだけだろう。
彼女の身体を蝕み、縛め続けていたシダ植物の如きスタンドが突如として蔓を伸ばし、空也へと襲いかかった。
「あ、……」
ホリィが手を伸ばそうとするが、身体に力が入らない。
けれど当の空也といえば口の端を歪めて苦笑するだけだった。
「『脈探手』に反応する辺りスタンドの面目躍如、といったところか。さすがに殺気含みだとよう見えるわい。つうか邪魔で『ツボ』が見えん、宵丸」
「うーす」
気のない返事をする宵丸の瞳孔が瞬間──針のように細くなり、口の端から青白い煙がふわりとたなびいた。
ふう、と吐息を漏らせばそれは空気に拡散することなく宵丸の片手にゆるゆるとまとわりつき、彼がその手をぶん、と振る。
靄のような青白い炎は水を泳ぐ魚さながらの動きで素早く蔦へと絡みつき、めろめろと必要最低限の範囲を舐めるように燃やし尽くしていく。スタンドではないのか、ホリィにはさしたるダメージもなかった。
「お、見えた見えた。宵丸、『点穴』終わるまできーぷな、きーぷ」
「わかってる」
二人にしか分からない会話を交わし、ここまでくると何かのパフォーマンスを見物しているような気分だったホリィの前にしゃがんだ空也が優しく笑う。
その手には糸のように細い針が数本。
「ほんとはな、儂らなーんもしないつもりだったんよ」
彼は内緒話をするように、ホリィにしか聞こえないくらいの小さな声で。
「どう転んだとて、お前さんは死にゃあせんから……余計な世話っちゃそうじゃし、下手に手を出して『ここから』の顛末がどう転ぶか考えると頭が痛いわい」
「今更なとこもあるんだけどね、某赤いシャボン玉もなかったみたいだし?」
頷きながら話に割って入る宵丸と揃って、不思議なことを。
「儂らホントアウトサイダーな(娘含)」
「まぁ、いるってことは『やってもいい』ってことだよ。だから俺は好きにやる」
「同じく」
そうして空也は目元を緩めて場違いに照れくさそうに笑った。
「平たく言うと、愛娘にお願いされたから儂らは後先考えず行動するワケよ」
つん、と小さな感触だった。
髪の毛が服の隙間から肌に刺さってちくちくする、そんな。
「うむ、これぞ義父の愛」
空也が満足げにむふんと息を吐き、ホリィから伸びていたスタンドがそれこそ幻のようにかき消える。
視線をずらすと、服越しに針がいくつか肌に突き立っていた。痛みは感じない。
「──」
途端、ホリィは自分の身体がすう、と抜け落ちるような感覚を覚えた。
詰まっていた風船から空気が抜けるような、身体の輪郭が曖昧になるような浮遊感。
「……あら?」
これまで感じていた息苦しさがなくなり、熱泥のようだった身体の重さも感じない。
指先ひとつ動かすのがあんなに辛かったのに、もう立ち上がるのも問題ないように思えた。
「ほい、と」
その様子を観察していた空也が頃合いよしと見たのか針を引き抜き、ホリィは何度か布団の中で手の平を握ったり開いたりしてから、上半身を起こした。
「ホリィ様!?」
慌てた医師たちの制止にも構わず、ホリィはその場で立ち上がって自分の身体を確かめる。
痛みはない。苦しさもない。だるさも感じない。
「あらら?」
「ホリィ!?」
書斎にいたシーザーが、黒服からの連絡を受けて慌てて室内に入ってきたのはちょうどその時だった。
「おじさま!」
ホリィが足取り軽く、まるで少女のように駆け出してシーザーへと抱きつく。
それを危なげなく受け止めながらシーザーは混乱していた。周囲の医師たちも呆然としていた。無理もない。
「ホリィが立っ、……どういうことだ!?」
「澪ちゃんのお義父さんたちのおかげなの! もうぜんぜん苦しくないわ! 嘘みたいに身体が軽いの!」
久々の感覚にはしゃいだ声を上げてほら、と証明してみせるようにホリィはシーザーの手を取ってくるりとその場で回ってみせる。
「Mamma mia……ッ、おっ、お義父さん!?」
そこでシーザーはようやく空也と宵丸の存在に気がついた。
「お義父さん言うな気色悪い。鳥肌立つ」
心底イヤそうに宵丸は顔をしかめ、空也はごそごそと針を懐にしまって肩を軽く竦めた。
「あー、喜んでるとこ悪いが儂は空気読まないんで先に言うとく。ホリィ嬢は治ったワケじゃないからの」
「えっ!?」
その言葉にいちばん驚いたのはホリィ本人である。
確かめるように自分の身体のあちこちを触り、首を傾げた。
「でも、私、もう苦しくもなんとも……」
「その辺はこれから説明するから待っとれ。そこの医師連中にも聞かせんとならんからな、協力してもらわにゃあならん」
ひらひら、と気軽な感じで空也は手を振った。
ようやく正気に返ったらしい医師の面々は空也へ向かって示し合わせたように人形めいた動きでカクカクと頷いた。
揃いも揃って、目の前で起きた奇跡の維持のためならばなんでもやってみせるという気骨を感じる面構えである。さすがSPW財団員。ジョースター家至上主義とはよく言ったものだ。
宵丸はそんな連中をじゃっかん引き気味に眺めてから(人のこと言えない)、最期にシーザーへと向き直った。
「それでさ、シーザー・A・ツェペリ」
「?」
「あんたに頼みがあるんだ」
意外な人物からの意外な申し出にシーザーは瞠目する。
宵丸はつい先日、門前払いどころかぶん殴ってきた相手だ。自分に頼み事なんて死んでもしないと思っていた。
そんなシーザーの思考を見透かすように宵丸は口をへの字に曲げる。
「使えるもんはなんでも使うよ。澪のためならね」
「ッ、澪がどうかしたのか?」
数十年越しの恋情を傾け続けている少女の名前を出されれば、シーザーとて冷静ではいられない。
彼女は、自分の因縁の帰結を見届けるためにジョセフたちに同行している。
危険な旅路な上にDIOに狙われている身の上だから、どこで何があっても不思議ではない。
「まだどうもしてないけど、どうかするかもしれない」
「は?」
宵丸の言葉はどうにも要領を得なかった。
「それは、どういう……」
「俺にもわかんないけど、なんかろくでもないこと考えてる気がするんだよね」
なんだそりゃ。
具体性のなにひとつない宵丸の言葉にシーザーはじゃっかん鼻白んだが、彼方を見据えるような本人の瞳は真剣そのものだった。
凡そ人間という範疇を超えたような美貌の青年が見せるその表情には、どこか周囲を圧倒するような鬼気が籠もっている。
「俺と空也は動けない。澪からお願いされたからね」
「ホリィ嬢のことはもちろん、『座頭市(みずタイプ)』が郵送されてくるしな」
「そうそう」
どんな郵便物だ。
「だからあんたに頼むんだ。イレギュラーのくせに『重要人物』で、命冥加に生き延びたくせに何十年もうちの娘に初恋拗らせっぱなし野郎の、シーザー・A・ツェペリに」
ひどい言われようだった。
しかし、口調そのものは軽いが有無を言わせない重さがあった。
「儂と宵丸でホリィ嬢とその家族を守る。誰にも手出しはさせんさ」
腕を組んだ蒼氷と、眇められた黄金と紫玉が、シーザーの
「そうだな……俺からひとつ、ありがたい託宣をあげるよ」
その声には力があった。
「
口調こそ変わらないものの、背骨を直接撫で上げられるような寒気と悪寒がシーザーのみならず周囲の人間の心臓を打撃する。
「どれだけの誤差があるかは不明だけど、今回の件は二月二日の遅くとも一両日中に全てのカタがつく」
他人を無条件で従わせるそれは、人という概念を超越した圧倒的上位者により授けられる言霊だった。
「ホリィ嬢は死なないし、死なせない。それは俺たちが澪に託された願いで──何があっても
傍から聞けば気狂い者の与太話にしか思えないが、その声音には確信のみが満ちている。
まるで、確定されている未来の予定表を読み上げているような、不可思議な口調だった。
「けど、」
『託宣』とやらはそこまでだった。
それまでの圧力すら感じるような気配はしぼむように残らず消えて失せ、宵丸は憂うように目を伏せる。
「澪はそうじゃないから」
そこにいるのは、ただの娘を心配する義父だった。
「『違う』ってことは──守ってもらえないってこと。肝臓が体内の不要物を選別するみたいに、世界って内臓がいつ澪を刮ぎ出そうとしたって不思議じゃない」
彼は自分ともうひとりの義父にしか分からない道理を、独白のように吐き出した。
その横で空也が僅かに憫笑のようなものを浮かべる。
「実はの、澪の頼み事を横に置いても……儂と宵丸は日本から『出られない』んよ。チケットは取れんし、たまさか取れても車が事故ったり、電車が止まったりでフライト時間には間に合わず……この二年だけなのか、一生もんなのかは分からんが──それこそ、拒絶されとるみたいにな」
「だから俺たちは『送り出す』しか選択肢がなかった。せめてもの餞別を渡して、祈るしかないってワケ」
次々と飛び出す二人の話は奇妙にもほどがあったが、不思議とシーザーは納得していた。
彼らが澪を溺愛しているのはここ数週間の間にイヤというほど理解していたし、旅に同道は無理でもいつエジプトへ向かったとしても何ら疑問も湧かないほどだ。
とりわけ宵丸は、こうして日本で座して待っている方が不自然なくらいである。
しかし、もし二人の言っていることが真実、起きている事象であるならば、
「儂らがお前さんに頼むしかないのは、そういうことよ」
空也がさびしそうに肩を竦め、宵丸は驚くほど弱々しく、けれど必死に訴えた。
「澪を、俺たちの世界でいちばん大事な娘を、助けてやって。力になってやってよ。それで、ろくでもないこと考えてたらぶん殴ってでも止めて」
虚飾ひとつない、切実な声。
「──死なせないでよ、頼むから」
不器用で、世間知らずで、突拍子がなくて得体の知れない、けれど間違いなく愛する娘を心配している義父へシーザーが返す言葉は、最初から決まっていた。
鍼灸医な義父オリキャラは『退魔針』出身のクロスオーバーだったりします。
大摩先生の兄弟子でしたが、とある不祥事起こして大摩流のぜんぶを弟弟子に押し付けて()逃げたという裏設定です